演じるのはもうやめます

たくわん

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成功は次の成功を呼ぶ。『ローズ・アンド・ソーン』の評判は国境を越え、隣国の商人たちの注目も集め始めていた。

ある秋の日、店に一人の外国人が訪れた。洗練された身なりの青年で、護衛を伴っていた。

「失礼します。アリシア・ヴァンフリート様はいらっしゃいますか?」

流暢な言葉だったが、わずかに訛りがあった。

「私がアリシアです。どちら様でしょうか?」
「私はアレクシス・ド・ヴァロワ。隣国ルミエールの王子です」

店内がざわめいた。隣国の王子が、なぜここに?

「王子殿下、ようこそお越しくださいました。どうぞお座りください」

アリシアは動揺を見せず、丁寧に対応した。

「あなたのお店の噂は、我が国まで届いています。女性が経営する紅茶サロンで、王太子妃殿下も認める質の高さだと」
「恐縮です」
「実は、ビジネスの提案があってまいりました」

アレクシスは真剣な表情で話し始めた。

「我が国でも、あなたのような紅茶サロンを開きたい。そして、できればあなたに協力していただきたいのです」

アリシアは驚いた。国際的な事業展開。それは考えたこともなかった。

「私は商売を始めてまだ数か月です。そんな大きな仕事ができるかどうか…」
「だからこそ、です。あなたは新鮮な視点と情熱を持っている。それが、我が国に必要なものなのです」

アレクシスの言葉には、誠実さがあった。

「考えさせていただけますか?」
「もちろんです。ただ、一つだけ。一度、我が国を訪れていただけませんか?実際に見ていただければ、可能性が分かると思います」

その提案に、アリシアは興味を持った。新しい国、新しい文化、新しいビジネスの可能性。

「分かりました。訪問させていただきます」

一週間後、アリシアは父の許可を得て、隣国ルミエールへと旅立った。護衛のガルドとメイドのエリザベス、そしてトーマスが同行した。

ルミエールは美しい国だった。石畳の街並み、色とりどりの建物、そして活気ある市場。アリシアは目を輝かせながら、すべてを観察した。

アレクシスが自ら案内役を務めた。

「ここが中央市場です。我が国は商業が盛んで、様々な国から商人が集まります」

市場には、アリシアが見たこともない商品が並んでいた。異国の香辛料、美しい織物、精巧な工芸品。

「素晴らしい…こんなに多様な文化が混在しているなんて」

アレクシスは微笑んだ。

「あなたのような反応を見ると、案内した甲斐があります」

二人は一日中、街を歩き回った。アリシアは商人たちと話し、市場を観察し、人々の生活を見た。そして、大きな可能性を感じた。

「殿下、この国なら、紅茶文化はすぐに根付くと思います」
「本当ですか?」
「ええ。人々は新しいものを受け入れる柔軟性があります。そして、質の高いものを見極める目も持っている」

夕方、王宮での晩餐会に招待された。ルミエール国王と王妃、そして主要な貴族たちが出席していた。

「アリシア様、息子からあなたの話を聞いております」

国王は穏やかな笑みを浮かべた。

「光栄です、陛下」
「女性が商売をする。我が国でも、まだ珍しいことです。しかし、時代は変わりつつある」

国王は続けた。

「あなたのような先駆者が、道を開いてくれる。それは、とても価値のあることです」

晩餐は和やかに進んだ。アリシアは貴族たちと、商業や文化について対等に議論した。彼女の知識と情熱に、多くの人が感銘を受けた。

晩餐後、アレクシスは王宮の庭園にアリシアを案内した。月明かりの下、二人は歩いた。

「アリシア、あなたは素晴らしい」

アレクシスが突然言った。

「美しいだけでなく、知性と情熱がある。そして、何より誠実だ」

アリシアは少し戸惑った。

「殿下、それは…」
「いや、誤解しないでください。これはビジネスの話です」

アレクシスは笑った。

「ただ、あなたのような女性は初めて会いました。それだけは、個人的な感想として言わせてください」

アリシアは微笑んだ。

「ありがとうございます、殿下」

その夜、アリシアは部屋で一人、考えた。この国でのビジネス展開。それは大きなチャレンジだ。しかし、同時に大きなチャンスでもある。

翌日、アリシアは決断を下した。

「殿下、協力させていただきます。ただし、条件があります」
「なんでしょう?」
「私は単なる名義貸しではなく、実際に経営に関わりたい。そして、利益の一部は女性の教育支援に使いたいのです」

アレクシスは即座に答えた。

「すべて承諾します。むしろ、あなたが積極的に関わってくれることを望んでいました」

契約が成立し、アリシアの国際的な事業が始まった。

王都に戻ったアリシアは、新しい挑戦に胸を躍らせていた。しかし、準備は容易ではなかった。

スタッフの訓練、茶葉の確保、内装の設計。すべてを遠隔で指示しながら、王都の店も運営する。アリシアは寝る時間も惜しんで働いた。

「お嬢様、無理をなさらないでください」

エリザベスが心配したが、アリシアは首を横に振った。

「大丈夫よ。これは、私がやりたいことなの」

三か月後、ルミエールに『ローズ・アンド・ソーン』の支店が開店した。開店式には、アリシア自身が出席した。

店は大成功だった。ルミエールの人々は、新しい紅茶文化を熱狂的に受け入れた。そして、アリシアの名前は、二つの国で知られるようになった。

しかし、成功の陰で、アリシアは一つの懸念を抱いていた。アレクシスとの関係だ。

彼は誠実で知的で、そして優しかった。ビジネスパートナーとして完璧だったが、時折見せる個人的な好意に、アリシアは戸惑いを感じていた。

かつて、ヴィクターのために自分を偽った経験がある。もう二度と、誰かのために自分を変えたくない。しかし、アレクシスは違う。彼は、ありのままのアリシアを認めてくれている。

「私は、どう感じているんだろう?」

アリシアは自問した。しかし、答えはまだ出なかった。

一方、王都では、アリシアとアレクシスの噂が広まっていた。

「アリシア様と隣国の王子が親しいらしいわ」
「まあ、ロマンスかしら?」
「いいえ、ビジネスパートナーだそうよ」

しかし、多くの人は二人の関係に興味津々だった。

ヴィクターも、その噂を聞いた。彼の胸に、複雑な感情が渦巻いた。

アレクシスは、自分よりはるかに優れた男だ。知的で、進歩的で、そして何より、アリシアを理解している。

「俺は、アリシアの何を理解していたんだ?」

ヴィクターは自問した。答えは明白だった。何も理解していなかった。彼女の情熱も、才能も、本当の姿も。

マリアンヌとの関係も、うまくいっていなかった。彼女の浪費は止まらず、社交界での失態も続いた。ヴィクターの評判は地に落ち、かつての友人たちも距離を置き始めていた。

ある日、ヴィクターの母が息子を呼んだ。

「ヴィクター、正直に答えなさい。あなたは、今、幸せですか?」

ヴィクターは答えられなかった。

「アリシアを手放したこと、後悔していますね?」
「母上…」
「私も、あの子を失ったことを後悔しています。彼女は完璧な令嬢でした。いいえ、それ以上でした」

母は続けた。

「でも、もう遅いのです。彼女は、あなたの手の届かない場所にいる」

ヴィクターは窓の外を見つめた。遠くに、『ローズ・アンド・ソーン』の看板が見えた。

かつて、すべてを持っていた。完璧な婚約者、安定した地位、明るい未来。それを、自分の手で壊してしまった。

「俺は、何を求めていたんだ?刺激?変化?」

今になって分かる。本当に大切だったのは、変わらない信頼と、深い理解だった。そして、それを与えてくれていたのは、アリシアだった。

しかし、気づくのが遅すぎた。アリシアは、もう振り返らない。彼女は前だけを見て、輝きながら歩いている。

ヴィクターは、自分の選択の重さを、ようやく理解し始めていた。
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