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7 再会
しおりを挟む「す……すごい」
清之進と水戸浪士が剣をぶつけ合うさまを、おりんと惣次郎は脇からじっと見ていた。そうせざるを得なかったのは、ふたりの剣技が激しく近寄れなかったためである。
凄まじい剣閃は、はじめ敵の水戸浪人に軍配があった。それに対して防戦一方であった清之進だが、先程こちらをちらりと見てふっと笑ってから、流れが変わったように見えた。
重たかった彼の腕は、まるで余計な力が抜けたように軽やかにしなり、突如猛攻をはじめたのである。
「有島さま……!」
「ああ。もう、大丈夫だろう」
その様子を見て、つい先程まで青白い顔をしていた惣次郎も、ふっと力を抜いたように微笑んだ。おりんもそれを見て安心し、思わず地べたに座り込む。
――ああ……本当によかった。
なにせ、ここにたどり着くまでにふたりはなかなかに苦労していたのである。
花街で会合が開かれたあの直後。ばたばたと動き始めた同心たちの中で、おりんは惣次郎を捕まえて清之進の真の名前を伝えた。
『惣次郎さま!下村です!下村、忠國』
しかし反応はあまりよくなかった。
『下村……か。私は聞いたことがないな』
そうして周りの同心仲間に声をかけるも、やはり知っているものは誰ひとりとしていなかった。
おりんは愕然としたものの、そこで諦めることはしなかったのである。彼らの会話の中で覚えている単語はないかと考え、必死に口にする。
『ええと、ほかには……千葉道場!』
その途端、男衆らはぴくりと反応した。
『何っ、千葉道場だと?』
『……はい。清之進さまは、最近そこに道場破りに行かれたそうです。あの方はそこの弟子だったと言う方もいました』
すると、清之進は少し考えた後で頷いた。
『ふむ。千葉道場か。おりん、いい手がかりを見つけたな。あそこは北辰一刀流で大変に有名な道場であるが、水戸藩との繋がりが大変に強い。明日……すぐさま出向くぞ』
『は、はい!』
そんな経緯があり、その日の翌朝すぐに動くことになったのである。
それが、実は今朝のことと言うわけで。今日の午前中、千葉道場にふたりは出向いた。しかし門前でぴりぴりとした空気を感じとったため、急きょおりんがひとりで訪ねることになったのである。
そして忠國の遠い親戚だとか何とか言って、なんとか門人に頼み込んだ結果――ついにおかみさんに会うことが叶い、この墓地が候補に上がったのである。
――まさか、こんなすぐに見つかると思っていなかったけれど……本当によかった。
清之進が姿を消してからもう数カ月が経っていた。季節はもうすっかり変わり、今も薄手の着物に草履という、見るからに寒そうな姿の彼を前に、おりんは涙ぐみそうになる。
しかし、それはまだ早かった。彼の過去を知り、彼を消そうとするかつての友人を倒さなければならなかった。
それは忠國を縛り付ける枷であり、解き放たれなければならないものだった。これから清之進として、また新たな人生をはじめる上で――。
おりんがそう思ったときだった。どさりと何かが倒れる音がし、そちらへぱっと顔を上げれば、水戸浪人が地面に伏していた。
清之進はというと、血のついた刀をぱっと振るい、するりと鞘に仕舞うところだった。
「清之進さま!」
喜びのあまり思わずそう叫び、おりんは駆け寄ろうとした。しかし清之進は弱々しく微笑んだだけで、まるでこちらに来るなと言うように手で制止した。
なぜだろう――そうおりんが疑問に思っていると、彼はよく響く声で静かに言った。
「私は、水戸藩浪人……下村忠國である。同心殿とお見受けした。ここに人殺しがいる。捕まえるがよい」
そんなことを言いながら悲しそうに微笑む清之進を前に、おりんはなぜと思いながら惣次郎の方を見上げた。
「有島さま――」
すると、彼は前に歩み出て声を荒らげたではないか。
「何を言っているのか、私にはまったくわからん。あなた様は…………私の兄だ」
初めて見るその様子に、おりんは驚いた。まさかこの方がこんなにも感情をあらわにするなんて。同時に嬉しさがこみ上げた。惣次郎にとって、もうとっくに彼が清之進であるのだ。
惣次郎はこちらを向いて、ふっと微笑んだ。
「だろう、おりん」
「……はい。この方は、確かにおりんもよく知る有島清之進さまです!」
そう言うも、清之進は頑なに是と言おうとしない。
「ふたりとも……何を言っているのだ。私はかつて、そなたの兄上を――」
そんなことを言い続けるので、思わずおりんは言ってしまった。
「何を言っているのかと言いたいのは、こちらのほうです!きっとあなた様は水戸からいのちを狙われると思い、同居するあたしたちに被害が及ばぬよう、別人のふりをして出ていかれたのでしょう。しかし、もうすっかりお姿が戻ってらっしゃいますし、何よりそれではただの不審者です。まだ病気で引きこもっていらっしゃる清之進さまのほうがましです。変なことをおっしゃってないで、屋敷にお戻り下さい!」
そう言われた清之進は、あっけにとられていた。
すると隣りにいた惣次郎が突然ぷっと吹き出して――。
「はははは。おりんは言うようになったな」
そう軽やかに笑い、続けた。
「……そなたは確かに人を斬った。しかしそれはすべて助けるためだろう?刀を持てない、無力なものたちを」
「本当に……そうだろうか」
ぽつりと言ったその顔は、信じたいというすがるような思いが込められていた。おりんは思わずうなずく。
「はい、そうです。そうですとも。あなた様は、あたしを助けるために剣を振ってくれた方ではないですか」
「…………おりん」
惣次郎も続ける。
「そなたは、かつて幼き私を救ってくれた、清之進兄様だ。それ以外の何者でもない」
下村は顔を俯けた。そして絞るように小さな声で言う。
「…………ああ。ふたりとも…………本当に感謝する」
いつのまにか、雪は大粒になっていた。
地面がうっすらと白く染まり始めた中、おりんと惣次郎は清之進に近寄った。
「兄様。とりあえずおりんとともに屋敷にお戻りください。その格好では、とっくに凍えているでしょう」
「確かに。いまになって……寒くなってきたぞ」
「もう!早くこれを」
おりんは自分の首に巻いていた手ぬぐいを手早く取ると、清之進の開いた襟元にぐるぐると巻きつけた。
「おお、これは温いな」
「さようでございましたか。それはよかった」
「恩に着るぞ、おりん。そして惣次、この男の死体はどうする?」
声をかけられた惣次郎は答える。
「これから私の仲間を呼び、引き上げることとにします。このおとこは、水戸浪人でしょう」
「ああ。久本景光という、私のかつての友人だ」
「……私が手柄を横取りすることになりますが、目をつぶって頂ければ」
「ふふ。これまでもそうだったろう。ではよろしく頼むぞ」
惣次郎を現場に残し、おりんと清之進は屋敷へ向かった。雪は止むことなく降り続いており、底冷えする寒気がたちこめていた。
はやく帰らなければ――そう足を速めるおりんに清之進は言う。
「おりん……感謝する」
「ふふふ。いいのです。清之進さまがご無事でしたので。……さあ、早く屋敷に帰って温かいものを食べましょう。もうすっかりやつれられてしまって……きちんと食べていなかったのではないですか」
すると、清之進はにやりとした笑みを見せた。
「わかるか?そなたの飯が大層恋しかったぞ。おりん、よろしく頼む」
「はい!お任せ下さいませ」
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