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真実の告白
婚約発表から二週間が過ぎた。リディアとオットーは、両国の王族や貴族たちを交えた会合を重ね、結婚式の準備を進めていた。
同時に、リディアは音楽学院の設立計画にも取り組んでいた。オットーとともに構想を練り、王太子妃エリザベータの支援も取り付けた。
「身分に関係なく、才能ある者が学べる場所」
リディアは設計図を広げながら言った。
「楽器の演奏だけでなく、作曲、音楽理論、さらには音楽史も教えたい」
「素晴らしい計画ですね」
オットーは感心したように頷いた。
「私の国でも、同様の学院を作りましょう。そうすれば、両国の音楽家たちが交流できる」
「それは素敵です。音楽で、国と国を繋ぐ」
二人が計画を話し合っていると、侍女が駆け込んできた。
「リディア様、お客様が」
「お客様?」
「エドゥアルト・フォン・リヒター様が、お会いしたいと」
リディアは驚いた。オットーも表情を硬くした。
「お会いになりますか」
侍女が尋ねる。
リディアは少し考えてから、頷いた。
「わかりました。応接室に通してください」
「リディア……」
オットーが心配そうに声をかけた。
「大丈夫です。もう、彼のことで心が揺らぐことはありません」
リディアは穏やかに微笑んだ。
「ただ、何を話したいのか聞いてみたいだけです」
応接室に入ると、エドゥアルトが窓際に立っていた。彼は振り返り、リディアを見た。
以前と比べて、彼はやつれていた。目の下には隈ができ、顔色も悪い。騎士としての凛々しさは影を潜め、疲れ果てた男の姿があった。
「リディア……いや、リディア伯爵」
「エドゥアルト様。お久しぶりです」
リディアは礼儀正しく挨拶した。
「何かご用でしょうか」
エドゥアルトは口を開きかけて、言葉に詰まった。しばらく沈黙が続いた後、ようやく絞り出すように言った。
「謝りたくて来た」
「謝る……ですか」
「ああ。あの時、君を傷つけた。身分を理由に、君を捨てた」
エドゥアルトの声は震えていた。
「それが……どれほど間違っていたか、今になってわかった」
「エドゥアルト様」
「君は素晴らしい女性だった。優しくて、聡明で、才能に溢れていた。それなのに、私は目先の利益に目がくらんで、君の本当の価値を見ようとしなかった」
エドゥアルトは頭を下げた。
「本当に、申し訳なかった」
リディアは静かに彼を見つめた。
かつてなら、この謝罪の言葉に心が動いたかもしれない。でも、今は違った。
「顔を上げてください、エドゥアルト様」
リディアの声は穏やかだった。
「あなたの謝罪は受け取ります。でも、それはもう過去のことです」
「リディア……」
「あの時、確かに私は傷つきました。あなたに捨てられたことが、悔しくて、悲しくて、どうしようもなかった」
リディアは窓の外を見た。
「でも、今は感謝しています」
「感謝……?」
「ええ。あなたが私を選ばなかったから、私は本当の自分の道を見つけられた」
リディアは微笑んだ。
「音楽に全力を注ぎ、新しい世界を切り開くことができた。そして、本当に私を理解してくれる人と出会えた」
エドゥアルトの顔が歪んだ。
「もしあなたと結婚していたら、今の私はなかったでしょう。だから、感謝しているんです」
「そうか……」
エドゥアルトは力なく笑った。
「君は、本当に強くなったな」
「強くならざるを得なかったんです」
リディアは真っすぐに彼を見た。
「でも、それでよかった。今の私は、誰かに依存していた頃よりも、ずっと幸せです」
エドゥアルトは何も言えなかった。
「エドゥアルト様。もう私の人生に、あなたの居場所はありません」
リディアの言葉は、冷たくも温かくもなく、ただ事実を述べているだけだった。
「それが、私からの答えです」
エドゥアルトは深く頭を下げた。
「わかった。邪魔をして、すまなかった」
彼は踵を返し、扉に向かった。だが、扉の前で立ち止まった。
「リディア……最後に一つだけ言わせてくれ」
「何でしょう」
「君と出会えたこと、君と過ごした時間は、私の人生で最も幸せな時間だった」
エドゥアルトは振り返らずに言った。
「でも、それを大切にできなかった。それが私の罪だ」
「エドゥアルト様」
「どうか、幸せになってくれ。君は、それだけの価値がある人だから」
エドゥアルトは扉を開け、去って行った。
リディアは一人、応接室に残された。
胸の奥に、小さな痛みがあった。でも、それはもう愛情ではなく、人間としての同情だった。
「さようなら、エドゥアルト様」
小さく呟く。
「あなたも、幸せになってください」
それが、リディアが彼にかけられる最後の言葉だった。
オットーが心配そうに待っていた部屋に戻ると、彼はすぐに立ち上がった。
「大丈夫でしたか」
「ええ、大丈夫です」
リディアは微笑んだ。
「彼は謝罪に来ました。そして、私はそれを受け入れ、さようならを言いました」
「そうですか……」
オットーは安堵したように息をついた。
「もう、過去に囚われることはありません」
リディアはオットーの手を取った。
「これから先、私はあなたと一緒に、新しい未来を作っていきます」
「リディア……」
オットーは彼女の手を強く握り返した。
「ありがとう。私も、あなたとの未来を、心から楽しみにしています」
その夜、エドゥアルトは自室で一人、酒を飲んでいた。
リディアとの会話が、頭の中で何度も繰り返される。
「あなたが私を選ばなかったから、私は本当の自分の道を見つけられた」
彼女の言葉が、胸に突き刺さる。
自分は何を失ったのか。地位や財産ではない。もっと大切な、かけがえのないものを失ったのだ。
扉が開き、アデーレが入ってきた。
「あなた、また飲んでいるの? みっともないわ」
「放っておいてくれ」
「放っておけないわよ。実家からまた手紙が来たの。すぐに三百金貨用意しろって」
「そんな金、どこにあるんだ」
エドゥアルトは苛立ちを隠せなかった。
「あなたが稼げばいいじゃない。騎士なんでしょう?」
「騎士の給料なんて、たかが知れている」
「じゃあ、どうするのよ。私の実家が破産したら、あなたも終わりよ」
アデーレの声が甲高くなる。
「そもそも、あなたが出世できないのが悪いのよ。騎士団長にでもなれば」
「簡単に言うな!」
エドゥアルトは立ち上がった。
「君の実家のスキャンダルのせいで、私の評価は地に落ちている。昇進など、夢のまた夢だ」
「何ですって。それは私のせいだと言いたいの?」
「事実だろう」
二人は睨み合った。
「もう、うんざりだわ」
アデーレは涙を浮かべた。
「こんな貧乏騎士と結婚するんじゃなかった。あなたなんか、選ぶべきじゃなかったわ」
その言葉に、エドゥアルトは何も言えなかった。
自分も同じことを、リディアに言ったのだから。
アデーレは泣きながら部屋を出て行った。バタンと扉が閉まる。
一人になったエドゥアルトは、椅子に崩れ落ちた。
「因果応報か……」
苦笑いが漏れる。
自分が蒔いた種が、今、自分に返ってきている。
リディアを傷つけた報いが、今、自分を苦しめている。
「私は……本当に愚かだった」
涙が溢れた。
でも、もう取り返しはつかない。
リディアは前に進んでいる。幸せを掴んでいる。
自分だけが、暗闇の中にいる。
数日後、エドゥアルトに追い打ちをかける知らせが届いた。
騎士団長が彼を呼び出した。
「エドゥアルト、お前を地方の守備隊に転属させることになった」
「転属……ですか」
「ああ。北方の辺境、グラウ砦だ」
グラウ砦。それは王都から遠く離れた、寒冷な辺境の地にある小さな砦だった。栄転どころか、事実上の左遷だ。
「どうして……」
「お前の妻の実家のことだ。スキャンダルが大きくなりすぎた。このままでは、騎士団全体の評判にも関わる」
騎士団長は申し訳なさそうに言った。
「お前自身には非はない。だが、これが貴族社会の掟だ」
エドゥアルトは拳を握りしめた。
「わかりました。命令に従います」
「すまないな。だが、これも試練だ。地方で実績を積めば、いつか戻ってこれる」
だが、その言葉が社交辞令に過ぎないことは、二人ともわかっていた。
一度辺境に送られた騎士が、王都に戻ることは稀だった。
その夜、エドゥアルトはアデーレに転属のことを告げた。
「辺境ですって? そんな田舎に、私を連れて行くつもり?」
「仕方がないだろう。これは命令だ」
「嫌よ! 私は王都にいるわ。あなた一人で行きなさい」
アデーレは叫んだ。
「妻として、ついてくる気はないのか」
「あなたのような負け犬についていく義理はないわ」
アデーレは冷たく言い放った。
「私は実家に戻るわ。婚約は……破棄させてもらうわ」
エドゥアルトは言葉を失った。
「勝手にしろ」
そう言うのが精一杯だった。
アデーレは荷物をまとめ、その日のうちに実家に帰って行った。
一人になったエドゥアルトは、空っぽの部屋で立ち尽くしていた。
すべてを失った。
地位も、妻も、未来も。
そして、最も大切なものは、ずっと前に失っていた。
「リディア……」
名前を呟く。
彼女がいれば、こんなことにはならなかった。彼女は決して自分を裏切らなかっただろう。どんな時も、そばにいてくれただろう。
でも、自分が彼女を裏切ったのだ。
「これが……報いか」
エドゥアルトは床に座り込んだ。
涙も出なかった。ただ、空虚な感覚だけが残った。
翌日、王宮では華やかな音楽会の準備が進められていた。
リディアとオットーの婚約を祝う、特別な演奏会だ。
リディアは楽団を指揮し、新作の曲を練習していた。
「もう一度、最初から」
彼女の声は明るく、自信に満ちていた。
楽師たちも、かつての彼女への不信感はなくなっていた。今では、誰もが彼女の才能と人柄を認め、尊敬していた。
「リディア様、素晴らしいです」
マルティンが興奮気味に言った。
「この曲、本当に美しい。結婚式でも演奏するんですよね」
「ええ。二人の誓いを音楽で表現したの」
リディアは微笑んだ。
オットーが練習室に入ってきた。
「素晴らしい演奏でした」
「オットー様、聞いていたんですか」
「ええ。あなたの音楽は、いつ聴いても心を動かされます」
オットーはリディアに近づき、優しく微笑んだ。
「これから何十年も、あなたの音楽を聴き続けられることが、何より幸せです」
「私もです」
リディアは彼の手を取った。
「あなたと一緒なら、どんな困難も乗り越えられる気がします」
二人は見つめ合い、微笑んだ。
その光景を見ていた楽師たちは、温かい笑顔を浮かべていた。
この二人は、本当に幸せになるだろう。音楽で結ばれた、真実の愛だ。
一方、エドゥアルトは荷物をまとめ、王都を去る準備をしていた。
窓から見える王宮が、遠く感じられた。
あそこで、リディアは輝いている。
自分がいた場所は、もうない。
「さようなら……」
小さく呟き、エドゥアルトは部屋を後にした。
その背中は、どこまでも孤独だった。
明暗は、完全に分かれた。
リディアは光の中へ。
エドゥアルトは闇の中へ。
それぞれの選択が、それぞれの運命を決めた——。
同時に、リディアは音楽学院の設立計画にも取り組んでいた。オットーとともに構想を練り、王太子妃エリザベータの支援も取り付けた。
「身分に関係なく、才能ある者が学べる場所」
リディアは設計図を広げながら言った。
「楽器の演奏だけでなく、作曲、音楽理論、さらには音楽史も教えたい」
「素晴らしい計画ですね」
オットーは感心したように頷いた。
「私の国でも、同様の学院を作りましょう。そうすれば、両国の音楽家たちが交流できる」
「それは素敵です。音楽で、国と国を繋ぐ」
二人が計画を話し合っていると、侍女が駆け込んできた。
「リディア様、お客様が」
「お客様?」
「エドゥアルト・フォン・リヒター様が、お会いしたいと」
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「お会いになりますか」
侍女が尋ねる。
リディアは少し考えてから、頷いた。
「わかりました。応接室に通してください」
「リディア……」
オットーが心配そうに声をかけた。
「大丈夫です。もう、彼のことで心が揺らぐことはありません」
リディアは穏やかに微笑んだ。
「ただ、何を話したいのか聞いてみたいだけです」
応接室に入ると、エドゥアルトが窓際に立っていた。彼は振り返り、リディアを見た。
以前と比べて、彼はやつれていた。目の下には隈ができ、顔色も悪い。騎士としての凛々しさは影を潜め、疲れ果てた男の姿があった。
「リディア……いや、リディア伯爵」
「エドゥアルト様。お久しぶりです」
リディアは礼儀正しく挨拶した。
「何かご用でしょうか」
エドゥアルトは口を開きかけて、言葉に詰まった。しばらく沈黙が続いた後、ようやく絞り出すように言った。
「謝りたくて来た」
「謝る……ですか」
「ああ。あの時、君を傷つけた。身分を理由に、君を捨てた」
エドゥアルトの声は震えていた。
「それが……どれほど間違っていたか、今になってわかった」
「エドゥアルト様」
「君は素晴らしい女性だった。優しくて、聡明で、才能に溢れていた。それなのに、私は目先の利益に目がくらんで、君の本当の価値を見ようとしなかった」
エドゥアルトは頭を下げた。
「本当に、申し訳なかった」
リディアは静かに彼を見つめた。
かつてなら、この謝罪の言葉に心が動いたかもしれない。でも、今は違った。
「顔を上げてください、エドゥアルト様」
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「あなたの謝罪は受け取ります。でも、それはもう過去のことです」
「リディア……」
「あの時、確かに私は傷つきました。あなたに捨てられたことが、悔しくて、悲しくて、どうしようもなかった」
リディアは窓の外を見た。
「でも、今は感謝しています」
「感謝……?」
「ええ。あなたが私を選ばなかったから、私は本当の自分の道を見つけられた」
リディアは微笑んだ。
「音楽に全力を注ぎ、新しい世界を切り開くことができた。そして、本当に私を理解してくれる人と出会えた」
エドゥアルトの顔が歪んだ。
「もしあなたと結婚していたら、今の私はなかったでしょう。だから、感謝しているんです」
「そうか……」
エドゥアルトは力なく笑った。
「君は、本当に強くなったな」
「強くならざるを得なかったんです」
リディアは真っすぐに彼を見た。
「でも、それでよかった。今の私は、誰かに依存していた頃よりも、ずっと幸せです」
エドゥアルトは何も言えなかった。
「エドゥアルト様。もう私の人生に、あなたの居場所はありません」
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「それが、私からの答えです」
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「何でしょう」
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エドゥアルトは振り返らずに言った。
「でも、それを大切にできなかった。それが私の罪だ」
「エドゥアルト様」
「どうか、幸せになってくれ。君は、それだけの価値がある人だから」
エドゥアルトは扉を開け、去って行った。
リディアは一人、応接室に残された。
胸の奥に、小さな痛みがあった。でも、それはもう愛情ではなく、人間としての同情だった。
「さようなら、エドゥアルト様」
小さく呟く。
「あなたも、幸せになってください」
それが、リディアが彼にかけられる最後の言葉だった。
オットーが心配そうに待っていた部屋に戻ると、彼はすぐに立ち上がった。
「大丈夫でしたか」
「ええ、大丈夫です」
リディアは微笑んだ。
「彼は謝罪に来ました。そして、私はそれを受け入れ、さようならを言いました」
「そうですか……」
オットーは安堵したように息をついた。
「もう、過去に囚われることはありません」
リディアはオットーの手を取った。
「これから先、私はあなたと一緒に、新しい未来を作っていきます」
「リディア……」
オットーは彼女の手を強く握り返した。
「ありがとう。私も、あなたとの未来を、心から楽しみにしています」
その夜、エドゥアルトは自室で一人、酒を飲んでいた。
リディアとの会話が、頭の中で何度も繰り返される。
「あなたが私を選ばなかったから、私は本当の自分の道を見つけられた」
彼女の言葉が、胸に突き刺さる。
自分は何を失ったのか。地位や財産ではない。もっと大切な、かけがえのないものを失ったのだ。
扉が開き、アデーレが入ってきた。
「あなた、また飲んでいるの? みっともないわ」
「放っておいてくれ」
「放っておけないわよ。実家からまた手紙が来たの。すぐに三百金貨用意しろって」
「そんな金、どこにあるんだ」
エドゥアルトは苛立ちを隠せなかった。
「あなたが稼げばいいじゃない。騎士なんでしょう?」
「騎士の給料なんて、たかが知れている」
「じゃあ、どうするのよ。私の実家が破産したら、あなたも終わりよ」
アデーレの声が甲高くなる。
「そもそも、あなたが出世できないのが悪いのよ。騎士団長にでもなれば」
「簡単に言うな!」
エドゥアルトは立ち上がった。
「君の実家のスキャンダルのせいで、私の評価は地に落ちている。昇進など、夢のまた夢だ」
「何ですって。それは私のせいだと言いたいの?」
「事実だろう」
二人は睨み合った。
「もう、うんざりだわ」
アデーレは涙を浮かべた。
「こんな貧乏騎士と結婚するんじゃなかった。あなたなんか、選ぶべきじゃなかったわ」
その言葉に、エドゥアルトは何も言えなかった。
自分も同じことを、リディアに言ったのだから。
アデーレは泣きながら部屋を出て行った。バタンと扉が閉まる。
一人になったエドゥアルトは、椅子に崩れ落ちた。
「因果応報か……」
苦笑いが漏れる。
自分が蒔いた種が、今、自分に返ってきている。
リディアを傷つけた報いが、今、自分を苦しめている。
「私は……本当に愚かだった」
涙が溢れた。
でも、もう取り返しはつかない。
リディアは前に進んでいる。幸せを掴んでいる。
自分だけが、暗闇の中にいる。
数日後、エドゥアルトに追い打ちをかける知らせが届いた。
騎士団長が彼を呼び出した。
「エドゥアルト、お前を地方の守備隊に転属させることになった」
「転属……ですか」
「ああ。北方の辺境、グラウ砦だ」
グラウ砦。それは王都から遠く離れた、寒冷な辺境の地にある小さな砦だった。栄転どころか、事実上の左遷だ。
「どうして……」
「お前の妻の実家のことだ。スキャンダルが大きくなりすぎた。このままでは、騎士団全体の評判にも関わる」
騎士団長は申し訳なさそうに言った。
「お前自身には非はない。だが、これが貴族社会の掟だ」
エドゥアルトは拳を握りしめた。
「わかりました。命令に従います」
「すまないな。だが、これも試練だ。地方で実績を積めば、いつか戻ってこれる」
だが、その言葉が社交辞令に過ぎないことは、二人ともわかっていた。
一度辺境に送られた騎士が、王都に戻ることは稀だった。
その夜、エドゥアルトはアデーレに転属のことを告げた。
「辺境ですって? そんな田舎に、私を連れて行くつもり?」
「仕方がないだろう。これは命令だ」
「嫌よ! 私は王都にいるわ。あなた一人で行きなさい」
アデーレは叫んだ。
「妻として、ついてくる気はないのか」
「あなたのような負け犬についていく義理はないわ」
アデーレは冷たく言い放った。
「私は実家に戻るわ。婚約は……破棄させてもらうわ」
エドゥアルトは言葉を失った。
「勝手にしろ」
そう言うのが精一杯だった。
アデーレは荷物をまとめ、その日のうちに実家に帰って行った。
一人になったエドゥアルトは、空っぽの部屋で立ち尽くしていた。
すべてを失った。
地位も、妻も、未来も。
そして、最も大切なものは、ずっと前に失っていた。
「リディア……」
名前を呟く。
彼女がいれば、こんなことにはならなかった。彼女は決して自分を裏切らなかっただろう。どんな時も、そばにいてくれただろう。
でも、自分が彼女を裏切ったのだ。
「これが……報いか」
エドゥアルトは床に座り込んだ。
涙も出なかった。ただ、空虚な感覚だけが残った。
翌日、王宮では華やかな音楽会の準備が進められていた。
リディアとオットーの婚約を祝う、特別な演奏会だ。
リディアは楽団を指揮し、新作の曲を練習していた。
「もう一度、最初から」
彼女の声は明るく、自信に満ちていた。
楽師たちも、かつての彼女への不信感はなくなっていた。今では、誰もが彼女の才能と人柄を認め、尊敬していた。
「リディア様、素晴らしいです」
マルティンが興奮気味に言った。
「この曲、本当に美しい。結婚式でも演奏するんですよね」
「ええ。二人の誓いを音楽で表現したの」
リディアは微笑んだ。
オットーが練習室に入ってきた。
「素晴らしい演奏でした」
「オットー様、聞いていたんですか」
「ええ。あなたの音楽は、いつ聴いても心を動かされます」
オットーはリディアに近づき、優しく微笑んだ。
「これから何十年も、あなたの音楽を聴き続けられることが、何より幸せです」
「私もです」
リディアは彼の手を取った。
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二人は見つめ合い、微笑んだ。
その光景を見ていた楽師たちは、温かい笑顔を浮かべていた。
この二人は、本当に幸せになるだろう。音楽で結ばれた、真実の愛だ。
一方、エドゥアルトは荷物をまとめ、王都を去る準備をしていた。
窓から見える王宮が、遠く感じられた。
あそこで、リディアは輝いている。
自分がいた場所は、もうない。
「さようなら……」
小さく呟き、エドゥアルトは部屋を後にした。
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それぞれの選択が、それぞれの運命を決めた——。
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