【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉

文字の大きさ
14 / 28
2

5 雨の中

しおりを挟む

 おりんと千代は、護衛のものを引き連れて町へ出た。向かう先は、おりんが借りるはずだったあの長屋の空き部屋である。
 最近の江戸の町は、不思議な様相の洋人も見かけるようになった。だからか珍しい船来品も店に並ぶので、物々しい雰囲気をのぞけば、千代との見物はあの頃に戻ったみたいに楽しいものだった。
 しかし、そうしてばかりもいられないのである。一行はあのとき有島に書いてもらった地図を頼りに、きびきびと道を歩いた。

「私たちもこの辺は地理に疎いから、それが残っていてよかった」

 千代が言う通り、確かに捨てずに取っておいてよかったとおりんは思った。森本家を飛び出した日、彼が自分のために書いてくれたかけがえないものだったので捨てるわけにもいかず、引き出しに大切にしまっておいたのだ。そうしていてよかったと、おりんは思った。

 ――これがなければ、ここまで辿り着けなかった。

 そう思うのは、実際あのときの記憶があまり残っていないからで、きっと追っ手が迫っていて正気でなかったのだと思えた。
 町並みやお店をじっくり見ている暇もなかったので、こうして穏やかに歩けることに、おりんは喜びを感じていた。
 このあたりは大きな店が多く、人通りも多かった。それを分け入るように進み、おりんは気付く。

「!……この角です」

 大店の並ぶ角に、例の小間物屋がある。そしてその裏店に、有島は部屋を借りているという。
 一行が急いで近付くと、建物や幕が見えて――。

「あれ…………呉服屋だ」

「はい。小間物屋ではないみたいですね」

 侍従のことばの後で、千代はおりんよりも先にそろりと呉服屋に近付き店内を眺めると、店番をする老人を見つけ声をかけた。

「おじじ様、少しお聞きしますが、この店は昔から呉服屋なのですか?」

「ああ。うちは百年続く老舗だよ。いいもの揃えてるし、見ていかねえかい?」

 そんなふたりのやりとりを前に、おりんは絶望していた。やはり、有島の発言は嘘だったのである。

 ――……有島さま。

 ただ、本命は裏店にある空き家だった。そのためそれも確認せねばと、おりんが思ったときだった。

「おりん殿」

 小さな声でぼそりと声をかけたのは、千代のお供のおとこだった。

「どうしたのですか」

「いえ、見間違いかと思ったのですが……姫様をあなた様のもとへ案内した同心さまと、よく似た方がそこにいらっしゃって」

「え?」

 反射的に彼の視線の先へ目を向けると、人波の奥にちらりと見えたのは、惣次郎くらいの背丈をした黒の巻羽織だった。
 そしてじっと視線を送ると、顔がちらりと見えた。白い肌に端正なつくりの横顔は、まさに有島惣次郎そのひとだった。

「追いかけますか?」

 男にそう言われ、おりんは思わず聞き返す。

「……お付き合い頂いてもよろしいのでしょうか」

 すると彼はどこか諦めたような笑みを浮かべて言った。

「もちろんですとも。一度こうなったお千代さまを、止めることは至難の業ですから」

 そういう訳で、一行は有島のあとを人混みに紛れながら追いかけた。気付けば、あたりにはぱらぱらと秋雨が降り始めていた。

 ――どこへ行くのだろう。

 おりんはそう疑問に思った。
 先を行く有島は、いよいよ町家の区域から離れていきそうに見えたのである。このまま人通りの少ない場所へ行かれてしまえば、あとを追うことは確実に難しくなってしまう。
 そう心配したときだった。有島は道の脇に現れた林の中へ、ぱっと入っていったのである。
 急いで追いかけてみれば、そこは寂れた寺の敷地のように見えた。石でできた階段の先には、大きな門が佇んでいる。ここらへんの地形は、丘のように小高くなっており、きっと登ったところに寺そのものがあるのだろうと思えた。しかし、階段は苔むしており、人の手が入った形跡をすこしも感じられなかった。

 ――有島さまは、ここを登っていったんだ。

 おりんがそう思っていたとき、後ろから小さく名を呼ばれた。

「おりん。こっちに道がある」

 確かに、千代が教えてくれたとおり、階段の脇の林の中には道があった。
 草木で覆われたその脇道を歩き、不自然な生え方の木々を眺めながらおりんは思った。きっとここは小さな庭園だったのだろう、と。
 ただ、今はすっかり忘れ去られたように思えた。

 ――有島さまは、こんなところに何をしにきたのだろう。

 ぼんやりと思ったときだった。木々の隙間から、黒い影が見えた。
 それは確かに彼の背中で、よく見れば跪いて頭をたれていたのである。何を相手にそうしているのだろうとおりんがよく見れば、彼の前にあったのは大きな石で、その脇にも無数の石が並んでいた。

 ――ここは……墓地なんだ。
 
 その後、おりんが息を潜めて見守り始めてから、彼がどのくらいしていたのかはわからなかった。ただ、雨のなかも構わずにそうする姿は、まるで懺悔をするかのように見えた。

「誰かが、なくなっているのね」

 千代の呟きにおりんも返す。

「先ほどお話にあった、斬首されたご家族でしょうか」

「それはないでしょう。罪を負ったものの遺体は返されることはありません。それに、この墓地に武家のものが眠るとは思えません。町民ですら、もっとまともな墓の下で眠るでしょう」

「となると考えられるのは……裏の花町でしょうか」

 侍従のことばに千代は頷いた。
 そんなやりとりを前に、おりんの中で新しい謎が膨らむばかりだった。

 ――追いかければ少しくらいわかると思ったのに、こんなことになるなんて。

 やはり直接聞くのが手っ取り早いのだろうか。しかし、計算高い一面のある彼が、本当に答えてくれるのだろうか。
 おりんがひとり迷っていると、千代が肩を叩いて言った。

「有島さまが動かれた。さあ、追いかけますよ」

 正直、おりんの中で諦めは強くなっていた。もう暗くなりはじめており、清之進もそろそろ屋敷に戻っている頃だろう。食事を待ちわびているかもしれない。
 ただ、そうせず続けようと思えたのは、あの兄弟の謎を少しでも早く知り、受け止めたいという強い思いがあったからであった。


※※※※


 町のとある髪結い床で、ひとりのおとこが身なりを整えていた。綺麗に月代を剃り、きっちりとした本多髷を結わえた姿は、腰の大小二本の刀によく似合っている。
 おとこが銭を支払ったあと、髪結い師は客であるおとこの姿を眺めながら、にんまりと嬉しそうな笑みを浮かべて言った。

「兄さん、かなりさっぱりしたねえ」

「……そうだろうか?」

「へい。十歳ばかり若返って見えますよ」

「それはよかった」

「へい。ありがとうございやした」

 おとこは店を出て、薄暗くなり始めた空を眺めた。頭上にはすっかり雲が広がり、雨がぱらりと顔に当たった。

「……おりんは、心配してるだろうか」

 そう小さく言うと、傘も差さずに表通りを歩いていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

出雲屋の客

笹目いく子
歴史・時代
短篇です。江戸堀留町の口入屋『出雲屋』は、乳母奉公と養子縁組ばかりを扱う風変わりな口入屋だった。子を失い、横暴な夫に命じられるまま乳母奉公の口を求めて店を訪れた佐和は、女店主の染から呉服商泉屋を紹介される。 店主の市衛門は妻を失い、乳飲み子の香奈を抱えて途方に暮れていた。泉屋で奉公をはじめた佐和は、市衛門を密かに慕うようになっていたが、粗暴な夫の太介は香奈の拐かしを企んでいた。 夫と離縁し、行き場をなくした佐和を、染は出雲屋に雇う。養子縁組の仕事を手伝いながら、佐和は自分の生きる道を少しずつ見つけて行くのだった。

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

田楽屋のぶの店先日記~深川人情事件帖~

皐月なおみ
歴史・時代
旧題:田楽屋のぶの店先日記〜殿ちびちゃん参るの巻〜 わけあり夫婦のところに、わけあり子どもがやってきた!? 冨岡八幡宮の門前町で田楽屋を営む「のぶ」と亭主「安居晃之進」は、奇妙な駆け落ちをして一緒になったわけあり夫婦である。 あれから三年、子ができないこと以外は順調だ。 でもある日、晃之進が見知らぬ幼子「朔太郎」を、連れて帰ってきたからさあ、大変! 『これおかみ、わしに気安くさわるでない』 なんだか殿っぽい喋り方のこの子は何者? もしかして、晃之進の…? 心穏やかではいられないながらも、一生懸命面倒をみるのぶに朔太郎も心を開くようになる。 『うふふ。わし、かかさまの抱っこだいすきじゃ』 そのうちにのぶは彼の尋常じゃない能力に気がついて…? 近所から『殿ちびちゃん』と呼ばれるようになった朔太郎とともに、田楽屋の店先で次々に起こる事件を解決する。 亭主との関係 子どもたちを振り回す理不尽な出来事に対する怒り 友人への複雑な思い たくさんの出来事を乗り越えた先に、のぶが辿り着いた答えは…? ※田楽屋を営む主人公が、わけありで預かることになった朔太郎と、次々と起こる事件を解決する物語です! アルファポリス文庫より発売中です! よろしくお願いします〜 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ 2025.9〜 第二幕 『殿ちびちゃん寺子屋へ行く!の巻』の連載をスタートします〜! 七つになった朔太郎と、やんちゃな彼に振り回されながら母として成長するのぶの店先日記をよろしくお願いします!

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし

佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。 貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや…… 脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。 齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された—— ※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

処理中です...