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二章 二人の距離感
二十話 葛藤
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あれから数日。世間は夏休み期間に突入していた。
(ど、どー……すっかなぁ……)
甘利の応援に行ったのが二週間前のこと。
夏休みに入ってすでに一週間が経っても、俺は自分の感情の整理が出来ないままでいた。
(いや、だって……そうもなるだろ)
今まで感じたことのない気持ちを、甘利相手に感じるようになった。その事実に、ずっと頭が混乱している。
お陰で夏休み前の一週間は徹底的に甘利を避けてしまったし、秋人にも「修学旅行の時の再来か~?」と茶化された。
(あいつ、絶対今度復讐してやる)
ニヤニヤと俺を見る秋人の目を思い出し、俺は苛立ちを募らせる。
大体、甘利との関係なんて、アイツが勝手に好き好き言って、勝手について来ているだけだ。写真部の部室を開けているのも、目立つ甘利の隣にいることで被害が俺に来ないようにするためで、深い理由なんかない。
俺は女の子が好きだし、女の子と付き合いたい。キスだってしたいし、それ以上だって考えたことは何度もある。何が悲しくて自分よりでかい男の硬い体を選ぶってんだ。
(俺は、あいつとはちがう)
ふと、あの日のことを思い出し、俺は眉を寄せる。
あんなに可愛い子に触られて、ちょっかいかけられてるなんて羨ましい以外の何物でもない。いい匂いだってしたし、陸部のマネージャーってことは、エースである甘利のことをちゃんと応援してくれるだろうし、一番の理解者になるかもしれないってことだ。
(そんな子を、あんなに邪険にするなんて)
「……甘利の馬鹿野郎」
(……馬鹿なのは俺だ)
そうじゃない。俺のこの気持ちは、女子にモテる甘利が羨ましいからじゃない。もしそうだったらあんな――『俺のこと好きだって言ったくせに』みたいな事、思ったりしない。
「あー、くっそ。俺、今年受験生だぞ。こんなこと考えてる場合じゃねーのに」
頭の中がぐるぐるする。
ずっとモテている甘利が羨ましかったのに、今はそうじゃないこととか、あんな変なことを思った理由とか。全部わからなくてモヤモヤする。
ブブッ。
震えるスマートフォンを手に取る。
『お疲れ様です、先輩』
呑気なメッセージが画面に表示される。
俺はメッセージを開くと、『お疲れま』のスタンプを返した。すぐに返事が来る。
『今、何してました?』
「……そんなの聞いてどうするんだよ」
ぼやきつつも、『勉強』と打てば『すごいですね。尊敬します』と返って来た。
「軽っ」と吹き出してしまった。
『お前は?』
『俺は今風呂に入って上がったところです』
『そうかよ』
『本当ですよ』
『写真撮りましょうか?』
『いらねーよ』
ポンポンと返されるメッセージ。心地いいテンポに俺は無意識に口元が緩んでしまう。
『先輩は夜ご飯食べましたか?』
『ちなみに俺は唐揚げとハンバーグと米大盛りです』
『すげー食うじゃん』
『俺はそうめん。生姜焼き乗せ』
『美味しそうですね!』
『写真はないんですか?』
『ねーよ』
『えー』
「えーじゃねーよ」
ふっと吹き出す。時々甘利が子供みたいな駄々を捏ねてくるのにも慣れてきた。
(今度、気が向いたら撮ってやるか)
いつになるかはわからないけど。
『すみません。そろそろ消灯の時間で……』
『もっと先輩と話したかったんですけど』
『怒られるのは俺じゃねーし、別にいいけど』
『だめです!』
『一日先輩と連絡取れなくなるのは嫌です!』
『そうかよ』
『まあ、今日は大人しく寝ろ』
『はい。そうします』
『おやすみなさい、先輩』
甘利のメッセージに『おやすみ』のスタンプを返せば、すぐに『好きです』のメッセージが返ってくる。
(こいつ……っ)
毎日毎日送られてくる、四文字。挨拶の後にすかさず送られるから、逃げることも出来ずいつも既読になってしまう。
「っ、本当、飽きねぇよな」
甘利のストレートな言葉に、むず痒くなる。
修学旅行から毎日のようにしている連絡は、甘利を避け続けた一週間も、夏休みに入ってからも続いていた。というより、連絡をしないとどこまでも追いかけてきそうで、「連絡だけは」と思って返事をしているのだ。
だから別にこの時間が楽しみになっているとか、そういうわけじゃない。断じて。
時計を見れば、既に時間は二十二時に近づいていた。俺は広げていたノートと教科書を閉じ、デスクの電気を落とした。
ベッドに倒れ込み、ごろりと寝返りを打ってクッションを抱える。
甘利との時間は、嫌いじゃない。
でも、自分の感情が整理できていない今、顔を合わせたくない。顔を見たら変なことを言ってしまいそうだし、変なところで鋭いあいつのことだ。何かあってこのよくわからない気持ちがバレてしまうのは避けたい。
(俺、なんか最近ずっと甘利の事考えてねぇ……?)
なんでこんなことになっているのか。もう一度言う。俺、受験生だぞ。
そもそも、甘利と会ってから散々なことばかりだ。
知らない一年には名前を覚えられるし、秋人にも揶揄われるし、クラスではいつの間にかアイツの飼い主扱いになってるし。そのくせ女子は近寄ってこないし、来たかと思えば甘利に取られるし、何度「蒼井先輩~、甘利くん見ませんでした~?」って聞かれたと思っているのか。
「蒼井先輩、甘利くんと仲いいですよねー。なんでですかー?」とか「先輩から甘利くんに手紙、渡してくれませんか?」とか、まるで俺を橋渡しみたいにしやがって。毎回律儀に断るのも面倒なんだぞ!
(俺はただ平和な学校生活を送って、可愛い彼女を作って、青春を謳歌したかっただけなのに……!)
完全に俺は甘利への伝手として認識されている。女子たちに。なんで俺を見てくれないのか。
「それもこれも、俺を好きだとかなんだとかアイツが言うから……」
まるで自分がアイツの特別になったんじゃないかって。勘違いして、変なこと言っちまうし、意味わかんねー。
はあ、と大きく息を吐き出す。こんな状態で甘利と目を合わせるなんて、やっぱりできるわけがない。
甘利が他の人間を見ているのが嫌だった。
甘利の隣に自分以外がいるのが嫌だった。
甘利があの人を選ぶのが、嫌だった。
友達に思うには重すぎる。
好きな女の子に対して思うには、ドロドロと真っ黒な感情。
もちろん、家族や兄妹とも違う。――この感情の名前を、俺は知らない。
「あー……寝よ」
寝て、忘れてしまおう。
どうせ考えたところでわかんねーんだから、考えるだけ時間の無駄だ。
寝て起きたら、もしかしたらぱっと思いついてるかもしれないし、逆にどうでもよくなっているかもしれない。二週間経って解決しなかったことが一晩で解決するとは思っていないけど、それ以外にどうしたらいいかわからない。
俺はもぞもぞとベッドの中に入った。頭から布団を被れば、暗い空間に気持ちが落ち着いてくる。
(やっぱ面倒なことは寝て忘れるに限る)
どうせ明日からは夏期講習で学校に行かなきゃなんねーんだし。甘利と会うかはわからないけど、絶対に顔を合わせないというのは出来ないだろう。
強引にでも目を閉じれば、やってくる眠気。
俺はそれに浸るように集中して意識を手放した。
――翌日。
俺は第一日目の夏期講習を休んだ。
「ちょっと! 春! アンタ今日から夏期講習じゃなかったの!?」
「……寝坊した」
「はあ!?」
母の怒声が響く。怒る気持ちは尤もだ。だが、こうなってしまった以上、俺がどうこうすることも出来ないのも事実。
(なんて言ったら火に油注ぐだけだよなぁ)
俺は大きく欠伸をしながら、「ごめん、寝坊した」と告げた。悲しいが、事実だ。
夏期講習は十時から。そして今は昼の一時。起きた時にはもうすでに手遅れだったのだ。
(どうせ講習は二時までしかやってないし、それからは自習で教室使えるってだけだしなぁ)
まあ、明日もあるし。「明日はちゃんと行くよ」と告げれば「もう」と母さんが呆れる声が聞こえる。
「春、ご飯は?」
「んー。食べる」
「はいはい。全くもう。ほら、さっさと顔を洗ってきなさい」
「はーい」
俺は洗面台に向かうと、顔を洗った。適当に顔を拭って、鏡を見る。
「げっ、すげー寝ぐせ」
顔まで布団を被っていたせいだろう。髪が重力に逆らって上を向いている。どんな体制で寝たんだ、俺。
水で濡らした手で、必死に髪を撫でつける。外に出ないとはいえ、さすがに一日この髪型でいるのは嫌だ。数回撫でつければ、元々癖の付きにくい髪はそれだけで元の位置に直る。ほっと息を吐いて、他にも変なところがないかとよく鏡を見た。耳元が多少跳ねているが、許容範囲だ。
(……そういや、アイツはすげー癖毛だったよな)
毛量も多いからか触ると柔らかくて、ふわふわしていた。ついつい撫でたくなってしまって、意味もなく撫でたことも何回かあった気がする。
(なんか、近所の犬撫でてるみたいなんだよなー)
まあでも、寝癖ついたら面倒くさそうだ。本人も「どれが寝ぐせかわかりません」なんて言ってたし。
「春ー、ご飯の用意できたわよー」
「はーい」
母の声に返事をして、リビングに向かう。
テーブルには焼かれた食パンと簡単なおかずが用意されていた。
「おお。ありがと、母さん」
「もう。明日はちゃんと行きなさいよ」
「んー」
早速食パンに齧り付けば、パリッと軽快な音が響く。香ばしい匂いが口内に充満する。
一口食べれはスイッチが入ったように腹の音が鳴った。次々に口に放り込んでいれば、母はどこかに出かける準備をしていた。
「母さん出かけんの?」
「買い物にね。あ、冬香は今日部活で遅くなるって言ってたから」
「ふぁーい」
「あんたも、ちゃんと勉強してなさいよー」
適当な返事をすれば、バタバタと出て行く母。「鍵閉めておいてねー」と言われ、俺はパンを片手に鍵を閉めに向かった。
(そうか。冬香も遅いのか)
一人残されたリビングで俺はぼうっと天井を見上げる。
「静かだなぁ……」
自分ひとりの部屋に、クーラーの音だけが響く。
なんだか一気に非日常に放り込まれたみたいで、心地がいい。もくもくと食べ続けていれば、すぐになくなってしまった。
食器を片付けて、皿を洗う。後でグータラしていても母に文句を言われないための処世術だ。
「夕方になったら洗濯物やって……それまでは暇だな」
とはいえ、講習をサボった手前遊びに出る気にもなれないし、テレビもなんだか気分じゃない。
(……大人しく勉強してるか)
俺は観念して、自分の部屋に向かった。
ピンポーン。
響くチャイムに、集中が切れる。「はーい」と声を上げつつ、玄関に向かう。
インターホンの応答ボタンを押し、「ハイハイ、どなたですかー」と声を掛ける。
『突然すみません。俺、甘利檸檬って言います。春先輩の後輩で……』
「へっ? 甘利?」
『あ、先輩ですか?』
(何でここに甘利が!?)
驚きすぎてたたらを踏んでしまった。ガタタン、と響く。甘利が『大丈夫ですか!?』と声を掛けてくる。
「だ、大丈夫、大丈夫。で、えーっと……なんでここに?」
『あ、家のことは夏生先輩に聞きました。それでその……少し、話しませんか?』
真面目な声のトーンに、俺は顔を上げる。画面越しで目なんて合わない。なのに、甘利は真っすぐインターフォン越しの俺を見つめていた。
「話? 何の話だよ。俺別にお前に話すことなんて何も――」
『……先輩にはないかもしれませんが、俺にはあります。俺を避けている理由とか』
「っ」
――バレてたのか。
俺は生唾を飲み込む。この展開は予想外だった。
(もうちょっと対策とか立てとけよ、俺っ!)
いやまあ、面倒なことは寝て忘れるとか言って寝た俺が悪いんだけど!!
「さ、避けてなんかねーよ。メッセージだって普通だっただろ? つーか元々こんな感じの距離だったじゃん。勘違いしてんじゃねーの?」
『……本当ですか? 本当に俺のこと、避けてませんか?』
「あ、当たり前だろ」
『先輩』
「っ」
甘利の静かな声が、やけに大きく聞こえる。頭の中で甘利への罪悪感と、隠し通したいプライドがぐるぐると旋回する。
(そんな目で、見るなよ)
嘘をついている自分を見透かすような視線に、ドクドクと心臓が鳴る。緊張で手が震えて来た。
『……わかりました。それじゃあ、話は良いです。でも、顔が見たいので一瞬でも扉開けてくれませんか?』
「えっ」
『もう二週間、先輩の顔ちゃんと見れてないんです』
『お願いします』と言われる。律儀にインターフォンの向こうで頭まで下げている。
(べ、つに……顔くらい、見れなくても)
そう言いたいのに、口が動かない。俺は俯いた。
(このまま、こいつを入れてもいいのか?)
あれだけ逃げ回ったのに? 顔を合わせたら、ぼろが出てしまうかもしれないって怖がってたのに?
解決策も、感情の整理も、何一つ出来ていない。顔を合わせて、自分が普通で居られる自信がないのだ。
(甘利に変な奴だって思われたくないし、俺のわけのわからない気持ちを察して気を遣われるのも嫌だ)
……ここまで来てもらったのには申し訳ねーけど、ここは安定に断るのが一番――――。
『だめですか、春先輩』
あー……。
「……わかったよ」
「今から開けてやるから」と告げ、インターフォンのスイッチを切った。はあ、とため息を零して、玄関に向かう。
(あいつのあの顔に弱いんだよな、俺……)
デカい犬が落ち込んでいるみたいで、放っておけなくなってしまう。罪悪感に押しつぶされそうになるのだ。
(一瞬……一瞬、顔を出すだけだから)
心の中で何度も言い聞かせ、俺は玄関の鍵を開けた。
「先輩」
甘利は忠犬のように姿勢よく、扉が開かれるのを待っていた。
(ど、どー……すっかなぁ……)
甘利の応援に行ったのが二週間前のこと。
夏休みに入ってすでに一週間が経っても、俺は自分の感情の整理が出来ないままでいた。
(いや、だって……そうもなるだろ)
今まで感じたことのない気持ちを、甘利相手に感じるようになった。その事実に、ずっと頭が混乱している。
お陰で夏休み前の一週間は徹底的に甘利を避けてしまったし、秋人にも「修学旅行の時の再来か~?」と茶化された。
(あいつ、絶対今度復讐してやる)
ニヤニヤと俺を見る秋人の目を思い出し、俺は苛立ちを募らせる。
大体、甘利との関係なんて、アイツが勝手に好き好き言って、勝手について来ているだけだ。写真部の部室を開けているのも、目立つ甘利の隣にいることで被害が俺に来ないようにするためで、深い理由なんかない。
俺は女の子が好きだし、女の子と付き合いたい。キスだってしたいし、それ以上だって考えたことは何度もある。何が悲しくて自分よりでかい男の硬い体を選ぶってんだ。
(俺は、あいつとはちがう)
ふと、あの日のことを思い出し、俺は眉を寄せる。
あんなに可愛い子に触られて、ちょっかいかけられてるなんて羨ましい以外の何物でもない。いい匂いだってしたし、陸部のマネージャーってことは、エースである甘利のことをちゃんと応援してくれるだろうし、一番の理解者になるかもしれないってことだ。
(そんな子を、あんなに邪険にするなんて)
「……甘利の馬鹿野郎」
(……馬鹿なのは俺だ)
そうじゃない。俺のこの気持ちは、女子にモテる甘利が羨ましいからじゃない。もしそうだったらあんな――『俺のこと好きだって言ったくせに』みたいな事、思ったりしない。
「あー、くっそ。俺、今年受験生だぞ。こんなこと考えてる場合じゃねーのに」
頭の中がぐるぐるする。
ずっとモテている甘利が羨ましかったのに、今はそうじゃないこととか、あんな変なことを思った理由とか。全部わからなくてモヤモヤする。
ブブッ。
震えるスマートフォンを手に取る。
『お疲れ様です、先輩』
呑気なメッセージが画面に表示される。
俺はメッセージを開くと、『お疲れま』のスタンプを返した。すぐに返事が来る。
『今、何してました?』
「……そんなの聞いてどうするんだよ」
ぼやきつつも、『勉強』と打てば『すごいですね。尊敬します』と返って来た。
「軽っ」と吹き出してしまった。
『お前は?』
『俺は今風呂に入って上がったところです』
『そうかよ』
『本当ですよ』
『写真撮りましょうか?』
『いらねーよ』
ポンポンと返されるメッセージ。心地いいテンポに俺は無意識に口元が緩んでしまう。
『先輩は夜ご飯食べましたか?』
『ちなみに俺は唐揚げとハンバーグと米大盛りです』
『すげー食うじゃん』
『俺はそうめん。生姜焼き乗せ』
『美味しそうですね!』
『写真はないんですか?』
『ねーよ』
『えー』
「えーじゃねーよ」
ふっと吹き出す。時々甘利が子供みたいな駄々を捏ねてくるのにも慣れてきた。
(今度、気が向いたら撮ってやるか)
いつになるかはわからないけど。
『すみません。そろそろ消灯の時間で……』
『もっと先輩と話したかったんですけど』
『怒られるのは俺じゃねーし、別にいいけど』
『だめです!』
『一日先輩と連絡取れなくなるのは嫌です!』
『そうかよ』
『まあ、今日は大人しく寝ろ』
『はい。そうします』
『おやすみなさい、先輩』
甘利のメッセージに『おやすみ』のスタンプを返せば、すぐに『好きです』のメッセージが返ってくる。
(こいつ……っ)
毎日毎日送られてくる、四文字。挨拶の後にすかさず送られるから、逃げることも出来ずいつも既読になってしまう。
「っ、本当、飽きねぇよな」
甘利のストレートな言葉に、むず痒くなる。
修学旅行から毎日のようにしている連絡は、甘利を避け続けた一週間も、夏休みに入ってからも続いていた。というより、連絡をしないとどこまでも追いかけてきそうで、「連絡だけは」と思って返事をしているのだ。
だから別にこの時間が楽しみになっているとか、そういうわけじゃない。断じて。
時計を見れば、既に時間は二十二時に近づいていた。俺は広げていたノートと教科書を閉じ、デスクの電気を落とした。
ベッドに倒れ込み、ごろりと寝返りを打ってクッションを抱える。
甘利との時間は、嫌いじゃない。
でも、自分の感情が整理できていない今、顔を合わせたくない。顔を見たら変なことを言ってしまいそうだし、変なところで鋭いあいつのことだ。何かあってこのよくわからない気持ちがバレてしまうのは避けたい。
(俺、なんか最近ずっと甘利の事考えてねぇ……?)
なんでこんなことになっているのか。もう一度言う。俺、受験生だぞ。
そもそも、甘利と会ってから散々なことばかりだ。
知らない一年には名前を覚えられるし、秋人にも揶揄われるし、クラスではいつの間にかアイツの飼い主扱いになってるし。そのくせ女子は近寄ってこないし、来たかと思えば甘利に取られるし、何度「蒼井先輩~、甘利くん見ませんでした~?」って聞かれたと思っているのか。
「蒼井先輩、甘利くんと仲いいですよねー。なんでですかー?」とか「先輩から甘利くんに手紙、渡してくれませんか?」とか、まるで俺を橋渡しみたいにしやがって。毎回律儀に断るのも面倒なんだぞ!
(俺はただ平和な学校生活を送って、可愛い彼女を作って、青春を謳歌したかっただけなのに……!)
完全に俺は甘利への伝手として認識されている。女子たちに。なんで俺を見てくれないのか。
「それもこれも、俺を好きだとかなんだとかアイツが言うから……」
まるで自分がアイツの特別になったんじゃないかって。勘違いして、変なこと言っちまうし、意味わかんねー。
はあ、と大きく息を吐き出す。こんな状態で甘利と目を合わせるなんて、やっぱりできるわけがない。
甘利が他の人間を見ているのが嫌だった。
甘利の隣に自分以外がいるのが嫌だった。
甘利があの人を選ぶのが、嫌だった。
友達に思うには重すぎる。
好きな女の子に対して思うには、ドロドロと真っ黒な感情。
もちろん、家族や兄妹とも違う。――この感情の名前を、俺は知らない。
「あー……寝よ」
寝て、忘れてしまおう。
どうせ考えたところでわかんねーんだから、考えるだけ時間の無駄だ。
寝て起きたら、もしかしたらぱっと思いついてるかもしれないし、逆にどうでもよくなっているかもしれない。二週間経って解決しなかったことが一晩で解決するとは思っていないけど、それ以外にどうしたらいいかわからない。
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(やっぱ面倒なことは寝て忘れるに限る)
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強引にでも目を閉じれば、やってくる眠気。
俺はそれに浸るように集中して意識を手放した。
――翌日。
俺は第一日目の夏期講習を休んだ。
「ちょっと! 春! アンタ今日から夏期講習じゃなかったの!?」
「……寝坊した」
「はあ!?」
母の怒声が響く。怒る気持ちは尤もだ。だが、こうなってしまった以上、俺がどうこうすることも出来ないのも事実。
(なんて言ったら火に油注ぐだけだよなぁ)
俺は大きく欠伸をしながら、「ごめん、寝坊した」と告げた。悲しいが、事実だ。
夏期講習は十時から。そして今は昼の一時。起きた時にはもうすでに手遅れだったのだ。
(どうせ講習は二時までしかやってないし、それからは自習で教室使えるってだけだしなぁ)
まあ、明日もあるし。「明日はちゃんと行くよ」と告げれば「もう」と母さんが呆れる声が聞こえる。
「春、ご飯は?」
「んー。食べる」
「はいはい。全くもう。ほら、さっさと顔を洗ってきなさい」
「はーい」
俺は洗面台に向かうと、顔を洗った。適当に顔を拭って、鏡を見る。
「げっ、すげー寝ぐせ」
顔まで布団を被っていたせいだろう。髪が重力に逆らって上を向いている。どんな体制で寝たんだ、俺。
水で濡らした手で、必死に髪を撫でつける。外に出ないとはいえ、さすがに一日この髪型でいるのは嫌だ。数回撫でつければ、元々癖の付きにくい髪はそれだけで元の位置に直る。ほっと息を吐いて、他にも変なところがないかとよく鏡を見た。耳元が多少跳ねているが、許容範囲だ。
(……そういや、アイツはすげー癖毛だったよな)
毛量も多いからか触ると柔らかくて、ふわふわしていた。ついつい撫でたくなってしまって、意味もなく撫でたことも何回かあった気がする。
(なんか、近所の犬撫でてるみたいなんだよなー)
まあでも、寝癖ついたら面倒くさそうだ。本人も「どれが寝ぐせかわかりません」なんて言ってたし。
「春ー、ご飯の用意できたわよー」
「はーい」
母の声に返事をして、リビングに向かう。
テーブルには焼かれた食パンと簡単なおかずが用意されていた。
「おお。ありがと、母さん」
「もう。明日はちゃんと行きなさいよ」
「んー」
早速食パンに齧り付けば、パリッと軽快な音が響く。香ばしい匂いが口内に充満する。
一口食べれはスイッチが入ったように腹の音が鳴った。次々に口に放り込んでいれば、母はどこかに出かける準備をしていた。
「母さん出かけんの?」
「買い物にね。あ、冬香は今日部活で遅くなるって言ってたから」
「ふぁーい」
「あんたも、ちゃんと勉強してなさいよー」
適当な返事をすれば、バタバタと出て行く母。「鍵閉めておいてねー」と言われ、俺はパンを片手に鍵を閉めに向かった。
(そうか。冬香も遅いのか)
一人残されたリビングで俺はぼうっと天井を見上げる。
「静かだなぁ……」
自分ひとりの部屋に、クーラーの音だけが響く。
なんだか一気に非日常に放り込まれたみたいで、心地がいい。もくもくと食べ続けていれば、すぐになくなってしまった。
食器を片付けて、皿を洗う。後でグータラしていても母に文句を言われないための処世術だ。
「夕方になったら洗濯物やって……それまでは暇だな」
とはいえ、講習をサボった手前遊びに出る気にもなれないし、テレビもなんだか気分じゃない。
(……大人しく勉強してるか)
俺は観念して、自分の部屋に向かった。
ピンポーン。
響くチャイムに、集中が切れる。「はーい」と声を上げつつ、玄関に向かう。
インターホンの応答ボタンを押し、「ハイハイ、どなたですかー」と声を掛ける。
『突然すみません。俺、甘利檸檬って言います。春先輩の後輩で……』
「へっ? 甘利?」
『あ、先輩ですか?』
(何でここに甘利が!?)
驚きすぎてたたらを踏んでしまった。ガタタン、と響く。甘利が『大丈夫ですか!?』と声を掛けてくる。
「だ、大丈夫、大丈夫。で、えーっと……なんでここに?」
『あ、家のことは夏生先輩に聞きました。それでその……少し、話しませんか?』
真面目な声のトーンに、俺は顔を上げる。画面越しで目なんて合わない。なのに、甘利は真っすぐインターフォン越しの俺を見つめていた。
「話? 何の話だよ。俺別にお前に話すことなんて何も――」
『……先輩にはないかもしれませんが、俺にはあります。俺を避けている理由とか』
「っ」
――バレてたのか。
俺は生唾を飲み込む。この展開は予想外だった。
(もうちょっと対策とか立てとけよ、俺っ!)
いやまあ、面倒なことは寝て忘れるとか言って寝た俺が悪いんだけど!!
「さ、避けてなんかねーよ。メッセージだって普通だっただろ? つーか元々こんな感じの距離だったじゃん。勘違いしてんじゃねーの?」
『……本当ですか? 本当に俺のこと、避けてませんか?』
「あ、当たり前だろ」
『先輩』
「っ」
甘利の静かな声が、やけに大きく聞こえる。頭の中で甘利への罪悪感と、隠し通したいプライドがぐるぐると旋回する。
(そんな目で、見るなよ)
嘘をついている自分を見透かすような視線に、ドクドクと心臓が鳴る。緊張で手が震えて来た。
『……わかりました。それじゃあ、話は良いです。でも、顔が見たいので一瞬でも扉開けてくれませんか?』
「えっ」
『もう二週間、先輩の顔ちゃんと見れてないんです』
『お願いします』と言われる。律儀にインターフォンの向こうで頭まで下げている。
(べ、つに……顔くらい、見れなくても)
そう言いたいのに、口が動かない。俺は俯いた。
(このまま、こいつを入れてもいいのか?)
あれだけ逃げ回ったのに? 顔を合わせたら、ぼろが出てしまうかもしれないって怖がってたのに?
解決策も、感情の整理も、何一つ出来ていない。顔を合わせて、自分が普通で居られる自信がないのだ。
(甘利に変な奴だって思われたくないし、俺のわけのわからない気持ちを察して気を遣われるのも嫌だ)
……ここまで来てもらったのには申し訳ねーけど、ここは安定に断るのが一番――――。
『だめですか、春先輩』
あー……。
「……わかったよ」
「今から開けてやるから」と告げ、インターフォンのスイッチを切った。はあ、とため息を零して、玄関に向かう。
(あいつのあの顔に弱いんだよな、俺……)
デカい犬が落ち込んでいるみたいで、放っておけなくなってしまう。罪悪感に押しつぶされそうになるのだ。
(一瞬……一瞬、顔を出すだけだから)
心の中で何度も言い聞かせ、俺は玄関の鍵を開けた。
「先輩」
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智也の作る温かい手料理に胃袋を掴まれた圭吾は、次第に心を許し、子犬のように懐いてくる。
「先輩、お腹すいた」「どこにも行かないで」
無防備な素顔と時折見せる寂しげな表情に、智也の心は絆されていく。
住む世界が違うはずの二人。秘密の契約から始まる、甘くて美味しい青春ラブストーリー!
【完結】幼馴染に告白されたけれど、実は俺の方がずっと前から好きだったんです 〜初恋のあわい~
上杉
BL
ずっとお前のことが好きだったんだ。
ある日、突然告白された西脇新汰(にしわきあらた)は驚いた。何故ならその相手は幼馴染の清宮理久(きよみやりく)だったから。思わずパニックになり新汰が返答できずにいると、理久はこう続ける。
「驚いていると思う。だけど少しずつ意識してほしい」
そう言って普段から次々とアプローチを繰り返してくるようになったが、実は新汰の方が昔から理久のことが好きで、それは今も続いている初恋だった。
完全に返答のタイミングを失ってしまった新汰が、気持ちを伝え完全な両想いになる日はやって来るのか?
初めから好き同士の高校生が送る青春小説です!お楽しみ下さい。
絶対的センターだった俺を匿ったのは、実は俺の熱烈なファンだったクールな俳優様でした。秘密の同居から始まる再生ラブ
水凪しおん
BL
捏造スキャンダルで全てを失った元トップアイドル・朝比奈湊。絶望の淵で彼に手を差し伸べたのは、フードで顔を隠した謎の男だった。連れてこられたのは、豪華なタワーマンションの一室。「君に再起してほしい」とだけ告げ、献身的に世話を焼く『管理人さん』に、湊は少しずつ心を開いていく。しかし、その男の正体は、今をときめく若手No.1俳優・一ノ瀬海翔だった――。
「君のファンだったんだ」
憧れの存在からの衝撃の告白。クールな仮面の下に隠された、長年の熱烈な想い。
絶望から始まる、再生と愛の物語。失われたステージの光を、二人は取り戻せるのか。
陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
まったり書いていきます。
2024.05.14
閲覧ありがとうございます。
午後4時に更新します。
よろしくお願いします。
栞、お気に入り嬉しいです。
いつもありがとうございます。
2024.05.29
閲覧ありがとうございます。
m(_ _)m
明日のおまけで完結します。
反応ありがとうございます。
とても嬉しいです。
明後日より新作が始まります。
良かったら覗いてみてください。
(^O^)
【完結】毎日きみに恋してる
藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました!
応援ありがとうございました!
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その日、澤下壱月は王子様に恋をした――
高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。
見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。
けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。
けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど――
このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。
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