婚約破棄されたので田舎で猫と暮らします

たくわん

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村に来て一ヶ月が経った頃、マーサが訪ねてきた。

「セレスティア、来週は収穫祭だよ」

「収穫祭?」

「そうさ。秋の実りに感謝する祭りでね、村中が集まって踊って、食べて、飲んで。一年で一番賑やかな日さ」

セレスティアは興味を引かれた。

王都にも祭りはあったが、それは貴族のための華やかな催し物だった。庶民の祭りというものを、彼女は見たことがなかった。

「あんたも手伝ってくれないかい」

「私が?」

「人手が足りないんだよ。野菜の仕分けとか、飾り付けとか。できることはいくらでもある」

セレスティアは一瞬躊躇した。

村人たちは、まだ彼女に対してよそよそしい。都会のお嬢様が来たと、遠巻きに見ている人も多い。手伝いを申し出ても、迷惑がられるのではないか。

「大丈夫さ」

マーサは見透かしたように言った。

「働いてるところを見せれば、皆の見る目も変わるよ。あんたがどんな人間か、分かってもらえる」

「……分かりました。お手伝いします」


祭りの準備は、村の広場で行われていた。

セレスティアが広場に着くと、大勢の村人たちが忙しく働いていた。テーブルを運ぶ男たち、料理を準備する女たち、飾り付けをする子供たち。

皆が一斉にセレスティアを見た。

「あら、都会のお嬢様じゃないか」

太った中年女性が言った。セレスティアが村に着いた日、最初に声をかけてきた人だ。

「何しに来たんだい。見物?」

「いえ、お手伝いに来ました」

「手伝い? あんたが?」

女性は露骨に疑わしそうな顔をした。

「お嬢様の手じゃ、何もできないだろうに」

セレスティアは頬が熱くなった。確かに、貴族の令嬢として育った自分に、農作業の手伝いなどできるのだろうか。

でも、引き下がるわけにはいかない。

「できることを探します。何でもやります」

「まあまあ、そう言わないで」

マーサが割って入った。

「セレスティアは手先が器用だよ。飾り付けを手伝ってもらおうじゃないか」


飾り付けの作業は、思った以上に楽しかった。

色とりどりの布を切って、リボンを結んで、旗を作る。貴族の令嬢として培った裁縫の技術が、意外なところで役に立った。

「へえ、上手いじゃないか」

近くで作業していた若い女性が言った。

「こういうの、習ったことあるの?」

「刺繍や裁縫は、子供の頃から」

「へえ……」

女性は感心したように頷いた。

「お嬢様って、意外と手先が器用なんだね」

「セレスティアと呼んでください」

「じゃあ、セレスティア。私はリーナ。よろしくね」

リーナは人懐っこい笑顔を見せた。村人の中で、初めて友好的に話しかけてくれた同年代の女性だった。


午後になると、野菜の仕分け作業が始まった。

畑から収穫された野菜を、大きさや品質で分類する作業だ。セレスティアは見よう見まねで手伝った。

土のついた野菜を触るのは初めてだった。ジャガイモ、人参、玉葱、南瓜。どれも重くて、土臭くて、手が汚れる。

でも、不思議と嫌ではなかった。

「あんた、初めてにしては筋がいいね」

先ほどの中年女性——名前はハンナというらしい——が言った。

「もっと文句言うかと思ったよ」

「いえ、楽しいです」

「楽しい? 野菜の仕分けが?」

ハンナは目を丸くした。

「変わった嬢ちゃんだね」

セレスティアは笑った。

確かに、王都にいた頃の自分なら、こんな作業は考えられなかっただろう。泥で手が汚れるなんて、とんでもない。

でも今は、この土の感触が心地よかった。自分の手で何かを作り上げる喜びを、初めて知った気がした。


夕方近く、広場に見覚えのある人影が現れた。

ノアだった。

彼は広場の端に立ち、作業の様子を眺めていた。近寄ってくる様子はなく、ただ遠くから見ているだけだ。

セレスティアはふと手を止め、ノアの方を見た。

目が合った。

ノアはすぐに目をそらし、踵を返して去っていった。

「あれ、ノア先生だ」

リーナが言った。

「珍しいね、祭りの準備を見に来るなんて」

「いつもは来ないの?」

「来ないよ。あの人、村の行事には全然参加しないから。祭りの日も、家に閉じこもってるんだ」

セレスティアは去っていくノアの背中を見つめた。

彼は、本当に孤独なのだ。自分から孤立を選んでいるとはいえ、それはきっと辛いことだろう。

「セレスティア、ぼーっとしてないで!」

ハンナの声で我に返った。

「はい、すみません!」

作業に戻りながらも、セレスティアの心の片隅には、ノアの姿が残っていた。


祭りの当日は、朝から村中が浮き足立っていた。

広場には屋台が並び、あちこちから美味しそうな匂いが漂ってくる。焼いた肉、煮込んだシチュー、焼きたてのパン、甘いお菓子。

セレスティアは、マーサに手を引かれて広場を歩いた。

「ほら、これを食べてごらん」

マーサが差し出したのは、揚げたパンに蜂蜜をかけたお菓子だった。

一口食べると、甘さが口いっぱいに広がった。

「美味しい……」

「だろう? これは祭りの定番でね。子供たちが大好きなんだ」

王都の高級菓子とは比べものにならない、素朴な味だった。でも、その素朴さがかえって心に染みる。

日が暮れると、広場の中央で火が焚かれた。

その周りを、村人たちが輪になって踊り始める。太鼓と笛の音楽が鳴り響き、皆が手を取り合って踊る。

「セレスティアも踊りなよ!」

リーナが手を引いた。

「え、でも、踊り方が分からなくて……」

「簡単だよ! 右に三歩、左に三歩、回って手を叩く!」

半ば強引に輪に入れられ、セレスティアは見よう見まねで踊り始めた。

最初はぎこちなかったが、次第にリズムが体に馴染んでくる。周りの人々の笑顔に囲まれ、火の温かさを感じながら、同じ動きを繰り返す。

王都の夜会とは、全く違う踊りだった。

優雅さもなければ、格式もない。ただ皆が楽しそうに体を動かし、笑い合っている。

セレスティアは気づいた。

自分も、笑っていることに。

心の底から、楽しいと思っている。こんな気持ちは、いつ以来だろう。


夜が更け、祭りのピークは過ぎた。

疲れた村人たちが三々五々と帰り始める中、セレスティアは広場の端に座って夜空を見上げていた。

満天の星が輝いている。王都では見えなかった、無数の星々。

「楽しかったですか」

ふと声がして、振り向くとノアが立っていた。

「ノアさん!? いつの間に……」

「さっき来た」

ノアは無愛想な顔のまま、セレスティアの隣に座った。膝の上には、いつの間にか抱いてきたらしい猫がいる。

「祭り、見に来たんですか」

「……たまたまだ」

嘘だ、とセレスティアは思った。でも、追及はしなかった。

「楽しかったです」

セレスティアは微笑んだ。

「こんな祭りは初めてでした。皆で踊って、一緒に食べて……王都の夜会とは全然違う」

「そうか」

「ノアさんも、来ればよかったのに」

「人混みは嫌いだ」

「でも、今ここにいるじゃないですか」

ノアは答えなかった。

代わりに、膝の上の猫を撫でながら言った。

「お前が楽しそうに踊っているのが、遠くから見えた」

セレスティアの心臓が跳ねた。

見ていた。ノアは、遠くから見ていた。

「それで、近くに来たんですか」

「……別に」

ノアは目をそらした。

「猫の散歩だ。たまたまこっちに来ただけだ」

膝の上の猫は、全く散歩をする気配がなく、丸くなって眠っている。


しばらく、二人で黙って星を眺めた。

火の粉が舞い上がり、夜空に消えていく。遠くで、まだ踊り続けている人々の笑い声が聞こえる。

「俺は、祭りが嫌いだった」

ノアがぽつりと言った。

「嫌い、ですか」

「ああ。人が集まって、騒いで、笑い合う。それを見ると、自分だけが外にいるような気がして」

セレスティアは黙って聞いていた。

「でも、今日は……」

ノアは言葉を切った。

「何ですか?」

「……嫌いじゃない」

セレスティアは驚いてノアを見た。

彼は相変わらず無表情だったが、その目には、かすかな温もりがあるように見えた。

「嫌いじゃない、ですか」

「お前がいるからかもしれない」

心臓が、大きく鳴った。

「俺も……どうかしている」

ノアは立ち上がった。

「帰る。お前も早く帰れ。夜更かしは体に悪い」

「あ、はい……」

ノアは猫を抱いたまま、闇の中に消えていった。

セレスティアは、その場に座ったまま動けなかった。

今、何を言われたのだろう。

「お前がいるからかもしれない」

その言葉が、頭の中で何度も繰り返された。

顔が熱い。

夜風が吹いているのに、全身が火照っている。

星空を見上げながら、セレスティアは胸を押さえた。

この気持ちは、何だろう。

分からない。でも、嫌ではなかった。

むしろ——とても、温かかった。
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