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二皿目 黄身時雨と初恋の人に会いたい鎌いたち
その2 開店と座敷童子
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店の中に鎮座している大きな冷蔵ショーケースは、まだ空のままだ。
「菜々美、開店準備を急げ」
「はい、咲人さん」
開店までに和菓子でいっぱいにしなければ。
咲人が鍋を掻き回し始めると、菜々美はぐっと拳を握りしめる。
(餡作りだ……)
餡作りは和菓子の基本で難しい。菜々美は市販の餡を使うことが多かった。
真剣な菜々美の表情を見て、咲人が低い声音で説明してくれる。
「餡を作る時に大切なことは二つ。小豆の味わいが豊かであること。水分がちゃんと飛んで、伸ばしたり包んだりしやすいことだ。粒あん、こし餡、白餡の三種類の作り方はよく覚えておけ」
「はいっ」
小豆の粒の形を残して仕上げる、粒餡。
ひと手間かけて皮を取り除いたなめらかな、こし餡。
風味のよい、白こし餡。
「粒餡とこし餡は途中まで作り方が同じだ。まず洗った小豆をたっぷりの水に入れて沸騰させる」
咲人の言葉に菜々美は小首を傾げた。
「あの、小豆は水に浸けて戻すのでは……?」
「水に浸けても戻らない。そもそも小豆が吸水するのは胚芽からだけだ。そのたんぱく質が壊れて初めて吸水し、やわらかくなる」
小豆が十分膨らむまで灰汁を取りながら煮立て、再度煮て差し水を繰り返して胚芽のたんぱく質が壊れたら渋切りの後、柔らかくなるまで煮詰める。
鍋に砂糖と水を入れて火にかけ、上水を捨てて絞った小豆を煮て、豆の形を残す五ように注意しながら甘味を染み込ませて粒餡の完成だ。
「味見してみろ」
スプーンで掬って口に運んだ菜々美は、はっと目を見開いた。
市販の餡より、ずっとさらりとしているし、甘さにしつこさがない。
舌の上に残っている餡は、薄皮で包まなくても、このままで十分美味しかった。
「美味しいです! すごく……!」
「そうか」
驚いている菜々美を見つめ、咲人が満足そうに微笑んだ。美麗な彼は滅多に笑わないので、思わずトクトクと鼓動が早まった。
「続いて和菓子作りだ。六月三十日の夏越しの日だ。『水無月』を大量に作る。菜々美も手伝ってくれ。それからうちの店の定番も……おい菜々美」
「え……?」
じっと見つめられて緊張する。
「昨日も思ったが、顔が赤い。風邪じゃないのか?」
そんな指摘を受け、さらに顔が熱くなってしまい、菜々美はあわてて顔を背けた。
「だ、大丈夫です。えっと『水無月』を大量に作るんですね」
「そうだ。その棚の鍋を出してくれ。それから薄力粉と甘納豆を調理台へ」
菜々美と咲人は、三角形に包丁された外郎菓子『水無月』をたくさん作っていく。
その次に、本葛粉を練って紅餡を包み、茶巾絞りにした『水ぼたん』、青い海面をイメージした錦玉羹『さざ波』、上用粉仕立てのもち菓子『青梅』など、次々と仕上げた。
ショーケースの中に、出来た和菓子を並べていく。あっという間に開店時間になった。
「菜々美、開店時間だ。暖簾を出してくれ」
「わかりました」
藍色の暖簾を外に出している間に、咲人が通りの看板を『甘味堂夕さり 開店中』に変えた。
すると、早速お客が入ってきた。切りそろえられた黒髪に細い黒眼をし、朱色の着物を着た五、六歳の少女だ。
菜々美が目をまたたかせていると、咲人がそっと耳元で囁いた。
「あの子は、座敷童子のあやかしだ。名前を初音という」
こくりと菜々美の喉が鳴った。
座敷童子は明治時代の説話集『遠野物語』や『石神問答』に登場し、主に岩手県を中心とした東北地方一体に知られている妖怪だ。
住みつく家に富と名声をもたらし、見た者には幸運が訪れるという伝承が残っている。
目の前にそのあやかしがいる。この『甘味堂夕さり』があるのは異界と人界の狭間なのだと、改めて思い知らされた。
獣耳と尻尾を出している咲人や、頭に角がある鬼之丞、雪女の瑠璃などを見ても怖くなかったのに、話したことのないこの幼女と対峙すると、得体のしれない恐ろしさが胸の奥から込み上げてしまう。
「い、いらっしゃ……」
声がかすれ、途中で途切れてしまう。菜々美はぐっと両手を胸の前で握りしめた。
(怖がってはいけない。お客さんに笑顔を……! 頑張れ、私!)
「い、いらっしゃいませ――!」
自分でも驚くほど大きな声を出すと、初音という座敷童子は細い目を見開くようにして菜々美を見た。
「ど、どれも美味しいですよ。な、何にいたしましょう」
「そうじゃのう……」
初音という座敷童子はゆっくりとショーケースへ近づくと、きょろきょろと中を見た。
すっと小さな手を伸ばし、半透明な葛に透けた餡が涼やかな葛饅頭『みぞれ』を指差した。
「これを二つ。それから『水無月』をふたつ。持って帰る」
「お、お持ち帰りですね。わかりました!」
あわてていると、横から咲人が手を伸ばした。
「お持ち帰りは、この小箱に入れる。中に仕切りがあって、大きさは三種類ある。おいおい覚えていけばいい。包装紙はここ、紙袋はこっちに置いてある」
「はい……」
菜々美は彼の長い指が和菓子を丁寧に詰めていくのを食い入るように見つめる。
和菓子を買う時の楽しみのひとつである包装紙や紙袋は、藍色に白抜きで店名が印刷され、レトロでおしゃれだ。
「菜々美、開店準備を急げ」
「はい、咲人さん」
開店までに和菓子でいっぱいにしなければ。
咲人が鍋を掻き回し始めると、菜々美はぐっと拳を握りしめる。
(餡作りだ……)
餡作りは和菓子の基本で難しい。菜々美は市販の餡を使うことが多かった。
真剣な菜々美の表情を見て、咲人が低い声音で説明してくれる。
「餡を作る時に大切なことは二つ。小豆の味わいが豊かであること。水分がちゃんと飛んで、伸ばしたり包んだりしやすいことだ。粒あん、こし餡、白餡の三種類の作り方はよく覚えておけ」
「はいっ」
小豆の粒の形を残して仕上げる、粒餡。
ひと手間かけて皮を取り除いたなめらかな、こし餡。
風味のよい、白こし餡。
「粒餡とこし餡は途中まで作り方が同じだ。まず洗った小豆をたっぷりの水に入れて沸騰させる」
咲人の言葉に菜々美は小首を傾げた。
「あの、小豆は水に浸けて戻すのでは……?」
「水に浸けても戻らない。そもそも小豆が吸水するのは胚芽からだけだ。そのたんぱく質が壊れて初めて吸水し、やわらかくなる」
小豆が十分膨らむまで灰汁を取りながら煮立て、再度煮て差し水を繰り返して胚芽のたんぱく質が壊れたら渋切りの後、柔らかくなるまで煮詰める。
鍋に砂糖と水を入れて火にかけ、上水を捨てて絞った小豆を煮て、豆の形を残す五ように注意しながら甘味を染み込ませて粒餡の完成だ。
「味見してみろ」
スプーンで掬って口に運んだ菜々美は、はっと目を見開いた。
市販の餡より、ずっとさらりとしているし、甘さにしつこさがない。
舌の上に残っている餡は、薄皮で包まなくても、このままで十分美味しかった。
「美味しいです! すごく……!」
「そうか」
驚いている菜々美を見つめ、咲人が満足そうに微笑んだ。美麗な彼は滅多に笑わないので、思わずトクトクと鼓動が早まった。
「続いて和菓子作りだ。六月三十日の夏越しの日だ。『水無月』を大量に作る。菜々美も手伝ってくれ。それからうちの店の定番も……おい菜々美」
「え……?」
じっと見つめられて緊張する。
「昨日も思ったが、顔が赤い。風邪じゃないのか?」
そんな指摘を受け、さらに顔が熱くなってしまい、菜々美はあわてて顔を背けた。
「だ、大丈夫です。えっと『水無月』を大量に作るんですね」
「そうだ。その棚の鍋を出してくれ。それから薄力粉と甘納豆を調理台へ」
菜々美と咲人は、三角形に包丁された外郎菓子『水無月』をたくさん作っていく。
その次に、本葛粉を練って紅餡を包み、茶巾絞りにした『水ぼたん』、青い海面をイメージした錦玉羹『さざ波』、上用粉仕立てのもち菓子『青梅』など、次々と仕上げた。
ショーケースの中に、出来た和菓子を並べていく。あっという間に開店時間になった。
「菜々美、開店時間だ。暖簾を出してくれ」
「わかりました」
藍色の暖簾を外に出している間に、咲人が通りの看板を『甘味堂夕さり 開店中』に変えた。
すると、早速お客が入ってきた。切りそろえられた黒髪に細い黒眼をし、朱色の着物を着た五、六歳の少女だ。
菜々美が目をまたたかせていると、咲人がそっと耳元で囁いた。
「あの子は、座敷童子のあやかしだ。名前を初音という」
こくりと菜々美の喉が鳴った。
座敷童子は明治時代の説話集『遠野物語』や『石神問答』に登場し、主に岩手県を中心とした東北地方一体に知られている妖怪だ。
住みつく家に富と名声をもたらし、見た者には幸運が訪れるという伝承が残っている。
目の前にそのあやかしがいる。この『甘味堂夕さり』があるのは異界と人界の狭間なのだと、改めて思い知らされた。
獣耳と尻尾を出している咲人や、頭に角がある鬼之丞、雪女の瑠璃などを見ても怖くなかったのに、話したことのないこの幼女と対峙すると、得体のしれない恐ろしさが胸の奥から込み上げてしまう。
「い、いらっしゃ……」
声がかすれ、途中で途切れてしまう。菜々美はぐっと両手を胸の前で握りしめた。
(怖がってはいけない。お客さんに笑顔を……! 頑張れ、私!)
「い、いらっしゃいませ――!」
自分でも驚くほど大きな声を出すと、初音という座敷童子は細い目を見開くようにして菜々美を見た。
「ど、どれも美味しいですよ。な、何にいたしましょう」
「そうじゃのう……」
初音という座敷童子はゆっくりとショーケースへ近づくと、きょろきょろと中を見た。
すっと小さな手を伸ばし、半透明な葛に透けた餡が涼やかな葛饅頭『みぞれ』を指差した。
「これを二つ。それから『水無月』をふたつ。持って帰る」
「お、お持ち帰りですね。わかりました!」
あわてていると、横から咲人が手を伸ばした。
「お持ち帰りは、この小箱に入れる。中に仕切りがあって、大きさは三種類ある。おいおい覚えていけばいい。包装紙はここ、紙袋はこっちに置いてある」
「はい……」
菜々美は彼の長い指が和菓子を丁寧に詰めていくのを食い入るように見つめる。
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