【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉

文字の大きさ
25 / 28
3

7 再会

しおりを挟む

「す……すごい」

 清之進と水戸浪士が剣をぶつけ合うさまを、おりんと惣次郎は脇からじっと見ていた。そうせざるを得なかったのは、ふたりの剣技が激しく近寄れなかったためである。
 凄まじい剣閃は、はじめ敵の水戸浪人に軍配があった。それに対して防戦一方であった清之進だが、先程こちらをちらりと見てふっと笑ってから、流れが変わったように見えた。
 重たかった彼の腕は、まるで余計な力が抜けたように軽やかにしなり、突如猛攻をはじめたのである。

「有島さま……!」

「ああ。もう、大丈夫だろう」

 その様子を見て、つい先程まで青白い顔をしていた惣次郎も、ふっと力を抜いたように微笑んだ。おりんもそれを見て安心し、思わず地べたに座り込む。

 ――ああ……本当によかった。

 なにせ、ここにたどり着くまでにふたりはなかなかに苦労していたのである。

 花街で会合が開かれたあの直後。ばたばたと動き始めた同心たちの中で、おりんは惣次郎を捕まえて清之進の真の名前を伝えた。

『惣次郎さま!下村です!下村、忠國』

 しかし反応はあまりよくなかった。

『下村……か。私は聞いたことがないな』

 そうして周りの同心仲間に声をかけるも、やはり知っているものは誰ひとりとしていなかった。
 おりんは愕然としたものの、そこで諦めることはしなかったのである。彼らの会話の中で覚えている単語はないかと考え、必死に口にする。

『ええと、ほかには……千葉道場!』

 その途端、男衆らはぴくりと反応した。

『何っ、千葉道場だと?』

『……はい。清之進さまは、最近そこに道場破りに行かれたそうです。あの方はそこの弟子だったと言う方もいました』

 すると、清之進は少し考えた後で頷いた。

『ふむ。千葉道場か。おりん、いい手がかりを見つけたな。あそこは北辰一刀流で大変に有名な道場であるが、水戸藩との繋がりが大変に強い。明日……すぐさま出向くぞ』

『は、はい!』

 そんな経緯があり、その日の翌朝すぐに動くことになったのである。
 それが、実は今朝のことと言うわけで。今日の午前中、千葉道場にふたりは出向いた。しかし門前でぴりぴりとした空気を感じとったため、急きょおりんがひとりで訪ねることになったのである。
 そして忠國の遠い親戚だとか何とか言って、なんとか門人に頼み込んだ結果――ついにおかみさんに会うことが叶い、この墓地が候補に上がったのである。

 ――まさか、こんなすぐに見つかると思っていなかったけれど……本当によかった。

 清之進が姿を消してからもう数カ月が経っていた。季節はもうすっかり変わり、今も薄手の着物に草履という、見るからに寒そうな姿の彼を前に、おりんは涙ぐみそうになる。
 しかし、それはまだ早かった。彼の過去を知り、彼を消そうとするかつての友人を倒さなければならなかった。
 それは忠國を縛り付ける枷であり、解き放たれなければならないものだった。これから清之進として、また新たな人生をはじめる上で――。

 おりんがそう思ったときだった。どさりと何かが倒れる音がし、そちらへぱっと顔を上げれば、水戸浪人が地面に伏していた。
 清之進はというと、血のついた刀をぱっと振るい、するりと鞘に仕舞うところだった。

「清之進さま!」

 喜びのあまり思わずそう叫び、おりんは駆け寄ろうとした。しかし清之進は弱々しく微笑んだだけで、まるでこちらに来るなと言うように手で制止した。

 なぜだろう――そうおりんが疑問に思っていると、彼はよく響く声で静かに言った。

「私は、水戸藩浪人……下村忠國である。同心殿とお見受けした。ここに人殺しがいる。捕まえるがよい」

 そんなことを言いながら悲しそうに微笑む清之進を前に、おりんはなぜと思いながら惣次郎の方を見上げた。

「有島さま――」

 すると、彼は前に歩み出て声を荒らげたではないか。

「何を言っているのか、私にはまったくわからん。あなた様は…………私の兄だ」

 初めて見るその様子に、おりんは驚いた。まさかこの方がこんなにも感情をあらわにするなんて。同時に嬉しさがこみ上げた。惣次郎にとって、もうとっくに彼が清之進であるのだ。
 惣次郎はこちらを向いて、ふっと微笑んだ。

「だろう、おりん」

「……はい。この方は、確かにおりんもよく知る有島清之進さまです!」

 そう言うも、清之進は頑なに是と言おうとしない。

「ふたりとも……何を言っているのだ。私はかつて、そなたの兄上を――」

 そんなことを言い続けるので、思わずおりんは言ってしまった。

「何を言っているのかと言いたいのは、こちらのほうです!きっとあなた様は水戸からいのちを狙われると思い、同居するあたしたちに被害が及ばぬよう、別人のふりをして出ていかれたのでしょう。しかし、もうすっかりお姿が戻ってらっしゃいますし、何よりそれではただの不審者です。まだ病気で引きこもっていらっしゃる清之進さまのほうがましです。変なことをおっしゃってないで、屋敷にお戻り下さい!」

 そう言われた清之進は、あっけにとられていた。
 すると隣りにいた惣次郎が突然ぷっと吹き出して――。

「はははは。おりんは言うようになったな」

 そう軽やかに笑い、続けた。

「……そなたは確かに人を斬った。しかしそれはすべて助けるためだろう?刀を持てない、無力なものたちを」 

「本当に……そうだろうか」

 ぽつりと言ったその顔は、信じたいというすがるような思いが込められていた。おりんは思わずうなずく。

「はい、そうです。そうですとも。あなた様は、あたしを助けるために剣を振ってくれた方ではないですか」

「…………おりん」

 惣次郎も続ける。 

「そなたは、かつて幼き私を救ってくれた、清之進兄様だ。それ以外の何者でもない」

 下村は顔を俯けた。そして絞るように小さな声で言う。

「…………ああ。ふたりとも…………本当に感謝する」

 いつのまにか、雪は大粒になっていた。
 地面がうっすらと白く染まり始めた中、おりんと惣次郎は清之進に近寄った。

「兄様。とりあえずおりんとともに屋敷にお戻りください。その格好では、とっくに凍えているでしょう」

「確かに。いまになって……寒くなってきたぞ」

「もう!早くこれを」

 おりんは自分の首に巻いていた手ぬぐいを手早く取ると、清之進の開いた襟元にぐるぐると巻きつけた。

「おお、これは温いな」

「さようでございましたか。それはよかった」

「恩に着るぞ、おりん。そして惣次、この男の死体はどうする?」

 声をかけられた惣次郎は答える。 

「これから私の仲間を呼び、引き上げることとにします。このおとこは、水戸浪人でしょう」

「ああ。久本景光という、私のかつての友人だ」

「……私が手柄を横取りすることになりますが、目をつぶって頂ければ」

「ふふ。これまでもそうだったろう。ではよろしく頼むぞ」

 惣次郎を現場に残し、おりんと清之進は屋敷へ向かった。雪は止むことなく降り続いており、底冷えする寒気がたちこめていた。
 はやく帰らなければ――そう足を速めるおりんに清之進は言う。

「おりん……感謝する」

「ふふふ。いいのです。清之進さまがご無事でしたので。……さあ、早く屋敷に帰って温かいものを食べましょう。もうすっかりやつれられてしまって……きちんと食べていなかったのではないですか」

 すると、清之進はにやりとした笑みを見せた。

「わかるか?そなたの飯が大層恋しかったぞ。おりん、よろしく頼む」

「はい!お任せ下さいませ」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

出雲屋の客

笹目いく子
歴史・時代
短篇です。江戸堀留町の口入屋『出雲屋』は、乳母奉公と養子縁組ばかりを扱う風変わりな口入屋だった。子を失い、横暴な夫に命じられるまま乳母奉公の口を求めて店を訪れた佐和は、女店主の染から呉服商泉屋を紹介される。 店主の市衛門は妻を失い、乳飲み子の香奈を抱えて途方に暮れていた。泉屋で奉公をはじめた佐和は、市衛門を密かに慕うようになっていたが、粗暴な夫の太介は香奈の拐かしを企んでいた。 夫と離縁し、行き場をなくした佐和を、染は出雲屋に雇う。養子縁組の仕事を手伝いながら、佐和は自分の生きる道を少しずつ見つけて行くのだった。

無用庵隠居清左衛門

蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。 第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。 松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。 幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。 この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。 そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。 清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。 俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。 清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。 ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。 清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、 無視したのであった。 そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。 「おぬし、本当にそれで良いのだな」 「拙者、一向に構いません」 「分かった。好きにするがよい」 こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。

花嫁

一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。

田楽屋のぶの店先日記~深川人情事件帖~

皐月なおみ
歴史・時代
旧題:田楽屋のぶの店先日記〜殿ちびちゃん参るの巻〜 わけあり夫婦のところに、わけあり子どもがやってきた!? 冨岡八幡宮の門前町で田楽屋を営む「のぶ」と亭主「安居晃之進」は、奇妙な駆け落ちをして一緒になったわけあり夫婦である。 あれから三年、子ができないこと以外は順調だ。 でもある日、晃之進が見知らぬ幼子「朔太郎」を、連れて帰ってきたからさあ、大変! 『これおかみ、わしに気安くさわるでない』 なんだか殿っぽい喋り方のこの子は何者? もしかして、晃之進の…? 心穏やかではいられないながらも、一生懸命面倒をみるのぶに朔太郎も心を開くようになる。 『うふふ。わし、かかさまの抱っこだいすきじゃ』 そのうちにのぶは彼の尋常じゃない能力に気がついて…? 近所から『殿ちびちゃん』と呼ばれるようになった朔太郎とともに、田楽屋の店先で次々に起こる事件を解決する。 亭主との関係 子どもたちを振り回す理不尽な出来事に対する怒り 友人への複雑な思い たくさんの出来事を乗り越えた先に、のぶが辿り着いた答えは…? ※田楽屋を営む主人公が、わけありで預かることになった朔太郎と、次々と起こる事件を解決する物語です! アルファポリス文庫より発売中です! よろしくお願いします〜 ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ 2025.9〜 第二幕 『殿ちびちゃん寺子屋へ行く!の巻』の連載をスタートします〜! 七つになった朔太郎と、やんちゃな彼に振り回されながら母として成長するのぶの店先日記をよろしくお願いします!

父(とと)さん 母(かか)さん 求めたし

佐倉 蘭
歴史・時代
★第10回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★ ある日、丑丸(うしまる)の父親が流行病でこの世を去った。 貧乏裏店(長屋)暮らしゆえ、家守(大家)のツケでなんとか弔いを終えたと思いきや…… 脱藩浪人だった父親が江戸に出てきてから知り合い夫婦(めおと)となった母親が、裏店の連中がなけなしの金を叩いて出し合った線香代(香典)をすべて持って夜逃げした。 齢八つにして丑丸はたった一人、無一文で残された—— ※「今宵は遣らずの雨」 「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

【読者賞受賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜

☆ほしい
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞受賞(ポイント最上位作品)】 文化文政の江戸・深川。 人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。 暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。 家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、 「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。 常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!? 変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。 鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋…… その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。 涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。 これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

処理中です...