逃げた先に、運命

夢鴉

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一章 歪な世界

4-3 微睡みの中の、弱音

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 腹が膨れれば、今度は眠気が襲ってくる。

 うとうととしていれば、蜜希さんに肩を叩かれる。
「寝るなら上で。ね?」と言われ、俺はこくりと頷く。いつの間にかカップ麺の残骸は片付けられていた。

「あ、片付け、ありがとうございます」
「いえいえー。それより、階段気を付けてね」

 蜜希さんの言葉に「はい」と返事をして、階段を上がる。

 重い足で階段を上がり、部屋に戻る。
 畳まれたままの布団にそのまま寄りかかって寝てしまいたい気分だったが、踏ん張って布団を敷いた。
 蜜希さんも手伝ってくれる。

「枕、ここでいい?」
「あ、はい」

 蜜希さんが枕を置いてくれる。
 すぐにでも寝れる場所が出来上がり、俺は倒れ込んだ。
「もう。まだ掛け布団置きっぱなしでしょ」と言われたが、もう動ける気力がなかった。

 俺は立ち上がる蜜希さんの裾を引っ張る。
 驚いた蜜希さんが、目を丸くして俺を見下げた。見上げる構図になり、俺は『新鮮だな』と思う。

「蜜希さん」
「なーに」
「ありがとう、ございます」

 ぽつり。言葉を零す。
 それは俺の心からの本心だった。

「泊めてくれるって、言ってくれて。俺、帰りたくなかったから、凄く嬉しかったです」
「そ? 勝手に決めたから迷惑かなって思ってたんだけど」
「そんなことない。でも、ちょっとびっくりしました。俺がアルファだって言っても、訂正しなかったですし」

 一瞬、蜜希さんの目が揺れる。
 僅かな同様の色に、俺は『やっぱり、何か思うことがあったんだな』と察した。
 その“何か”が、蜜希さん相手だと予想が付かない。

 だから――知りたい。

 蜜希さんが、本当はどう思ったのか。

「蜜希さんは、俺が怖くないんですか。アルファが客のオメガに何かするんじゃないかって、思わないんですか」
「……思わないよ。君はそういうんじゃないだろ? それに、僕が泊まるように言ったのだって、そんなたいそうなことじゃないよ。ただ、君を巻き込んでしまって申し訳なかったなって思っただけ」
「本当に?」
「ホント」

 蜜希さんの手が俺の頭を撫でる。
 優しい手つき。温かい温度に、俺は泣きそうになった。

 俺は蜜希さんの手を掴んだ。
 蜜希さんの手が驚きに震えたが、振り払われることはなかった。

 俺は甘えるように額を押し付ける。
 顔を枕に押し付け、隠した。

「俺、アルファが嫌いなんです」
「君だってアルファなのに?」
「はい」

 間髪入れずに肯定する。
 蜜希さんは少しの間を開けて、「……どうして?」と問いかけて来た。

(蜜希さんなら……)
 もしかしたら馬鹿にすることもなく、俺の心情を聞いてくれるのかもしれない。
 そんな期待が脳裏をよぎる。

 どうせ一晩きりで終わる関係だ。なら、どう思われてもいい。
 そう思う気持ちも、ないわけではなかった。


「アルファは自分の人生を選べないんです」

 他人が敷いたレールの上を、他人が好む“自分”で、他人が羨むスピードで歩くこと。

 ――それがアルファの人生で、価値だ。
 でも。

「俺はもう、期待なんかされたくない。何も出来なくていいし、誰かのために自分を偽るなんてこと、したくない」
「……そう」

 蜜希さんは静かに聞いてくれた。
 周りからの羨望に押し潰された、格好の悪いアルファの話なんか何も楽しくないだろうに。
 わかっている。けれど、止められない。

「アルファだって一人の人間なんです。向き不向きもある。出来て当たり前のことも、血の滲む努力をしたかもしれない。出来なかったことも、何か対策を立ててやったかもしれない。……みんな、それに気づかないんです。“アルファだから”って全部一括りにされる。もう、うんざりだ」
「それはまた……贅沢な悩みだね」
「わかってます。でも、こんなことなら俺は蜜希さんと同じベータで良かった」

 期待もされない。敷かれたレールもない。束縛もされない。
 身軽な世界を、何度羨んだことか。

(こんなの子供の駄々と変わらない)
 でも、どうしても感情の消化が出来ないのだ。
 “仕方ない”で割り切れない。

 蜜希さんは何も言わない。
 けれど、それでいい。
 簡単に慰めの言葉とか言われたら、俺はまた嫌気を覚えてしまうだろう。

 蜜希さんの手に擦り寄る。
 香水をつけているのか、甘い蜂蜜のような香りがほのかに香る。それが余計俺に安心感を与えた。

「最近は抑制剤も効かなくなって体調も不安定だし、副作用で頭も痛くなるんです」
「……その割に、今は元気そうだけど?」
「それは……」

 言われて、気が付く。
(そういえば、今は全然痛くない)
 海にいた時は痛すぎて、自殺志願者と勘違いされたのに。

「……今は、大丈夫です」
「そうなの? それじゃあ、よかった」

 蜜希さんの優しい声が降り注ぐ。
 言葉の一音一音が全身に染みていくようで、心地よかった。

 瞼が降りる。
 まるで優しい、ぬるま湯に浸かっている気分だった。

「暁月くんは考えすぎなんだよ。もっと気楽でいい」
「きらく、で……」
「ほら。あとは寝てから考えよう?」

 蜜希さんの声に、こくりと頷く。
 今日が終わってしまうことが、少しばかり惜しいと思う。

(こんなことを思うなんて、いつぶりだ?)
 俺は自分に問いかけたが、微睡みに溶けていく思考では答えなんか出なかった。
 それでも、今の状況が『特別』であることは間違いなくて。

「おやすみ。暁月くん」

 薄目にみた蜜希さんが、優しく微笑んでいるのがわかる。
 蜜色の目が細められて、肩を優しくリズミカルに叩かれた。

 俺は目を閉じる。
 枕からは太陽の匂いがし、蜜希さんの匂いと混ざっていく。

 握った手は手放し難くて、『もう少し』と握りしめた。
 眠るには丁度いい香りと温度に――俺は静かに、意識を手放した。

 気持ちを吐露した胸の軽さを感じながら。
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