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一章 歪な世界
5-1 おはよう、暁月くん
しおりを挟む「……くん、…………暁月くん」
「!!」
呼びかけられる声に、俺は意識が浮上する。
どっぷりと深い海の底から、意識を引き上げられている気分だった。
ゆっくりと目を開け――見えた光景に飛び起きる。
(なっ、!?)
どこだ、ここッ!?
見知らぬ天井。見知らぬ部屋。
カーテンを割って入って来る陽射しの眩しさに、俺は目を細める。
混乱したまま部屋を見渡していれば、「起きた?」と近くで人の声がする。
振り返った瞬間、目に入った満月に俺は瞠目する。
「ッ、み、蜜希さんッ!?」
「おはよう、暁月くん」
「って言っても、もうお昼だけどね」と蜜希さんが笑う。
鼻先が触れそうな距離で、キラキラした笑顔が目に入り、俺は慌てて「近いですっ」と彼の身体を押し退けた。
(朝から眩しいな、この人っ)
さっき見た満月はどうやら蜜希さんの瞳だったらしい。
(そうだ、思い出した)
昨日、電車に乗って遠くまで来て、海で蜜希さんに出会った。
そこで二人びしょ濡れになり、蜜希さんの家の離れで風呂と寝床を貸してもらったのだ。
「ふふ。もしかしてまだ寝ぼけてる? 頬っぺた引っ張ってあげようか?」
「そ、そんなことしなくても、ちゃんと起きてますっ。ていうか何ですか、頬引っ張るって」
「えぇ? 定番じゃない?」
「こうやってほっぺ引っ張って、『夢じゃないー』ってやるやつ」と、自身の頬を引っ張るジェスチャー付きで言われ、俺は呆れた目を向ける。
「そういうのは自分の顔でやってください」
「やだよ。痛いじゃん」
「俺もやられたら痛いんですけど……?」
むしろ俺は痛くないとでも思っていたのか。
「え? そうなの?」と目を丸くする蜜希さんは、どうやら本気でそう思っていたらしい。
(本当、変な人だよな)
俺は内心呟く。
助けるために飛び掛かって来た人だというのを忘れていた。
……なんというか、蜜希さんは不思議な魅力も持っている人だと思う。
(目が引き寄せられるっていうか、目が離せないっていうか)
上手く言葉にはできないけれど、人を魅了するオーラがあると思う。
(ベータなのが惜しいくらい)
もしアルファだったら、自分と同等、もしくはそれ以上の家柄に産まれて、裕福な家で綺麗なものに囲まれて過ごしていただろうに。
(……俺とは違って、アルファの蜜希さんも綺麗なんだろうな)
「朝食持ってきたんだ。って言っても、食堂の残りだけど。食べるでしょ?」
「えっ、あ、ありがとうございます」
「いーえ」
「布団畳んで、顔洗ってからキッチンにおいで」と言われ、俺は頷く。
蜜希さんが離れていく瞬間、ふわりと甘い香りが鼻孔を擽った。
(あ、これ)
蜜希さんの使っている、柔軟剤の匂いだ。
(昨日もしてたけど、この匂い、俺好きなんだよな……)
香水やフェロモンみたいにわざとらしくなくて、それでいて安心感を与えて来る。
自分がまるで蝶や蜂にでもなった気分だ。
俺は布団から抜け出すと、蜜希さんに言われた通り布団を畳む。
「ん? タオルケット……?」
見覚えのない布に、俺は首を傾げる。
(蜜希さんが掛けてくれたのか?)
いや、起きた時、俺はちゃんと薄い掛け布団を被っていた。被って寝た記憶はないから、寒かったのかもしれない。部屋にはクーラーが付いているし。
(……いや待て。何か忘れてないか、俺)
手を止め、俺は思考を巡らせる。
何か、重要なことを忘れている気が――――。
「暁月くん、まだー?」
「あっ、い、今行きます!」
下から聞こえる、蜜希さんの催促の声。
俺は考えを一旦放棄すると、布団を畳んで部屋を飛び出した。足早に階段を下りれば、傍にいた蜜希さんに「そんなに慌てなくていいよ」と笑われる。
その笑顔に心が跳ねる。が、漂ってくるいい匂いに腹の虫が盛大に鳴った。
「ぷはっ」
「っ~、笑わないでください!」
「ふふふっ、ごめんごめん」
「早く顔洗ってきな。待ってるから」と蜜希さんがキッチンへと入って行く。
俺は熱くなる頬を手で抑えつけた。
(あっちぃ……)
まさかあんなところで腹の虫が鳴るなんて、思わなかった。ダサすぎる、俺。
俺は脱衣所の戸を開き、正面の洗面台で顔を洗う。
洗濯機の上には、ご丁寧に新品のタオルが置かれていた。有難く使わせてもらい、キッチンへと向かう。
中を覗けば、扉のある壁沿いにあるテーブルで、蜜希さんが待っていた。
「やっと来たね。待ちくたびれそうだよ」
「まだそんなに経ってないでしょう」
「あ、やっと頭働いて来た?」
揶揄うような言葉に、俺はムッとする。
なんだか、今の今まで蜜希さんの手のひらで転がされていた気分だ。
俺は「おかげさまで」と告げ、蜜希さんの正面の席に座った。
テーブルにはおにぎりが二個とお味噌汁、そしておかずに卵焼きと焼き鮭が半身。
漬物と小鉢が二種類、置かれていた。
「豪勢、ですね?」
「そう? 旅館の朝食なんてこんなものじゃない?」
「あ、海苔は勝手におにぎりに巻いちゃったけど、ちゃんと別でついて来るからね」と言われ、俺は目が点になる。
(そこは心配してないんだが)
まあいいか。
俺は両手を合わせる。蜜希さんも手を合わせた。
「「いただきます」」
二人の声が重なる。
そんな小さな事が、くすぐったくて――少し嬉しいなんて思った。
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