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三章 少年共、夏を謳歌せよ
三十七話 ゲリラ豪雨は突然に
しおりを挟む甘利との埋め合わせの日から一週間。俺は外にも出ず、部屋に籠る日々を送っていた。
(いやだって、気まずいだろ)
俺は机に突っ伏しながら、あの日のことを思い出す。
――あの後。写真展で居た堪れなくなった俺は、甘利の手を振り払って「帰る!」と走り出してしまった。
甘利が追いかけられないように、わざと人混みの中を駆け抜けて振り切った俺は、そのまま自分の家に帰って来てしまったのだ。
「だって……あのまま何を話せばいいんだよ」
甘利にもしあの写真を撮った時のことを根掘り葉掘り聞かれたらと思うと、羞恥で死にたくなる。
(べ、別にやましいことがあるわけじゃねーけど)
でも半ば衝動的に撮ったものだから、いろいろと明言するのは恥ずかしい。
(でも、本当に夏の終わりみたいだったんだよ)
くたびれたシューズ。
使い古されたそれが、袋の中でぽつんと佇んでいる姿は使い終わった後のようで寂しそうだった。だから、『夏の終わり』。三年は部活が夏で終わる部が大半だから、思いついただけだ。
(甘利は一年だから気付かなかったんだろうけど)
それでいいと思っていた。
「……甘利からしたら、迷惑だろうな」
俺はノートを下敷きに、ぽつりと呟く。
写真を撮られたことも、写真を撮ったことも、甘利はきっと怒ってなんかいない。寧ろこうして理由を話さないでいる方が、彼にとっては迷惑なのだろう。わかっているけど、なんとなく言い出せない。
なんでこうも隠したがるのか。自分で自分に聞いてもわからない。
大きく息を吐き出す。自分で考えてもわからないことを、甘利に話したところで迷惑でしかないだろう。
ピコン。
スマートフォンから通知が届く。画面を開けば、甘利からメッセージが届いていた。
(うっ)
開きたくない。でも、いい加減開かないと。
逃げ帰った日から、大量に甘利からのメッセージや着信が来ていた。それをことごとく無視しているのだが――それもそろそろ終わりにしないと甘利が何かしでかしそうで怖い。
「……くそぉ」
俺は震える手でメッセージを開いた。スマートフォンを遠ざけ、ずらっと並ぶメッセージを薄めで見る。
『大丈夫ですか?!』
『体調悪かったんですか?』
『不在着信』
『先輩、出てください』
『不在着信』…………。
「いや、ストーカーかよ」
こっわ。
ずっとバッグに入れてたから、こんなに着信来てたなんて気づかなかったけど、すげー怖いじゃん。一体何回かけてくんだよ。
その他にも何十件と甘利のメッセージが来ている。内容は全部俺を心配するもので、俺は少しだけ罪悪感を覚える。
(いやでも、あんな帰り方したら心配するのも当然か?)
今回ばかりは俺が悪いな、と思い直し、メッセージを読んでいく。そのうちの半分が『先輩』だったのはちょっと――否、だいぶ怖い。
『先輩、体調大丈夫ですか?』
『大丈夫なら、既読だけでもしてください』
「いや、怒れよ」
俺はついスマートフォンに向かって言ってしまった。
(俺、お前を放置して帰ったんだぞ)
普通怒るだろ、そんなことされたら。俺なら怒る。相手が先輩だろうと関係ない。
「はぁ……こいつ、マジで俺の事好きすぎかよ」
呟いてて、何言ってんだ俺と思った。
(今のはない。今のはない)
俺は頭を抱える。
甘利があんだけ『好き好き』って言ってくるから、ついに俺の思考も可笑しくなってしまった。
ブンブンと頭を振って、メッセージを見る。ふと、一番下に追加のメッセージが出て来たのを見て、俺は「げ」と声を上げた。
甘利にメッセージを見ている事がバレたのだ。
「最悪」
ちょろっと見てさっさと謝って退散しようと思ったのに、何張り付いてんだよ。甘利の癖に。
『先輩』
『見てるんですか?』
『すみません。先輩のこと、気づかなくて……』
「んあああ! なんだよこいつ!! 少しは俺の事責めて来いよ!!」
全部自分が悪い方向で考えやがる!! その心がけは良いことかも知んねーけど、そうじゃねーだろ!
俺はむすっと口を尖らせ、画面をタップした。
『ピコンピコンうるさい』
『! 先輩!』
『体調は悪くないし、楽しくなかったわけでもないから』
『気にしなくていい』
俺はいつもの二倍の時間を使ってメッセージを打った。
甘利は『そうですか』『体調悪くないようでよかったです』と安心したらしい。
俺はホッと胸を撫で下ろして、スマートフォンを机の上に置く。
(よかった)
多少罪悪感が掃われた。
ピコン。
「ん?」
再び聞こえた通知音に、俺はスマートフォンを見る。そこには秋人からのメッセージが送られてきていた。
(? なんだ?)
俺は首を傾げながら、メッセージを開く。
『至急○○駅前の図書館集合』
「は?」
突然のことに、俺は目を瞬かせる。『突然何?』と送れば『いいから来い』と横暴な答えが返ってくる。次いで『あ、勉強道具持って来いよ』と追撃された。
(ああ、なるほどな)
どうせ勉強に飽きたか、夏生に無理矢理やらされているのだろう。それでちゃんとやるんだから、秋人もなかなかのドMっぷりだと思う。
俺に連絡が来た理由は単に近いからだろう。○○駅の図書館と言ったら、歩いて十五分程度で着く距離だ。
(行かなかったら面倒くさそうだしなぁ)
のそりと椅子から立ち上がり、勉強道具を鞄に詰めていく。
最後にイヤフォンを手に取り、鞄に投げ入れる。リビングにいる母さんに「秋人と図書館で勉強してくる」と告げ、俺は家を出た。
歩くこと十五分。駅の裏手へと向かうと、図書館はすぐに見えてきた。
「あ、いた」
二階の自習室。
その一番端の机に、二人はいた。
「よ」
「おせーよ」
「連絡来てすぐに家出た友達になんつー言い草」
「そんなこと言うならもう二度と来ねぇぞ」と言えば、「ゴメンナサイ。来てくれてありがとうございます春様」と言われた。どうやらかなり参っているらしい。
チラリと夏生を見れば「久しぶり」と言われた。確かに二人と会うのは一週間ほどぶりだ。
「久しぶり」と返して、夏生の隣に腰掛ける。
「春。なんでそっちに座るんだ?」
「だってお前、面倒くさそうだし」
「なんでだよ!」
「静かにしろ、秋」
「図書室だぞ」と言う夏生に、秋人は不貞腐れる。
「わかってるけどさぁ……」と項垂れる秋人に、「この後カラオケ行くんだろ」と夏生が言う。
「! 行く!」
「じゃあ、約束の時間はもう少しだ。頑張れ」
「うぐぐぐ……!」
秋人は渋々ペンを持った。
(さすが夏生だな)
秋人の扱い方を心得ている。
「春も行くか?」と問われ、俺は首を振る。「悪い。急いで来てて財布持ってない」
「それくらい奢ってやるって。夏生が!」
「その分、秋人の勉強時間が増えるならいいぞ」
「悪い、春! 今の話はなかったことで!」
「調子よすぎだろ」
まあいいけど。
俺たちは多少の雑談を挟んだ後、勉強を始めた。
カリカリとペンとノートが削れる音が響く。時折周囲の話し声が聞こえるけれど、それも集中していれは、ほとんど耳に入ってくることはなかった。
ノートを捲る音が響く。
(呼び出されてすることが勉強って)
そう思わなくもなかったが、受験生である俺はペンを動かすほかない。
不意に夏生が立ち上がる。視線を向ければ、「資料取ってくる」と静かに返された。「行ってらっしゃい」と見送れば、秋人が「あ、じゃあこれ返しといて」と辞書を渡した。
夏生は何か言いたげな顔をしていたものの、静かに棚の方へと向って行く。
「……そういえばさぁ」
「何?」
「春って志望校決まってんの?」
秋人の言葉に、俺は顔を上げる。
夏生がいなくなった途端、集中力が切れたのだろう。秋人はシャーペンを手で弄びながら、言葉を続けた。
「……まだ」
「だよなぁ」
「秋人は?」
「俺? そりゃあ、俺は決まってるよー? ほら、俺先を見て予定を立てていくタイプだからさぁ」
「へぇ。三年間付き合ってきて初めて知ったわ」
「うるさいなぁ」
秋人は口を尖らせる。
シャーペンが机に転がり落ちる。秋人はそれを拾い上げることもせず、ぐっと伸びをする。
「でも、まじめにそろそろ考えないとなぁとは思ってるよ」
「まあ、それは俺も。ていうか、やっぱり決まってねーんじゃん」
「いいんですー。目星は付けてるんで大丈夫ですー」
「よく言うよ。どうせ夏生に言われてつけたんだろ」
「ギクッ。そ、そそそそ、そんなことないけどなー?」
わかりやすいにもほどがある。
俺はため息を吐いてノートに視線を戻した。
「んじゃ、そろそろ帰るか」
「! よっしゃ! カラオケ行こうぜ、カラオケ!」
「わかったからはしゃぐな。秋」
陽が傾き始める、夕方。
秋人と夏生は荷物をまとめ、席を立った。「楽しんで来いよー」と手を振って二人を見送る。
(秋人、すげー笑顔だったな)
さっきまで死んだ顔でノートに向かっていたのに、その影が一切なくなってる。
時間を見れば、夕方の五時の少し前。ノートを見れば、キリの悪い数式が並んでいた。
(俺もそろそろ帰るか)
キリがいいところまで仕上げていれば、秋人たちが帰ってから一時間以上が経過していた。俺は荷物をまとめ、図書館を出る。
「最悪……」
俺は出た図書館の前で、一人小さく呟いた。
図書館を出た瞬間、ぽつぽつと降り始めた雨に気付いたのも束の間。
降り始めた雨は一気に強くなり、目の前を真っ白に染め上げた。
(嘘だろ)
ザアアア――と降り注ぐ雨に、俺はひくりと頬を引き攣らせる。
(傘なんて持って来てねーんだけど……)
どうしよう。母さんに迎えに来てもらおうかな、と悩んでいれば、少し先から誰かが走ってくる姿が見えて来る。
(うわ、あの人も降られたのか)
鞄を頭に掲げ、すごいスピードで走ってくるのは、自分と同じくらいの高校生。近づいて来る影はだんだん大きくなり、その高校生が思った以上に大きいことに気が付いた。
「はぁっ、はぁっ……」
息を切らせて走ってくる高校生。あれじゃあ鞄の中身もびしょ濡れ間違いなしだろう。
(ご愁傷様だな、マジで)
図書館は閉館までまだ時間があるし、俺も雨止むまで中で待ってるかと踵を返そうとして――俺の足は止まった。
「春先輩?」
「あ、甘利?」
軒先に入ってくる陰に、俺は目を見開く。
駆け込んできたのは、甘利だった。
甘利は見るからにずぶ濡れだった。
ふわふわの髪はプール掃除の時以上にへたっており、水を含んだ分、重さを増している。半分ストレートになった髪の隙間からは、甘利の目が覗いていて、どきりとした。白い頬に雫が落ちる。
甘利は無言で乾いている地面に鞄を下ろすと、水で重たくなった髪を掻き上げる。綺麗な顔がよく見えて、俺は一瞬目を奪われた。
(これが、水も滴るなんとやらってやつか)
俺は何となく気恥ずかしくなって、視線を逸らした。「あー……」と声を掛ける。
「お、お前、濡れすぎじゃね? どこから走って来たんだよ」
「えっと、駅のちょっと前くらいから、ですかね」
「いや、遠すぎんだろ」
「中々軒先が見つからなくって。駅周辺は人でいっぱいでしたし」
「だからってここまで走ってくるかよ、普通」
「もう濡れてるからいいかなと」
「ふ、ふーん」
「意味わかんねーな」と呟いて、はははと笑い声を上げる。その声がぎこちないことは、自分が一番わかっていた。
(それにしても気まず過ぎるだろ)
流れる沈黙に、俺は眉を寄せる。今すぐ逃げ出したい。――が、ここで黙り込んでしまっては余計に面倒なことになる。今までの経験で俺はちゃんと学んでいるのだ。
(ここは話しかけるが吉ッ)
俺は必死に思考を回転させた。
「あー、悪いんだけど、俺も傘持ってなくって。まだ図書館もやってるみたいだし、少し雨宿りしてから――」
「くしゅんっ」
「あ」
「ずずっ……あ、すみません、なんですか?」
赤い鼻を大きく啜る甘利。きょとんとした目は俺を正面から見つめている。
俺はその姿を見て、夏祭りの日の甘利を思い出していた。
高い熱。暑い手の平。自覚のない、浮ついた声。
へらへらと緩い顔は悪くないとはいえ、体の節々への痛みに時々悶えていたのを思い出す。同時に、寝ている間の苦しそうな声も。
(タオルも持ってねえし、乾かすもんも何一つ持ってない)
既に甘利は濡れ鼠状態だし、図書館の中は夏だから冷房が付いているわけで。
(さすがに寒い、よなぁ……)
チラリと甘利を盗み見る。鼻を啜りながら腕を摩る姿は、やはり寒そうで。
「……なあ、甘利」
「ずずっ。はい?」
「お前、俺ん家来ねぇ?」
甘利の目が大きく見開かれた。
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