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対峙
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エドゥアルトが王都を離れる日が来た。
冬の朝、冷たい風が吹く中、彼は馬に跨り、北方への道を進み始めた。随行するのは、わずか二人の若い兵士だけ。かつての近衛騎士としての栄光は、もうどこにもなかった。
王都の門を抜ける時、エドゥアルトは一度だけ振り返った。
遠くに見える王宮。あそこに、リディアがいる。
彼女は今頃、笑顔で音楽を奏でているだろう。オットー王子と共に、幸せな未来を築いているだろう。
「行こう」
エドゥアルトは手綱を引き、馬を北へと向けた。
振り返っても、もう何もない。前を向いても、希望は見えない。
ただ、歩き続けるしかなかった。
一方、王宮では華やかな準備が進められていた。
リディアとオットーの結婚式は、両国の友好の象徴として、盛大に執り行われることになっていた。
リディアは自分のウェディングドレスの最終確認をしていた。純白のドレスには、繊細な銀糸の刺繍が施され、音符の模様が描かれている。
「美しいですわ、リディア様」
侍女たちが感嘆の声を上げた。
「ありがとう。でも、ドレスよりも大切なのは、誓いの言葉よ」
リディアは微笑んだ。
結婚式では、伝統的な誓いの言葉に加えて、リディアとオットーは音楽で誓いを交わすことにしていた。二人で作曲した『永遠の調和』という曲を、式の最中に演奏するのだ。
「リディア」
扉がノックされ、父ハインリヒが入ってきた。
「父様」
「もうすぐお前は嫁いでいくんだな」
ハインリヒの目には涙が浮かんでいた。
「寂しくなるよ」
「父様……」
リディアは父に抱きついた。
「でも、遠くへ行くわけじゃありません。いつでも会いに来ますから」
「ああ、わかっている。お前は立派になった」
ハインリヒは娘の頭を撫でた。
「お前の母も、きっと誇りに思っているだろう」
「母様……」
「お前は母の夢を叶えたんだ。音楽で、多くの人を幸せにした」
父は娘の肩を掴み、真っすぐに見つめた。
「幸せになれ、リディア。お前は、それだけの価値がある」
「はい、父様」
リディアは涙を拭いた。
「私、幸せになります」
数日後、王宮の大聖堂で結婚式が執り行われた。
聖堂は花で飾られ、数百本の蝋燭が灯されていた。王族、貴族、外交官、そして平民の音楽家たちまで、身分を超えた人々が集まっていた。
リディアは父に腕を取られ、バージンロードを歩いた。純白のドレスが蝋燭の光を受けて輝いている。
祭壇には、オットーが待っていた。彼は深紅の礼服を着て、緊張した面持ちで立っている。
リディアと目が合うと、彼の表情が柔らかくなった。
父がリディアの手をオットーに預ける。
「娘をよろしく頼みます」
「はい。必ず幸せにします」
オットーは深く頭を下げた。
司祭が二人の前に立ち、厳かに式を始めた。
「オットー・フォン・ノルトハイム。あなたはこの女性を妻とし、喜びの時も悲しみの時も、共に歩むことを誓いますか」
「誓います」
オットーの声は力強かった。
「リディア・フォン・ムジーク。あなたはこの男性を夫とし、喜びの時も悲しみの時も、共に歩むことを誓いますか」
「誓います」
リディアの声も、はっきりと響いた。
「では、指輪の交換を」
二人は互いに指輪をはめ合った。
そして、伝統的な誓いの後、特別な儀式が始まった。
リディアはヴィオラを、オットーはチェロを手に取った。
「これから、私たちの誓いを音楽で表します」
リディアが会衆に向かって言った。
二人は楽器を構え、視線を交わした。
そして、演奏が始まった。
『永遠の調和』。二人で作り上げた曲だ。
ヴィオラとチェロが対話する。問いかけ、応え、時に離れ、また近づく。それは二人の関係そのものだった。
やがて二つの旋律が一つになり、美しいハーモニーを奏でる。それは永遠の愛を誓う、神聖な音楽だった。
会場は静まり返っていた。多くの者が涙を流していた。
曲が終わると、司祭が宣言した。
「神の御名において、ここに二人が夫婦となったことを宣言します」
会場が拍手と歓声に包まれた。
オットーはリディアを抱きしめ、唇を重ねた。
幸せな瞬間だった。
式の後、盛大な宴が開かれた。
音楽が響き、料理が並び、人々が祝福の言葉を述べに来る。
「おめでとうございます、リディア様」
「お幸せに」
「素晴らしい結婚式でした」
リディアは一人一人に感謝の言葉を述べた。
マルティン、アンナ、ペーターも駆けつけてくれた。
「リディア、本当におめでとう」
マルティンが涙ぐんでいた。
「僕たち、ずっと応援しているよ」
「ありがとう、マルティン」
リディアは仲間たちを抱きしめた。
「これからも、一緒に音楽を作りましょう」
「もちろんだよ」
宴が最高潮に達した時、王太子妃エリザベータが立ち上がった。
「皆様、ここで特別な発表がございます」
会場が静まる。
「リディア・フォン・ムジーク、いえ、リディア・フォン・ノルトハイム王妃に、『宮廷音楽総監』の称号を授けることが決まりました」
どよめきが広がる。宮廷音楽総監。それは両国の音楽文化の最高責任者を意味する、前例のない地位だった。
「さらに、王妃の提案による音楽学院の設立が、正式に承認されました」
会場が拍手に包まれた。
「才能ある者は、身分に関係なく学べる場所。それが、新しい時代の幕開けとなるでしょう」
リディアは感極まって涙を流した。
すべてが叶った。音楽も、愛も、夢も。
オットーが彼女の手を握った。
「おめでとう、リディア」
「ありがとう……あなたのおかげです」
「いや、すべてあなた自身の力だよ」
二人は微笑み合った。
一方、北方の辺境、グラウ砦。
エドゥアルトは寒風吹きすさぶ砦の見張り台に立っていた。
ここは王都から遠く離れた、忘れ去られた場所だった。任務は単調で、来る日も来る日も同じことの繰り返し。かつての栄光など、遠い夢のようだった。
「隊長、交代の時間です」
若い兵士が声をかけた。
「ああ、わかった」
エドゥアルトは見張り台を降りた。
狭い詰め所に戻ると、古参の兵士が酒を飲んでいた。
「よう、エドゥアルト。王都から来た騎士様は、こんな辺境の暮らしはつらいだろう」
皮肉を込めた言葉だった。
「慣れるさ」
エドゥアルトは答えた。
「そういえば、王都からの便が来ていたぞ。お前宛てだ」
兵士が手紙を投げてよこした。
エドゥアルトは手紙を開いた。差出人は、かつての同僚騎士だった。
手紙には、リディアとオットーの結婚式のことが書かれていた。盛大な式典、音楽総監の任命、音楽学院の設立。
そして、最後にこう書かれていた。
「お前が捨てた女性は、国を代表する音楽家となり、王妃となった。お前は何を得て、何を失ったのか、よく考えるといい」
エドゥアルトは手紙を握りしめた。
胸が痛んだ。でも、涙は出なかった。
「そうか……リディアは結婚したのか」
小さく呟く。
「おめでとう……本当に、おめでとう」
その言葉は、誰にも届かなかった。
夜、エドゥアルトは一人、砦の外に出た。
星空が広がっていた。王都で見た星空と、同じ星空だ。
「リディア……」
名前を呟く。
「君は、幸せになったんだな」
風が吹いた。冷たく、容赦ない風だった。
「私は……愚かだった」
エドゥアルトは地面に膝をついた。
「地位や財産を選んで、本当に大切なものを失った」
涙が溢れた。
「君といれば……君と一緒なら、どんな困難も乗り越えられたかもしれない」
でも、もう遅い。
リディアは前に進んでいる。自分だけが、過去に囚われている。
「これが……報いか」
エドゥアルトは空を見上げた。
星は、何も答えてくれなかった。
ただ冷たく、遠く、瞬いているだけだった。
数ヶ月後、エドゥアルトの下に別の知らせが届いた。
元妻アデーレが、別の男性と再婚したという知らせだった。相手は年老いた伯爵で、莫大な財産を持っているという。
「結局、彼女も財産を選んだか」
エドゥアルトは苦笑した。
自分と同じだ。そして、同じように不幸になるだろう。
もう一通、手紙があった。
騎士団からの通知だった。
「勤務態度良好につき、このまま辺境での任務を継続する」
つまり、王都への帰還はない、ということだ。
エドゥアルトは手紙を破り捨てた。
「もういい……もう、何もいらない」
すべてを諦めた瞬間だった。
一方、リディアとオットーは、新婚生活を満喫していた。
二人は宮殿の一角に音楽室を設け、毎日のように演奏を楽しんでいた。
「リディア、この部分はどう思う?」
オットーが新しい曲の楽譜を見せた。
「素敵です。でも、ここにもう少し変化をつけたら」
リディアがペンを取り、楽譜に書き込む。
二人で作る音楽は、日に日に豊かになっていった。
そして、音楽学院の建設も着々と進んでいた。
「来春には開校できそうです」
リディアは建設現場を見ながら言った。
「多くの才能ある子供たちが、ここで学ぶのね」
「ええ。そして、いつか彼らが、新しい音楽を生み出すでしょう」
オットーは妻の肩を抱いた。
「あなたの夢が、現実になる」
「二人の夢です」
リディアは微笑んだ。
「あなたがいなければ、ここまで来られませんでした」
「いや、すべてあなたの力だよ」
二人は見つめ合い、口づけを交わした。
幸せだった。心から、幸せだった。
ある日の夕方、リディアは一人、宮殿の屋上に立っていた。
夕日が沈み、空が茜色に染まっている。
あの日、婚約破棄を告げられた日から、どれだけの時が過ぎたのだろう。
「私は、ここまで来た」
小さく呟く。
傷つき、苦しみ、でも諦めなかった。音楽を信じ、自分を信じた。
そして、本当の幸せを掴んだ。
「エドゥアルト様」
久しぶりに彼の名前を口にした。
「あなたが私を捨てたことを、今は感謝しています」
リディアは微笑んだ。
「あなたのおかげで、私は本当の自分を見つけられた。本当の幸せを知ることができた」
風が吹いた。優しく、温かい風だった。
「どうか、あなたも幸せになってください」
それが、リディアが彼にかけられる最後の、本当に最後の言葉だった。
もう、過去は振り返らない。
これから先、ずっと前だけを見て生きていく。
オットーと共に。音楽と共に。
リディアは屋上を後にし、音楽室へと向かった。
そこには、愛する夫が待っている。
そして、まだ見ぬ未来が、輝いている——。
冬の朝、冷たい風が吹く中、彼は馬に跨り、北方への道を進み始めた。随行するのは、わずか二人の若い兵士だけ。かつての近衛騎士としての栄光は、もうどこにもなかった。
王都の門を抜ける時、エドゥアルトは一度だけ振り返った。
遠くに見える王宮。あそこに、リディアがいる。
彼女は今頃、笑顔で音楽を奏でているだろう。オットー王子と共に、幸せな未来を築いているだろう。
「行こう」
エドゥアルトは手綱を引き、馬を北へと向けた。
振り返っても、もう何もない。前を向いても、希望は見えない。
ただ、歩き続けるしかなかった。
一方、王宮では華やかな準備が進められていた。
リディアとオットーの結婚式は、両国の友好の象徴として、盛大に執り行われることになっていた。
リディアは自分のウェディングドレスの最終確認をしていた。純白のドレスには、繊細な銀糸の刺繍が施され、音符の模様が描かれている。
「美しいですわ、リディア様」
侍女たちが感嘆の声を上げた。
「ありがとう。でも、ドレスよりも大切なのは、誓いの言葉よ」
リディアは微笑んだ。
結婚式では、伝統的な誓いの言葉に加えて、リディアとオットーは音楽で誓いを交わすことにしていた。二人で作曲した『永遠の調和』という曲を、式の最中に演奏するのだ。
「リディア」
扉がノックされ、父ハインリヒが入ってきた。
「父様」
「もうすぐお前は嫁いでいくんだな」
ハインリヒの目には涙が浮かんでいた。
「寂しくなるよ」
「父様……」
リディアは父に抱きついた。
「でも、遠くへ行くわけじゃありません。いつでも会いに来ますから」
「ああ、わかっている。お前は立派になった」
ハインリヒは娘の頭を撫でた。
「お前の母も、きっと誇りに思っているだろう」
「母様……」
「お前は母の夢を叶えたんだ。音楽で、多くの人を幸せにした」
父は娘の肩を掴み、真っすぐに見つめた。
「幸せになれ、リディア。お前は、それだけの価値がある」
「はい、父様」
リディアは涙を拭いた。
「私、幸せになります」
数日後、王宮の大聖堂で結婚式が執り行われた。
聖堂は花で飾られ、数百本の蝋燭が灯されていた。王族、貴族、外交官、そして平民の音楽家たちまで、身分を超えた人々が集まっていた。
リディアは父に腕を取られ、バージンロードを歩いた。純白のドレスが蝋燭の光を受けて輝いている。
祭壇には、オットーが待っていた。彼は深紅の礼服を着て、緊張した面持ちで立っている。
リディアと目が合うと、彼の表情が柔らかくなった。
父がリディアの手をオットーに預ける。
「娘をよろしく頼みます」
「はい。必ず幸せにします」
オットーは深く頭を下げた。
司祭が二人の前に立ち、厳かに式を始めた。
「オットー・フォン・ノルトハイム。あなたはこの女性を妻とし、喜びの時も悲しみの時も、共に歩むことを誓いますか」
「誓います」
オットーの声は力強かった。
「リディア・フォン・ムジーク。あなたはこの男性を夫とし、喜びの時も悲しみの時も、共に歩むことを誓いますか」
「誓います」
リディアの声も、はっきりと響いた。
「では、指輪の交換を」
二人は互いに指輪をはめ合った。
そして、伝統的な誓いの後、特別な儀式が始まった。
リディアはヴィオラを、オットーはチェロを手に取った。
「これから、私たちの誓いを音楽で表します」
リディアが会衆に向かって言った。
二人は楽器を構え、視線を交わした。
そして、演奏が始まった。
『永遠の調和』。二人で作り上げた曲だ。
ヴィオラとチェロが対話する。問いかけ、応え、時に離れ、また近づく。それは二人の関係そのものだった。
やがて二つの旋律が一つになり、美しいハーモニーを奏でる。それは永遠の愛を誓う、神聖な音楽だった。
会場は静まり返っていた。多くの者が涙を流していた。
曲が終わると、司祭が宣言した。
「神の御名において、ここに二人が夫婦となったことを宣言します」
会場が拍手と歓声に包まれた。
オットーはリディアを抱きしめ、唇を重ねた。
幸せな瞬間だった。
式の後、盛大な宴が開かれた。
音楽が響き、料理が並び、人々が祝福の言葉を述べに来る。
「おめでとうございます、リディア様」
「お幸せに」
「素晴らしい結婚式でした」
リディアは一人一人に感謝の言葉を述べた。
マルティン、アンナ、ペーターも駆けつけてくれた。
「リディア、本当におめでとう」
マルティンが涙ぐんでいた。
「僕たち、ずっと応援しているよ」
「ありがとう、マルティン」
リディアは仲間たちを抱きしめた。
「これからも、一緒に音楽を作りましょう」
「もちろんだよ」
宴が最高潮に達した時、王太子妃エリザベータが立ち上がった。
「皆様、ここで特別な発表がございます」
会場が静まる。
「リディア・フォン・ムジーク、いえ、リディア・フォン・ノルトハイム王妃に、『宮廷音楽総監』の称号を授けることが決まりました」
どよめきが広がる。宮廷音楽総監。それは両国の音楽文化の最高責任者を意味する、前例のない地位だった。
「さらに、王妃の提案による音楽学院の設立が、正式に承認されました」
会場が拍手に包まれた。
「才能ある者は、身分に関係なく学べる場所。それが、新しい時代の幕開けとなるでしょう」
リディアは感極まって涙を流した。
すべてが叶った。音楽も、愛も、夢も。
オットーが彼女の手を握った。
「おめでとう、リディア」
「ありがとう……あなたのおかげです」
「いや、すべてあなた自身の力だよ」
二人は微笑み合った。
一方、北方の辺境、グラウ砦。
エドゥアルトは寒風吹きすさぶ砦の見張り台に立っていた。
ここは王都から遠く離れた、忘れ去られた場所だった。任務は単調で、来る日も来る日も同じことの繰り返し。かつての栄光など、遠い夢のようだった。
「隊長、交代の時間です」
若い兵士が声をかけた。
「ああ、わかった」
エドゥアルトは見張り台を降りた。
狭い詰め所に戻ると、古参の兵士が酒を飲んでいた。
「よう、エドゥアルト。王都から来た騎士様は、こんな辺境の暮らしはつらいだろう」
皮肉を込めた言葉だった。
「慣れるさ」
エドゥアルトは答えた。
「そういえば、王都からの便が来ていたぞ。お前宛てだ」
兵士が手紙を投げてよこした。
エドゥアルトは手紙を開いた。差出人は、かつての同僚騎士だった。
手紙には、リディアとオットーの結婚式のことが書かれていた。盛大な式典、音楽総監の任命、音楽学院の設立。
そして、最後にこう書かれていた。
「お前が捨てた女性は、国を代表する音楽家となり、王妃となった。お前は何を得て、何を失ったのか、よく考えるといい」
エドゥアルトは手紙を握りしめた。
胸が痛んだ。でも、涙は出なかった。
「そうか……リディアは結婚したのか」
小さく呟く。
「おめでとう……本当に、おめでとう」
その言葉は、誰にも届かなかった。
夜、エドゥアルトは一人、砦の外に出た。
星空が広がっていた。王都で見た星空と、同じ星空だ。
「リディア……」
名前を呟く。
「君は、幸せになったんだな」
風が吹いた。冷たく、容赦ない風だった。
「私は……愚かだった」
エドゥアルトは地面に膝をついた。
「地位や財産を選んで、本当に大切なものを失った」
涙が溢れた。
「君といれば……君と一緒なら、どんな困難も乗り越えられたかもしれない」
でも、もう遅い。
リディアは前に進んでいる。自分だけが、過去に囚われている。
「これが……報いか」
エドゥアルトは空を見上げた。
星は、何も答えてくれなかった。
ただ冷たく、遠く、瞬いているだけだった。
数ヶ月後、エドゥアルトの下に別の知らせが届いた。
元妻アデーレが、別の男性と再婚したという知らせだった。相手は年老いた伯爵で、莫大な財産を持っているという。
「結局、彼女も財産を選んだか」
エドゥアルトは苦笑した。
自分と同じだ。そして、同じように不幸になるだろう。
もう一通、手紙があった。
騎士団からの通知だった。
「勤務態度良好につき、このまま辺境での任務を継続する」
つまり、王都への帰還はない、ということだ。
エドゥアルトは手紙を破り捨てた。
「もういい……もう、何もいらない」
すべてを諦めた瞬間だった。
一方、リディアとオットーは、新婚生活を満喫していた。
二人は宮殿の一角に音楽室を設け、毎日のように演奏を楽しんでいた。
「リディア、この部分はどう思う?」
オットーが新しい曲の楽譜を見せた。
「素敵です。でも、ここにもう少し変化をつけたら」
リディアがペンを取り、楽譜に書き込む。
二人で作る音楽は、日に日に豊かになっていった。
そして、音楽学院の建設も着々と進んでいた。
「来春には開校できそうです」
リディアは建設現場を見ながら言った。
「多くの才能ある子供たちが、ここで学ぶのね」
「ええ。そして、いつか彼らが、新しい音楽を生み出すでしょう」
オットーは妻の肩を抱いた。
「あなたの夢が、現実になる」
「二人の夢です」
リディアは微笑んだ。
「あなたがいなければ、ここまで来られませんでした」
「いや、すべてあなたの力だよ」
二人は見つめ合い、口づけを交わした。
幸せだった。心から、幸せだった。
ある日の夕方、リディアは一人、宮殿の屋上に立っていた。
夕日が沈み、空が茜色に染まっている。
あの日、婚約破棄を告げられた日から、どれだけの時が過ぎたのだろう。
「私は、ここまで来た」
小さく呟く。
傷つき、苦しみ、でも諦めなかった。音楽を信じ、自分を信じた。
そして、本当の幸せを掴んだ。
「エドゥアルト様」
久しぶりに彼の名前を口にした。
「あなたが私を捨てたことを、今は感謝しています」
リディアは微笑んだ。
「あなたのおかげで、私は本当の自分を見つけられた。本当の幸せを知ることができた」
風が吹いた。優しく、温かい風だった。
「どうか、あなたも幸せになってください」
それが、リディアが彼にかけられる最後の、本当に最後の言葉だった。
もう、過去は振り返らない。
これから先、ずっと前だけを見て生きていく。
オットーと共に。音楽と共に。
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