【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉

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6 対峙

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 こうしていても、何も変わらない――そう思った忠國は、深く礼をして恩師の墓を後にした。そして墓地を歩く足を少し速めた。
 今宵は寒くなる、そんな予感をさせる重たい空気が、あたりに立ち込めていたのである。

 ――とりあえず、ひと晩すごせる場所を探さねば。

 そう思い、墓地の入口にたどり着いたときだった。入口を囲うように立つ木の陰に、ひとりのおとこか立っていたのである。
 追手かと思いまじまじ目を凝らすと、そのすっとした背筋が目に入り、忠國の背にぞくりとしたものが奔る。

 ――あれは……間違いない。

 それは記憶の中にある親友――久本景光ひさもとかげてるの背中であった。彼も気配に気付いたようにさっと振り返り、こちらを見た。その顔は老けて昔とは見違えるように険しくひそめられていたものの、確かに親友のものであった。
 久本は妖しく笑ったと思えば、口を開いた。

「やはり、ここであったか。私はついているな」

 そのどこか期待するぎらりとした眼差しに、忠國は後ずさる。
 このおとこは、どうやら悪い意味で変わっていないらしい――そう思っていると、久本は続けた。

「忠國、久しいな。何、風の噂で耳にしたのだ。そなたが玄武館で大暴れをしたとな。ただ、おかみに詳しく聞けば、墓の場所を聞きに来ただけだったと言う。そこで試しにとやってきたのだ。まさかここまで上手くいくとは思わなかったが」

「……俺は訳あって、先生が亡くなったことも知らずにいたのだ。そなたも知るように大変世話になったから、こうして訪ねただけだ」

 すると久本は口元を歪ませ嘲笑した。

「……忠國。そなたはいまだ迷っているのだな。昔からそうだったではないか。刀は迷うことなく振り下ろせるというのに、自分のことではこうして迷ってばかり。……本当に、昔から先生頼りだった」

 忠國は口を開こうとし、そうするのを止めた。目の前のおとこは長年剣を合わせた友だった。しかしそれ以外はまったく違う。生まれも育ちも、これまでの境遇も。何を言ったところで、話になるわけがない。
 すると久本が痺れを切らしたように続けた。

「本当に……そなたは十数年前と少しも変わっていない。ああ、そうだ。忠國、そなたは同心のもとで、我らの同輩である三木を斬ったらしいではないか」

「それは……あやつが無実の娘を殺めようとしたからだ。俺ばかりを変わっていないと言うが……そなたらも少しも変わっていないではないか。志のためならと力を行使することも厭わず、無力なものさえも殺めようとする……!」 

 すると、久本は突然声を荒らげた。

「――そなたはまだそんなことを言っているのか!ここまで世間に倒幕の声が広がりつつあり、これから誰が日の本を正しい方へ導くか分かりきっているというのに!」

 やはり、少しも変わっていない――忠國はため息をつき静かに言った。

「……久本。俺のことはもう放っておいてくれ。そなたらとはもう……交わることはない」

「――ならぬ。我らにはそなたの力が必要なのだ。これから先、力が必要となることは、分かりきっているのだ。そもそも、話を聞かず先に言葉を力で封じたのは奴ら幕府方であるぞ!ならば……力付くで変えるのは致し方のないことだろう」

「そうして……俺にも力を使おうとするのだな」

「ああ、わかりやすくてよいだろう」

「……たわけ」

 忠國がそう吐き捨てたのと、ふたりが刀を抜いたのはほぼ同時だった。
 まるで鏡に映したかのように同じ青眼に構え、ふたりは相対したまましばらく動かなかった。いや、互いに放たれる圧と隙の一切ない様子に、動きたくとも動けなかったのである。

 ――やはり、刀を合わせることは避けられなかったか。

 忠國がそう思った瞬間、久本の剣がぐわりと伸びた。
 飛んできた一撃目を返し、続く二撃三撃を刀の面でなぞるように跳ね返す。以降飛び交う無数の剣戟は、忠國が知るかつてのものよりも格段に速く、鋭く研ぎ澄まされていた。それはきっと彼が大人になるとともに、真剣での経験を数多く重ねたからだと思えた。
 まるでどれだけの人間を斬り捨ててきたのか、そう思わせるくらいに――。
 その後、耳をつんざく金属音が響いて、ふたりは一度距離を取った。久本は構えた剣先をやや下げたと思えば、突然口を開いた。
 
「なあ、忠國。そなたは何を迷っている?その力を使えば、そなたは日の本を変える英雄になれるのだぞ!」

 このおとこは自分に何が言いたいのだろう――そう思いながらも忠國は答える。

「……英雄だと?そんなものに意味はない。それに、ただの人殺しを誰が評価するというのだ。俺は……人を殺すために刀を握ったのではない」

「ならなぜだ」

 なぜ――そう問われ、忠國は既視感を感じた。
 昔も、喧嘩別れになる直前になぜと問われていた――そう思いながら、再び迫る一閃を刀で退ける。

 ――当時の俺は……わからなかった。

 自分は何のために刀を振るうのか。
 分からなかった若き日の自分はそんな迷いの中で、剣先に狂いを生みそして久本を斬った。
 ただ、その後惣次郎に襲いかかる本物の清之進を手にかけたとき、無意識に剣が動いたあのときこそが、自分が刀を手にする理由だと思えた。

 ――俺は何のために刀を振るのか。

 その答えが目前にまで迫った時、また久本の無尽の剣戟が始まったかと思えば――。

「清之進さま!」

 響いたのは、懐かしい声だった。
 数ヶ月しか離れていないのに、そう思わせてしまうおりんの声に、忠國はふっと微笑んだ。
 ちらりと視線を向ければ、おりんだけでなく、惣次郎もいるではないか。
 そして気付いた。
 あの日、自分は凶刃から惣次郎を守るために斬ったのだ、と。
 そしてこれまで惣次郎のもとで刀を振るうことができたのも、すべて何かを守るためだからできたのだ、と。

「……はは。簡単なことであったな」

 忠國はぼそりと言い、久本の剣が飛んで来る合間を見計らって刀を握り直した。そして無心で、軽やかに刀を動かす。剣先はなめらかに滑り出し、久本の急所へ最短で飛んでいった。
 
「……何。なぜ突然動きが――」

 そう驚きながらも、久本はその一撃を脇へ逸らした。ただそこからが忠國の剣技の真骨頂なのである。
 重心が変わった剣先を見事に手元で操作し、そこから最短で二撃目を繰り出した。生き物のようにしなる剣閃は、久本の左手首を掠める。

「くっ……忠國、貴様――」

 忠國はそれに答えなかった。ただ、無心で剣を振るだけだった。
 ひとつ、またひとつと非情なまでの剣戟は、確実に久本の力を削いでいく。そんな中で、忠國はこころに誓ったのである。
 これから先、自分がまた剣を振ることがあれば、そのときは守るもののために振ろう、と。

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