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住まいは分かるが連絡先は知らない彼女
「あ、菜乃花ちゃん!」
「鈴原さん!大丈夫だったかい?」
図書館に戻ると、谷川と館長が心配そうに尋ねてきた。
「はい、大丈夫です。加納さんの奥さんと娘さんもいらして、主治医の先生から説明も受けました。心筋梗塞だったみたいです。カテーテル治療をしてしばらく入院になりますが、後遺症などはあまりないだろうとのことでした」
「そうなのね!良かった…」
「ああ、ホッとしたよ」
菜乃花は改めて二人に頭を下げる。
「館長、谷川さん。あの時はありがとうございました」
「何言ってるのよ、菜乃花ちゃん。全部あなたのおかげよ」
「そうだよ、鈴原さん。君がいてくれて良かった」
「いえ、私一人では到底無理でした。本当に助かりました。あ、それと館長。AEDはドクターが解析するので加納さんの身体につけたまま搬送しました。新しいAEDの手配をお願い出来ますか?」
「ああ、分かった」
「それより菜乃花ちゃん、お昼食べた?」
谷川の言葉に菜乃花はふと時計を見る。
既に3時になろうとしていた。
「そう言えばまだ何も」
「早く食べてらっしゃい」
「そうだな。それに今日は疲れただろう。最低限のことだけやったらもう上がりなさい」
谷川と館長の言葉に菜乃花はありがたく休憩を取り、その日は定時で帰らせてもらった。
◇
次の日はオフで、菜乃花は朝からのんびりと部屋でくつろいでいた。
(そう言えば買い物もまだ行ってないままだったな。今日は21日だし、クリスマスらしい雑貨でも買いに行こう)
そう思いながらコーヒーを飲んでいると、またしても春樹から電話がかかってきた。
(ええ?どうしてなのよー。せっかく最近は先輩のことを思い出さなくなってたのに)
恨み節を言いながら電話に出る。
「もしもし」
「あ、菜乃花?いやー、お前なんだか面白いことになってるな」
は?と菜乃花は素っ頓狂な声で聞き返す。
「先輩、急に何のお話ですか?」
「いや、ほら、颯真だよ。またあいつから電話がきたんだ。で、おかしなこと言うからさ」
「おかしなこと?」
「そう。ナースの彼女に会いたい。住んでるマンションは知ってるけど、連絡先は知らないから伝えてくれってさ」
「ナースの彼女?って誰ですか?」
「お前のことらしいぞ」
「は?!どうして私がナースなんですか?」
「知らん。お前も心当たりないのか?いやー、面白いな。菜乃花、24日って仕事?」
「はい。17時までの早番です」
「そしたらさ、そのあとうちに来ないか?颯真も呼んでクリスマスパーティーでもしよう」
ええ?!と菜乃花は困った声色になる。
「なんだ?もしかして彼氏とデートだったか?」
「いえ、そういう訳では。でも先輩だって新婚さんなのに、奥様と二人でクリスマスイブを過ごしたいんじゃ…」
「有希がそうしようって言ってるんだ。俺と二人きりはもう飽きたらしい。あはは!」
「え、まさか、そんな」
「冗談だよ。有希もお前達の話が聞きたいらしい。何がどうなってるのか、颯真は詳しく話してくれないから、てんで想像つかなくてさ。あと、新婚旅行の土産も渡したいし」
「は、はあ」
楽しそうな春樹の口調に押され気味になる。
「な?みんなでわいわい楽しもうぜ。菜乃花、仕事終わったらうちに来いよ。あとで住所メッセージで送るから」
「は、はい。分かりました」
「じゃあな、楽しみにしてる」
「はい、よろしくお願いします」
通話を終えてしばし呆然とする。
(先輩の新居にお邪魔するなんて。どうしてこんなことに…。お願いだから、忘れさせてよー)
眉を八の字に下げて困った顔になる。
(仕方ない。ちょうど買い物に行くつもりだったし、手土産も選びに行こう)
コーヒーを飲み干すと、菜乃花は少しオシャレして街に出かけた。
◇
「よっ、早かったな。どうぞ」
「はい、お邪魔いたします…」
24日、仕事を終えたその足で菜乃花は春樹のマンションを訪れていた。
「失礼します…」
小さくなりながら春樹に続いてリビングに足を踏み入れると、ボブカットのスタイルの良い女性がにこやかに挨拶してくれる。
「こんばんは、有希です。いらしてくださってありがとう。さあ、どうぞ座って」
「はい、失礼いたします」
促されてソファの隅にちょこんと腰かける。
「あら、そんなすみっこに座らなくても。はい、紅茶はミルクでいいかしら?」
「あ、はい。ありがとうございます。それからこれ、よろしければどうぞ」
菜乃花は持って来た手土産を有希に手渡す。
「まあ、ありがとう。あ!この紙袋、ひょっとして『ロージーローズ』の?嬉しい!私、ここのお菓子大好きなの」
「そうなんですね、良かったです」
「このお店いつも並んでるから、買うの大変だったんじゃない?」
「いえ。平日の午前中に行ったので、空いてました」
「そっか。菜乃花さんって土日休みじゃないのね」
すると春樹が話に加わる。
「菜乃花、相変わらず休みの日は一人でゴロゴロしてるのか?」
「はい、基本的にはそうですね」
「おいおい、もっと休日を楽しんだらいいのに」
「春樹、それは人それぞれよ。疲れる相手とつまらないデートするより、一人の時間の方が楽しかったりするもの」
有希がそう言うと、春樹がギクリとした顔になる。
「有希、それって暗に俺のこと言ってる?」
「ん?まさか!そんな人と結婚する訳ないでしょ?昔の話よ」
「昔?って、つまり元カレってこと?」
「もう、春樹ったら。何をつまらないヤキモチ焼いてるの。ほら、菜乃花さんが持って来てくれたお菓子、いただきましょ!とっても美味しいんだから。ね?菜乃花さん」
「あ、は、はい」
菜乃花は、目の前で繰り広げられる春樹と有希の会話に顔が火照ってくる。
(なんだかとってもラブラブな雰囲気だな。私、お邪魔なだけなんじゃ…)
居心地が悪くなってきた時、春樹のスマートフォンが鳴った。
「お、颯真が着いたみたいだ。来客用の駐車場、案内してくるよ」
春樹がスマートフォンを片手に立ち上がり、部屋を出て行くと、菜乃花は有希と二人きりになる。
「ねえ、菜乃花さんって春樹の大学時代の後輩なんですってね」
「あ、はい。私が3年生でゼミに入った時、先輩は院の2年生でした」
「そうなのね。菜乃花さん、私よりも先に春樹と知り合ってたんだ。ね、どんな感じだった?学生の春樹って」
「え、ええ?そうですね、あの。頼れる先輩でした」
なんと答えていいか分からず、しどろもどろになる。
「えっと、有希さんは先輩と職場でお知り合いになったんですよね?」
結婚披露宴で紹介されていた二人のエピソードを思い出す。
春樹は公認心理師と臨床心理士の資格を持ち、病院で働いている。
そこでナースをしていた、同い年の有希と知り合ったという話だった。
「うん、そう。まあいわゆる職場結婚ってやつよね。だから大学時代の青春って感じに憧れちゃうの。私は看護学校でひたすら勉強してたけど、大学生って楽しそうだなって」
「あ、私も勉強ばかりで、たいした青春の思い出はないです」
「そうなの?でも春樹はあなたのことよく話すわよ。教授と緑茶飲みながら、延々と箱庭やってる女の子だったって」
ブッと思わず菜乃花は紅茶を吹きそうになる。
「そ、そんな。縁側で日向ぼっこするおばあさんみたいに…」
「そうなのよー。私もそんなイメージ持っててね。だから披露宴であなたを見て驚いちゃった。こんなに可愛らしい女の子だったのね!って」
いえいえ、そんな、と菜乃花は慌てて手で否定する。
「春樹はあんなこと言ってたけど、私は今のままのピュアな感じの菜乃花さんでいて欲しいな。焦って変な男とつき合ったりしないでね」
「そんな。私、おつき合いしたい人もいませんし」
「でもきっと、今に素敵な人が現れるわよ。菜乃花さんを大事にしてくれる人がね」
「あはは、どうでしょう」
「絶対いるって!」
「だといいですけど」
そんなことを話していると、玄関の開く音がして春樹と颯真がリビングに入って来た。
「お久しぶりです、颯真先生」
「こんばんは。お邪魔します」
有希に挨拶した後、颯真は菜乃花に目を向ける。
「こんばんは」
「こんばんは」
「会えて良かった。君に返したい物があって」
そう言って菜乃花に紙袋を差し出す。
「何でしょうか?」
怪訝な面持ちで受け取り、中を覗き込む。
「え?これ、あの時の?」
入っていたのはAEDだった。
「ああ。電極パッドも交換していつでも使えるようにしてあるから」
「そうなんですね!助かります。ありがとうございました」
「いや、礼を言うのはこちらの方だよ。本当にありがとう。君のおかげで加納さんは一命を取り留めた」
「あの、加納さんの容体は?」
「快方に向かってるよ。来月にはまた元の生活に戻れると思う」
「良かった!ありがとうございます」
菜乃花がホッとしたように笑顔で頭を下げると、春樹が二人を交互に見比べながら口を開く。
「なあ、お二人さん。一体、何がどうなってるんだ?」
ソファに4人で腰を下ろすと、菜乃花はあの日の出来事を詳しく話し出す。
「私が働いている図書館で、顔馴染みのおじいさんが突然倒れたんです」
「え?君、図書館で働いてるの?」
いきなり話の腰を折る颯真に、春樹は眉根を寄せる。
「颯真、お前の話はあと。菜乃花、それで?」
「あ、はい。すぐに駆け寄って声をかけたんですが、呼吸も心臓の動きもなくて。救急車とAEDを頼んで心臓マッサージを始めました。AEDの2回目のショックで心臓が動き始めて、そのまま救急車で搬送されたんです。私がつき添って、みなと医療センターに運ばれました。到着して救急車を降りたら…」
「そこに颯真がいたと」
「ええ。びっくりしました」
すると颯真がいよいよ身を乗り出してきた。
「いや、びっくりしたのはこっちだよ。君、ナースじゃないの?」
「はい、中央図書館に勤める司書です」
「司書?!でもあのメモは…」
「颯真、落ち着けよ。ドクターのお前が一番落ち着きないぞ」
春樹の言葉に、有希もクスッと笑う。
「ほんと。颯真先生、菜乃花ちゃんよりも年上なんだし。ねえ?菜乃花ちゃん」
「え、いや、あの」
返す言葉に困っていると、颯真が口を開いた。
「あの時、救急車を降りた彼女が俺にメモを渡したんだ」
そう言ってメモに書かれていた内容を二人に伝える。
「うわー、完璧。そこらの新人ナースよりもしっかりしてるわ」
有希が感心したように言うと、確かに、と春樹も頷く。
「だろ?患者の処置に当たってたドクター達はみんな、メモを書いたのはナースだと思い込んでたぞ。俺の指導医ですらな」
「なるほど。それでお前の中で菜乃花は『住まいは知ってるけど連絡先は知らないナースの彼女』って認識になった訳だ」
「あはは!なんだかおかしなことになってるのね」
有希が面白そうに笑い出す。
「じゃあ改めてお互い自己紹介したら?菜乃花ちゃんと颯真先生」
有希に交互に見つめられ、菜乃花と颯真は気まずそうにうつむく。
「あらやだ!お見合いみたいになっちゃった。春樹、仲人やる?」
「そうだな。それでは、えーゴホン!本日はお日柄も良く…」
「クリスマスイブに何言ってるのよ。それはいいから、先を早く」
「分かったって。えー、まずは颯真から。こちらは俺の高校時代の悪友、あ、いや、親友の宮瀬 颯真くんです。ご覧の通り容姿端麗、頭脳明晰、女の子の告白をバッサバッサと断り続け、泣かせた女子は数知れず…」
「春樹!それは余計よ」
「おっと失礼。とまあ、そんなイケメン男子は医学部に進学。卒業後初期研修を終え、現在は救急科専門医の資格を取るべく、専攻医としてみなと医療センターのERで働く28歳の独身。ここ数年は彼女も出来ませんが、非の打ちどころのない男であります」
「んー、ちょいちょい言葉のアラが目立つけどいいわ。じゃあ次、菜乃花ちゃんの紹介ね」
「はいよ。えー、こちらは俺の大学時代の後輩、えっと、名字は忘れましたが、菜乃花です。いやー、大学といえば花の女子大生。明るくキャピキャピとしたキャンパスライフを送るかと思いきや、菜乃花はいつも教授室にいて、俺と教授の茶飲み友達でもありました」
はーるーきー、と有希が鋭い視線を送る。
「こんなに可愛い菜乃花ちゃんの良さをもっとちゃんと伝えてよ」
あ、いえ、そんな、と菜乃花は小さく手で遮る。
「えー?菜乃花の良さ?うーん、何だろう」
「春樹!」
有希が更に春樹を睨む。
「いえ、あの、いいんです。私、本当に何の取り柄もないし、女子大生らしさもなく地味に暮らしてましたので」
「あはは!地味な暮らしまでは言わなくてもいいよ。でもそうだな、菜乃花は周りの女子みたいに軽く流されないところが長所かな。その場の雰囲気でホイホイ男について行ったりしないし」
「それはそうでしょうね。そんな菜乃花ちゃん、想像つかないわ」
「あとは、そうだな。とにかく真面目だったな。お前さ、なんで心理学の道そのまま進まなかったんだ?」
思わぬ話の流れに、菜乃花は、え…と戸惑う。
「お前なら絶対いい心理士になれたと思う。教授だって、お前はてっきり院に進むと思ってたから、驚いてたぞ」
「あ、その。それは…」
うつむいて言葉に詰まっていると、有希が明るく言った。
「そんな話はいいの!とにかく菜乃花ちゃんは、同性の私から見てもピュアなのがよく分かる。今どきこんなに純粋な女の子は珍しいわよ。うちの職場の女の子達なんてもう、コロコロ彼氏が変わるんだもの。ひと月ごとに違う子だっているのよ?もはやマンスリー彼氏」
「あはは!有希、上手いこと言うな」
つられて菜乃花や颯真も笑い出す。
「ほんとなんだから。どんなに現場が忙しくても、デートなのでお先に失礼しまーす!って帰って行くの。それなのにすぐ別れるのよ。もうガックリ。冷静なメモを残せる菜乃花ちゃんの方がよっぽどナースに向いてるわ」
「まさか、そんな」
「いや、本当に俺もそう思う」
ずっと黙っていた颯真が口を開いた。
「加納さんを助けたのは間違いなく君だ。心臓が停止すると、1分経過するごとに7~10%ずつ救命率が低下すると言われている。もし何もせずに救急車の到着だけを待っていたら、10分後にはほぼ助かる可能性がなくなってしまうんだ。いかに早く処置を開始するかが救命の鍵となる。胸骨圧迫とAEDの電気ショックによる適切な一次救命処置を迅速に行えば、1分ごとの救命率の低下を4%に抑え、10分後でも約60%の生存率を保つことが出来る。それに脳機能の損失は心停止後3~5分。その後遺症のリスクを減らすことにも繋がる。君の対応はそれ程大きな意味のあることだったんだ」
真剣な眼差しでじっと見つめられ、菜乃花は視線を逸らすことが出来ずにいた。
「加納さんの担当医としてお礼を言わせてくれ。本当にありがとう」
「いえ、こちらこそ。加納さんは何年も前から図書館に通って、私にも気さくに話しかけてくれる優しい方です。救急車の中で搬送先がなかなか決まらなかった時、とても不安でした。加納さんを受け入れて助けてくださって、本当にありがとうございました」
二人が互いに頭を下げるのを見届けると、有希が明るく笑った。
「さあ!ではでは、ここからは楽しくクリスマスパーティーを楽しみましょうか」
「そうだな。有希、たくさん料理作ったもんな」
「そうなの。菜乃花ちゃん、運ぶの手伝ってくれる?」
「はい!」
菜乃花も明るく笑って立ち上がった。
次々とテーブルに並べられた料理は、チキンやスープ、サラダにオードブルなど、どれもこれも手の込んだものばかりだった。
「凄いご馳走ですね!有希さん、とってもお料理上手」
「ふふ、ありがとう。楽しみで張り切っちゃったの」
「じゃあ早速乾杯するか!颯真がいいワイン持って来てくれたんだ」
だが、いざワイングラスに注ごうとすると、颯真は手で遮った。
「俺はいいよ」
「なんでだ?車なら、代行頼むか明日取りに来てもいいぞ」
「いや、呼び出しがあるかもしれないから」
「またそれか」
春樹が小さくため息をつく。
「颯真、お前この先も一生、一滴も酒を飲まないつもりなのか?非番の日まで気を張り詰めてたら持たないぞ」
「ごめん、なんか雰囲気悪くして」
「そうじゃなくて!」
すると有希が割って入る。
「じゃあ颯真先生は、可愛らしくシャンメリーね。はーい、ブドウ味ですよー」
そう言って颯真のグラスにコポコポと注ぐ。
「では皆様、グラスを持って。メリークリスマス!」
明るい有希の口調に、皆で、乾杯!とグラスを掲げた。
◇
「有希さん、先輩、今夜はありがとうございました」
「いいえー。菜乃花ちゃんとお話出来て、とっても楽しかったわ。また遊びに来てね!」
「はい、ありがとうございます」
マンションのエントランスで二人に挨拶していると、颯真が回してきた車がすぐ後ろに止まった。
菜乃花をマンションまで送ってくれるという。
「じゃあ、行こうか」
「はい。よろしくお願いします」
菜乃花は、颯真が開けてくれたドアから助手席に乗り込んだ。
「じゃあな、颯真。身体に気をつけろよ」
「ああ、ありがとう」
「またねー。颯真先生、菜乃花ちゃん」
ゆっくりと動き出した車の窓から、菜乃花は二人に笑顔で手を振った。
◇
走り出してしばらくすると、颯真はふと菜乃花の様子を横目で見る。
「とっても楽しかったですね」
そう言って笑う菜乃花は、なぜだか哀しげで儚くて…。
(前にもこんな表情を見たな。確か、披露宴の時だ)
春樹達の写真を見ながら、お似合いで素敵、と言いつつなぜか寂しそうに微笑んでいた。
颯真は、窓の外の景色を眺めている菜乃花にもう一度視線を向ける。
その横顔は思わず見とれてしまう程美しく、同時に胸が締めつけられるような切なさが伝わってきた。
(なぜだ?柔らかい表情なのに、どうしてこんなに胸が痛くなる?)
幸せそうにも見えるが、泣きそうにも見える。
不思議な感覚に囚われながら、颯真は当たり障りない話題を選んだ。
「えっと、中央図書館で働いてるんだっけ?公園の横にある大きな図書館?」
「はい、そうです」
「俺も時々行くよ」
「そうなんですか?」
「ああ。医学書や参考書とか、品揃えがいいから。医療雑誌なんかも、古い物も置いてあるだろう?」
「ええ。書庫にバックナンバーを保管してあります。調査研究用としての映像記録もありますよ。館内視聴のみですが」
「そうなんだ。それは何階?」
「地下1階です。医学関係の本なら4階ですけど」
「うん、いつも4階に行ってる。でも君があそこで働いてるなんて知らなかったな」
「私は主に絵本や子ども向けの図書の担当なので、いつも1階の奥にいることが多くて」
「そうか。そこは行ったことがないな」
「良かったらいつでも覗いてみてください」
「え、いい年の男が一人でふらっと行っても大丈夫?」
「もちろん。あ、でもやはり誰でも入れる施設なので、そういった防犯面では私達も目を光らせて気をつけてます」
「そうだろうな。迷子だけでなく、誘拐とかも?」
「ええ。それに盗撮とか」
「うわ!それは大変だ。その上この間みたいに、急に倒れる人もいて」
「はい。ですので、AEDの使い方や応急手当の講習はきちんと受けています」
「なるほど」
そんな話をしているうちに、イルミネーションが綺麗な繁華街に差し掛かった。
「わあ!なんて素敵なの…」
菜乃花は窓の外の景色に目を奪われている。
颯真はふと思いつき、左折して大通りに出ると、信号待ちの間に菜乃花に声をかけた。
「少し寒くなっても平気?」
「え?は、はい」
何のことかと首を傾げつつ菜乃花が頷くと、颯真はサンルーフのスイッチをオープンに入れた。
かすかな音と共に車の天井にガラス面が現れ、更に角度をつけてガラスが少し開いた。
「え、え、わあ!」
菜乃花は驚いて上を見上げる。
颯真はクスッと笑ってから、信号が青になるのを見て車を走らせ始めた。
「ひゃー!イルミネーションが真上に!!」
菜乃花は興奮して目を見張る。
「とっても綺麗…」
両サイドの並木道をキラキラと彩るイルミネーションの中を、ゆっくりと車で走り抜けていく。
菜乃花は思わず両手を組み、外の空気をヒンヤリと感じながら、聖なる夜の輝きにうっとりと見とれて微笑んだ。
(さっきとは別人だな)
ようやく菜乃花の本当の笑顔が見られたと、颯真も思わず笑みをもらした。
「鈴原さん!大丈夫だったかい?」
図書館に戻ると、谷川と館長が心配そうに尋ねてきた。
「はい、大丈夫です。加納さんの奥さんと娘さんもいらして、主治医の先生から説明も受けました。心筋梗塞だったみたいです。カテーテル治療をしてしばらく入院になりますが、後遺症などはあまりないだろうとのことでした」
「そうなのね!良かった…」
「ああ、ホッとしたよ」
菜乃花は改めて二人に頭を下げる。
「館長、谷川さん。あの時はありがとうございました」
「何言ってるのよ、菜乃花ちゃん。全部あなたのおかげよ」
「そうだよ、鈴原さん。君がいてくれて良かった」
「いえ、私一人では到底無理でした。本当に助かりました。あ、それと館長。AEDはドクターが解析するので加納さんの身体につけたまま搬送しました。新しいAEDの手配をお願い出来ますか?」
「ああ、分かった」
「それより菜乃花ちゃん、お昼食べた?」
谷川の言葉に菜乃花はふと時計を見る。
既に3時になろうとしていた。
「そう言えばまだ何も」
「早く食べてらっしゃい」
「そうだな。それに今日は疲れただろう。最低限のことだけやったらもう上がりなさい」
谷川と館長の言葉に菜乃花はありがたく休憩を取り、その日は定時で帰らせてもらった。
◇
次の日はオフで、菜乃花は朝からのんびりと部屋でくつろいでいた。
(そう言えば買い物もまだ行ってないままだったな。今日は21日だし、クリスマスらしい雑貨でも買いに行こう)
そう思いながらコーヒーを飲んでいると、またしても春樹から電話がかかってきた。
(ええ?どうしてなのよー。せっかく最近は先輩のことを思い出さなくなってたのに)
恨み節を言いながら電話に出る。
「もしもし」
「あ、菜乃花?いやー、お前なんだか面白いことになってるな」
は?と菜乃花は素っ頓狂な声で聞き返す。
「先輩、急に何のお話ですか?」
「いや、ほら、颯真だよ。またあいつから電話がきたんだ。で、おかしなこと言うからさ」
「おかしなこと?」
「そう。ナースの彼女に会いたい。住んでるマンションは知ってるけど、連絡先は知らないから伝えてくれってさ」
「ナースの彼女?って誰ですか?」
「お前のことらしいぞ」
「は?!どうして私がナースなんですか?」
「知らん。お前も心当たりないのか?いやー、面白いな。菜乃花、24日って仕事?」
「はい。17時までの早番です」
「そしたらさ、そのあとうちに来ないか?颯真も呼んでクリスマスパーティーでもしよう」
ええ?!と菜乃花は困った声色になる。
「なんだ?もしかして彼氏とデートだったか?」
「いえ、そういう訳では。でも先輩だって新婚さんなのに、奥様と二人でクリスマスイブを過ごしたいんじゃ…」
「有希がそうしようって言ってるんだ。俺と二人きりはもう飽きたらしい。あはは!」
「え、まさか、そんな」
「冗談だよ。有希もお前達の話が聞きたいらしい。何がどうなってるのか、颯真は詳しく話してくれないから、てんで想像つかなくてさ。あと、新婚旅行の土産も渡したいし」
「は、はあ」
楽しそうな春樹の口調に押され気味になる。
「な?みんなでわいわい楽しもうぜ。菜乃花、仕事終わったらうちに来いよ。あとで住所メッセージで送るから」
「は、はい。分かりました」
「じゃあな、楽しみにしてる」
「はい、よろしくお願いします」
通話を終えてしばし呆然とする。
(先輩の新居にお邪魔するなんて。どうしてこんなことに…。お願いだから、忘れさせてよー)
眉を八の字に下げて困った顔になる。
(仕方ない。ちょうど買い物に行くつもりだったし、手土産も選びに行こう)
コーヒーを飲み干すと、菜乃花は少しオシャレして街に出かけた。
◇
「よっ、早かったな。どうぞ」
「はい、お邪魔いたします…」
24日、仕事を終えたその足で菜乃花は春樹のマンションを訪れていた。
「失礼します…」
小さくなりながら春樹に続いてリビングに足を踏み入れると、ボブカットのスタイルの良い女性がにこやかに挨拶してくれる。
「こんばんは、有希です。いらしてくださってありがとう。さあ、どうぞ座って」
「はい、失礼いたします」
促されてソファの隅にちょこんと腰かける。
「あら、そんなすみっこに座らなくても。はい、紅茶はミルクでいいかしら?」
「あ、はい。ありがとうございます。それからこれ、よろしければどうぞ」
菜乃花は持って来た手土産を有希に手渡す。
「まあ、ありがとう。あ!この紙袋、ひょっとして『ロージーローズ』の?嬉しい!私、ここのお菓子大好きなの」
「そうなんですね、良かったです」
「このお店いつも並んでるから、買うの大変だったんじゃない?」
「いえ。平日の午前中に行ったので、空いてました」
「そっか。菜乃花さんって土日休みじゃないのね」
すると春樹が話に加わる。
「菜乃花、相変わらず休みの日は一人でゴロゴロしてるのか?」
「はい、基本的にはそうですね」
「おいおい、もっと休日を楽しんだらいいのに」
「春樹、それは人それぞれよ。疲れる相手とつまらないデートするより、一人の時間の方が楽しかったりするもの」
有希がそう言うと、春樹がギクリとした顔になる。
「有希、それって暗に俺のこと言ってる?」
「ん?まさか!そんな人と結婚する訳ないでしょ?昔の話よ」
「昔?って、つまり元カレってこと?」
「もう、春樹ったら。何をつまらないヤキモチ焼いてるの。ほら、菜乃花さんが持って来てくれたお菓子、いただきましょ!とっても美味しいんだから。ね?菜乃花さん」
「あ、は、はい」
菜乃花は、目の前で繰り広げられる春樹と有希の会話に顔が火照ってくる。
(なんだかとってもラブラブな雰囲気だな。私、お邪魔なだけなんじゃ…)
居心地が悪くなってきた時、春樹のスマートフォンが鳴った。
「お、颯真が着いたみたいだ。来客用の駐車場、案内してくるよ」
春樹がスマートフォンを片手に立ち上がり、部屋を出て行くと、菜乃花は有希と二人きりになる。
「ねえ、菜乃花さんって春樹の大学時代の後輩なんですってね」
「あ、はい。私が3年生でゼミに入った時、先輩は院の2年生でした」
「そうなのね。菜乃花さん、私よりも先に春樹と知り合ってたんだ。ね、どんな感じだった?学生の春樹って」
「え、ええ?そうですね、あの。頼れる先輩でした」
なんと答えていいか分からず、しどろもどろになる。
「えっと、有希さんは先輩と職場でお知り合いになったんですよね?」
結婚披露宴で紹介されていた二人のエピソードを思い出す。
春樹は公認心理師と臨床心理士の資格を持ち、病院で働いている。
そこでナースをしていた、同い年の有希と知り合ったという話だった。
「うん、そう。まあいわゆる職場結婚ってやつよね。だから大学時代の青春って感じに憧れちゃうの。私は看護学校でひたすら勉強してたけど、大学生って楽しそうだなって」
「あ、私も勉強ばかりで、たいした青春の思い出はないです」
「そうなの?でも春樹はあなたのことよく話すわよ。教授と緑茶飲みながら、延々と箱庭やってる女の子だったって」
ブッと思わず菜乃花は紅茶を吹きそうになる。
「そ、そんな。縁側で日向ぼっこするおばあさんみたいに…」
「そうなのよー。私もそんなイメージ持っててね。だから披露宴であなたを見て驚いちゃった。こんなに可愛らしい女の子だったのね!って」
いえいえ、そんな、と菜乃花は慌てて手で否定する。
「春樹はあんなこと言ってたけど、私は今のままのピュアな感じの菜乃花さんでいて欲しいな。焦って変な男とつき合ったりしないでね」
「そんな。私、おつき合いしたい人もいませんし」
「でもきっと、今に素敵な人が現れるわよ。菜乃花さんを大事にしてくれる人がね」
「あはは、どうでしょう」
「絶対いるって!」
「だといいですけど」
そんなことを話していると、玄関の開く音がして春樹と颯真がリビングに入って来た。
「お久しぶりです、颯真先生」
「こんばんは。お邪魔します」
有希に挨拶した後、颯真は菜乃花に目を向ける。
「こんばんは」
「こんばんは」
「会えて良かった。君に返したい物があって」
そう言って菜乃花に紙袋を差し出す。
「何でしょうか?」
怪訝な面持ちで受け取り、中を覗き込む。
「え?これ、あの時の?」
入っていたのはAEDだった。
「ああ。電極パッドも交換していつでも使えるようにしてあるから」
「そうなんですね!助かります。ありがとうございました」
「いや、礼を言うのはこちらの方だよ。本当にありがとう。君のおかげで加納さんは一命を取り留めた」
「あの、加納さんの容体は?」
「快方に向かってるよ。来月にはまた元の生活に戻れると思う」
「良かった!ありがとうございます」
菜乃花がホッとしたように笑顔で頭を下げると、春樹が二人を交互に見比べながら口を開く。
「なあ、お二人さん。一体、何がどうなってるんだ?」
ソファに4人で腰を下ろすと、菜乃花はあの日の出来事を詳しく話し出す。
「私が働いている図書館で、顔馴染みのおじいさんが突然倒れたんです」
「え?君、図書館で働いてるの?」
いきなり話の腰を折る颯真に、春樹は眉根を寄せる。
「颯真、お前の話はあと。菜乃花、それで?」
「あ、はい。すぐに駆け寄って声をかけたんですが、呼吸も心臓の動きもなくて。救急車とAEDを頼んで心臓マッサージを始めました。AEDの2回目のショックで心臓が動き始めて、そのまま救急車で搬送されたんです。私がつき添って、みなと医療センターに運ばれました。到着して救急車を降りたら…」
「そこに颯真がいたと」
「ええ。びっくりしました」
すると颯真がいよいよ身を乗り出してきた。
「いや、びっくりしたのはこっちだよ。君、ナースじゃないの?」
「はい、中央図書館に勤める司書です」
「司書?!でもあのメモは…」
「颯真、落ち着けよ。ドクターのお前が一番落ち着きないぞ」
春樹の言葉に、有希もクスッと笑う。
「ほんと。颯真先生、菜乃花ちゃんよりも年上なんだし。ねえ?菜乃花ちゃん」
「え、いや、あの」
返す言葉に困っていると、颯真が口を開いた。
「あの時、救急車を降りた彼女が俺にメモを渡したんだ」
そう言ってメモに書かれていた内容を二人に伝える。
「うわー、完璧。そこらの新人ナースよりもしっかりしてるわ」
有希が感心したように言うと、確かに、と春樹も頷く。
「だろ?患者の処置に当たってたドクター達はみんな、メモを書いたのはナースだと思い込んでたぞ。俺の指導医ですらな」
「なるほど。それでお前の中で菜乃花は『住まいは知ってるけど連絡先は知らないナースの彼女』って認識になった訳だ」
「あはは!なんだかおかしなことになってるのね」
有希が面白そうに笑い出す。
「じゃあ改めてお互い自己紹介したら?菜乃花ちゃんと颯真先生」
有希に交互に見つめられ、菜乃花と颯真は気まずそうにうつむく。
「あらやだ!お見合いみたいになっちゃった。春樹、仲人やる?」
「そうだな。それでは、えーゴホン!本日はお日柄も良く…」
「クリスマスイブに何言ってるのよ。それはいいから、先を早く」
「分かったって。えー、まずは颯真から。こちらは俺の高校時代の悪友、あ、いや、親友の宮瀬 颯真くんです。ご覧の通り容姿端麗、頭脳明晰、女の子の告白をバッサバッサと断り続け、泣かせた女子は数知れず…」
「春樹!それは余計よ」
「おっと失礼。とまあ、そんなイケメン男子は医学部に進学。卒業後初期研修を終え、現在は救急科専門医の資格を取るべく、専攻医としてみなと医療センターのERで働く28歳の独身。ここ数年は彼女も出来ませんが、非の打ちどころのない男であります」
「んー、ちょいちょい言葉のアラが目立つけどいいわ。じゃあ次、菜乃花ちゃんの紹介ね」
「はいよ。えー、こちらは俺の大学時代の後輩、えっと、名字は忘れましたが、菜乃花です。いやー、大学といえば花の女子大生。明るくキャピキャピとしたキャンパスライフを送るかと思いきや、菜乃花はいつも教授室にいて、俺と教授の茶飲み友達でもありました」
はーるーきー、と有希が鋭い視線を送る。
「こんなに可愛い菜乃花ちゃんの良さをもっとちゃんと伝えてよ」
あ、いえ、そんな、と菜乃花は小さく手で遮る。
「えー?菜乃花の良さ?うーん、何だろう」
「春樹!」
有希が更に春樹を睨む。
「いえ、あの、いいんです。私、本当に何の取り柄もないし、女子大生らしさもなく地味に暮らしてましたので」
「あはは!地味な暮らしまでは言わなくてもいいよ。でもそうだな、菜乃花は周りの女子みたいに軽く流されないところが長所かな。その場の雰囲気でホイホイ男について行ったりしないし」
「それはそうでしょうね。そんな菜乃花ちゃん、想像つかないわ」
「あとは、そうだな。とにかく真面目だったな。お前さ、なんで心理学の道そのまま進まなかったんだ?」
思わぬ話の流れに、菜乃花は、え…と戸惑う。
「お前なら絶対いい心理士になれたと思う。教授だって、お前はてっきり院に進むと思ってたから、驚いてたぞ」
「あ、その。それは…」
うつむいて言葉に詰まっていると、有希が明るく言った。
「そんな話はいいの!とにかく菜乃花ちゃんは、同性の私から見てもピュアなのがよく分かる。今どきこんなに純粋な女の子は珍しいわよ。うちの職場の女の子達なんてもう、コロコロ彼氏が変わるんだもの。ひと月ごとに違う子だっているのよ?もはやマンスリー彼氏」
「あはは!有希、上手いこと言うな」
つられて菜乃花や颯真も笑い出す。
「ほんとなんだから。どんなに現場が忙しくても、デートなのでお先に失礼しまーす!って帰って行くの。それなのにすぐ別れるのよ。もうガックリ。冷静なメモを残せる菜乃花ちゃんの方がよっぽどナースに向いてるわ」
「まさか、そんな」
「いや、本当に俺もそう思う」
ずっと黙っていた颯真が口を開いた。
「加納さんを助けたのは間違いなく君だ。心臓が停止すると、1分経過するごとに7~10%ずつ救命率が低下すると言われている。もし何もせずに救急車の到着だけを待っていたら、10分後にはほぼ助かる可能性がなくなってしまうんだ。いかに早く処置を開始するかが救命の鍵となる。胸骨圧迫とAEDの電気ショックによる適切な一次救命処置を迅速に行えば、1分ごとの救命率の低下を4%に抑え、10分後でも約60%の生存率を保つことが出来る。それに脳機能の損失は心停止後3~5分。その後遺症のリスクを減らすことにも繋がる。君の対応はそれ程大きな意味のあることだったんだ」
真剣な眼差しでじっと見つめられ、菜乃花は視線を逸らすことが出来ずにいた。
「加納さんの担当医としてお礼を言わせてくれ。本当にありがとう」
「いえ、こちらこそ。加納さんは何年も前から図書館に通って、私にも気さくに話しかけてくれる優しい方です。救急車の中で搬送先がなかなか決まらなかった時、とても不安でした。加納さんを受け入れて助けてくださって、本当にありがとうございました」
二人が互いに頭を下げるのを見届けると、有希が明るく笑った。
「さあ!ではでは、ここからは楽しくクリスマスパーティーを楽しみましょうか」
「そうだな。有希、たくさん料理作ったもんな」
「そうなの。菜乃花ちゃん、運ぶの手伝ってくれる?」
「はい!」
菜乃花も明るく笑って立ち上がった。
次々とテーブルに並べられた料理は、チキンやスープ、サラダにオードブルなど、どれもこれも手の込んだものばかりだった。
「凄いご馳走ですね!有希さん、とってもお料理上手」
「ふふ、ありがとう。楽しみで張り切っちゃったの」
「じゃあ早速乾杯するか!颯真がいいワイン持って来てくれたんだ」
だが、いざワイングラスに注ごうとすると、颯真は手で遮った。
「俺はいいよ」
「なんでだ?車なら、代行頼むか明日取りに来てもいいぞ」
「いや、呼び出しがあるかもしれないから」
「またそれか」
春樹が小さくため息をつく。
「颯真、お前この先も一生、一滴も酒を飲まないつもりなのか?非番の日まで気を張り詰めてたら持たないぞ」
「ごめん、なんか雰囲気悪くして」
「そうじゃなくて!」
すると有希が割って入る。
「じゃあ颯真先生は、可愛らしくシャンメリーね。はーい、ブドウ味ですよー」
そう言って颯真のグラスにコポコポと注ぐ。
「では皆様、グラスを持って。メリークリスマス!」
明るい有希の口調に、皆で、乾杯!とグラスを掲げた。
◇
「有希さん、先輩、今夜はありがとうございました」
「いいえー。菜乃花ちゃんとお話出来て、とっても楽しかったわ。また遊びに来てね!」
「はい、ありがとうございます」
マンションのエントランスで二人に挨拶していると、颯真が回してきた車がすぐ後ろに止まった。
菜乃花をマンションまで送ってくれるという。
「じゃあ、行こうか」
「はい。よろしくお願いします」
菜乃花は、颯真が開けてくれたドアから助手席に乗り込んだ。
「じゃあな、颯真。身体に気をつけろよ」
「ああ、ありがとう」
「またねー。颯真先生、菜乃花ちゃん」
ゆっくりと動き出した車の窓から、菜乃花は二人に笑顔で手を振った。
◇
走り出してしばらくすると、颯真はふと菜乃花の様子を横目で見る。
「とっても楽しかったですね」
そう言って笑う菜乃花は、なぜだか哀しげで儚くて…。
(前にもこんな表情を見たな。確か、披露宴の時だ)
春樹達の写真を見ながら、お似合いで素敵、と言いつつなぜか寂しそうに微笑んでいた。
颯真は、窓の外の景色を眺めている菜乃花にもう一度視線を向ける。
その横顔は思わず見とれてしまう程美しく、同時に胸が締めつけられるような切なさが伝わってきた。
(なぜだ?柔らかい表情なのに、どうしてこんなに胸が痛くなる?)
幸せそうにも見えるが、泣きそうにも見える。
不思議な感覚に囚われながら、颯真は当たり障りない話題を選んだ。
「えっと、中央図書館で働いてるんだっけ?公園の横にある大きな図書館?」
「はい、そうです」
「俺も時々行くよ」
「そうなんですか?」
「ああ。医学書や参考書とか、品揃えがいいから。医療雑誌なんかも、古い物も置いてあるだろう?」
「ええ。書庫にバックナンバーを保管してあります。調査研究用としての映像記録もありますよ。館内視聴のみですが」
「そうなんだ。それは何階?」
「地下1階です。医学関係の本なら4階ですけど」
「うん、いつも4階に行ってる。でも君があそこで働いてるなんて知らなかったな」
「私は主に絵本や子ども向けの図書の担当なので、いつも1階の奥にいることが多くて」
「そうか。そこは行ったことがないな」
「良かったらいつでも覗いてみてください」
「え、いい年の男が一人でふらっと行っても大丈夫?」
「もちろん。あ、でもやはり誰でも入れる施設なので、そういった防犯面では私達も目を光らせて気をつけてます」
「そうだろうな。迷子だけでなく、誘拐とかも?」
「ええ。それに盗撮とか」
「うわ!それは大変だ。その上この間みたいに、急に倒れる人もいて」
「はい。ですので、AEDの使い方や応急手当の講習はきちんと受けています」
「なるほど」
そんな話をしているうちに、イルミネーションが綺麗な繁華街に差し掛かった。
「わあ!なんて素敵なの…」
菜乃花は窓の外の景色に目を奪われている。
颯真はふと思いつき、左折して大通りに出ると、信号待ちの間に菜乃花に声をかけた。
「少し寒くなっても平気?」
「え?は、はい」
何のことかと首を傾げつつ菜乃花が頷くと、颯真はサンルーフのスイッチをオープンに入れた。
かすかな音と共に車の天井にガラス面が現れ、更に角度をつけてガラスが少し開いた。
「え、え、わあ!」
菜乃花は驚いて上を見上げる。
颯真はクスッと笑ってから、信号が青になるのを見て車を走らせ始めた。
「ひゃー!イルミネーションが真上に!!」
菜乃花は興奮して目を見張る。
「とっても綺麗…」
両サイドの並木道をキラキラと彩るイルミネーションの中を、ゆっくりと車で走り抜けていく。
菜乃花は思わず両手を組み、外の空気をヒンヤリと感じながら、聖なる夜の輝きにうっとりと見とれて微笑んだ。
(さっきとは別人だな)
ようやく菜乃花の本当の笑顔が見られたと、颯真も思わず笑みをもらした。
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