花咲くように 微笑んで 【書籍化】

葉月 まい

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消えゆく恋心

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 年が明け、半月が経った頃、菜乃花はみなと医療センターを訪れた。

 「加納さん、こんにちは」
 「菜乃花ちゃん!」

 病室に入ると、おじいさんが満面の笑みで迎えてくれる。

 「体調はいかがですか?」
 「菜乃花ちゃんのおかげで、もうすっかり元気だよ。ありがとうな、菜乃花ちゃん」
 「いいえ。お元気そうで良かったです」
 「わざわざ見舞いに来てくれたのかい?」
 「ふふ、今日は加納さん専用の移動図書館に来ました」

 へ?とおじいさんは目を丸くする。

 「加納さん、この作家さんの本、お好きでしょう?新作が入ったから持って来たの。他にも何冊か加納さんが好きそうなものを」

 そう言って、トートバッグから本を数冊取り出す。

 「おお!ありがとう、菜乃花ちゃん。嬉しいよ。入院生活も暇になってきたから」
 「良かったです。体調無理しないで、ゆっくり読んでくださいね。また読み終わる頃に新しい本、持って来ますね」

 おじいさんは、何度もありがとうと繰り返しながら、本を手にして笑顔になる。

 菜乃花も、来て良かったと微笑んだ。

 「そう言えばね、菜乃花ちゃん」
 「はい、何ですか?」

 ベッドの横に座った菜乃花に、おじいさんが声を潜めて話し出す。

 「私の処置をしてくれた先生がね、これまた美男子なんだよ。えっと、今で言うイケメンってやつだな」
 「へえ、そうなんですね」
 「うん。しかもまだ独身なんだって。菜乃花ちゃん、どう?」
 「はい?!どう、って、どういう?」

 菜乃花が面食らうと、おじいさんは含み笑いをする。

 「菜乃花ちゃんとお似合いなんじゃないかと思うんだよ。紹介しようか?ちょっと待ってね」

 そう言って、ナースコールのボタンを押そうとする。

 「わー!ダメダメ!加納さん、そんなことにナースコール使っちゃダメです!」
 「そう堅いこと言わないでさ。菜乃花ちゃんには幸せになって欲しいんだよ」
 「お気持ちはありがたいけど、それは押しちゃダメです!」
 「そうか。じゃあ、今から呼びに行ってくるよ」
 「ヒー!加納さん!いいから、私のことはいいから!立ったらダメ!」
 「そんな病人扱いしなくても…」
 「立派な病人です!加納さん、お願いだから横になって!」

 ベッドから降りようとするのを必死で止めていると、ふいに後ろから声がした。

 「なんだか賑やかですね、加納さん」

 (うっ、この声は…)

 聞き覚えのある声に、菜乃花は振り返らずに身を固くする。

 「あ、先生!ちょうど良かった。今、先生を呼びに行こうと思ってて」
 「ん?どうかしましたか?どこか具合でも?」
 「違うんだよ。実は先生にこの子を紹介したくてね。私の命の恩人の菜乃花ちゃん。可愛いでしょ?」
 「か、加納さん、ちょっと!」

 菜乃花は慌てて小声で止める。

 「菜乃花ちゃん。こちらは宮瀬先生。ね?イケメンでしょ?」
 「そ、そうですね」
 「二人とも私の命の恩人だもんな。お似合いだよ、うん」

 顔を上げることも出来ずに、菜乃花はうつむいたまま固まる。

 その時「加納さーん、リハビリの時間ですよー」と、理学療法士らしき男性が入って来た。

 「じゃ、ちょっと行って来るよ、菜乃花ちゃん」
 「はい、お気をつけて」
 「ではあとは、お二人でごゆっくり」

 は?!と菜乃花がうわずった声を出すと、あはは!と笑いながらおじいさんはゆっくりと病室を出て行った。

 「こんにちは。お見舞いに来てくれたんだね」

 二人きりになった病室で、颯真が菜乃花に声をかける。

 「あ、はい。加納さん、お元気そうで安心しました」
 「うん。この調子なら、月末には退院出来ると思う」
 「本当ですか?!良かった…」

 心底ホッとした様子の菜乃花に微笑んで、颯真がまた口を開こうとした時だった。
 ふいに院内アナウンスが聞こえてきた。

 「コードブルー、コードブルー、5階婦人科病棟へお願いします」

 颯真はサッと顔つきを変えると菜乃花に向き直る。

 「ごめん、じゃあここで」
 「はい。失礼します」

 小さく頷いてから、颯真は足早に病室を出て行った。



 「菜乃花ー、元気か?」

 1月も終わりに近づいた頃、菜乃花はまた春樹から電話を受けた。

 「はい、元気です。先輩も有希さんもお元気ですか?」
 「あー、元気は元気なんだけどさ。菜乃花、もし時間あったらまたうちに遊びに来てくれないか?有希の話し相手になって欲しいんだ」
 「え?有希さんの?」

 どういう意味なのだろうと思いながら、仕事が休みの日ならいつでも、と返事をする。

 「そうか!こっちはいつでも大丈夫だから。来てくれると助かるよ」
 「分かりました、伺います」
 「じゃあ、有希に菜乃花の連絡先教えてもいいか?直接やり取りした方が早いから」
 「はい、大丈夫です。お願いします」
 「分かった。ありがとな、菜乃花」
 「いいえ」

 そそくさと電話を切った春樹に、菜乃花は小さく首を傾げる。

 (どうしたのかしら。何かあったのかな?)

 しばらくして有希からメッセージが届き、菜乃花は4日後のオフの日に、再び新居にお邪魔することになった。



 「菜乃花ちゃん!いらっしゃい」
 「こんにちは、有希さん。お邪魔します」
 「どうぞ入って。菜乃花ちゃんが来てくれるのをとっても楽しみにしてたの!」

 以前にも増して明るい有希に、菜乃花も思わず笑顔になる。

 「有希さん、良かったらこれどうぞ。『ロージーローズ』のプチタルトBOXです」
 「うわー、ありがとう!」

 有希は早速箱の中を覗き込む。

 「可愛い!なんて繊細なの。雪の結晶に、これは雪だるまね」

 冬をモチーフにした12種類のタルトの詰め合わせに、有希は目を輝かせる。

 菜乃花とそれぞれ3つずつ選ぶと、紅茶と一緒に味わった。

 「んー、美味しいわね」
 「ええ。なんだか優雅な気分になります」 
 「ふふ、本当に。外に出られなくても、おうちでこんなふうに素敵なティータイムが出来るのね。春樹に頼んで、また買って来てもらおうっと」

 有希の言葉に菜乃花は、ん?と首をひねる。

 「有希さん、外に出られないんですか?」

 すると有希は、少しうつむいてはにかんだ笑みを浮かべた。

 「実はね、私、今妊娠7週目なの」
 「え?!そうなんですね!おめでとうございます」
 「ありがとう!でも体調があまり良くなくて、仕事も休んでるの」

 え…、と菜乃花は言葉を詰まらせる。

 「あ、そんなに心配しないで。ドクターにも、心配し過ぎずのんびり過ごすように言われてるから。でもね、私、これまでずっと働いてきたから、毎日家に一人でいると息が詰まっちゃって。それが逆にストレスなの」

 それで春樹が、有希の話し相手になって欲しいと頼んできたのか、と菜乃花は合点がいった。

 「今日菜乃花ちゃんが来てくれたら、急に元気になっちゃった。ふふ、なんだか単純ね、私」
 「有希さん。私で良かったら、いつでもお相手します」
 「本当?嬉しい!」

 そんなに喜んでくれるなんて、と菜乃花も嬉しくなった。

 「ねえ菜乃花ちゃん。颯真先生とは、あれから会った?」

 他愛もない話をしながら、ふと有希が思い出したように聞く。
  
 「えっと、倒れたおじいさんのお見舞いに行った時に、病院でお会いしました」
 「そうなのね。どんな感じだった?病院での颯真先生って」
 「え?いつも通り、普通ですけど」

 すると有希は、もったいぶったように話し出す。

 「普通か…。颯真先生は普通でも、周りはどうなのかなー?」
 「周り、ですか?」
 「そう。あのね、ナースの世界って広いようで案外狭いの。私の友人も何人かあの病院で働いてるから噂を聞くんだけど、颯真先生を狙ってる女の子は多いらしいわよ。ナースはもちろん、事務の女の子もね」
 「そうなんですか。病室で少しお話しただけだったので、気づきませんでした」
 「なんでも颯真先生が通り過ぎると、女子がみんな目で追うとか。私の友達は『さざ波の颯真』って呼んでた」

 「さ、さざ波?」と菜乃花は苦笑いする。

 「だからね、うっかり『私のうちに颯真先生が来た』って話したら、もう大変な騒ぎだったのよ。どうしてその時呼んでくれなかったのよー、とか、颯真先生が使ったグラスをちょうだい、とか」
 「ひゃー、アイドルみたいですね」
 「ほんとよねー。でも春樹は彼が心配みたい。仕事一筋で、あのままだとプライベートがなくなるって。颯真先生、この間もワインを頑なに飲まなかったでしょう?」
 「ええ」

 クリスマスイブにワインを持って来てくれたのに、呼び出しを気にして断っていたのを思い出す。

 「おまけに救急科専門医を選ぶなんて…」
 「やっぱり厳しい世界なんですね?救急って」
 「うん。私もERに実習に行ったけど、まさに戦場よ、あそこは」

 そうだろうな、と菜乃花は神妙な面持ちになる。
 毎日、救急車で運ばれてくる急患を受け入れるのだ。
 並大抵の精神力と体力ではやっていけないだろう。

 「颯真先生、どちらかと言うと繊細なタイプに見えるから、私もちょっと気がかりなの。必要以上に抱え込んだり、気持ちの切り替えが上手くいかなかったりしないかなって」

 有希の言葉に、菜乃花はじっと考え込む。
 知らず知らずのうちに、昔の感情が蘇ってきた。

 「菜乃花ちゃん?どうかした?」

 有希に顔を覗き込まれて、菜乃花はハッと我に返る。

 「あ、いえ!何でもないです」
 「そう?あ、ほら。まだタルトあるわよ」
 「これは有希さんと先輩で召し上がってください」
 「いいの?ありがとう!あー、早く体調落ち着いて、菜乃花ちゃんとカフェでお茶したいなあ」
 「本当ですね。じゃあ私、有希さんの好きそうなカフェを探しておきますね」
 「ふふ、ありがとう、菜乃花ちゃん。楽しみにしてるね!」
 「はい!」

 二人は微笑んで顔を見合わせた。

 菜乃花は、いつの間にか有希を大切な人だと感じている自分に気づく。
 と同時に、春樹に憧れていた淡い恋心が、ふわっと遠くに去って行った気がした。
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