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第6話:ボロアパート、崩壊の危機
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「……えー、はい。はい。権藤会長のご紹介ですね。ありがとうございます。ええっと、最短でのご予約ですと……来週の火曜日の、午後三時半になりますが……はい、申し訳ございません、それまでは予約が一杯でして……」
築四十年のボロアパートの一室に、善さんの悲鳴のような丁寧語が響き渡っていた。 善さんは片手でスマホを耳に当て、もう片方の手で、大学ノートに手書きした予約表に必死にペンを走らせている。ノートはもう真っ黒だ。
「……すごいことになってるな」
リオが、アパートの窓から外を覗き見て、呆れたように呟いた。
私も隙間から外を見る。 アパートの前の狭い道路には、黒塗りの高級車がズラリと縦列駐車している。そこから降りてきたのは、腹の出た偉そうなおっさんたちだ。 彼らは、錆びついたアパートの外階段に、まるで人気ラーメン店の行列のように並んでいる。高級スーツと、剥がれかけたモルタルの壁のコントラストがシュールすぎる。
「権藤さんの口コミ威力、半端ないねえ」
私は押し入れの隙間(私の定位置だ)で、ほくそ笑んだ。 あの日以来、権藤会長は約束通り、地元の財界人たちに「ゴッドハンド板東」の噂を広めてくれたらしい。 「あそこの整体はヤバい」「死にかけてた俺の腰が治った」「あそこは現代のパワースポットだ」……そんな噂が尾ひれをつけて広がり、結果がこれだ。
開業から一週間。客足は途絶えるどころか、増える一方だった。
「次の方、どうぞー」
リオがぶっきらぼうにドアを開ける。受付係というよりは、クラブの用心棒のノリだ。 入ってきたのは、建設会社の社長だという男。顔色が土気色で、目の下にクマができている。
「よ、よろしくお願いします……。権藤さんから、ここに来れば生き返ると聞いて……」
「はい、お任せください。では、こちらへ」
善さんが、すっかり板についた「ゴッドハンド」の演技で客を誘導する。 客がシーツに寝転がると、私はいつものように善さんの背後に音もなく忍び寄り、影から手をかざす。
(はいはい、肝臓がお疲れだねえ。飲み過ぎだよ。――【内臓機能回復(オルガン・ヒール)】、――【毒素排出(デトックス)】)
青白い光が、善さんの手を通して客の体に吸い込まれていく。
「――ぶふぉっ!?」
客が変な声を上げて跳ね起きた。
「な、なんだ!? 体が……軽い! 二日酔いの気持ち悪さが、一瞬で消えたぞ!?」
客は目を白黒させながら、自分の腹をさすっている。
「ええ、溜まっていた『毒素』を流しておきましたから」
善さんが、私が事前に仕込んでおいた適当なセールストークを述べる。
「す、すばらしい! ゴッドハンド! 噂は本当だった! これ、取っといてくれ!」
客は財布から三万円を引っ張り出し、善さんに握らせて、スキップでもしそうな勢いで帰っていった。施術時間、わずか三分。
「……ちょろい。ちょろすぎるねえ」
私は押し入れに戻り、今日の売り上げが入った空き缶(もう満杯だ)を振った。ジャラジャラどころか、お札が詰まってボフッという鈍い音がする。
だが。 問題がないわけではなかった。
ドンドンドン!!!
隣の部屋の壁が、激しく叩かれた。
「うっせえぞコラァ! 毎日毎日、人が何人も出入りして、何の騒ぎだ!」
隣人の怒鳴り声が聞こえる。どうやら限界らしい。 それだけじゃない。
ミシッ……メリメリッ……。
床の畳が、悲鳴を上げている。 このアパートは、築四十年。床下はシロアリの巣窟かもしれない。そこに、体重の重いおっさんたちがひっきりなしに出入りしているのだ。いつ床が抜けてもおかしくない。
「……社長。これ、マジでヤバいんじゃないですか?」
客が途切れた一瞬の隙に、リオが小声で言った。
「大家さんからも、昨日クレームの電話がありました。『あんたの部屋、風俗じゃないでしょうね!?』って……」
善さんも青い顔をしている。
私は腕組みをして、唸った。 分かっている。この場所が限界なのは。 だが、引っ越しとなれば金がかかる。敷金、礼金、仲介手数料、それに新店舗の改装費……。せっかく貯まり始めた「老後の資金」が、一気に減ってしまう。
(ええい、勿体ない! まだここで粘れるんじゃないかい!?)
私の内なる銭ゲバババアが、引っ越しに断固反対していた。
その時だった。
メキャァァァッ!!!
今までにない、不吉な破壊音が響き渡った。 それと同時に、部屋の入口付近の床が、大きくたわんだ。
「――ひっ!?」
ちょうど入ってこようとした次の客(政治家の秘書らしい)が、悲鳴を上げて飛び退いた。
「……あーあ。逝ったな、これ」
リオが冷静に床を見つめる。畳が斜めに陥没しかけている。
シーンと静まり返る室内。 私は、ゆっくりと天井を見上げた。雨漏りのシミが、私を嘲笑っているように見えた。
(……神様。あんた、私に「金を貯め込むな、使って経済を回せ」って言いたいのかい?)
私は観念した。これ以上ここで続けたら、客が怪我をする。そうなれば、警察沙汰だ。それだけは避けなきゃならない。
「……善さん、リオ」
私は重々しく口を開いた。
「はい、社長」
「……引っ越しだ。新しい『城』を探すよ」
私は血の涙を流す思いで(心の中でね)、決断を下した。 さようなら、私の敷金・礼金。さようなら、私の愛しき万年床。
こうして私たちは、わずか一週間で、この伝説の(そして物理的に崩壊しかけた)発祥の地を後にすることになった。
目指すは、もっと広くて、頑丈で――そして、もっとガッポリ稼げる、新店舗だ!
築四十年のボロアパートの一室に、善さんの悲鳴のような丁寧語が響き渡っていた。 善さんは片手でスマホを耳に当て、もう片方の手で、大学ノートに手書きした予約表に必死にペンを走らせている。ノートはもう真っ黒だ。
「……すごいことになってるな」
リオが、アパートの窓から外を覗き見て、呆れたように呟いた。
私も隙間から外を見る。 アパートの前の狭い道路には、黒塗りの高級車がズラリと縦列駐車している。そこから降りてきたのは、腹の出た偉そうなおっさんたちだ。 彼らは、錆びついたアパートの外階段に、まるで人気ラーメン店の行列のように並んでいる。高級スーツと、剥がれかけたモルタルの壁のコントラストがシュールすぎる。
「権藤さんの口コミ威力、半端ないねえ」
私は押し入れの隙間(私の定位置だ)で、ほくそ笑んだ。 あの日以来、権藤会長は約束通り、地元の財界人たちに「ゴッドハンド板東」の噂を広めてくれたらしい。 「あそこの整体はヤバい」「死にかけてた俺の腰が治った」「あそこは現代のパワースポットだ」……そんな噂が尾ひれをつけて広がり、結果がこれだ。
開業から一週間。客足は途絶えるどころか、増える一方だった。
「次の方、どうぞー」
リオがぶっきらぼうにドアを開ける。受付係というよりは、クラブの用心棒のノリだ。 入ってきたのは、建設会社の社長だという男。顔色が土気色で、目の下にクマができている。
「よ、よろしくお願いします……。権藤さんから、ここに来れば生き返ると聞いて……」
「はい、お任せください。では、こちらへ」
善さんが、すっかり板についた「ゴッドハンド」の演技で客を誘導する。 客がシーツに寝転がると、私はいつものように善さんの背後に音もなく忍び寄り、影から手をかざす。
(はいはい、肝臓がお疲れだねえ。飲み過ぎだよ。――【内臓機能回復(オルガン・ヒール)】、――【毒素排出(デトックス)】)
青白い光が、善さんの手を通して客の体に吸い込まれていく。
「――ぶふぉっ!?」
客が変な声を上げて跳ね起きた。
「な、なんだ!? 体が……軽い! 二日酔いの気持ち悪さが、一瞬で消えたぞ!?」
客は目を白黒させながら、自分の腹をさすっている。
「ええ、溜まっていた『毒素』を流しておきましたから」
善さんが、私が事前に仕込んでおいた適当なセールストークを述べる。
「す、すばらしい! ゴッドハンド! 噂は本当だった! これ、取っといてくれ!」
客は財布から三万円を引っ張り出し、善さんに握らせて、スキップでもしそうな勢いで帰っていった。施術時間、わずか三分。
「……ちょろい。ちょろすぎるねえ」
私は押し入れに戻り、今日の売り上げが入った空き缶(もう満杯だ)を振った。ジャラジャラどころか、お札が詰まってボフッという鈍い音がする。
だが。 問題がないわけではなかった。
ドンドンドン!!!
隣の部屋の壁が、激しく叩かれた。
「うっせえぞコラァ! 毎日毎日、人が何人も出入りして、何の騒ぎだ!」
隣人の怒鳴り声が聞こえる。どうやら限界らしい。 それだけじゃない。
ミシッ……メリメリッ……。
床の畳が、悲鳴を上げている。 このアパートは、築四十年。床下はシロアリの巣窟かもしれない。そこに、体重の重いおっさんたちがひっきりなしに出入りしているのだ。いつ床が抜けてもおかしくない。
「……社長。これ、マジでヤバいんじゃないですか?」
客が途切れた一瞬の隙に、リオが小声で言った。
「大家さんからも、昨日クレームの電話がありました。『あんたの部屋、風俗じゃないでしょうね!?』って……」
善さんも青い顔をしている。
私は腕組みをして、唸った。 分かっている。この場所が限界なのは。 だが、引っ越しとなれば金がかかる。敷金、礼金、仲介手数料、それに新店舗の改装費……。せっかく貯まり始めた「老後の資金」が、一気に減ってしまう。
(ええい、勿体ない! まだここで粘れるんじゃないかい!?)
私の内なる銭ゲバババアが、引っ越しに断固反対していた。
その時だった。
メキャァァァッ!!!
今までにない、不吉な破壊音が響き渡った。 それと同時に、部屋の入口付近の床が、大きくたわんだ。
「――ひっ!?」
ちょうど入ってこようとした次の客(政治家の秘書らしい)が、悲鳴を上げて飛び退いた。
「……あーあ。逝ったな、これ」
リオが冷静に床を見つめる。畳が斜めに陥没しかけている。
シーンと静まり返る室内。 私は、ゆっくりと天井を見上げた。雨漏りのシミが、私を嘲笑っているように見えた。
(……神様。あんた、私に「金を貯め込むな、使って経済を回せ」って言いたいのかい?)
私は観念した。これ以上ここで続けたら、客が怪我をする。そうなれば、警察沙汰だ。それだけは避けなきゃならない。
「……善さん、リオ」
私は重々しく口を開いた。
「はい、社長」
「……引っ越しだ。新しい『城』を探すよ」
私は血の涙を流す思いで(心の中でね)、決断を下した。 さようなら、私の敷金・礼金。さようなら、私の愛しき万年床。
こうして私たちは、わずか一週間で、この伝説の(そして物理的に崩壊しかけた)発祥の地を後にすることになった。
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