【完結】初恋は檸檬の味 ―後輩と臆病な僕の、恋の記録―

夢鴉

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四章 残された時間

四十四話 不意打ち

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「すごく、疲れました」
「……」

 体育祭後。俺は甘利に連れられ、写真部の部室に来ていた。
(なんでこんなことになってんだ)
 背中から抱きしめて来る甘利に、俺はただ無心で座っている。甘利は俺の肩に頭を突っ伏したまま、もう十分は動いていない。


 ちらりと重くのしかかる頭を見る。
 ふわふわの天然パーマはシャンプーとお日様の香りを持って、俺の頬を擽っている。僅かに香るシトラスの匂いは、部活後に甘利がさせている物と同じだった。

(……疲れてんなぁ)
 ぐったりとしている甘利。
 そんな頭を、俺はぐりぐりと撫でてやる。今回ばかりは同情せざるを得ない。

 ――こいつがなんでこんなに疲れているのかといえば、昼休み後の応援合戦が原因だった。
 学ラン姿の甘利と百瀬は、予想通り女子から大人気だった。
 合戦中の黄色い声はもちろん、終わった後も引っ張りだこ。あちこちで写真撮影が始まり、着替える間もなくリレーに参加。その後も着替える間もなく、今に至る。

(やっと着替えたかと思えばこれだ)
 抱き締めて来る甘利を振り返りながら、俺は床に雑に置かれた学ランを見る。
 どこからこんなもの用意したのか。誰かの借り物なら粗雑に扱ってるのを見たら怒られそうだな、と思う。

「もう二度と応援合戦なんてやりません」
「なんでだよ。好評だったじゃねーか」
「嫌です。先輩と居られなくなる」

「せっかく先輩が回るルートに先回りして先輩との時間を独り占めしようと思ってたのに……!」と甘利は心底悔しそうに言う。
 こいつ、そんなことしようとしていたのか。
 むしろ応援合戦に参加してくれてありがとう、という気持ちが込み上げて来る。
 同時に、応援合戦に誘った百瀬にも心の中で感謝を伝えておく。

「ま、まあ、そんなに気にすんなよ。学ランはまあ、似合ってたわけだし?」
「本当ですか?」
「ほんとほんと」

 軽く言葉を返せば、甘利は「言葉が軽すぎます」と不貞腐れた。

「重く言ったってどうしようもないだろ」
「それはそうですけど……でも、先輩との時間を削られたんです。俺の生きる糧が無くなったのと変わりません」
「つまり?」
「優しくして欲しいです」

 甘利の腕がより強く抱きしめてくる。
(体育祭終わりで汗臭いだろうから、あんまり近づかないで欲しいんだけど)
 そんなこと言っても、今の甘利には難しいんだろう。
 まるで散歩中に他の犬に吠えられ、ショックを受けた犬のように震える甘利。可愛そうな姿に、今回ばかりは同情が込み上げてくる。
(優しく……優しくねぇ……)

 俺は考えた末、甘利の頭に手を伸ばした。
 ふわふわの頭を撫でれば、もっとと頭を擦りつけて来た。

「っ、おい、近いって」
「無理です。春先輩が足りません」
「はあ」

 俺は呆れに息を吐いた。
 甘利はじっとそのまま撫でられ続ける。俺は甘利の髪を弄ぶように撫で続けた。

「部長も、俺を勝手にアンカーにするなんて卑怯です」
「そうだな。まあ、あの人ならやりそうだとは思ってたけど」

 そう。甘利がこんなにも落ち込んでいるのは、応援合戦の事だけじゃない。
 女子に囲まれ、着替えることも出来なかった甘利は、そのままリレーに出ることになってしまったのだ。
 部活対抗のリレーだ。動きやすい、それぞれの部の象徴であるユニフォームを着て本気になっている二、三年の中で、学ランという制服――動きにくい服で参加した甘利は、それはもう目立ちに目立っていた。
 おまけに開始直前に会長にアンカーに指名されたことで、甘利の緊張は最高潮。

「でも三人も抜くなんて凄かったじゃねーか」
「それでも、一位じゃなきゃ意味がないんです」

 二走者めで野球部と派手に衝突事故が起きた陸上部は、四位でアンカーにバトンが回った。
 前に居るのはバスケ部、バレー部、剣道部、そして――サッカー部。
 サッカー部とは毎年熾烈な首位争いをしているからか、陸上部が遅れを取ったことに周囲の期待が下がるのは目に見えてわかっていた。誰もが陸上部の離脱を察していた中、甘利は前三人をごぼう抜きしたのだ。
 その時の歓声といったら、応援合戦の時の黄色い歓声と同等か、それ以上だった。
(俺も、思わずシャッター切っちゃったし)

 学ランで走る甘利に、大逆転を期待した周囲。しかし、結果は僅差の二位。
 サッカー部が逃げきる形で、陸上部はサッカー部に負けてしまったのだ。

「まあでも、盛り上がってよかったじゃねーか」

 甘利の頭を撫でる。陸上に関してはストイックな甘利が、例え学校の一行事だったとしても“走り”で負けたことが心底悔しいのだろう。
(まあ、気持ちはわからなくないし)
 だからこそ、無下に出来ないのだが。

「……アンカーは元々、部長が出る予定だったんです」
「部長って、生徒会長か?」
「はい」

 生徒会長であり、陸上部部長である小春。リレー開始直前で甘利に「甘利君はアンカーで」と告げた、張本人だ。

「部長は凄いんです。俺なんかよりも体力はあるし、速いんです。俺と違って部員の人たちとも仲がいいですし、リレーのバトン回しだって、部長の方が上手いんです」
「小春だったら、もしかしたら追い抜けたかもって?」
「はい」

 甘利の言葉に、俺は大きく息を吐く。頭を撫でていた手を滑らせ、甘利の耳を引っ張った。

「っ、いっ!」
「つまんねーこと言ってんじゃねーよ、ばーか」

 ぎりぎりと甘利の耳を強く引っ張る。
 涙目になる甘利が「い、痛いです、先輩っ」と声を上げる。

「お前がつまらない事言うからだろ」
「つまらないって……」
「アイツがアンカーでもそうでなくても、お前は同じように全力で走っただろ」

 甘利の目が見開かれる。

「全力を出して、それが今の結果で。誰がアンカーをしようが、中間を走ろうが、最初を走ろうが、全員の力が重なって生み出される結果が、リレーなんじゃねーの?」
「それは……」
「確かに経験不足はあるかも知んねーけど、会長だってそれをわかっててお前に託したんだろうが。その結果に不満を持つ奴が部に居たか?」

 甘利は少し考えて、首を振る。
「だろ?」と俺は言葉を続けた。

「結果が変わったかは知らねーよ。俺は神様でもなんでもねーし、陸上部の事もサッカー部のこともわかんねーし。でも、託された仕事を全うしたお前は、文句なしにかっこよかったよ」
「!」
「俺がかっこいいっつってんのに、お前はそれでも“意味がなかった”っていうのかよ?」

 顔が熱くなっているのが、自分でもわかる。
 恥ずかしくないわけじゃない。
 でも、ここで知らないふりをしてあの時間を否定するより、よっぽどいいと思った。

 甘利は目を見開く。
 予想外の言葉だったのだろう。甘利はしばらくして「……いえ」と首を振った。

「先輩がそう言ってくれるなら、それで十分です」
「じゃあもう落ち込まなくていいな」

 俺は甘利の頭をポンポンと軽く二回たたく。甘利は無言で頷いた。

「……先輩、今日は漢らしいですね」
「俺はいつも漢らしいだろうがよ」

 振り返ってそう告げれば、甘利は「そうでした」と笑った。

「なんだ、やっと尊敬する気になったか?」
「尊敬はしてます。今のは惚れ直しました」
「そ、そうかよ」
「先輩、照れてます?」

 楽しそうに笑う甘利に、俺は「照れてねえ!」と声を上げた。
 くつくつと笑う甘利は落ち込んでいたさっきとは違い、楽しそうにしている。

「それにしても、先輩が部長と仲がよかったなんて知りませんでした」
「は?」
「だって、リレーが終わった後、会長が先輩を振り返ってたじゃないですか」

 甘利の言葉に、俺は当時のことを思い出す。
 ……確かに、甘利が三人を抜いて二位でゴールした時、会長は俺を振り返った。しかし、それは楽しそうにしていたわけじゃない。
(どうせあの人のことだ。俺に自慢してたんだろ)
『甘利君はやっぱり格好良いだろう? 君も素直になればいいのに』と言わんばかりの視線は、どちらかといえば俺をおちょくっているだけだ。
(あんなこと言わなきゃよかった……!)
 寮でのことを思い出して、俺は頭を抱える。甘利はそれを見て何を勘違いしたのか、面白くなさそうに頬を膨らませた。

「違っ、あれは……!」
「アイコンタクトしてたじゃないですか。俺に隠れて何か賭けでもしてたんですか?」
「してねーよ馬鹿っ! アレはそういうんじゃないって!」
「どうだか」

 ふんっと鼻を鳴らす甘利。しかし、素直に遊ばれていただけだというのも、なんだか腑に落ちない。
 ぎぎぎ、と悔しさに奥歯を噛みしめていれば、今度は甘利が顔を覗き込んでくる。顔の近さにぎょっとした。

「ねぇ、春先輩」
「何だよ」
「何で俺を撮ってくれなかったんですか」

 何が、と言いかけて、俺は口を噤む。心当たりなんて、一つしかない。

「し、仕方ねーだろ。俺の担当はバレー部とサッカー部だったんだから。陸上部を見てる暇なんかなかったっつーの」
「でも、一枚くらい俺を撮ってくれてもいいじゃないですか」
「撮りませんー」
「なんでですか」
「なんででもですー」

 拗ねる甘利に、俺は語尾を伸ばして茶化すように答える。
 つい撮ってしまったことは、甘利は気付いていないらしい。

「写真部の仕事は全部活を満遍なく、贔屓なしに記録に残すことなんだよ。お前だけにフォーカスしてる暇はねーの」
「わかってます。わかってますけど」
「わかってんならそれ以上言うなって」

 俺は不機嫌気味に甘利に告げた。これ以上突っつかれて自分のしたことが零れてしまうのは、なんとなく恥ずかしかった。
 既にカメラは手元にない。西田先生に返したからだ。
 現像は写真の専門店で現像してもらうらしい。複数のカメラのデータをまとめて預けるそうなので、俺のカメラに甘利の写真が紛れていてもわかるはずがない。
(バレなきゃ、大丈夫)

 甘利は何かを言いたげにして、再び俺の肩に突っ伏してしまった。
 その様子につい口を出してしまいたくなるが、俺はぐっとこらえてされるがままになっていた。

「応援合戦の時も、俺以外ばっかり撮ってましたよね?」
「贔屓はしねーって言ってんだろ。知り合いばっかり映してたら、あとでいろいろ言われんだよ」
「でも俺、俺だけを見ててって言いましたよね?」

 甘利の手が俺の顎を下から持ち上げる。大きな手が顔を掴み、強引に甘利と目が合わせられた。
(ち、か……っ)
 鼻先が僅かに触れる。
 しょんぼりとした甘利の目尻が垂れ下がっている。寂しそうに下がった眉に、潤んだ瞳が罪悪感を押し上げる。また耳と尻尾が見えてきた。
(っ、ダメだ、絆されるな)

「春先輩の目に、俺だけが映ってればいいのに」
「っ、馬鹿じゃねーの。そんなことになったらお前が大変になるんだぞ」
「どうして?」
「どうしてって」

「そんなもの、考えりゃわかるだろ」と告げる。甘利はわかりませんと首を振った。

「あー、だから、四六時中見られてたら、気持ち悪いだろうが」
「そんなこと思いません」
「嘘つけ」
「嘘じゃないです」

「先輩からもらえるものなら、何だって嬉しい」甘利は小さく笑う。穏やかな表情は、心底そう思っていると言いたげだ。
 甘利の真っすぐな視線が俺を射抜く。

「っ、馬鹿だろ。お前が嬉しくないもんも、全部貰うつもりか?」
「はい。全部欲しい」
「そんなの無理だろ」

 顔が熱くなる。
(まさか、そう返されるとは)
 もうちょっと怯んだり、考えたりしないのか。……しないんだろうな、こいつは。

 俺はドクドクと煩い心臓をぐっと理性で抑えた。大きく息を吐き出し、俺は甘利を見た。

「あー、でも口では何ともいえるからなー」
「証明します。どんなことでも。何度でも」
「そんなことに労力割く暇があったら、もっと陸上の方磨いとけ。来年はサッカー部に勝たないとだろ?」

 ――来年。自然とそのワードが口からこぼれ落ちた。

「来年……」
「そうだよ。会長にも言われてんだろ?」

 甘利は頷く。「だろうと思った」と呟けば、甘利の抱きしめる腕が強くなる。
 俺はそれに気づかないふりをした。


 来年……きっとその時、俺は甘利の隣にいない。
 体育祭終わりにこうやって話すこともないのだろう。でも、それでいい。
(こいつには、やるべきことがある)
 俺とは違って。

「それじゃあ、先輩も来年、見に来てください」
「は?」
「俺がサッカー部に勝つところ、見てください」

 覗き込んでくる甘利の目は、真剣だった。
 その視線に、俺は少しばかり面食らってしまう。
(さっき、見られないだろうって言ったばっかりなのに)
 一瞬で覆された。そのことに嬉しさと驚きと、『また言い始めた』という思いが綯交ぜになって込み上げてくる。

「あー……気が向いたらな」
「向かなくても来てください」
「無理だろ。忘れるぞ、そんなん」
「忘れないでください」

「覚えてて。絶対に」と甘利が続ける。俺はその言葉に、どう返せばいいかわからなかった。
 そんな俺に気付いたのか、抱きしめてくる甘利の腕の力が強くなる。
 縋るような腕に、背中に感じる体温に、俺はどこか居心地の悪さを感じる。
(こんなつもりじゃ、なかったのに)

 甘利が珍しく落ち込んでいるから、さっさと励まして帰ろうと思っていたのに。

「今日は振り払わないんですね」
「!」
「先輩の体、あったかいです」

 甘利の顔が再び首元に埋められる。すぅ、と息を吸い込まれ、少しして温かい甘利の息が首にかかる。
(っ、なんだ、これ)
 ぞわぞわする。でも、気持ち悪いわけじゃない。それどころか――――。

「あ、甘利、それ、やめ……っ」
「……」

 甘利の顔と自分の首の間に手を差し込む。
 小さく甘利の顔を押せば、甘利の柔らかい唇に指先が触れる。こんなの、意識するなという方がおかしい。

「……先輩。好きです」
「っ、知ってる」
「好きです」
「だ、から!」

 知ってる! と言いかけて、俺の声は止められた。
 甘利の顔が至近距離に見える。口に触れる柔らかい感触に、俺は静かに目を見開いた。

 一秒……否、十秒、一分にも感じられた。
 離れる甘利の顔に、俺はようやく自分がされたことを理解した。
(いま、キス、された……?)
 甘利に? キス? ……嘘だろ。

 嘘だと言ってくれ。

 甘利の瞳が俺を見詰める。綺麗な瞳が熱を持って俺を見ている。切なげに下げられた眉が、加護欲をそそる。
 はらりと、甘利の前髪が揺れた。

「先輩、もう一回――――」




 ガラッ。

「おや、どうしたのですか?  二人で」
「「!!」」

 突如扉が開き、聞き覚えのある声が聞こえた。
 瞬間、俺は弾かれたように甘利の肩を押した。ドンッと後ろに俺の体が倒れた。
 押されたほうの甘利は後ろの壁に頭を打ったようで、痛みに蹲っていた。

「に、西田先生……!」
「?  何かトラブルですか?」
「い、いえ! 違います!」

 俺はブンブンと首を横に振る。
 西田先生は俺の必死の抵抗を見て、余計に怪しんだように俺たちを見た。確かに腕を伸ばした俺が尻もちを付いていて、対する甘利が頭を打って悶えていれば、何かあったように見えるだろう。
(あったはあったけど、言えるわけねえ!)
 俺は内心全力で叫んだ。頭をフルに回転させ、先生を見る。

「その、部活のリレーで甘利が二位だったことに落ち込んでいたので、ちょっと話をしてただけです!  な!?」
「……」
「おい、こらっ」

 じっとりとした目で甘利が俺を見る。言いたいことがあるのはわかるけど、今は誤解を解くことが先決だろう。
 そう視線で訴えれば、甘利は「……そうです」と渋々頷いた。
(不服そうな顔しやがって……!)
 そもそもそっちが先に仕掛けてきたんだろーが!

「……そうでしたか」

 西田先生は頷いた。
 どうやら必死の説得が効いたらしい。俺は「は、はははは……」と苦笑いを零した。

「事情はわかりました。蒼井君も、落ち込んでいる後輩を放っておけない気持ちはよくわかります。ですが、今日の完全下校時間はとっくに過ぎていますよ。しかも写真部の部室を使っているなんて。他の先生に知られたら大変なことになりますよ」
「す、すみません」
「まったく。とりあえず、今日のところはいいですが、今後は気をつけてくださいね。でないと預けている鍵を回収しなければいけなくなりますから」

 俺は赤べこの如く頷いた。甘利もさすがに危機感を持ったのか、同じように赤べこと化す。
「それじゃあ、早く教室を出てください」と西田先生が言う。俺たちは慌てて帰る準備をすると、教室を出た。

 西田先生に頭を下げ、足早に学校を後にする。
 学校を出ると甘利が俺を呼び止め始めるが、俺は全て無視して駅まで走り抜けた。

 ドクドクと心臓が高鳴る。
 込み上げる熱が体から抜けない。
 唇に残る感触が、未だに存在を主張する。

(っ、不意打ちだった……!)

 俺は半ば走るように道を歩いていく。
 黄昏時。すれ違う人たちは、俺の様子に気付くことなく歩いていく。そのことに安堵するのと同時に、俺は心臓の高鳴りに胸元を握りしめた。

 当分、甘利の顔は見られそうにない。
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