【完結】初恋は檸檬の味 ―後輩と臆病な僕の、恋の記録―

夢鴉

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二章 二人の距離感

十五話 好きになった人 ※甘利視点

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 ――春先輩と言い争いになった。

 否、争うというほど激しい言い合いをしたわけじゃない。ただ俺が子供みたいに駄々を捏ねて、先輩がそれに疲弊してしまっただけだ。
 悪いのは俺で、勝手に期待した自分が悪い。……それは分かってる。

「はー……」

 分かってはいても期待してしまうのだから、恋心というのは厄介だ。

 腹の底から何度も息を吐き出す。机に突っ伏せば、暖かい日差しに照らされた机の熱が頬を伝う。
(……気持ちいい)
 日差しはこんなにも気持ちがいいのに、心の中はまるで分厚い曇天がへばりついているよう。気を抜けばそのまま地獄の先にでも落ちてしまいそうだ。

(……先輩、困ってたな)
 部室を出る直前。
 少しだけ見えた先輩の表情は、今までで見たことがない顔をしていた。休み時間に教室を覗いた時も、登校してきた先輩を見た時も。何か考えている様子だった。
(俺のせい、だよな)
 困らせてしまった。そんなつもりはなかったのに。でも、謝れば自分の気持ちをなかったことにされそうで、怖かった。

 (結局、先輩の見送りも行けなかったし)
 ちゃんと見送ろうと思っていたのに。お土産はいらないから、写真をたくさん送って欲しいって、言いたかったのに。全部言えなかった。起きて準備までしたのに顔すら合わせられなかった。学校に行ってバスに乗り込む三年生の集団から春先輩を見つけることも出来たのに。

「俺は意気地なしだ……」

 こんな意地を張ったところで、先輩は嬉しくなんかないだろう。そもそも、勝手に好きになって、勝手に告白して、勝手に傍にいるのは俺の方だ。駄々を捏ねるなんて馬鹿すぎる。
(受け入れられないかもしれないなんて、初めからわかってただろ)
 わかってて、告白したのに。
 俺は先輩に期待して、一緒に居たいと願ってしまった。
(……女々しい)
 自分が女々しくて嫌になる。こんな奴、先輩が好きになるはずもない。

(連絡もたくさんするって言ったのに、結局一度も出来てないし……)
 情けない。情けなくて涙が出る。
 でも、連絡を取れば春先輩を更に困らせるだけなんじゃないかと思ってしまうし、もしかしたら隣にいる事だって……。

「それは嫌だ」

 もごもごと自分の声が机と自らの腕に吸収される。大声で言いたいのに、伝えたい人は近くにいない。それがどれだけ悲しいことか。
 湧き出る恐怖を拭うように、俺は春先輩とのトーク画面を開く。
 送られてこない写真。動かないトーク画面。先輩からの連絡は、もちろんない。
 ――先輩と会わなくなって早一週間。
 あんなに離れられないとか喚いておきながら、俺は今、先輩を一人にしてしまっている。その事実が何より心に刺さって、痛い。

(虚しい。寂しい。先輩と話したい)
 メッセージは数週間前に送った俺のメッセージで終わっているし、それだって俺が八割、先輩が二割のやり取りだけど、それでもよかった。

 触れなくてもいい。笑ってくれないのは……ちょっときついけど、それでもいい。
 先輩の近くに俺は居たい。先輩に居て欲しいって思って欲しい。
(また欲張りになってるな、俺)
 でもきっと、その日は来ない。

『別に俺じゃなくたっていいんじゃねーの?』
『俺じゃなくて、違う人を好きになれよ』

 春先輩は俺の気持ちすら、他人事だ。
 あれだけ毎日好きだと伝えても、春先輩は自分だとは思わない。
 それがひどいとは思わない。他人の気持ちなんか全部受け取っていたら、心がいくつあっても足らない。

「もっと好きって言った方が良かったのか……?」

 行動で示した方が良かった?
 (……どうしたら伝わるんですか、先輩)

 春の陽気のように優しく笑う先輩。
 優しい雰囲気は、彼の名前を如実に表していて、大好きだ。それこそ、一生そばにいたいと何度思ったことか。
(わかってたことだけど……)

 苦しいな。
 人を好きになるってこんなに苦しいものなのか。


「おーい、甘利―?  何ぶつくさ言ってんのー?」
「……」
「え、無視? なに。気分悪いの? 保健室行く?」

 矢継ぎ早に振りかけられる言葉。それらを全て無視して、俺は机に突っ伏し続ける。
 せっかく先輩の事を考えて心地いい日差しに打たれていたというのに。今ので全てが台無しになった気分だ。

「おーい、甘利ってばー。そろそろ無視するのやめてくれなーい?」
「チッ……煩いな。話しかけんな」
「うーわ。機嫌悪。どうした? 話聞こうか?」

 肩を揺らされ、ツンツンとつむじを突っつかれる。遊ばれているのがわかって、俺は顔を思いっきり顰めた。

 ――この失礼でデリカシーの欠片もないような男は、“百瀬桃李”という。
 俺と身長が同じくらいなので、まとめて後ろの席に追いやられたのだ。入学式にはすでにピンク色の頭をしていた彼は、よく教師に捕まっているのを見る。もしくは女子。俺とは違うベクトルで、問題児なのだとか。
 教師の説教を毎回のらりくらりと躱す彼は、未だに髪を黒く染めてくる気配はない。「桃李はそれが地毛なのにねー」と女子が話しているのを聞いたことがあるが、それが嘘か本当か、俺には判別がつかないでいる。

「うるさい。お前に話すことなんかない」
「えぇー?  なにその態度。失礼しちゃうなぁ。もう二度とノート見せてあげないよー?」
「別にいい。春先輩に教えてもらうから」
「でた、“春ちゃん先輩”」

 にやりと笑みを浮かべる百瀬。俺はぴくりと肩を震わせる。
 ゆっくりと起き上がれば、「あ、やっと起きた。おはよー」と声を掛けられる。……相変わらず何を考えているかわからない笑顔は、一種の気持ち悪さを感じる。

「その呼び方やめろ」
「いいじゃーん。名字知らないし? 可愛いしさぁ。それより、“春ちゃん先輩”と何かあった? お兄さん気になるなぁ」
「っ、誰がお兄さんだ」
「やーっぱそうなんだ。いいよいいよ、話聞いてあげる~」

 百瀬は非常にいい笑顔で俺の机に両肘をついた。
 女子がよくやるように両手で顎を支えるポーズをする百瀬。ストローの刺さったパックジュースが、百瀬の口元でユラユラと上下に揺らされる。

「……行儀悪いぞ、それ」
「だって持ってるの疲れちゃったんだもん。俺、女の子より重いもの持てないんだよねぇ」
「女子よりパックジュースの方が普通に軽いだろ」
「あー。そういうこというー?」

「女の子たちに言っちゃおうかなぁ」なんてどうでもいいことを呟く百瀬。桃のジュースを飲んでいるのはアイデンティティを守るためらしい。この前聞いた。

「で? 喧嘩でもしたの? 痴話げんか?」
「ちっ!?」
「うっわ。アタリ? 俺すごくない?」

 ケラケラと笑い声を上げる百瀬に、俺は立ち上がりかけた腰を戻した。
(落ち着け……)
 こいつのペースに飲まれたら終わりだ。
 小さく息を吐き出し、冷静を取り戻す。「わっかりやすいなぁ、甘利は」と百瀬が笑う。

「わかりやすい? 俺が?」
「わかりやすいよ、甘利は」

 百瀬はよどみなく答える。
(そんなはずはない)

『何を考えているのかわからない』
『冷静過ぎて怖い』
『なんでそんなに怒ってるの? 喜んでる? 嘘じゃん』

 ……そんな言葉を、今まで何度言われてきたことか。
 部活でお世話になっている監督にすら「お前、足は一級品なのになぁ。愛嬌は母親の腹の中に置いてきたのか?」と呆れ顔で言われたくらいだ。今思えば散々な言われようである。

「そんなわけないだろ」
「えぇー? そうかなぁー?」
「……もういい」
「あははは、ごめんごめん。そんな怒んないでよ」

「ねっ」と顔を覗き込まれる。何がね、だ。

「それで? 今度は何して怒られたの?」
「……なんで俺が怒られる前提なんだ」
「違うの?」

 キョトンとした顔を向けられる。意外と言わんばかりの視線に、俺は頬を引き攣らせた。
(こいつ……)
 俺の事を何だと思ってるんだ。

「俺は何もしてない。寧ろ怒ってるのは俺の方で……」
「ほうほう。なるほどー? 春ちゃん先輩に何か言われた?」

 しまった。情報を渡してしまった。
 はっとして百瀬を見る。百瀬は「何々~?」と楽しそうに問いかけてくる。
 やらかした。こいつのこういうところが扱いづらいのに、自ら餌を与えてしまうなんて。

「……言わない」
「えー?  なんでー?」
「からかわれるって分かってるのに言うわけないだろ」
「何言ってんの。授業中に突然クラウチングスタート決めて三年のクラスまで走ってった奴が、今更怖がること?  俺びっくりなんだけど?」
「アレは仕方ないだろ」
「いや。何も仕方なくはなくない?」

 百瀬は眉を下げ、意味がわからないと言わんばかりの顔をする。
(お前にわかるわけ、ないだろ)
 あの時の高揚感。先輩に一刻も早く報告しなければという使命感。沸き立つ感情は喜びと愛おしさ。
 この感情を理解するには、俺の先輩への感情も全て理解してもらわなくてはいけない。まあ、そもそも話す気なんてないけど。

 テスト期間中、ずっと勉強を見てくれていた春先輩。
『授業中は寝るな』とか『一日一回は復習すること。わからないことは考えるよりも先に聞け』とか、俺からすれば無理難題なことも、先輩が言ったから頑張れた。
(そりゃあ、すぐにでも報告したくなるだろ)

 先輩の喜ぶ顔が見たい。
 頭を撫でて「よくやったな」って褒めて欲しい。
 そう思ってしまったのは、仕方ないことだ。つまり、テストを握りしめ、徐ろにクラウチングスタートを決め、東崎を振り切るために校舎を二周して先輩のクラスに行ったのは、仕方ないことなのだ。

「先輩、よく怒らなかったね」と言われ、俺はいやと首を横に振った。

「ちゃんと怒られた。昼休み中、ずっと正座させられた」
「あ、そうなんだ。よかったねぇ、まともな先輩で」
「……先輩がまともじゃないと思ってたのか?」
「そういう意味じゃないんだけどねぇ」

 ケラケラと笑う百瀬。「春ちゃん先輩大変そー」と言われ、俺は首を傾げた。

「ま、怒られて臍を曲げたって感じじゃなさそうだね。やっぱり春ちゃん先輩に何か言われたってのが一番有力かなぁ?」
「?」
「お前が不機嫌な理由」

 百瀬は話を戻してきた。
 俺はあからさまに顔を顰めて百瀬を見る。……本当、楽しそうに人を探るな、こいつ。

「そんな怖い顔しないでよ。ただの好奇心だって」
「余計悪いだろ」
「まあまあ。で、キスでもしちゃった? それともついに押し倒したとか」
「ブッ!」
「うわっ」

「汚いなぁ」と百瀬が嫌そうな顔をする。
(くそ、言ったのはそっちだろ)
「悪い」と雑に口元を拭って「お前こそ変なこと言うのやめろ」と睨みつける。

「えー? でも一度は考えたことあるでしょ?」
「……」
「図星―。まあ仕方ないよねぇ、男の子だもん」

 俺は気まずさに視線を逸らした。……一瞬、自分の脳内が見透かされたんじゃないかと思ってしまった。

 じわじわと這い上がってくる熱を誤魔化すように、口元をゴシゴシと拭う。もう拭う必要はなくても、止められなかった。

「いやぁ、甘利はむっつりだねぇ」
「っ、違う!」
「えー? でもさっきの反応は完璧そうじゃない?」

 ブンブンと首を横に振る。
 珍しく大声を上げたことでクラス中の視線が集まっている気がするが、そんなのに構ってはいられなかった。

「先輩とは何ともない! 俺がただ勝手にキレて先輩を傷つけただけだ!」 
「えぇ~? 何でキレちゃったのさぁ~?」
「それは……っ!」

 ぐっと言葉を飲み込む。
 ……本当は言うつもりなんてなかった。でも、このままじゃ予測不可能なことへと着地してしまいそうで。
(俺は何言われても別にいいけど、先輩を悪く言われるのはむかつく)
 俺はぐっと拳を握り、百瀬を見る。

「……先輩が俺のことを心配してくれたのに、俺が駄々こねて勝手にキレだけだ。先輩は悪くない。俺がガキだっただけで」

 そうだ。先輩は俺のことを心配してくれていた。
 こんな面倒なやつ、『もう一緒にいたくない』って一言で切っても良かったのに、先輩は遠回しに言おうとしてくれた。
 俺の気持ちは伝わってなかったけど、先輩は先輩なりに気を使ってくれたのだろう。
 (……わかってるんだ、そんなことは)

 でも、やっぱり俺は――――。

「ふーん。でも、お前にとってはキレちゃうくらい重要なことだったんでしょ?」
「それは……」
「じゃあ、怒っていいんじゃない?」

 あっけらかんとして言われた言葉に、俺は瞬きをする。怒ってもいい、なんてはじめて言われた。

「……いいわけないだろ。先輩を困らせるな」
「俺に言わないでよ。っていうか、甘利はなに? 先輩のいいなりがいいの?  ペットとか?」
「は?」

 ペット? 何の話だ?
 百瀬はクルクルと指先で机に円を描く。まるで考えを整理しているかのような動きだ。いつもの飄々とした雰囲気が少し締まったような気がする。

「俺には二人の関係性はよくわかんないけどさー、甘利は先輩が好きなわけじゃん?」
「あ、ああ」
「でも返事はまだ貰ってなくて、先輩からの返事は保留。お前は特に急かす訳でもなく、先輩の気持ちを優先したいって思ってるわけだろ?」
「当然だ」

 俺は即答した。
 自身の感情を先輩に強引に押し付けて、もしも付き合えたとして。一体何が楽しい? 嫌そうな顔をされたり、怯えた顔をされるよりも俺は、先輩の笑顔を見たい。
(そのためなら、何だって出来る)

「押し倒してさっさと既成事実でも作ればいいのにさー」
「先輩にだって選ぶ権利があるだろ」
「それがわかってて、なんでわかんないかねぇ~」
「?」

 俺は首を傾げる。急に呆れられたが、そもそも何が言いたいのか全然伝わってこない。まるで捕まえようとした蛇がすり抜けていくみたいだ。

 百瀬は大きくため息を吐くと、俺を指した。人差し指が俺の額を突く。叩き落しそうになったが、すんでのところで堪えた。

「なんだよ」
「それはさ、お前にも言えることなんじゃないの?」
「は?」
「お前の“嫌だった”って気持ちも、尊重されていいんじゃないのって言ってるの」

 俺は瞬きをする。

「……考えたこともなかった」
「その様子じゃそうだろうねぇ。でも人間関係を長く続ける秘訣は程よい距離感と、ちゃんと“自分の意志”を持つことだよー?」
「程よい距離感と、自分の意志……」

 百瀬は空になったパックジュースを手元で弄ぶ。それを見つめ、俺は百瀬の言葉を反芻する。
 (……難しい話をされている気がする)

 さっきから百瀬の話は俺にとって目からウロコが落ちていくようなことばかりだ。
 人付き合いが苦手な俺と得意な百瀬では、見える世界が違うのだろう。

「喧嘩をしないからいいってわけじゃないし、喧嘩をすることでお互い理解を深めることにだって繋がるんだから」
「……」
「先輩にもいい薬だったんじゃない?   のらりくらりと躱してた相手が急に……! なーんてさぁ。考えるようにもなるでしょ」
「……そんなの怖がらせるだけだろ。俺は先輩よりでかいし、力も強い。先輩もよく俺をゴリラって呼ぶぞ」
「確かにお前はゴリラだし野生児だけど、それとこれは違うじゃん」

 そうなのか。
 そう、なのか。

「それにさぁ、どーせお前のことだから春ちゃん先輩のこと全肯定してたんでしょー?  そんな奴が声を荒げて出て行ったなんて、今頃春ちゃん先輩の頭の中は甘利の事でいっぱいだろうねぇ」

 百瀬の言葉にドクリと心臓が音を立てる。
(先輩の頭の中が俺のことでいっぱい……?)
 なんだそれ。もしそれが本当なら死ぬほど嬉しい。

 緩みそうになる口元を手で隠す。
 百瀬が「うわ、にやけてる……」と若干引いた声を出したが、聞こえなかったフリをした。

「……本当、甘利は先輩関係だとわかりやすいよねぇ」
「そんなことないだろ」
「あるから言ってるんだけどねー?」

「鏡見てからいいなよ」と言われ、百瀬の興味はスマートフォンに移った。
 ……非常に心外だが、ようやく移ってくれた興味にホッとする。

(でも、そうか)
 喧嘩したことに心底落ち込んでいたけど、悪いことだけじゃないのか。
(もし百瀬が言ったことが本当なら……)
 今の状況はそんなに悪いことじゃないんじゃないだろうか。



 ブブッ。

「?」

 何かが振動する音が響く。百瀬のスマートフォンが音を立てたのかと思ったが、どうやら違うらしい。

 鞄から自分のスマートフォンを取り出す。画面を点灯させれば、先輩と部活の連絡にしか使われたことのないトークアプリのアイコンが、メッセージの受信を知らせていた。

 部活の連絡か? とアプリを開き――俺はスマートフォンを取り落とし。
 ゴッとスマートフォンが机にぶつかって、重い音を立てる。

「ちょ、ちょっと。何してんの?  大丈夫?」
「あ、ああ」

 驚く百瀬に、俺はぎこちなく頷く。
 震える手でスマートフォンを再び掴んだ。恐る恐る画面を見る。

『春先輩からメッセージが届いています』

(……見間違いじゃ、なかった)
 込み上げる歓喜に、俺は口元を無理矢理引き結ぶ。嬉しすぎて今すぐ校庭を走り回りに行きそうだ。今なら百周でも二百周でもできる気がする。

「……」
「え、何? 急に黙り出したんだけど。こっわ」

 百瀬の声を他所に、俺はメッセージをタップする。情けないくらい指が震えている。

 送られてきていたのは、先輩の写真だった。
 誰かが撮ったであろうその写真は、北海道の博物館の外観の前に立つ先輩を映し出している。

(せ、先輩が可愛すぎる……ッ!!)
 俺は机に勢いよく突っ伏した。百瀬がギョッとする。
 しかし、この気持ちを抑えることは出来なかった。

 博物館の看板を前に、どんなポーズを取ればいいのか迷ったのだろう。気まずそうに立つ先輩は、ぎこちなくピースをしている。俺より一回りほど小さな指は半分ほど折れ曲がったままだ。

 急いで保存をして『かわいいです』と返信を打っていれば、それよりも早くメッセージが更新される。

「!」

 再び送られてきたのは、写真だった。
(先輩の可愛さに殺される……!)
 俺は不意打ちで見てしまった写真に、唸り声を上げた。

 新しい写真には、友人らしき二人と一緒にラーメンを食べている先輩が映っていた。茶髪のチャラそうな人が撮ったのだろう。自撮りに慣れているのか、ブレもない素晴らしい写真だった。

 春先輩は完全に不意打ちだったのか、口が膨らんでハムスターになったまま、掲げられたスマートフォンに手を伸ばしている。なんで先輩じゃない人が先輩のスマートフォンを持っているのか、使えているのか、気になることはいくつもあるが、写真を送ってくれたことには感謝しかない。
 速攻で保存して、さっき書いたメッセージを送る。

「口いっぱいに詰め込んでて……可愛すぎるだろ」
「あははは。全女子がドン引きするレベルでイケメンが崩れてるねぇ」

「なにか嬉しいことでもあった?」と百瀬が言うが、正直嬉しいなんてものじゃない。
 見事な二連撃に、俺は心臓が破裂しそうだ。先輩から連絡が来ている、という事実だけでも幸福で血反吐を撒き散らしそうなのに、写真が二連続なんて確実に仕留めにかかっている。

 覗き込んでこようとする百瀬を押し退け、俺は先輩にスタンプを送りまくる。今、この感動を伝えないでいつ伝えるんだ。今しかないだろ。
(先輩可愛い……もっと見たい)
 ふつふつと欲が浮かび上がってくる。それも仕方ないだろう。だって春先輩がこんなにも可愛いんだから。

 シュポン。

 聞こえた通知音に顔を上げる。画面に映し出されたのは、写真では無く、文面。

『うるさい』
『何度も送ってくんな』

「……!  先輩が怒ってる……!」
「えっ、なに?怒られて喜んでるの?  えー……?」
「考えてもみろ。先輩が俺のために四文字も打ってくれたんだぞ?」
「……お前の基準、ちょーっとおかしいよねぇ」
「何を言ってるんだ、お前」

 ドン引きする百瀬に、俺は信じられないと言わんばかりの視線をむける。

「先輩がわざわざ考えて、わざわざスマホを手に持って、俺のためだけに打ってくれたんだぞ?」
「たった四文字。しかも罵倒だけどねぇ」
「その後に十一文字も送ってきてくれてるだろ!」
「わぁー。漢字無視して平仮名計算じゃーん」

「いい感じに気持ち悪いねー」と笑う百瀬。失敬な。恋する人間なんて、基本気持ち悪いもんだろうが。

 百瀬に文句を言う傍らで俺は『ありがとうございます』のスタンプを送った。すると、ほとんど間をおかずにスタンプが返ってくる。ドン引きしたペンギンのスタンプは、先輩みたいで可愛らしい。

(今すぐ走り出したい。何なら今すぐ先輩のいるところまで走っていきたい)
 今なら空でもなんでも飛べる気がする。不可能を可能に変えられる気がする。それくらい、気持ちが漲っていた。

 シュポ。

 再び来た返事に、今度はどんな可愛いスタンプが送られてくるのかとワクワクしながら画面を見る。

『この間は、ごめん』

「!」

 歓喜に染まっていた心に突き刺された、短い一文。
 十文字にも満たないのに、俺は心の奥に沈んでいくのを感じとった。

(先輩……)
 ずっと、考えていたのだろうか。
 百瀬の言う通り、先輩の中でたくさん俺のことを考えて、たくさん悩んで、送ってきてくれたのだろうか。
(……単純だな)
 沈んでいた気持ちが一気に浮上していく。真っ暗だった目の前が、開けていくような感覚だった。

 俺は慎重に文字を打っていく。
 指先が緊張で冷たくなっていくが、知らないフリをした。

『写真、ありがとうございます』
『俺の方こそ、すみませんでした』

『いや』
『俺が考えなしに言ったから』
『怒られて当然だって言われた』

「……誰に?」

 先輩からの情報に、つい言葉が漏れる。
(誰かに相談したのか?)
 誰に? なんて?

 知らない人の影に黒いモヤが込み上げてくる。それが嫉妬だと分かって、俺は自分の身勝手さに眉を寄せた。先輩は真剣に悩んでくれたのに嫉妬だなんて。最悪だ。
(落ち着け、俺)
 ブンブンと首を振って、画面を見る。今すぐ問いかけたい気持ちを抑え、俺は静かに息を吐き出した。

『そうだったんですか』
『気にしてくれて嬉しいです。でも、せっかくの修学旅行ですし、楽しんでください』

『うん』
『お前も、勉強頑張れよ』
『授業中、寝てたら容赦しねーからな』

「あららぁ。バレてんじゃん」
「違う。寝てない」
「嘘。さっき寝てた奴が何言ってんの」

 百瀬が笑う。
 別に、本当に寝ていない。ただ目を閉じていただけで。ちゃんと先生の声は聞いていた。モゴモゴしてて聞き取りづらかったけど。

「で?  ちゃんと『帰ってきたらイチャイチャしよー』って言った?」
「あ゛?」
「うわぁ。甘利ってそんな顔出来たんだ」

「どんな顔だよ」と舌を打てば、「うーん、人ひとり殺せそうな顔?」と返された。失礼なやつだな。

「もー。仲直りして上機嫌なのはいいけど、俺を巻き込まないでよねー」
「うるさい。お前が変なこと言うからだろ」
「変なことってなーにー?」
「いっ、イチャイチャ、とか……っ!」

 ぶわっと熱が広がる。
 “そういう妄想”をしていなかったといえば嘘になるが、だからといって言葉にするのは少し……否、だいぶ憚られる。
(先輩に聞かれたら軽く死ねる)
 いろいろなことを妄想しているが故に、知られたくないこともあるのだ。俺は絶対に知られないようにしようと決意した。

「キスくらいしちゃえば?」
「そういえばこの前の握力測定、握力計が壊れてて六十キロまでしか測れなかったんだが、今やってみてもいいか?」
「さーて。次の授業の準備でもしよーかなー」

 わざとらしくそっぽを向く百瀬を余所に、俺は窓の外を見た。
 ――綺麗な青空だった。
 透き通る青い空に、白い雲がいくつかふよふよと浮いている。
(先輩のところは、どんな天気なんだろうな)
 写真を見たところ、晴れではあるみたいだけど。折角の修学旅行だ。どうせなら天気に左右されずに楽しんで欲しい。

(……先輩に会いたいな)
 晴れやかに笑う先輩が頭を過る。春の陽気のようにくるくる変わる表情は、ずっと見ていても飽きない。
(会って抱きしめて、ちゃんと自分の口でお礼を言いたい)

 連絡してくれてありがとうございます。
 嫌わないでいてくれてありがとうございます。
 俺のこと、考えてくれてありがとうございます……と。

「……タイムマシンが欲しい」

 小さく呟いて、俺は再び机に突っ伏す。高らかに響くチャイムの音が、昼休みの終わりを告げる。俺は静かに目を閉じた。
 襲い掛かってくる睡魔に、少しだけ、と意識を手放した。



 ――数分後。
 頭に受けた衝撃に、俺はのっそりと顔を上げる。
 寝惚け眼で見えたのは、額に青筋を立てる東崎で。

「甘利ィ……授業中に寝るなって何度言えばわかる!」
「はぁ……すみません」
「ったく。最近寝なくなったと思ったら、テスト終わった瞬間寝やがって……今すぐ起きないと蒼井にチクるぞ」
「すみませんでした。ちゃんと授業受けます」
「お前なぁ……はぁ……」

 肩を思いっきり下げた東崎に、俺は首を傾げた。
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藤吉めぐみ
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青春BLカップ1次選考通過しておりました! 応援ありがとうございました! ******************* その日、澤下壱月は王子様に恋をした―― 高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。 見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。 けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。 けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど―― このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。

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