【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉

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5 迷い

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 ぱっと光の方を見れば、今にも剣を振り下ろそうとするおとこの姿が目に入った。その先にはひとりの少年が腰を抜かしていて、忠國は思わず刀を抜き、駆けた――。
 
 ――そうして、俺はまだ童だった惣次郎を助けたのだ。

 忠國の中で、もうあの日の記憶はすべて蘇っていた。
 兄――本物の清之進がふらりと振り上げた刀を前に、斬り捨てなければ間に合わないことを悟った忠國は、がら空きの胴へ剣を叩き込んだのである。
 なんとか間にあった――そう思いぱっと少年の顔を見たとき、彼はもう息のない亡骸を前になんとも悲しそうな目を向けていた。
 そのとき、自分は彼の大切なものを奪ってしまったことに気付いた。また同時に、やはり自分はあの男たちと同じなのだと悟ってしまった。
 自分もひとを殺すために剣を取ったようなもの――そのことに気付いてしまった忠國は、事実を受け入れられずに、意識も記憶すらも失ってしまったのである。

 腰を下ろしていた地面から冷気が這い上がり、忠國は思わずぷるりと震えた。しかしその口元には柔らかな微笑みが浮かんでいた。

 ――あのあと惣次郎は……本当によくやってくれたな。

 その後、目覚めた時には、すでに忠國の記憶はなかった。ただ、自分の脇には惣次郎が控えていて、必死に看病していたのだろう。
 今となっては、彼にどれだけの迷惑をかけただろうと忠國は思う。
 そもそも倒れた自分は兄を殺した存在そのものであった。にも関わらず、惣次郎は小さなからだで自分を運び、看病してくれたのである。
 忠國が目覚めた時には、すでに周囲は見知らぬ古びた寺で、それを思うと兄の亡骸を埋葬したのも彼だと思えた。
 目覚めた日のことを、忠國はふと思い出した。
 惣次郎はというと、助けたおとこが記憶を失っていることに酷く動揺したものの、すぐにきりっとした顔を向けて、こう言ったのである。

『なら……そなたは今日から清之進だ』

 もちろん、このときはなぜその名を与えられたのかわからなかった。そもそも自分がなぜそこにいるのかもわからず、体調も芳しくなかったのである。
 ただ、忠國――清之進の胸にあったのは、自分を助けてくれた惣次郎に対する感謝の思いだけだった。それは日々をすごすにつれ、次第に大きくなっていき、清之進の体調が回復した頃だった。それを見計らったのだろうか、惣次郎は新しい住まいを見つけたと言って、今の屋敷へと案内したのだった。
 きっとこの頃、幼いながらに惣次郎は働き先を見つけ、銭を稼ぎ始めたのだろう。
 連れて行かれた広い武家屋敷を前にそわそわしていると、惣次郎は突然座れと言い、そしてこう続けたのだ。

『そなたには、これから私の兄として生きてもらう』

 何を言われているかわからなかった清之進は、とりあえず答えた。

『……はあ。いいですけど、自分にできることと言えば、飯を食って寝ることくらいしかありませんぞ』

 すると、惣次郎は目を細めて言った。

『何を言っている。そなたには剣があるではないか』

 このとき、清之進ははじめて自分が剣を使えることを知り、そしてようやく腑に落ちたのである。
 幼い惣次郎がなぜ自分を助け、ここまで生かしたのか。それは記憶を失う前に見せた剣術を、利用するためであったのだ。

 清之進はその事実を知ったものの、惣次郎を嫌いになることはなかった。むしろ、助けてもらった恩を返すと同時に、彼の力になりたいと思ったのである。
 惣次郎の、幼いながらに呆れるほど目指すものに忠実なことが、清之進にとって羨ましかったのである。このとき、刀以外何もなくなってしまった自分と比べ、遥かに輝いて見えた彼についていくだけで、幸せになれる気がした。

 ――そうして、惣次郎に言われるがまま、ここまできたのだ。

 あれだけ人を斬ることを恐れていた自分が、記憶を失い惣次郎という大義名分のもとで次々と刀を振るったのである。
 おそらく、同心である惣次郎の獲物が、みな罪人であったことも大きいのだろう。狙いを定めて刀を構えた瞬間、こころが凍りついたように動かなくなって、容易くひとを切ることができたのだ。

 ――おりんはきっと……剣を振る俺を見て呆れただろうな。

 忠國は、ふとぽかんとした顔でこちらを見上げていた少女の姿を思い出す。
 ある日、惣次郎に言われるがまま向かった場所にいた少女――おりん。
 今思えば、彼女はまるで昔の自分と似た境遇の持ち主だった。小さな頃から女中として働き、たまたま不運に巻き込まれて親を失った上、行き場すらなくしてしまったまだ幼い少女。その上、いのちすら狙われていたおりんに、当初忠國は心底同情していた。
 しかし、ともに時間をすごしながら、彼女は大変に強いことを忠國は知ったのだ。
 特に母の仇を明らかにしたあとのこと。おりんはまるで一皮むけたようにあなたのことを知りたいと言った。まるで年若いながらも、自分のやるべきことがわかっているかのように。
 
 今の自分と比べても、彼女はまるで違うと忠國は思っていた。
 おりんの母の仇を探すべく、手がかりにと菊の紋の印籠を見たあと、北辰一刀流の剣筋とまみえて清之進は過去を確信したのである。
 しかし、そのあとも悶々することしかできなかったのだ。清之進と忠國のどちらか、選べずに。
 もちろん、内心は清之進のままでいたかった。しかし昨今の状況では、一緒に住んでいるおりんと惣次郎に危険が及ぶことがわかっていたのである。
 そうして離れてみたものの、結局剣以外に何も持っていなかった自分は、なにもできずに江戸を彷徨うばかり。唯一できたことといえば、師匠の死を知りこうして墓に顔向けできたことくらいだろうか。

 これからどうしようかもわかっておらず、日雇いで繋いできた銭も底をつき始めていた。
 にも関わらず、仕事を得るため口利き屋に行くこともできなかった。
 なぜなら、先日千葉道場へ顔を出したとき。ただ先生のことを聞きたかっただけにも関わらず、道場破りと思われ酷い目にあったからである。

 ――今ならきっと、噂を嗅ぎつけた水戸からも追手がでているだろう。

 かつて共に剣を鍛えた久本がそこにいれば、顔を知られている。だから自分の存在が、行先で周囲に危険を及ぼしかねないのだ。

 ――先生、俺はどうしたらいいのでしょうか。

 その問いに答えてくれるものは、忠國のまわりにもう誰もいなかった。



    
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