23 / 28
3
5 迷い
しおりを挟むぱっと光の方を見れば、今にも剣を振り下ろそうとするおとこの姿が目に入った。その先にはひとりの少年が腰を抜かしていて、忠國は思わず刀を抜き、駆けた――。
――そうして、俺はまだ童だった惣次郎を助けたのだ。
忠國の中で、もうあの日の記憶はすべて蘇っていた。
兄――本物の清之進がふらりと振り上げた刀を前に、斬り捨てなければ間に合わないことを悟った忠國は、がら空きの胴へ剣を叩き込んだのである。
なんとか間にあった――そう思いぱっと少年の顔を見たとき、彼はもう息のない亡骸を前になんとも悲しそうな目を向けていた。
そのとき、自分は彼の大切なものを奪ってしまったことに気付いた。また同時に、やはり自分はあの男たちと同じなのだと悟ってしまった。
自分もひとを殺すために剣を取ったようなもの――そのことに気付いてしまった忠國は、事実を受け入れられずに、意識も記憶すらも失ってしまったのである。
腰を下ろしていた地面から冷気が這い上がり、忠國は思わずぷるりと震えた。しかしその口元には柔らかな微笑みが浮かんでいた。
――あのあと惣次郎は……本当によくやってくれたな。
その後、目覚めた時には、すでに忠國の記憶はなかった。ただ、自分の脇には惣次郎が控えていて、必死に看病していたのだろう。
今となっては、彼にどれだけの迷惑をかけただろうと忠國は思う。
そもそも倒れた自分は兄を殺した存在そのものであった。にも関わらず、惣次郎は小さなからだで自分を運び、看病してくれたのである。
忠國が目覚めた時には、すでに周囲は見知らぬ古びた寺で、それを思うと兄の亡骸を埋葬したのも彼だと思えた。
目覚めた日のことを、忠國はふと思い出した。
惣次郎はというと、助けたおとこが記憶を失っていることに酷く動揺したものの、すぐにきりっとした顔を向けて、こう言ったのである。
『なら……そなたは今日から清之進だ』
もちろん、このときはなぜその名を与えられたのかわからなかった。そもそも自分がなぜそこにいるのかもわからず、体調も芳しくなかったのである。
ただ、忠國――清之進の胸にあったのは、自分を助けてくれた惣次郎に対する感謝の思いだけだった。それは日々をすごすにつれ、次第に大きくなっていき、清之進の体調が回復した頃だった。それを見計らったのだろうか、惣次郎は新しい住まいを見つけたと言って、今の屋敷へと案内したのだった。
きっとこの頃、幼いながらに惣次郎は働き先を見つけ、銭を稼ぎ始めたのだろう。
連れて行かれた広い武家屋敷を前にそわそわしていると、惣次郎は突然座れと言い、そしてこう続けたのだ。
『そなたには、これから私の兄として生きてもらう』
何を言われているかわからなかった清之進は、とりあえず答えた。
『……はあ。いいですけど、自分にできることと言えば、飯を食って寝ることくらいしかありませんぞ』
すると、惣次郎は目を細めて言った。
『何を言っている。そなたには剣があるではないか』
このとき、清之進ははじめて自分が剣を使えることを知り、そしてようやく腑に落ちたのである。
幼い惣次郎がなぜ自分を助け、ここまで生かしたのか。それは記憶を失う前に見せた剣術を、利用するためであったのだ。
清之進はその事実を知ったものの、惣次郎を嫌いになることはなかった。むしろ、助けてもらった恩を返すと同時に、彼の力になりたいと思ったのである。
惣次郎の、幼いながらに呆れるほど目指すものに忠実なことが、清之進にとって羨ましかったのである。このとき、刀以外何もなくなってしまった自分と比べ、遥かに輝いて見えた彼についていくだけで、幸せになれる気がした。
――そうして、惣次郎に言われるがまま、ここまできたのだ。
あれだけ人を斬ることを恐れていた自分が、記憶を失い惣次郎という大義名分のもとで次々と刀を振るったのである。
おそらく、同心である惣次郎の獲物が、みな罪人であったことも大きいのだろう。狙いを定めて刀を構えた瞬間、こころが凍りついたように動かなくなって、容易くひとを切ることができたのだ。
――おりんはきっと……剣を振る俺を見て呆れただろうな。
忠國は、ふとぽかんとした顔でこちらを見上げていた少女の姿を思い出す。
ある日、惣次郎に言われるがまま向かった場所にいた少女――おりん。
今思えば、彼女はまるで昔の自分と似た境遇の持ち主だった。小さな頃から女中として働き、たまたま不運に巻き込まれて親を失った上、行き場すらなくしてしまったまだ幼い少女。その上、いのちすら狙われていたおりんに、当初忠國は心底同情していた。
しかし、ともに時間をすごしながら、彼女は大変に強いことを忠國は知ったのだ。
特に母の仇を明らかにしたあとのこと。おりんはまるで一皮むけたようにあなたのことを知りたいと言った。まるで年若いながらも、自分のやるべきことがわかっているかのように。
今の自分と比べても、彼女はまるで違うと忠國は思っていた。
おりんの母の仇を探すべく、手がかりにと菊の紋の印籠を見たあと、北辰一刀流の剣筋とまみえて清之進は過去を確信したのである。
しかし、そのあとも悶々することしかできなかったのだ。清之進と忠國のどちらか、選べずに。
もちろん、内心は清之進のままでいたかった。しかし昨今の状況では、一緒に住んでいるおりんと惣次郎に危険が及ぶことがわかっていたのである。
そうして離れてみたものの、結局剣以外に何も持っていなかった自分は、なにもできずに江戸を彷徨うばかり。唯一できたことといえば、師匠の死を知りこうして墓に顔向けできたことくらいだろうか。
これからどうしようかもわかっておらず、日雇いで繋いできた銭も底をつき始めていた。
にも関わらず、仕事を得るため口利き屋に行くこともできなかった。
なぜなら、先日千葉道場へ顔を出したとき。ただ先生のことを聞きたかっただけにも関わらず、道場破りと思われ酷い目にあったからである。
――今ならきっと、噂を嗅ぎつけた水戸からも追手がでているだろう。
かつて共に剣を鍛えた久本がそこにいれば、顔を知られている。だから自分の存在が、行先で周囲に危険を及ぼしかねないのだ。
――先生、俺はどうしたらいいのでしょうか。
その問いに答えてくれるものは、忠國のまわりにもう誰もいなかった。
1
あなたにおすすめの小説
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
出雲屋の客
笹目いく子
歴史・時代
短篇です。江戸堀留町の口入屋『出雲屋』は、乳母奉公と養子縁組ばかりを扱う風変わりな口入屋だった。子を失い、横暴な夫に命じられるまま乳母奉公の口を求めて店を訪れた佐和は、女店主の染から呉服商泉屋を紹介される。
店主の市衛門は妻を失い、乳飲み子の香奈を抱えて途方に暮れていた。泉屋で奉公をはじめた佐和は、市衛門を密かに慕うようになっていたが、粗暴な夫の太介は香奈の拐かしを企んでいた。
夫と離縁し、行き場をなくした佐和を、染は出雲屋に雇う。養子縁組の仕事を手伝いながら、佐和は自分の生きる道を少しずつ見つけて行くのだった。
アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)
三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。
佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。
幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。
ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。
又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。
海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。
一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。
事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。
果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。
シロの鼻が真実を追い詰める!
別サイトで発表した作品のR15版です。
田楽屋のぶの店先日記~深川人情事件帖~
皐月なおみ
歴史・時代
旧題:田楽屋のぶの店先日記〜殿ちびちゃん参るの巻〜
わけあり夫婦のところに、わけあり子どもがやってきた!?
冨岡八幡宮の門前町で田楽屋を営む「のぶ」と亭主「安居晃之進」は、奇妙な駆け落ちをして一緒になったわけあり夫婦である。
あれから三年、子ができないこと以外は順調だ。
でもある日、晃之進が見知らぬ幼子「朔太郎」を、連れて帰ってきたからさあ、大変!
『これおかみ、わしに気安くさわるでない』
なんだか殿っぽい喋り方のこの子は何者?
もしかして、晃之進の…?
心穏やかではいられないながらも、一生懸命面倒をみるのぶに朔太郎も心を開くようになる。
『うふふ。わし、かかさまの抱っこだいすきじゃ』
そのうちにのぶは彼の尋常じゃない能力に気がついて…?
近所から『殿ちびちゃん』と呼ばれるようになった朔太郎とともに、田楽屋の店先で次々に起こる事件を解決する。
亭主との関係
子どもたちを振り回す理不尽な出来事に対する怒り
友人への複雑な思い
たくさんの出来事を乗り越えた先に、のぶが辿り着いた答えは…?
※田楽屋を営む主人公が、わけありで預かることになった朔太郎と、次々と起こる事件を解決する物語です!
アルファポリス文庫より発売中です!
よろしくお願いします〜
⭐︎ ⭐︎ ⭐︎ ⭐︎
2025.9〜
第二幕
『殿ちびちゃん寺子屋へ行く!の巻』の連載をスタートします〜!
七つになった朔太郎と、やんちゃな彼に振り回されながら母として成長するのぶの店先日記をよろしくお願いします!
無用庵隠居清左衛門
蔵屋
歴史・時代
前老中田沼意次から引き継いで老中となった松平定信は、厳しい倹約令として|寛政の改革《かんせいのかいかく》を実施した。
第8代将軍徳川吉宗によって実施された|享保の改革《きょうほうのかいかく》、|天保の改革《てんぽうのかいかく》と合わせて幕政改革の三大改革という。
松平定信は厳しい倹約令を実施したのだった。江戸幕府は町人たちを中心とした貨幣経済の発達に伴い|逼迫《ひっぱく》した幕府の財政で苦しんでいた。
幕府の財政再建を目的とした改革を実施する事は江戸幕府にとって緊急の課題であった。
この時期、各地方の諸藩に於いても藩政改革が行われていたのであった。
そんな中、徳川家直参旗本であった緒方清左衛門は、己の出世の事しか考えない同僚に嫌気がさしていた。
清左衛門は無欲の徳川家直参旗本であった。
俸禄も入らず、出世欲もなく、ただひたすら、女房の千歳と娘の弥生と、三人仲睦まじく暮らす平穏な日々であればよかったのである。
清左衛門は『あらゆる欲を捨て去り、何もこだわらぬ無の境地になって千歳と弥生の幸せだけを願い、最後は無欲で死にたい』と思っていたのだ。
ある日、清左衛門に理不尽な言いがかりが同僚立花右近からあったのだ。
清左衛門は右近の言いがかりを相手にせず、
無視したのであった。
そして、松平定信に対して、隠居願いを提出したのであった。
「おぬし、本当にそれで良いのだな」
「拙者、一向に構いません」
「分かった。好きにするがよい」
こうして、清左衛門は隠居生活に入ったのである。
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる