婚約破棄されたので田舎で猫と暮らします

たくわん

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子猫たちの世話のため、セレスティアはノアの家に通うようになった。

三匹の子猫——セレスティアはそれぞれイチ、ニ、サンと名付けた——は、日に日に元気を取り戻していた。目が開き、よちよちと歩き始め、小さな声で鳴くようになった。

「名前のセンスがない」

ノアが呆れたように言った。

「だって、まだ性別も分からないですし、性格も見えないですし……」

「だからって、イチ、ニ、サンはないだろう」

「じゃあ、ノアさんが名前をつけてください」

「……面倒だ」

結局、イチ、ニ、サンのままになった。


ノアの家に通ううちに、セレスティアは彼の生活を少しずつ知るようになった。

家は質素だが、清潔に保たれている。家具は必要最低限で、装飾品の類はほとんどない。唯一の贅沢は、壁一面の本棚だった。医学書、薬学書、動物の生態に関する本、そして意外なことに、文学書も多かった。

「本がお好きなんですね」

「暇つぶしだ」

ノアは素っ気なく答えたが、本棚を見る目は柔らかかった。

猫たちは、家のあちこちでくつろいでいる。ソファの上、窓辺、本棚の隙間。皆、ノアに慣れ切っていて、彼が近づいても逃げない。むしろ、甘えるように体を擦りつける猫もいた。

「この子たちは、ノアさんが大好きなんですね」

「俺が餌をやっているからだ」

「それだけじゃないと思います」

セレスティアは微笑んだ。

「愛情がなければ、猫は懐きません。ノアさんが優しいから、この子たちも安心しているんです」

ノアは何も答えなかった。ただ、少し居心地悪そうに目をそらした。


ある日、子猫の世話を終えて帰ろうとした時、セレスティアはノアの書斎に足を踏み入れた。

借りていた本を返すためだった。

「失礼します。本、ありがとうございました」

書斎に入ると、ノアは机に向かって何かを書いていた。セレスティアの声に顔を上げ、軽く頷く。

「そこに置いておけ」

本棚の前に本を戻そうとした時、セレスティアの目に一枚の写真が映った。

本棚の隅に立てかけられた、古い写真。

若いノアと、美しい女性が並んで微笑んでいる。

女性は栗色の髪をしていて、優しそうな目をしていた。ノアの腕に自然に寄り添う姿は、とても親密に見える。

恋人だろうか。いや、もしかしたら——

「何を見ている」

冷たい声が背後からした。

振り返ると、ノアが立っていた。その目は、これまで見たことがないほど険しかった。

「あ、すみません、つい……」

「詮索するな」

ノアは素早く写真を取り上げ、引き出しにしまった。

その動作は荒く、怒りを押し殺しているようだった。

「本当に、すみませんでした」

セレスティアは深く頭を下げた。

「私、出過ぎたことを……」

「もういい。帰れ」

ノアは背を向けた。

その背中は、まるで壁のようだった。


屋敷に戻ったセレスティアは、自分の軽率さを悔やんだ。

あの写真の女性が誰なのか、ノアとどんな関係だったのか。気になるのは事実だった。でも、それを詮索する権利など、自分にはない。

ノアには、触れられたくない過去があるのだ。

それは、セレスティアも同じだった。

婚約破棄の夜のこと、社交界での屈辱、両親の失望した顔。思い出すたびに胸が痛む。誰かにその傷を無遠慮に暴かれたら、きっと自分も怒りを感じるだろう。

「私も、人のことは言えないわ」

セレスティアは窓の外を見つめた。

ノアの家の方角には、夕日が沈みかけている。

明日、謝ろう。そして、これ以上踏み込まないことを約束しよう。

彼が話したいと思う日が来るまで、待つしかない。


その夜、セレスティアは眠れなかった。

ベッドに横たわり、天井を見つめながら、過去のことを考えていた。

王太子アルベルトとの日々。

五年間の婚約期間、セレスティアは彼のために全てを捧げた。彼の好みに合わせて服を選び、彼の話題に合わせて勉強し、彼の前では常に完璧な令嬢でいようとした。

でも、それは「自分」ではなかった。

アルベルトが望む理想像を演じていただけだ。本当の自分——疲れることもあれば、泣きたくなることもあれば、馬鹿なことを言いたくなることもある自分——を、彼に見せたことは一度もなかった。

見せられなかった。

完璧でなければ、愛されない。そう思い込んでいた。

結局、完璧を演じても捨てられたのだから、笑い話にもならない。

涙が一筋、頬を伝った。

あの頃の自分は、何のために生きていたのだろう。誰のために頑張っていたのだろう。

答えは出ない。

でも今は、少なくとも——猫たちのために生きている。ノアの役に立てるかもしれない。マーサや村人たちとの小さな交流がある。

それが、今の自分の全てだった。


翌朝、セレスティアはノアの家を訪ねた。

玄関で躊躇していると、中から声がした。

「入れ」

扉を開けると、ノアがいつもの場所に座っていた。膝の上には猫が一匹、丸くなっている。

「あの、昨日は本当に申し訳ありませんでした」

セレスティアは深く頭を下げた。

「私、軽率でした。もう二度と、ノアさんのプライベートに踏み込みません」

長い沈黙があった。

顔を上げると、ノアは窓の外を見つめていた。

「……俺も、言い過ぎた」

「え?」

「お前は、ただ本を返しに来ただけだ。写真が目に入ったのは偶然だろう。それなのに、怒鳴って悪かった」

セレスティアは目を見開いた。

ノアが、謝っている?

「いえ、私が悪いんです」

「いいから座れ」

ノアが顎で椅子を示した。

言われるままに座ると、ノアは少し間を置いてから話し始めた。

「あの写真の女は……俺の元婚約者だ」

「婚約者……」

「五年前に、別れた」

セレスティアは息を飲んだ。

ノアにも、婚約者がいた。そして、別れた過去がある。

「詳しくは話せない。話したくない」

ノアの声は低く、抑揚がなかった。

「ただ、お前に知っておいてほしいことがある。俺が人間嫌いになった理由は、あの女のせいじゃない。人間全体のせいだ」

「人間全体……?」

ノアは答えなかった。

代わりに、膝の上の猫を撫でながら言った。

「俺は、人を信じることができなくなった。だからこの村に来た。猫は裏切らないから」

その言葉には、深い傷が滲んでいた。

セレスティアは何も言えなかった。慰めの言葉も、励ましの言葉も、今のノアには届かない気がした。

だから、ただ黙って、その場にいた。


しばらくして、ノアが口を開いた。

「お前は、なぜここに来た」

「え?」

「都会の令嬢が、こんな田舎に。理由があるはずだ」

セレスティアは胸の奥がざわついた。

自分の過去を話すのは、怖かった。婚約破棄された惨めな女だと思われたくなかった。

でも、ノアは自分の傷を——ほんの少しだけだが——見せてくれた。

「私も……婚約を破棄されたんです」

言葉にすると、胸が痛んだ。

「王太子殿下の婚約者でした。でも、大勢の前で捨てられて……もっと控えめで優しい女性がいいと言われて」

ノアは黙って聞いていた。

「五年間、完璧な令嬢でいようと努力しました。でも、それが『息が詰まる』と。私は、頑張りすぎたから捨てられたんです」

笑えない話だ。

努力が足りなくて捨てられるなら、まだ分かる。でも、努力しすぎて捨てられるなんて。

「馬鹿な話でしょう?」

セレスティアは力なく笑った。

「完璧すぎて捨てられるなんて」

ノアは何も言わなかった。

ただ、少しだけ——本当に少しだけ——目元が和らいだような気がした。

「馬鹿だとは思わない」

「え?」

「お前は、自分を殺して生きていたんだろう。それが壊れたんだ。辛くないはずがない」

セレスティアの目から、涙が溢れた。

初めてだった。婚約破棄のことを話して、こんなふうに受け止めてもらえたのは。

両親は「次の縁談を」と言うだけだった。社交界の知人たちは、陰で笑っていただけだった。

でもノアは、否定も同情もせず、ただ「辛くないはずがない」と言ってくれた。

それだけで、どれほど救われたか。

「すみません、泣いて……」

「泣きたい時は泣け」

ノアは目をそらしながら言った。

「猫も、辛い時は鳴く」


涙が止まるまで、ノアは黙って待っていてくれた。

落ち着いた頃、セレスティアは小さく笑った。

「情けないところを見せてしまいました」

「別に」

「でも、話せてよかったです。誰にも言えなかったから」

ノアは窓の外を見つめた。

「俺も……お前に話せて、少し楽になった」

その言葉に、セレスティアは胸が温かくなった。

互いの傷を、少しだけ見せ合った。それだけのことだ。

でも、その「それだけ」が、どれほど大きな一歩か。

二人とも、人を信じることが怖くなっていた。傷つくことが怖くて、心を閉ざしていた。

でも今日、ほんの少しだけ、扉が開いた気がする。


帰り際、ノアが言った。

「子猫の世話、明日も来い」

「はい」

「……茶くらいは出す」

セレスティアは思わず笑った。

「楽しみにしています」

ノアは不機嫌そうに顔を背けた。でも、その耳が少し赤いことに、セレスティアは気づいた。

外に出ると、澄んだ空気が肺を満たした。

空は青く、雲が流れていく。

心が、少しだけ軽くなっていた。
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