優しい雨が降る夜は

葉月 まい

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夢と現実

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その日の仕事を終えてマンションに戻った美月は、そそくさと靴を脱ぎ、ソファに座った。

スマートフォンを取り出すと、今朝優吾と交換したばかりの連絡先を表示する。

(えっと、まずはお詫びと……)

そう思いながらメッセージを打ち始めると、ガチャッと部屋のドアが開いて美空が声をかけてきた。

「お帰り、お姉ちゃん。聞いた? 優吾さん、会社で倒れたらしいよ」  

えっ!と、美月は驚いて顔を上げる。

「雨宮さんが? それ、ほんとなの?」
「うん。さっきこうちゃんから連絡あったの。優吾さん、オフィスでオンラインミーティングが終わって立ち上がったら、そのままふらっとよろけて倒れ込んだみたい。熱が高くて、今こうちゃんがタクシーでマンションまで送り届けてるところなんだって」
「熱が!? そんな、私のせいだわ」  

美月は立ち上がると、バッグを掴んで玄関に戻る。 

「お姉ちゃん! どこ行くの?」
「雨宮さんのマンション。熱が出たのは私のせいなの」
「待って、私も行く」
「美空はうちにいて」

そう言ったが、エントランスでタクシーを待つ間に美空も下りてきた。

「私も一緒に行く。お姉ちゃんが心配だもん」
「……ありがとう、美空」

二人でタクシーに乗り、優吾のマンションに向かった。



美空がタクシーの中で光太郎に連絡し、到着した二人を光太郎が出迎えた。

「そら、つきちゃんも。悪いね、わざわざ来てもらって」
「いいえ。それより雨宮さんは!?」
「とりあえず寝室に寝かせたところ。熱がかなり高い。ひと晩ゆっくり寝かせて、明日病院に連れて行こうかと思って」 
「でしたら、私にやらせてください」

美月は光太郎に訴える。

「私のせいなんです。夕べ雨宮さんは私をマンションまで送ってくださって、きちんと身体を休められなかったから」
「いや、単に働きすぎだったからだと思うよ。あいつここのところ、色んな案件抱えて忙しそうだったから」
「それなら尚更、寝不足の状態でお仕事に行かせてしまった私が悪いのです。お願いします、どうか私に看病させてください」
「それはいいけど……。逆につきちゃんが倒れたりしない?」
「しません! 丈夫なだけが取り柄ですし、仕事も明日から2連休なんです」

でも……、と光太郎は、尋ねるように美空に視線を移した。

「こうちゃん、お姉ちゃんにやらせてあげて。その方がお姉ちゃんも嬉しいから」
「そうか、分かった。じゃあお願いするよ、つきちゃん。なにかあったらいつでも連絡して。優吾の仕事は、俺が代わりにこなしておく」

美月はしっかりと頷いてみせる。

「はい、ありがとうございます」
「それじゃあ、よろしく」

二人を見送ると、美月は急いで寝室に向かった。



(本当だわ、すごい熱)

ぐったりとベッドに横たわる優吾の額に手を当てて、あまりの熱さに美月は驚く。

(夕べ、ちゃんと寝られなかったせいでこんなことに……)

申し訳なさに唇を噛みしめてから立ち上がり、寝室を出ると、氷水やタオル、ミネラルウォーターを用意して寝室に戻った。

氷水で冷やしたタオルを、そっと額に載せる。

優吾は一瞬顔をしかめてから、ふうと息を吐いた。

美月はタオルをもう一枚氷水に浸して絞ると、優吾のワイシャツのボタンを2つ外して、首元の汗を拭う。

苦しそうに荒い呼吸を繰り返す優吾に、美月は心配でたまらなくなった。

体温計がどこにあるのか分からず、測ることは出来ないが、38℃はあるのではないかと思う。

(どうしよう、薬は? この時間なら、売ってるところもないし)

明日、朝一番でマンション内のクリニックに連れて行くつもりだが、それまでに悪化したらと気が気でなかった。

(お願い、どうか熱が下がりますように)

何度もタオルを冷やし直し、美月は祈るように優吾のそばで看病し続けた。



どれくらいの時間が経ったのだろう。

タオルを冷やし直して額に載せた時、優吾が
苦しそうに胸元に右手を伸ばした。

「雨宮さん、大丈夫ですか?」

美月がその手を両手で握って声をかけると、優吾はゆっくりと目を開ける。

視線を彷徨わせ、美月と目が合うと、かすれた声で呟いた。

「……どうした?」
「えっ?」
「なぜ泣いてる?」

なんのことかと思った次の瞬間、美月の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。

「ごめんなさい、雨宮さん。私のせいで、こんな……」

声を詰まらせながら優吾の右手を握りしめていると、優吾は美月の手をキュッと握り返した。

「泣くな」
「でも、私、いつも雨宮さんに迷惑をかけてばかりで。役に立たないどころか、私のせいで、雨宮さんはこんな……」

すると優吾は反対側の手を伸ばして、美月の頬を手のひらで包む。

親指で美月の涙をそっと拭い、優しく笑いかけた。

「君に会えるなんて、今日は雨なのか?」
「ううん、違います」
「じゃあ、夢か……。夢の中なら言える。ずっと君に、会いたかったって。君のことが、好きだから」

美月はハッとして息を呑んだ。

「夢の中なら、頷いてくれる? 君も俺に、会いたかったって」

溢れる涙をこらえながら、美月は優吾の右手をギュッと握りしめた。

「はい。私もあなたに会いたかったの。あなたのことが、大好きだから」
「良かった……」

嬉しそうに微笑むと、優吾はまた眠りに落ちていく。

「目が覚めても、そばにいて……」
「はい。ずっとずっと、そばにいます」

美月が答えると、優吾は穏やかな笑みを浮かべてスーッと寝入った。

いつの間にか窓の外は、静かな雨が降り始めていた。



(良かった、だいぶ熱が下がったわ)

朝になり、美月は優吾の額に手を当ててホッとする。

(これなら、もう一日ぐっすり眠れば大丈夫そう)

8時になると、美月はインターフォンの内線で、マンション内のクリニックに電話をかけた。

「昨夜から熱があるので、そちらに連れて行きたいのですけど、何時から開いてますか?」

すると『これからすぐでよろしければ、お部屋まで往診に行けますよ。ご本人のカルテもあるので』と言われて、お願いすることにした。

(高級マンションって、こんなにすごいのね)

感心していると、10分後に白衣を着たドクターが、カバンを手にやって来た。

「すみません、診察時間前に」

恐縮しながらドアを開けると、ドクターはにこやかに美月に首を振る。

「いいえ。この季節はそんなに忙しくないのでね。患者さんはどちらかな?」
「こちらです。体温計がないので分からないのですが、昨夜は38℃は超えていたかもしれません。今はかなり下がっているように思います」

ドクターを寝室に案内して、美月は優吾に声をかける。

「雨宮さん、お医者様に診ていただきますね」

優吾はよく眠ったままだった。

美月はドクターに「お願いします」と頭を下げてから寝室を出る。

しばらくすると、診察を終えたドクターがドアを開けて出て来た。

「単なる風邪ですね。心臓の音も綺麗ですし、汗もしっかりかいているので、特に心配いりません。疲れが溜まっていたのでしょう。このままゆっくり寝かせてあげてください。薬も出しておきますね」
「はい、ありがとうございました」

ドクターの言葉は頼もしく、美月はようやく心細さから開放された。



「風間さん、風間さん?」

肩を揺さぶられて、美月の意識はゆっくりと浮上する。

次の瞬間ハッとして、勢い良く身体を起こした。

その拍子に美月の頭が、ゴツンとなにかにぶつかる。

「イッテ!」
「あ、ごめんなさい!」

慌てて謝ってから、更に慌てた。

「雨宮さん! すみません、大丈夫ですか?」

優吾は額に片手を当てて頷く。

「ああ、大丈夫だ。今のでシャキッと目が覚めた」
「そんな、本当にごめんなさい。熱は?」

美月が手を伸ばして額の熱を確かめようとすると、優吾はその手をグイッと引き寄せたた。

そのまま互いの額をコツンと合わせて、優吾がささやく。

「どう? まだ熱ある?」
「……ううん。もう、平気みたいです」
「君の方が熱くないか?」
「えっと、それは……」

あまりの顔の近さに、美月は耳まで真っ赤になっていた。

「君が看病してくれたの?」
「はい。これくらいしか出来なくて」
「ずっとそばにいてくれたの? ひと晩中」
「そうです」
「じゃあ、あれは夢ではなかったのか?」
「ど、ど、どれのことでしょう?」

少しでも動けば唇が触れそうで、美月は固まったまま尋ねる。

「夢の中で、君に会えた。嬉しくて、君が好きだと伝えたら、君も答えてくれたんだ」
「な、なんて?」
「あれ、分からない? じゃあやっぱり、俺の夢だったのか」

美月はチラリと視線を上げる。

ん?と優しく微笑む優吾に、思わず涙が込み上げてきた。

「夢じゃ、ないです」
「え?」
「あなたが、会いたかったと言ってくれたから、私もですって答えました。そばにいてって言ってくれたから、ずっとずっとそばにいますと答えました」
「……それだけ?」

美月は潤んだ瞳で優吾を見つめる。

「あなたが……私を好きだと言ってくれたから、私も伝えました。あなたのことが、大好きって」

気づいた時には、美月は優吾の大きな腕の中にいた。

ギュッと強く抱きしめられ、心が切なさでしびれる。

「良かった、やっと伝わった」
「……はい」
「夢が現実になった」
「……ううん。最初から現実だったと思う」
「え?」
「だって、ずっと前から私、あなたのことが好きだったから」

優吾がふっと笑みをもらすのが分かった。

「そうだな。俺もずっと前から、君のことが好きだったんだ」
「私もです」

互いの温もりを感じながら抱きしめ合い、二人で気持ちを確かめ合っていた。
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