逃げた先に、運命

夢鴉

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一章 歪な世界

4-2 夜更かしと罪の味

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 真剣衰弱をして、スピードをして、今は二人でババ抜きをしている。

「はい。俺の勝ちですね」
「っ~~!!」

 パラリと落としたハートのエースが山場に落ちる。
 蜜希さんは言葉にならない声を上げた。

「もう一回! もう一回だけ!」
「それ、さっきも言ってませんでした?」

「蜜希さんって意外と負けず嫌いですよね」と告げれば、「トランプで負けたの久々なんだもん」と答えが返ってくる。

「久々って……こんなに弱いのに?」
「喧嘩売ってる?」
「売ってません」

 俺は首を横に振る。「知ってる。言ってみただけ」と蜜希さん。
 ちゃっかりトランプは蜜希さんの手元にまとめられ、カードが配られ始めている。
 二人だけなので、手元のカードが分厚い。

「これ終わったら寝ましょうか」
「うん」
「……本当かなぁ」

 俺の呟きは聞こえなかったらしい。
 蜜希さんは真剣な眼差しでカードを見めていた。


 ――それから数分後。

「俺の勝ちです」
「あああッ! また負けた!!」

 蜜希さんの慟哭が部屋の中に響く。
 畳みに突っ伏す蜜希さんに笑いながら、俺は「蜜希さん、声大きいです」と伏せられた頭を突っついた。

 蜜希さんが寝転がったまま、俺を見上げる。
 状況のせいで必然的に上目遣いになる蜜希さん。その表情にドクリと心臓が脈を打った。

 寝転がったことで、無防備に晒される細い足。
 白い肌に、俺は強引に目を逸らした。

「もう。暁月くん、なんでそんなに強いの」
「つ、よいですかね。俺はそんな気はないんですけど」
「うっそだぁ」

 頬を膨らませる蜜希さん。
(アルファの前で、よくもまあ……)

 アルファとオメガは獣だという人間は、一定数いる。
 毛嫌いされる理由もわかるし、そう思うのも仕方ない。けど、やっぱりそう見られるのは心地いいものじゃない。
(まあ、そこのところ、蜜希さんには関係なさそうだけど)

 ちらりと蜜希さんを見る。
「何で勝てないんだろー」と未だにブツブツ言っている。
(差別とは、きっと無縁なんだろうな)

 でもそんな雰囲気が、心地いい。
 俺はもう一度カードを配ろうとする蜜希さんの手からカードを抜き取った。
「さっきあれで終わりだって言いましたよね?」と告げれば「もう一回だけ」と言われた。

「もう一回は聞きません」
「なんで」
「夜遅いからです」

 俺が時計を指差す。
 壁に掛けられている時計は、短い針が十一を指し、長い針が六を指していた。

「大丈夫だよ。まだまだ時間あるし」
「蜜希さんはそうかもしれませんけど、俺は――」

 ふと、言いかけた言葉が止まる。
 ……ずっと見て見ぬふりをしていたことが、目の前に突き付けられる。
(俺は、明日帰らないといけないのか)

 これは思い付きで行った、小さな小さな逃避行。
 家の準備もしていないし、大学だって休暇届けも何も出していない。
(……帰るのか。あそこに)

 そう思うと、どんどん気が沈んでいく。
 逃避行が楽しかっただけに、帰らなければいけない事実に抵抗したい気持ちも大きくなる。

「暁月くん?」
「あ、いえ……」
「大丈夫? 顔色悪いけど」

 蜜希さんの心配そうな顔が見える。
 初対面の俺をここまで心配してくれるなんて。
 彼はやっぱりいい人なのだろう。

 そんな人の隣から離れなければいけない。
(……嫌だな)
 帰りたくない。
 もっとここにいたい。
 でも、彼にこれ以上迷惑はかけられない。

 何も言えないで俯いていれば、「そうだ、暁月くん」と蜜希さんが声を上げる。
 俺はのろりと顔を上げた。

「お腹、空いてない?」


 蜜希さんの言葉に、俺はどう返したのかよく覚えていない。
 けれど、キッチンの棚を片っ端から開けている蜜希さんを見るに、俺は肯定したらしかった。

「うーん。この辺にあったと思うんだけど……」

 蜜希さんは台の上の棚を開けたり、下の棚を開けたりしている。
「何を探してるんですか?」と問えば「カップ麺」と簡素な答えが返ってきた。

「カップ麺?」
「うん。たぶん残ってるのがあったと思うんだけど」

「あ、あった」と蜜希さんが言う。
 棚から下ろしたのは、黒い網の籠。中には数少ないものの、インスタントの麺がいくつか残っていた。
 賞味期限を見た蜜希さんが「よかった。まだ食べられる」と笑う。

「あの」
「暁月くんはどれ食べる?」
「た、食べるって」

「もう日付変わりますよ」と告げれば、「いいじゃん。今日くらい」と返された。
 振り返った蜜希さんは、まるで悪戯っ子の子供ような顔をしている。
(今日くらいって……)

「ほらほら。味噌と醤油と、あ、塩もあった。オーソドックスなのはここくらいかな。こっちはカレー麺とイタリアンラーメン、こっちがこってり脂マシマシの豚骨」
「……すごいレパートリーですね」
「でしょ? アイツ……変わり種好きだった奴がいたからさ」

 はしゃいでいた蜜希さんの声が、若干沈み込む。釣られるようにして目線も下がっていた。
(アイツって、もしかして)

『本の部屋の主ですか』と言いかけて、俺は言葉を飲み込む。
 ……踏み込める度胸が今の俺にはまだなかったから。
 俺は言葉と一緒に、生唾を飲み込む。

「そうですね……じゃあ俺は塩で」
「了解。そしたら俺は味噌にしようかな」

 カップ麺を二つ取る。
 蜜希さんは慣れた手つきでヤカンに水を入れ、火にかけた。

 少しして、ピーと甲高い音が鳴る。
 初めて聞く音に俺は肩を大きく跳ね上げる。
「ごめんごめん。びっくりした?」と問われ、俺は頷いた。

「もしかしてヤカン見るの初めて?」
「えっと、まあ……はい」
「だよねぇ」

「IHじゃあんまり使わないよね」と蜜希さんが呟く。
(IHどころか、ケトルだけど)
 俺は言いかけて、止める。別になにで沸かしたってお湯はお湯だ。変わりなんてない。

 蜜希さんがカップ麺にお湯を注ぐ。
「暁月くん、そこのタイマーで三分計って」と言われ、俺は近くのタイマーを手に取った。

 三分をセットして、スタートを押す。
 蜜希さんが持ってきた、湯気を出すカップを見つめる。
 しばらくしてタイマーが鳴り、蜜希さんがタイマーを止めた。

「それじゃあ食べようか」
「えっ」
「? 何かあった?」

 俺は目を瞬かせる。
 熱い湯気を出すカップを見れば、湯気で蓋が浮いている。
 その上には蜜希さんが持ってきてくれた箸が乗せてあった。

「た、食べるんですか? まだお湯を入れただけですよ?」
「……もしかして暁月くん。カップ麺食べたことない人?」
「え。ま、まあ。初めて、ですけど……」

 蜜希さんの問いに、俺は素直に頷く。
 ――瞬間、蜜希さんは「やっぱり」と声を上げた。

「そうだと思った。だってなんか反応がおかしいんだもん。普通じゃない」
「っ」
「あ、ごめんね。“普通じゃない”って貶してるわけじゃないから」

「ただ、見慣れない反応だなって思っただけ」と蜜希さんが訂正する。
 俺は一瞬構えた心を少しだけ解いた。
 蜜希さんはほっとしたように息を吐いた。

「カップ麺はね、大丈夫。このまま食べられるよ」
「そう、なんですか」
「うん。お湯を入れるだけで簡単、安心。手軽で美味しいものが食べられるってすごいよね」

「人間の英知だよ」と蜜希さんはカップの蓋を取りながら、言う。
(英知って)
 大袈裟な。

 そう思ったが、彼の顔は嘘をついているようには見えなかった。とはいえ、やはり話だけを聞くと、ちょっと信じがたい。
 訝し気に眉を寄せ、俺は彼の真似をしてカップの蓋を取った。

 途端、湯気が視界を覆う。
 次いでふわりと塩とバターの良い匂いが鼻孔を撫でた。
(すごい)
 とても濃厚な匂いがする。

 暴力的なまでの香りに、無意識に口の中で唾液が溢れる。
 触れたカップが温かいのが、また余計に食欲をそそった。耐え切れず腹の虫がぐぅっと音を立てる。

「ふふ。おいしそうでしょ?」
「は、はい」
「期待は裏切らないよ」

「さ、食べてみて」と蜜希さんが手を向けた。

 俺は箸を手に取り、両手を合わせる。
「いただきます」と挨拶をして、箸をカップの中に浸した。

 ……忘れていたけど、朝ごはんを食べて以来、固形物は何も口にしていない。
 いろいろなことが一気に起きて、すっかり忘れていたのだ。

 ごくり。喉が鳴る。
 麺を掬い上げ、俺は一気に啜った。

「! 美味しい……ッ!」
「でしょ? それ、僕のお気に入りなんだよね。気に入ってくれたみたいでよかった」

 蜜希さんが嬉しそうに笑う。
 彼の手元には、食べられるのを待っているカップ麺があった。

「お湯を入れて待つだけで、こんなに美味しいものが作れるなんて……っ!」
「本当にね」
「蜜希さんが“人間の英知だ”って言った理由、わかりました」

 俺は止まらない箸で麺を啜る。
 蜜希さんは「そうでしょ?」と口にすると、「いただきます」と両手を合わせた。

 麺を啜る音だけが、しばらくの間部屋の中に響く。

 空腹に染み渡る温かさに、満足度は跳ね上がる。
 更には夜中という、普段なら食べるのを我慢してしまう時間に食べている事が、余計に美味しく思わせている気がした。

「まさに罪の味ですね」
「あ、そういう言葉は知ってるんだ?」
「友人……知人が言ってました」

 大学で数回聞いたことのある、言葉。
 彼らは別の事について使っていた気がするが、蜜希さんの反応を見るに使い方は間違っていなかったらしい。

 麺を食べ終わった俺は、蜜希さんにそそのかされるがまま、汁まで完飲してしまった。
「ご馳走様でした」と手を合わせ、俺は満たされた腹を撫でる。「食べてよかったでしょ?」と言われ、頷く。

「むしろこんなに美味しいものを知らずに生きてきたのが不思議に思います」
「ふふふ。世界一気に変わったね」
「本当にそうです」

 俺は心底同意する。蜜希さんは満足そうに微笑んだ。

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