優しい雨が降る夜は

葉月 まい

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本当のファーストキス

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2日間美月がつきっきりで看病し、優吾は体調を取り戻した。

3日目からそれぞれ仕事に戻り、いつもの日々を送る。

だが毎日メッセージや電話のやり取りをするようになったのが、唯一これまでと違うところ。

ある日美月が仕事の昼休みに、明日はお休みだとメッセージを送ると、今晩うちに泊まりにおいでと優吾から返事が来た。

「と、と、泊まり!?」

美月はスマートフォンを手にアタフタする。

「泊まりって、なにかするの?」

口にすると、途端に顔が真っ赤になるのが分かった。

2日間看病した時、夜はソファで寝るという美月を、優吾はベッドで抱きしめて離さなかった。

美月の髪をなでながら、切なげに「風邪がうつるといけないからな」と、自分に言い聞かせるように呟いていたのを思い出す。

「えっと、風邪が治った今、なにかなさるおつもりなのでしょうか?」

いやいや、まさか、そんなことを聞く訳にはいかない。

でも、もし、もしもそうなら……

「その前にひと言物申したい。どうにかして……、どうやって?」

悶々としているうちに、あっという間に夜になった。



「えっと、まずは落ち着こう。雨宮さんは22時頃に車で迎えに来てくれるから、まだまだ時間はたっぷりある」

一度帰宅すると、美月は荷物を準備しながら必死に己に「落ち着け」と言い聞かせる。

「お泊りセット、よし! 戸締まり、よし! 心構えは……、まだー!」

気づけば22時になり、優吾から「着いたよ」とメッセージが来て、美月は涙目になりながらエントランスに下りた。

「お待たせしました」

タタッと駆け寄ると、長い足を持て余すように車に寄りかかっていた優吾が顔を上げる。

「いや。……可愛いな」
「はい?」

思いもよらぬ言葉に、聞き間違いかと面食らう。

「行こう」

優吾は美月の手からさり気なくバッグを取ると、助手席のドアを開けた。

「失礼します」

乗り込む美月の腕を、優吾がまたしてもそっと支える。

「ドア閉めるよ」
「はい」

優吾が運転席に座ると、美月は妙に意識してしまい、身を固くする。

「ん?」

優吾は美月に目をやると、いきなりガバッと覆いかぶさってきた。

(ヒーーッ! いきなりですか? もう? ここで?)

美月がギュッと目を閉じていると、耳元でシュッと音がした。

(あれ?)

恐る恐る目を開けると、優吾が美月のシートベルトをカチッと締めているところだった。

「え、あっ! すみません」
「どういたしまして」

クスッと笑う優吾から、大人の余裕と男の色気が漂ってきて、美月はノックアウトされる。

(もう、だめ……。身がもたない)

この調子では先が思いやられると、美月は走り出した車の中で必死に考えを巡らせていた。



「どうぞ、入って」
「はい、お邪魔します」

これまで何度も来たことがあるのに、なぜ今日はこんなにも緊張するのか。

美月は右手と右足が一緒に出そうなほど、ぎこちなく部屋に上がった。

「夕食は食べた?」
「いえ、まだです」
「俺もだ。軽くなにか作るよ」
「わ、わたくしにやらせてください!」

じっとしていてはますます緊張感が高まりそうだと、美月はキッチンでテキパキと食事の準備をする。

「慣れてるね、奥さん」
「いえ、それほどでも……奥さん!?」
「おっと、危ない」

驚いてお皿を落としそうになった美月の手を、優吾が上から握りしめた。

「あの、あの、あの」
「ん? どうした?」

自分はこんなにもアタフタしているのに、なんと落ち着いた大人の雰囲気なのか。

美月は、自分が優吾にとってあまりにも幼いのではないかと不安になる。

「あの、えっと。お食事のあと、お話させていただいてもいいですか?」
「なに? 改まって」
「はい、後ほど」

そそくさと背を向けると、美月はあとでどう切り出そうかと思案していた。

◇ ◇

温めた惣菜やスープを食べがら、優吾はチラリと美月の様子をうかがう。

いつにも増して真剣な表情でうつむいているのが気になった。

(なんだ? 話があるって)

そう考えてハッとする。

(まさか、お見合いの話が進んでいるとか?)

そうだ。
気持ちが通じたと浮かれていたが、美月は誕生日が過ぎたら親同士が決めた相手とお見合いすることになっていたはず。

(断らなかったのか? もしや、俺とのことは、そこまでじゃなかったとか?)

考え始めたら止まらない。

(頼むから、違うと言ってくれ)

祈るような気持ちで食事を終えると、ソファに並んで座った美月が、思い切ったように一枚の紙を差し出した。

「雨宮さん、あの、こちらを」
「なに、これ?」

ドキドキしながら受け取る。

「どうしてもお伝えしたいことがあるのですが、言葉にする勇気がなく、文字にしたためました」

一体なんだと、優吾は意を決して読み始めた。

【 口づけを 交わしたことは ありますが
そこから先は まだ見ぬ世界 】

頭の中で和歌を読む。

(お見事……って違うから! なんだって?)

まじまじと読み返していると、美月が頬を真っ赤にしながら頭を下げた。

「あの、そういう訳で、私は恋愛の経験は非常に浅いのです。ですからどうか、不慣れでもお許しください」
「いや、そんなことは……」

優吾は、あまりの変化球についていけず、言葉に詰まった。

こんなふうに改めて言及されると、どうしていいものかと身構える。

決してうぬぼれる訳ではないが、優吾はこれまで女性に言い寄られる側にしかいなかった。

自分から告白したこともなければ、キスでさえ相手から積極的に求められ、そこに深い意味を感じたこともない。

だが美月には、心して接しなければ。
怖がらせないよう、大切に。

そう思っていると、美月が更に身を縮こめてうつむいた。

「すみません。重いですよね、私って。大人の恋愛が分からず、雨宮さんをがっかりさせてしまうと思います。ですが、私は雨宮さんに見放されたくないのです。今はまだ、女性としての魅力がない私に対してそんな気持ちにはならないかと思いますが、精いっぱい努力します。ですから、どうか……」

真剣に言葉を続ける美月がいじらしくなり、優吾はふっと頬を緩める。

右手でそっと美月の頬を包むと、優しく声をかけた。

「顔を上げて」

おずおずと視線を上げた美月の目は、今にも涙がこぼれ落ちそうなほど潤んでいる。

真っ赤に染まった頬の熱が、優吾の手のひらに伝わってきた。

「美月」

初めて名前を呼ぶと、美月はドキッとしたように目を見開く。

「は、はい」
「頭で考えるな。恋愛は心でするものだよ」
「……心で?」
「そう。なにも考えなくていい」
「あの、でも、やっぱり考えてしまって。どうしよう……。どうすればいいの?」

戸惑う美月に、優吾はゆっくりと顔を寄せてささやいた。

「じゃあ、なにも考えられなくしてやる」
「え……」

吐息が触れそうな距離で、優吾は美月を真っ直ぐ見つめて射貫く。

まるで視線を絡め取るように。

優吾は右手を美月の頬に添えたまま、左手で美月の身体をグッと抱き寄せた。

そのまま覆いかぶさるように、唇を熱く奪う。

美月の身体から力が抜けると、優吾は更に深く口づけた。

「んっ……」

美月のこぼす甘い吐息は、優吾の理性を一瞬で吹き飛ばす。

込み上げる熱い想いをぶつけるように、優吾は何度も美月に口づけた。

ようやく身体を起こすと、美月はトロンととろけきった瞳で、艶かしく頬を上気させている。

「こんなの、知らない……」

呟いた美月の色香に、優吾は口元を緩める。

「それなら覚えておいて。これが美月のファーストキスだ」

大人の男の色気を漂わせ、優吾は再び美月の唇を甘く熱く奪った。



「美月、おいで」

交代でシャワーを浴びると、先にベッドに入っていた優吾は優しく美月を呼ぶ。

おずおずと近づく美月を待ち切れず、腕を伸ばして抱き寄せた。

そのままベッドに横になり、チュッと美月の額にキスをする。

真っ赤になる美月が可愛くて、自然と頬が緩んだ。

「電気消すよ?」
「はい」

リモコンで照明を暗くし、ギュッと美月を抱く手に力を込めると、腕の中で美月はカチコチに固まった。

「美月?」
「は、はい」
「そんなので眠れる?」
「む、無理です」
「だろうね」

クスッと笑うと、優吾は優しく美月の髪をなでながら話す。

「美月、聞いて。自分ではそんなことないって言ってたけど、美月は俺にとって、魅力的で愛おしくて、心から大切な存在なんだ。がっかりしたり見放したりなんか、絶対にしない。だから美月、焦らなくていい。努力なんてしなくていいんだ。少しずつ時間をかけよう。俺は今、美月がこの腕の中にいてくれるだけで幸せだから」

美月はそっと顔を上げて優吾を見つめる。

「本当に?」
「ああ、本当だ。美月は?」
「私も、とっても幸せ」
「それなら良かった」

美月は安心したように微笑むと、ピタリと優吾の胸に頬を寄せて抱きついてきた。

(なんか、ちょっと……。やっぱり無理かも。いや、我慢だ我慢)

必死に己の理性を奮い立たせると、ふと思い出して聞いてみた。



「そう言えば美月。お見合いって、どうなった?」
「え?」

美月は首をかしげてから、「ああ」と頷く。

「忘れてました」
「わ、忘れてた? いいのか、それで」

あんなにお見合いしてほしくないと思っていたのに、あっさり否定されるとそれはそれで気になった。

「大丈夫です。もともと私の父は断ろうとしていたのに、私が乗り気だったから困っていたみたいで。美空に、なんとかして忘れてくれないだろうかとこぼしていたそうです。だから父は、今頃喜んでるかも? 改めてお断りしますって伝えておきますね」
「そうか」

ようやく優吾はホッとする。
だが再び美月の頭を抱き寄せた時、美月がポツリとつけ加えた。

「でも父も母も、今はそれどころではないかも。美空の結婚話で」

は?と優吾は、目をしばたたかせる。

「美空ちゃんが、結婚? それって、相手は光太郎か?」
「はい、もちろん。あれ? 光太郎さんから聞いてませんか? 3日前にうちの実家に挨拶に来てくださったそうですよ」
「あいつこの2日間連休だったから、会ってないんだ。そんな話になっていたとは……。そう言えば、最近妙に浮かれてたな。俺が風邪引いてる間に仕事進めててくれたから、悪かったなって言ったら、実績増えて男が上がったからいいよ、とかなんとか。そうか、あいつが結婚……」

優吾も、急に結婚が現実的に思えてきた。

(いつか自分も、美月のご両親にお許しをもらいに行く。必ず認めていただけるように)

そう固く心に決める。

(時期は美空ちゃんの結婚が落ち着いてからの方がいいか)

そこでふと気になった。

「美空ちゃんはまだ大学生だろ? 卒業してから結婚するのか?」
「卒業式を終えたらすぐするみたいです。春から就職が決まっているので、名字も変えてから入社したいみたいで」
「へえ、なるほど。ご両親もそれでいいと?」
「はい。光太郎さんなら安心して嫁に行かせられるって言ってました。逆に美空があちらのご両親に受け入れてもらえるか、心配で。近々挨拶に行くみたいです」
「それは大丈夫だろう。美空ちゃんは明るくて社交的で、まだ大学生なのに光太郎との結婚を決意したんだ。大事にされると思うよ」
「そうだといいですね」

そう言った切り美月はうつむき、不安げな表情を浮かべる。

「美月? どうした?」
「いえ、なにも」
「そんなことないだろう。なにを考えてた?」
「特になにも」
「……話してくれるまでキスするよ」

そう言って優吾が美月の頭を抱き寄せると、美月は焦ったように胸を押し返した。

「分かりました、言いますから」
「なに?」
「はい、あの。私は大丈夫かなって。その……雨宮さんのご両親に、受け入れていただけるかなと不安になって。すみません。まだそんな話にもなってないのに、うぬぼれてしまって」

優吾は一瞬驚いてから、嬉しさに目を細める。

「美月、そんなふうに考えてくれてるんだ」
「いえ、あの、すみません。雨宮さんは、まだまだそんなこと、私を相手に考えられないですよね? それなのに、私ときたら」
「いや、俺も同じことを考えていた。心して美月のご両親に挨拶して、必ずお許しをいただかなければと」
「え?」

顔を上げた美月は、みるみるうちに頬を赤く染めた。

はにかんだ笑みを浮かべて視線を落とす美月を、優吾はグッと抱き寄せる。

「美月、1つだけ今から練習しておいてほしいことがある」

耳元でささやくと、美月は真剣に頷いた。

「はい。どんなことでしょう?」
「俺の名前を呼ぶ練習」
「分かりました。雨宮さん、でよろしいですか?」

思わず優吾は吹き出した。
甘い口調でささやいたつもりなのに、なぜこんな変化球が返ってくるのか。

優吾は今度は、真顔でじっと美月を見つめる。

「俺の両親に会った時、雨宮さんと呼んだら、親父とおふくろが返事をするぞ?」
「はっ、確かにおっしゃる通りですね。それに雨宮さんは、ご両親がつけられた立派なお名前をお持ちですもの。無下にする訳にはまいりません」

なんだかお堅い雰囲気になってきたが、まあよしとしよう。

「じゃあ美月、呼んでみて」
「はい。いざ、失礼して」

キリッとした表情で優吾を見上げたかと思ったら、美月は困ったように涙ぐみ始めた。
 
頬を真っ赤に染めながら、潤んだ瞳で優吾を見つめて、小さく呟く。
 
「ゆ、優吾、さん」 

可愛らしい声色に、優吾の胸がキュンと締めつけられた。

「美月……」

両腕で抱きしめて、ピンク色の美月の頬にチュッと口づける。

「毎回そんなに甘い声で呼んでくれるの?」
「いえ、あの。これからきちんと滑舌良く呼べるように練習します」
「ははっ! では、練習をどうぞ」
「はい。……優吾、さん」
「自己採点で、何点?」
「5点です」
「低っ!」

優吾は笑って美月の顔を覗き込む。

「俺にとっては、どんな美月の声も100点満点だよ」

ますます真っ赤になる美月に、ふっと笑みを浮かべてから、優吾は優しく美月の唇にキスをした。

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