演じるのはもうやめます

たくわん

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開店から三か月が経ち、『ローズ・アンド・ソーン』は王都で確固たる地位を築いていた。しかし、成功は新たな注目も集める。そして注目は、必ずしも好意的なものばかりではなかった。

ある日の午後、社交界で最も影響力のある老婦人、ヴィクトリア公爵夫人が店を訪れた。彼女は保守的な価値観の持ち主で、女性が商売をすることに批判的だった。

「アリシア様、お噂はかねがね」

夫人の声には、明らかな皮肉が込められていた。

「ヴィクトリア夫人、ようこそお越しくださいました」

アリシアは動じることなく、丁寧に対応した。

「令嬢が商売とは、時代も変わったものですわね。しかし、果たしてそれが品位あることかどうか」
「品位とは、何でしょうか?」

アリシアは穏やかに問い返した。

「家柄にふさわしい行動をすること。伝統を守ること。それが品位です」
「では、私の母が密かに商業投資をしていたことは、品位に欠けることだったのでしょうか?」

夫人は一瞬言葉に詰まった。アリシアの母は、社交界で非常に尊敬されていた女性だった。

「お母様は、誰も傷つけることなく、自分の情熱を静かに追求されました。私は、それをもっと堂々とやっているだけです」

アリシアは続けた。

「夫人、紅茶をお飲みになってください。そして、私の仕事を見てからご判断いただけませんか?」

アリシアは最高の技術で紅茶を淹れた。その所作は優雅で、まさに淑女のものだった。しかし同時に、職人としての誇りと情熱が感じられた。

夫人は一口飲んで、驚きの表情を浮かべた。

「これは…素晴らしい」
「ありがとうございます。これが、私の誇りです」

夫人は長い沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。

「アリシア様、私は古い人間です。変化を恐れ、伝統に固執してきました。しかし、あなたを見ていると、新しい時代を感じます」
「夫人…」
「品位とは、形式だけではないのかもしれません。自分の仕事に誇りを持ち、誠実に生きる。それもまた、品位なのでしょう」

その日以降、ヴィクトリア夫人は『ローズ・アンド・ソーン』の常連客となった。そして、保守的な貴族たちの中でも、アリシアを認める声が広がっていった。

しかし、すべての批判が消えたわけではなかった。特に、既存の商人組合からの反発は強かった。

「令嬢が商売をするなど、我々商人への侮辱だ」
「貴族の資金力で市場を荒らされては、たまらない」

組合の代表、ギルバート商会長がアリシアに会いに来た。

「アリシア様、あなたのビジネスは、我々の領域を侵している」
「私は公正に商売をしています。何か問題がありますか?」
「問題は、あなたが貴族だということだ。資金力も人脈も、我々とは比較にならない」

アリシアは真剣な表情で答えた。

「ギルバートさん、確かに私には利点があります。しかし、それは努力で補えないほどの差ではありません」
「綺麗事を…」
「綺麗事ではありません。私は毎日、朝から晩まで働いています。資金繰りに悩み、経営判断に苦しんでいます。貴族だからといって、楽をしているわけではありません」

ギルバートは黙って彼女を見つめた。

「それに、私は市場を独占するつもりはありません。むしろ、市場全体を拡大したいのです」
「市場を拡大?」
「ええ。紅茶文化を広めることで、新しい需要を作る。そうすれば、みんなにビジネスチャンスが生まれます」

アリシアは提案した。

「商人組合と協力して、紅茶の普及活動をしませんか?私は知識と資金を提供します。あなた方は流通網と経験を提供する」

ギルバートは考え込んだ。

「つまり、競争ではなく協力を?」
「ええ。一人で成功するより、みんなで成功する方が良いと思いませんか?」

その提案は、組合内で激しい議論を呼んだ。しかし最終的に、多数の賛成を得た。そして、アリシアと商人組合の提携が成立した。

この提携により、紅茶は王都全体に広まり、市場は急速に拡大した。『ローズ・アンド・ソーン』も繁盛したが、他の商人たちも利益を得た。

「アリシア様は、本物の商人だ」

ギルバートは、以前の敵意を完全に捨てていた。

しかし、成功の影には常に嫉妬がある。ある貴族の商人が、アリシアを陥れようと画策していた。

マルコムという男だった。彼は以前、アリシアに求婚して断られていた。その恨みから、彼女の評判を落とそうとした。

「『ローズ・アンド・ソーン』の紅茶は、実は質が悪い。貴族の名前で騙しているだけだ」

そんな噂を流し始めた。最初は誰も信じなかったが、マルコムは偽の証拠まで用意した。

「この茶葉を見てください。これが『ローズ・アンド・ソーン』で使われている茶葉です。明らかに、宣伝されているような高級品ではありません」

マルコムが示した茶葉は、確かに質の悪いものだった。しかし、それは彼が別の場所で入手した偽物だった。

噂は社交界に広がり、一部の客が『ローズ・アンド・ソーン』から離れ始めた。

「お嬢様、売上が落ちています」

スタッフが報告に来た。アリシアは冷静に状況を分析した。

「噂の出所を調べて」
「それが、マルコム様という方が…」
「マルコム…」

アリシアは彼を思い出した。一年前、執拗に求婚してきた男だ。彼女が断ると、激怒して去っていった。

「分かったわ。正面から対処する」

アリシアは、社交界の大きな集まりで、公開的に真実を語ることにした。

王太子妃主催の茶会に招待された時、アリシアは立ち上がって宣言した。

「皆様、私のお店について、様々な噂が流れていることは承知しています。今日、真実をお話しします」

会場がざわめいた。

「まず、『ローズ・アンド・ソーン』で使用している茶葉は、すべて東方から直接輸入した最高級品です。これは、取引記録と品質証明書で証明できます」

アリシアは書類を提示した。

「次に、噂の発端となった『質の悪い茶葉』ですが、これは私の店とは無関係です。誰かが、私の評判を落とすために偽造したものです」

マルコムは顔色を変えた。

「証拠はあるのか?」

彼が叫んだ。

「ええ、あります」

アリシアは冷静に答えた。

「その茶葉の販売記録を調べました。それは南部の市場で購入された安価な茶葉です。そして、その購入者は…マルコム様、あなたです」

会場が騒然となった。マルコムは青ざめた。

「私は、あなたを恨んではいません。ただ、真実を明らかにしたかっただけです」

アリシアの堂々とした態度に、人々は感銘を受けた。

王太子妃が立ち上がった。

「アリシア様の誠実さは、証明されました。そして、マルコム卿の卑劣さも」

マルコムは社交界から追放された。アリシアの評判は、以前より高まった。

その夜、店に戻ったアリシアは、スタッフたちに囲まれた。

「お嬢様、素晴らしかったです!」
「あんな堂々と…感動しました」

アリシアは微笑んだ。

「みんな、真実は必ず勝つのよ。だから、誠実に仕事をし続けることが大切なの」

この事件を通じて、アリシアは重要なことを学んだ。成功は、敵も作る。しかし、真実と誠実さがあれば、必ず道は開ける。

一方、ヴィクターはこの騒動を遠くから見ていた。アリシアの堂々とした姿、彼女を支える人々、そして彼女が築き上げた信頼。

すべてが、かつて自分が当然のように享受していたものだった。そして、自分で手放したものだった。

「俺は、何を失ったんだ…」

ヴィクターは呟いた。しかし、その答えを見つけるには、まだ時間が必要だった。

アリシアは前を向いて歩き続ける。困難があっても、支えてくれる人々がいる。そして、自分を信じる強さがある。

それが、本当の自分として生きるということだった。
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