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思わぬ初体験
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翌朝。
ぼんやりと目を開けた美月は、時計を見て驚く。
「もう7時? 大変!」
ベッドを降りてリビングに向かうと、中から流暢な英語が聞こえてきた。
(あれ? アメリカとのオンラインミーティング、夜にやったんじゃなかったのかな?)
とにかく今は入ってはいけないと思い、先に洗面所で顔を洗って、身支度を整える。
もう一度リビングに向かい、そっとドアに耳を近づけていると、ガチャッと中からドアが開いた。
「わっ! びっくりした」
「あ、ごめん」
「いえ、こちらこそ。あの、ミーティングは終わりましたか?」
「ああ、今終わったところ。やっぱり気にしてくれてたんだ。どうぞ、入って」
「はい、失礼します」
夜とは違って朝日がたっぷり降り注ぐリビングは、明るく広々としている。
「コーヒーとトーストでいいかな?」
キッチンに向かう優吾に、美月もついて行った。
「私にやらせてください。よろしければ、卵料理をなにか作りましょうか?」
「え、いいの?」
「はい。オムレツか、スクランブルエッグか、だし巻き卵かポーチドエッグか」
「それは迷うな……。んー、今日はオムレツでお願いします」
「かしこまりました。チーズがあれば入れましょうか?」
「ございますとも、とろけるものが」
張り切って冷蔵庫を開ける優吾に、美月は、ふふっと笑った。
◇
トーストとコーヒーとチーズオムレツを食べながら、美月は優吾の予定を聞いてみる。
「雨宮さん、会社には何時に出社されるのですか?」
「そうだな……、今日は在宅ワークにしようと思う」
「え? そんなこと出来るのですか?」
「ああ。アメリカとのオンラインミーティングさえ参加すれば、それ以外はどこで仕事をしてもいいんだ。LAとのミーティングはさっき終わったから、あとは夜にニューヨークとミーティングすればいいだけだ」
なるほど、昨夜遅くのミーティングは、東海岸だったのかと美月は一人納得した。
「明日はクライアントとの打ち合わせがあるから出かけるけど、今日は出社する必要はない」
「そうなのですね。では私は、お掃除やお洗濯をさせてください。お食事も作りますから」
「いいよ、そんなの。好きなことしてて。と言っても、ここでは無理か」
そう言って優吾は、うーん、と腕を組む。
「車でちょっと遠くに買い出しに行くか。ろくな食料がないから」
「そうなのですね、分かりました。では雨宮さんの食べたいものをお作りします」
「おっ、嬉しいな。考えておくよ」
「はい!」
朝食を食べ終わると、ネットで注文していた服や化粧水などが届き、美月は早速ジーンズとカットソーに着替えて軽くメイクを整えた。
洗濯や掃除を済ませると、仕事が一段落した優吾も支度を整える。
「じゃあ行こうか」
「はい、よろしくお願いします」
部屋を出てエレベーターで地下の駐車場に向かう。
美月は何気なくエレベーターの階数表示を見て驚いた。
数字の横にさり気なく、ラウンジやプール、ジムやコンビニエンスストア、展望デッキなどと書かれている。
「あの、ここってマンションですよね? こんなに色々施設があるのですか?」
「ん? ああ、共用スペースがね。ちょっと見てみるか?」
そう言って優吾は、3階のボタンを押した。
スーッと音もなく下がるエレベーターが、ポンと音を立てて開くと、目の前に広がる光景に美月は息を呑む。
「すごい……、ヤシの木?」
パームツリーが高くそびえ立ち、まるで南国のリゾートホテルのようなラウンジが広がっていた。
ゆったりとした空間に水路が張り巡らさせ、サラサラと音を立てて水が流れている。
革張りのソファが所々に置いてあり、のんびり読書をしている人がいた。
更にその奥には、バーカウンターのようなものが見える。
「このラウンジは入居者専用で、朝はモーニング、昼はランチとアフタヌーンティー、夜はバーになるんだ」
「そうなのですね。すごい」
「吹き抜けの上の階はワークスペースになっていて、テレワーク用の個室もある。図書室やオーディオルームもあって、映画を大画面とスピーカーで楽しめるよ。その上はプールとジム。最上階には展望デッキとパーティールーム。あとは1階のガーデンの奥にコンビニとクリニックと、他にはなにがあったかな……」
「も、もう、お腹いっぱいでございます」
「ははは! 明日にでもゆっくり見て回るといい。さてと、駐車場に行くか」
「はい」
再びエレベーターに乗り、地下駐車場に下りた。
駐車場は普通だなと思っていると、ズラリと並んだ高級車にまたしても美月は驚く。
優吾は真っ白な高級スポーツカーに近づき、ピッとロックを解除した。
「どうぞ、乗って」
「は、はい。失礼いたします。あの、やはり土足厳禁でしょうか?」
「は? そんな訳あるか」
「では正座した方が?」
「いや、危ないわ!」
そう言うと優吾は、美月の左手を取る。
「えっ、その心は?」
「ぶっ! いちいち面白いな。車高が低いから、乗りにくいと思って」
「左様でございましたか、失礼いたしました」
ようやく美月は、優吾の手を借りて助手席に乗り込む。
言われた通り、かなり低く身体が沈んだ。
「ドア閉めるよ」
「はい」
優吾は両手でドアを丁寧に閉めると、運転席に回ってエンジンをかけた。
ブオンというエンジン音に、美月はわくわくと身を乗り出す。
優吾はギアを操作して車を進め、リモコンでゲートを開けた。
スロープを上り始めると、美月は目を輝かせて優吾に笑いかける。
「すごい! まるでアトラクションですね」
「いや、水しぶきの中に落ちたりしないから」
「わあ、お風呂に浸かってるみたいな体勢で、空に向かって登ってる」
「……どういうこと?」
眉根を寄せながら慣れた手つきで運転する優吾の隣で、美月は終始はしゃいでいた。
「高速道路のカーブも、吸い付くみたいになめらかですね。……って、え? 雨宮さん、高速に乗ってどちらに向かってるんですか?」
ようやく我に返った美月が尋ねる。
「ちょっとドライブがてらね。まあ、着いてからのお楽しみ」
「はい! どこなんでしょうね、わくわくしますね」
「いや、俺は分かってるから」
優吾の言葉も耳に入らず、子どものように無邪気に窓の外を見つめる美月に、優吾はクスッと笑みをもらしてから、スピードを上げた。
◇
「着いたよ」
1時間ほど走ってから、高速道路を降りてすぐの場所に優吾は車を停めた。
「ここって、道の駅、ですか?」
「そう。新鮮な野菜や果物や魚とか、この土地の採れたてのものを売ってるんだ。さすがにここには、君を追いかけて来る人はいないだろう?」
「そうですね。私も意表を突かれました」
感心していると、運転席を降りた優吾が助手席に回ってドアを開け、手を差し伸べる。
「どうぞ」
「介助いただき、ありがとうございます」
「……君っていくつなの?」
「突然の年齢確認ですか? 現在は24歳、今年で満25を迎えます」
「稀に見る24だな」
優吾の手を借りて車を降りると、美月は辺りを見回した。
のどかな田園風景が広がり、空気が新鮮に感じられる。
思わず深呼吸してから、優吾に続いて建物に向かった。
「まあ、なんて立派な大根でしょう。これが1本98円? 信じられません。こちらのにんじんも、こんなに艷やかで美味しそうなのに、なんと3本120円!」
え、テレビのリポーター?と、前にいた人が振り返る。
「大きなナスに、みょうがにオクラ! 今の季節にぴったりの夏野菜。これはもう、買うしかありません」
するとねじり鉢巻を頭に巻いた店員のおじさんが、次々と野菜を袋に入れ始めた。
「おう、姉ちゃん。じゃんじゃん買ってよ。おまけするよー。あとこれ、流しそうめんの参加券。そこの広場でやってるから、彼氏と一緒に寄って行きな」
「流しそうめん!? なんてことでしょう。わたくし、初体験です!」
「おお、良かったな。やって来い、初体験」
優吾は恥ずかしさに居たたまれなくなり、ササッと会計を済ませて袋を受け取ると、美月の手を引いて広場に向かった。
「これはっ、大きい!」
背丈を軽く超える高さに組まれた竹の流し台を、美月は両手を組んで見上げる。
「初めてなのに、こんなにもご立派なものを体験出来るなんて」
「いいから、ほら。受付しよう」
人目を気にして、優吾は美月をそそくさと受付に促した。
「こちらがお椀とお箸です。そうめんをすくう時は、備え付けの菜箸を使って、お好きな場所ですくってくださいね。麺つゆと薬味もおかわり自由です」
「ありがとうございます。いざ、参ります」
美月は右手に菜箸、左手にお椀を持つと、目の高さの位置の竹に近づき、流れ落ちてくるそうめんを待ち受ける。
「来ましたよ、雨宮さん!」
「そうだな」
滑り台を滑るように流れてきたそうめんを、美月は菜箸でサッとすくった。
「わあ、取れました!」
「良かったな」
冷静に答えていた優吾も、いざやってみるとテンションが上がる。
「おお、なかなか楽しい」
「でしょう? あ、雨宮さんずるい! 背が高いから、全部取られちゃう」
本気で頬をふくらませる美月に苦笑いして、優吾は立ち位置を変えた。
「これでよろしいですか?」
「結構ですわ。全部私が堰き止めてみせますからね。いざ、勝負!」
「はいはい」
そうめんを狙う真剣な眼差しの美月に、優吾は思わず頬を緩めた。
◇
「はあ、最高です」
搾りたてミルクのソフトクリームを食べながら、足湯に浸かり、美月は満面の笑みを浮かべる。
「空は青いし、空気も澄んで風も穏やか。足湯は気持ちいいし、大自然を感じながら味わうソフトクリームは絶品です!」
「……動画配信でもしてる?」
「え? なにかおっしゃいましたか?」
「いや、なにも。楽しそうでなによりです」
すると美月は、神妙な面持ちで優吾に頭を下げた。
「ありがとうございます、雨宮さん。私の為に、こんなところまで連れて来てくださって」
「俺もいい気分転換になったよ。ドライブなんて、久しぶりだな」
「そうですか。それで、あの。ずっと気になっていたのですが……」
「なに?」
言いにくそうに口ごもってから、美月は顔を上げる。
「その……、私、雨宮さんの恋路を邪魔するような真似は、しておりませんでしょうか?」
「恋路の、邪魔?」
優吾は首をひねりながら聞き返した。
「どういう意味?」
「ですから、こんなふうに二人で出かけたり、更にはお部屋に泊めていただくなんてことまで……。お相手の方になんとお詫びをすればいいのかと」
「ああ、そういうことか。ご心配なく。相手がいたら、俺もさすがにこんなことはしない」
「えっ? では雨宮さん、今はフリーだとおっしゃるのですか? 雨宮さんのような方が、今はフリーだと?」
「……なんで2回言った?」
「大事なことなので」
真面目なのかウケ狙いなのか。
優吾はもはや、美月にペースを乱されるばかりだった。
◇
道の駅で海鮮丼を食べてから、二人は優吾のマンションに戻って来た。
「雨宮さん、運転ありがとうございました。今コーヒーを淹れますね」
「ありがとう」
優吾はダイニングテーブルでパソコンを広げて、仕事を始める。
美月は優吾の前にコーヒーカップを置くと、買ってきた食材で早速料理を始めた。
和食がいいという優吾のリクエストで、美月はナスの揚げ浸しやオクラの酢の物、夏野菜の天ぷらなどを次々と作る。
「すごいご馳走だな」
「地味な家庭料理ですよ?」
「いや、すごく豪華だよ。いただきます」
買ってきた採れたての野菜はどれも美味しく、優吾は綺麗に平らげた。
食後のお茶をのんびり味わっていると、優吾と美月のスマートフォンが同時に鳴り始めて驚く。
「びっくりした。光太郎か」
「私は美空からです」
表示を確かめてから、それぞれ電話に出た。
「もしもし、光太郎?」
『優吾、お前今うちか? 誰と一緒だ?』
「なんだよ、急に」
『そらちゃんから連絡あったんだ。お姉ちゃんが誰かのうちに泊めてもらってるらしいけど、見当がつかないって。で、俺はピンと来た訳さ。滅多にテレワークしない優吾が、なんでまた今日に限って在宅してるのか。だからそらちゃんに言ったんだ。お姉ちゃん、優吾のところじゃないかって。どうだ? 正解だっただろ』
「……なんで決めつけるんだよ」
『だって俺、今そらちゃんと一緒にいるからさ。つきちゃん、そらちゃんと電話してるだろ? 声が聞こえるもんね』
優吾がチラリと横目で様子を伺うと、美月はスマートフォンを握りしめて「だからね、美空。これには事情があって……」と話している。
『はい、隠しても無駄ですよー。説明してもらおうじゃないの』
光太郎の言葉に、優吾は小さくため息をついた。
「だから、これと言って説明することはない。たまたまカフェで会って、事情を聞いたからには放っておく訳にはいかなかった。大体、つきちゃんってなんだ。なんでお前がそんな親しげに呼ぶ?」
『単に美空と美月が間違いやすいからだけど。おやおや、もうヤキモチですか?』
「違うわ!」
『硬派のお前が自分の部屋に女の子上げるなんて、一度も聞いたことないけど?』
「だから、人助けだってば」
『人助けねえ。まあ、いいや。明日クライアント訪問のあと、オフィスに顔出すだろ? 待ってるからな。じゃ』
「待たんでいい……あ、おい!」
そこでプツリと通話は切れた。
美月も電話を終え、申し訳なさそうに頭を下げる。
「すみません、雨宮さん。美空が光太郎さんに話をしたらしくて……。私が雨宮さんのところでこうしてお世話になっているのがバレてしまって」
「いや、別に隠すことでもないから構わない。それにしても、いつの間にあの二人?」
「そうですよね。どうやら頻繁に連絡を取っていたみたいです」
「光太郎は押しが強いからな。大丈夫か? 美空ちゃん」
「美空の方こそグイグイ迫るタイプなので、光太郎さんのご迷惑になっていないか心配です」
「それはない。けど、あいつは俺と同じ28だぞ。美空ちゃんから見ればオジサンだろ?」
「そんなことないですよ。美空は好みのタイプでなければ、連絡なんてしないですから。それにあの子も今年で22歳になりますし。それで、あの、申し上げにくいのですが……」
視線を落とす美月に、優吾は「ん? なに」と先を促す。
「はい、実は私は美空と二人暮らしなのですが、こういう状況ですので、美空にもマンションには帰らず、横須賀の実家から通うようにと言ってあったのです。それなのにこんな夜更けに光太郎さんと一緒にいるなんて、もしや……」
ああ、と優吾も顔をしかめた。
「あいつ、人のことばかり言って自分のことは棚に上げたな。明日、俺から言っておく。すまない。軽い気持ちで女の子に手を出すようなやつじゃないけど、美空ちゃんはまだ学生だもんな」
「いえ、美空こそご迷惑をおかけしているかもしれません。姉妹揃って申し訳ありません」
「気にしなくていい。さてと、君はそろそろ休んだ方がいい」
「あっ、オンラインミーティングですね。はい、私はお部屋に戻らせていただきます。雨宮さん、もしよろしければ夜食にでもどうぞ」
美月は小皿のおつまみとお茶漬けを用意すると、トレイに載せてテーブルに置く。
「ありがとう、いただくよ」
「はい。それではお先に失礼します」
「ああ、おやすみ」
美月は「おやすみなさい」と笑顔で答えてから、リビングをあとにした。
ぼんやりと目を開けた美月は、時計を見て驚く。
「もう7時? 大変!」
ベッドを降りてリビングに向かうと、中から流暢な英語が聞こえてきた。
(あれ? アメリカとのオンラインミーティング、夜にやったんじゃなかったのかな?)
とにかく今は入ってはいけないと思い、先に洗面所で顔を洗って、身支度を整える。
もう一度リビングに向かい、そっとドアに耳を近づけていると、ガチャッと中からドアが開いた。
「わっ! びっくりした」
「あ、ごめん」
「いえ、こちらこそ。あの、ミーティングは終わりましたか?」
「ああ、今終わったところ。やっぱり気にしてくれてたんだ。どうぞ、入って」
「はい、失礼します」
夜とは違って朝日がたっぷり降り注ぐリビングは、明るく広々としている。
「コーヒーとトーストでいいかな?」
キッチンに向かう優吾に、美月もついて行った。
「私にやらせてください。よろしければ、卵料理をなにか作りましょうか?」
「え、いいの?」
「はい。オムレツか、スクランブルエッグか、だし巻き卵かポーチドエッグか」
「それは迷うな……。んー、今日はオムレツでお願いします」
「かしこまりました。チーズがあれば入れましょうか?」
「ございますとも、とろけるものが」
張り切って冷蔵庫を開ける優吾に、美月は、ふふっと笑った。
◇
トーストとコーヒーとチーズオムレツを食べながら、美月は優吾の予定を聞いてみる。
「雨宮さん、会社には何時に出社されるのですか?」
「そうだな……、今日は在宅ワークにしようと思う」
「え? そんなこと出来るのですか?」
「ああ。アメリカとのオンラインミーティングさえ参加すれば、それ以外はどこで仕事をしてもいいんだ。LAとのミーティングはさっき終わったから、あとは夜にニューヨークとミーティングすればいいだけだ」
なるほど、昨夜遅くのミーティングは、東海岸だったのかと美月は一人納得した。
「明日はクライアントとの打ち合わせがあるから出かけるけど、今日は出社する必要はない」
「そうなのですね。では私は、お掃除やお洗濯をさせてください。お食事も作りますから」
「いいよ、そんなの。好きなことしてて。と言っても、ここでは無理か」
そう言って優吾は、うーん、と腕を組む。
「車でちょっと遠くに買い出しに行くか。ろくな食料がないから」
「そうなのですね、分かりました。では雨宮さんの食べたいものをお作りします」
「おっ、嬉しいな。考えておくよ」
「はい!」
朝食を食べ終わると、ネットで注文していた服や化粧水などが届き、美月は早速ジーンズとカットソーに着替えて軽くメイクを整えた。
洗濯や掃除を済ませると、仕事が一段落した優吾も支度を整える。
「じゃあ行こうか」
「はい、よろしくお願いします」
部屋を出てエレベーターで地下の駐車場に向かう。
美月は何気なくエレベーターの階数表示を見て驚いた。
数字の横にさり気なく、ラウンジやプール、ジムやコンビニエンスストア、展望デッキなどと書かれている。
「あの、ここってマンションですよね? こんなに色々施設があるのですか?」
「ん? ああ、共用スペースがね。ちょっと見てみるか?」
そう言って優吾は、3階のボタンを押した。
スーッと音もなく下がるエレベーターが、ポンと音を立てて開くと、目の前に広がる光景に美月は息を呑む。
「すごい……、ヤシの木?」
パームツリーが高くそびえ立ち、まるで南国のリゾートホテルのようなラウンジが広がっていた。
ゆったりとした空間に水路が張り巡らさせ、サラサラと音を立てて水が流れている。
革張りのソファが所々に置いてあり、のんびり読書をしている人がいた。
更にその奥には、バーカウンターのようなものが見える。
「このラウンジは入居者専用で、朝はモーニング、昼はランチとアフタヌーンティー、夜はバーになるんだ」
「そうなのですね。すごい」
「吹き抜けの上の階はワークスペースになっていて、テレワーク用の個室もある。図書室やオーディオルームもあって、映画を大画面とスピーカーで楽しめるよ。その上はプールとジム。最上階には展望デッキとパーティールーム。あとは1階のガーデンの奥にコンビニとクリニックと、他にはなにがあったかな……」
「も、もう、お腹いっぱいでございます」
「ははは! 明日にでもゆっくり見て回るといい。さてと、駐車場に行くか」
「はい」
再びエレベーターに乗り、地下駐車場に下りた。
駐車場は普通だなと思っていると、ズラリと並んだ高級車にまたしても美月は驚く。
優吾は真っ白な高級スポーツカーに近づき、ピッとロックを解除した。
「どうぞ、乗って」
「は、はい。失礼いたします。あの、やはり土足厳禁でしょうか?」
「は? そんな訳あるか」
「では正座した方が?」
「いや、危ないわ!」
そう言うと優吾は、美月の左手を取る。
「えっ、その心は?」
「ぶっ! いちいち面白いな。車高が低いから、乗りにくいと思って」
「左様でございましたか、失礼いたしました」
ようやく美月は、優吾の手を借りて助手席に乗り込む。
言われた通り、かなり低く身体が沈んだ。
「ドア閉めるよ」
「はい」
優吾は両手でドアを丁寧に閉めると、運転席に回ってエンジンをかけた。
ブオンというエンジン音に、美月はわくわくと身を乗り出す。
優吾はギアを操作して車を進め、リモコンでゲートを開けた。
スロープを上り始めると、美月は目を輝かせて優吾に笑いかける。
「すごい! まるでアトラクションですね」
「いや、水しぶきの中に落ちたりしないから」
「わあ、お風呂に浸かってるみたいな体勢で、空に向かって登ってる」
「……どういうこと?」
眉根を寄せながら慣れた手つきで運転する優吾の隣で、美月は終始はしゃいでいた。
「高速道路のカーブも、吸い付くみたいになめらかですね。……って、え? 雨宮さん、高速に乗ってどちらに向かってるんですか?」
ようやく我に返った美月が尋ねる。
「ちょっとドライブがてらね。まあ、着いてからのお楽しみ」
「はい! どこなんでしょうね、わくわくしますね」
「いや、俺は分かってるから」
優吾の言葉も耳に入らず、子どものように無邪気に窓の外を見つめる美月に、優吾はクスッと笑みをもらしてから、スピードを上げた。
◇
「着いたよ」
1時間ほど走ってから、高速道路を降りてすぐの場所に優吾は車を停めた。
「ここって、道の駅、ですか?」
「そう。新鮮な野菜や果物や魚とか、この土地の採れたてのものを売ってるんだ。さすがにここには、君を追いかけて来る人はいないだろう?」
「そうですね。私も意表を突かれました」
感心していると、運転席を降りた優吾が助手席に回ってドアを開け、手を差し伸べる。
「どうぞ」
「介助いただき、ありがとうございます」
「……君っていくつなの?」
「突然の年齢確認ですか? 現在は24歳、今年で満25を迎えます」
「稀に見る24だな」
優吾の手を借りて車を降りると、美月は辺りを見回した。
のどかな田園風景が広がり、空気が新鮮に感じられる。
思わず深呼吸してから、優吾に続いて建物に向かった。
「まあ、なんて立派な大根でしょう。これが1本98円? 信じられません。こちらのにんじんも、こんなに艷やかで美味しそうなのに、なんと3本120円!」
え、テレビのリポーター?と、前にいた人が振り返る。
「大きなナスに、みょうがにオクラ! 今の季節にぴったりの夏野菜。これはもう、買うしかありません」
するとねじり鉢巻を頭に巻いた店員のおじさんが、次々と野菜を袋に入れ始めた。
「おう、姉ちゃん。じゃんじゃん買ってよ。おまけするよー。あとこれ、流しそうめんの参加券。そこの広場でやってるから、彼氏と一緒に寄って行きな」
「流しそうめん!? なんてことでしょう。わたくし、初体験です!」
「おお、良かったな。やって来い、初体験」
優吾は恥ずかしさに居たたまれなくなり、ササッと会計を済ませて袋を受け取ると、美月の手を引いて広場に向かった。
「これはっ、大きい!」
背丈を軽く超える高さに組まれた竹の流し台を、美月は両手を組んで見上げる。
「初めてなのに、こんなにもご立派なものを体験出来るなんて」
「いいから、ほら。受付しよう」
人目を気にして、優吾は美月をそそくさと受付に促した。
「こちらがお椀とお箸です。そうめんをすくう時は、備え付けの菜箸を使って、お好きな場所ですくってくださいね。麺つゆと薬味もおかわり自由です」
「ありがとうございます。いざ、参ります」
美月は右手に菜箸、左手にお椀を持つと、目の高さの位置の竹に近づき、流れ落ちてくるそうめんを待ち受ける。
「来ましたよ、雨宮さん!」
「そうだな」
滑り台を滑るように流れてきたそうめんを、美月は菜箸でサッとすくった。
「わあ、取れました!」
「良かったな」
冷静に答えていた優吾も、いざやってみるとテンションが上がる。
「おお、なかなか楽しい」
「でしょう? あ、雨宮さんずるい! 背が高いから、全部取られちゃう」
本気で頬をふくらませる美月に苦笑いして、優吾は立ち位置を変えた。
「これでよろしいですか?」
「結構ですわ。全部私が堰き止めてみせますからね。いざ、勝負!」
「はいはい」
そうめんを狙う真剣な眼差しの美月に、優吾は思わず頬を緩めた。
◇
「はあ、最高です」
搾りたてミルクのソフトクリームを食べながら、足湯に浸かり、美月は満面の笑みを浮かべる。
「空は青いし、空気も澄んで風も穏やか。足湯は気持ちいいし、大自然を感じながら味わうソフトクリームは絶品です!」
「……動画配信でもしてる?」
「え? なにかおっしゃいましたか?」
「いや、なにも。楽しそうでなによりです」
すると美月は、神妙な面持ちで優吾に頭を下げた。
「ありがとうございます、雨宮さん。私の為に、こんなところまで連れて来てくださって」
「俺もいい気分転換になったよ。ドライブなんて、久しぶりだな」
「そうですか。それで、あの。ずっと気になっていたのですが……」
「なに?」
言いにくそうに口ごもってから、美月は顔を上げる。
「その……、私、雨宮さんの恋路を邪魔するような真似は、しておりませんでしょうか?」
「恋路の、邪魔?」
優吾は首をひねりながら聞き返した。
「どういう意味?」
「ですから、こんなふうに二人で出かけたり、更にはお部屋に泊めていただくなんてことまで……。お相手の方になんとお詫びをすればいいのかと」
「ああ、そういうことか。ご心配なく。相手がいたら、俺もさすがにこんなことはしない」
「えっ? では雨宮さん、今はフリーだとおっしゃるのですか? 雨宮さんのような方が、今はフリーだと?」
「……なんで2回言った?」
「大事なことなので」
真面目なのかウケ狙いなのか。
優吾はもはや、美月にペースを乱されるばかりだった。
◇
道の駅で海鮮丼を食べてから、二人は優吾のマンションに戻って来た。
「雨宮さん、運転ありがとうございました。今コーヒーを淹れますね」
「ありがとう」
優吾はダイニングテーブルでパソコンを広げて、仕事を始める。
美月は優吾の前にコーヒーカップを置くと、買ってきた食材で早速料理を始めた。
和食がいいという優吾のリクエストで、美月はナスの揚げ浸しやオクラの酢の物、夏野菜の天ぷらなどを次々と作る。
「すごいご馳走だな」
「地味な家庭料理ですよ?」
「いや、すごく豪華だよ。いただきます」
買ってきた採れたての野菜はどれも美味しく、優吾は綺麗に平らげた。
食後のお茶をのんびり味わっていると、優吾と美月のスマートフォンが同時に鳴り始めて驚く。
「びっくりした。光太郎か」
「私は美空からです」
表示を確かめてから、それぞれ電話に出た。
「もしもし、光太郎?」
『優吾、お前今うちか? 誰と一緒だ?』
「なんだよ、急に」
『そらちゃんから連絡あったんだ。お姉ちゃんが誰かのうちに泊めてもらってるらしいけど、見当がつかないって。で、俺はピンと来た訳さ。滅多にテレワークしない優吾が、なんでまた今日に限って在宅してるのか。だからそらちゃんに言ったんだ。お姉ちゃん、優吾のところじゃないかって。どうだ? 正解だっただろ』
「……なんで決めつけるんだよ」
『だって俺、今そらちゃんと一緒にいるからさ。つきちゃん、そらちゃんと電話してるだろ? 声が聞こえるもんね』
優吾がチラリと横目で様子を伺うと、美月はスマートフォンを握りしめて「だからね、美空。これには事情があって……」と話している。
『はい、隠しても無駄ですよー。説明してもらおうじゃないの』
光太郎の言葉に、優吾は小さくため息をついた。
「だから、これと言って説明することはない。たまたまカフェで会って、事情を聞いたからには放っておく訳にはいかなかった。大体、つきちゃんってなんだ。なんでお前がそんな親しげに呼ぶ?」
『単に美空と美月が間違いやすいからだけど。おやおや、もうヤキモチですか?』
「違うわ!」
『硬派のお前が自分の部屋に女の子上げるなんて、一度も聞いたことないけど?』
「だから、人助けだってば」
『人助けねえ。まあ、いいや。明日クライアント訪問のあと、オフィスに顔出すだろ? 待ってるからな。じゃ』
「待たんでいい……あ、おい!」
そこでプツリと通話は切れた。
美月も電話を終え、申し訳なさそうに頭を下げる。
「すみません、雨宮さん。美空が光太郎さんに話をしたらしくて……。私が雨宮さんのところでこうしてお世話になっているのがバレてしまって」
「いや、別に隠すことでもないから構わない。それにしても、いつの間にあの二人?」
「そうですよね。どうやら頻繁に連絡を取っていたみたいです」
「光太郎は押しが強いからな。大丈夫か? 美空ちゃん」
「美空の方こそグイグイ迫るタイプなので、光太郎さんのご迷惑になっていないか心配です」
「それはない。けど、あいつは俺と同じ28だぞ。美空ちゃんから見ればオジサンだろ?」
「そんなことないですよ。美空は好みのタイプでなければ、連絡なんてしないですから。それにあの子も今年で22歳になりますし。それで、あの、申し上げにくいのですが……」
視線を落とす美月に、優吾は「ん? なに」と先を促す。
「はい、実は私は美空と二人暮らしなのですが、こういう状況ですので、美空にもマンションには帰らず、横須賀の実家から通うようにと言ってあったのです。それなのにこんな夜更けに光太郎さんと一緒にいるなんて、もしや……」
ああ、と優吾も顔をしかめた。
「あいつ、人のことばかり言って自分のことは棚に上げたな。明日、俺から言っておく。すまない。軽い気持ちで女の子に手を出すようなやつじゃないけど、美空ちゃんはまだ学生だもんな」
「いえ、美空こそご迷惑をおかけしているかもしれません。姉妹揃って申し訳ありません」
「気にしなくていい。さてと、君はそろそろ休んだ方がいい」
「あっ、オンラインミーティングですね。はい、私はお部屋に戻らせていただきます。雨宮さん、もしよろしければ夜食にでもどうぞ」
美月は小皿のおつまみとお茶漬けを用意すると、トレイに載せてテーブルに置く。
「ありがとう、いただくよ」
「はい。それではお先に失礼します」
「ああ、おやすみ」
美月は「おやすみなさい」と笑顔で答えてから、リビングをあとにした。
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