21 / 62
二章 新しい自分
8-3 無自覚だから質が悪い。
しおりを挟む「ここだよ」と言われ、俺は顔を上げる。
目の前には赤煉瓦と古い木でできた、レトロな構えの家があった。
扉の前には『OPEN』と書かれた札が下げられており、横には『純喫茶』と書かれている看板が立っていた。
「僕のおすすめのお店なんだ」
「すごい……趣のある店ですね」
「でしょ? 見た目もだけど、味も気に入ってるんだよ」
蜜希さんが言いながら、扉に手をかける。
扉が開かれ――最初に感じるのは強いコーヒーの香り。
次いで、甲高い声が飛び込んできた。
「いらっしゃいませ。って、あらぁ! みっちゃんじゃないの! 久しぶりねぇ~、こんなに大きくなっちゃって!」
「智子さん、お久しぶりです」
蜜希さんは軽く会釈をする。
中年のふくよかな女性は、「いつぶりかしら~?」と声を上げる。
人の良さそうな顔に合っている、元気な声。
俺はそのやり取りを、後方で伺い見る。
(蜜希さんの知り合いなのか?)
「もう、最近全然来ないから気になってたのよ~。元気にしてた? 体は大丈夫?」
「見ての通り、元気ですよ。ご心配ありがとうございます。智子さん達はどうでしたか?」
「元気予元気!」
「もう、本当にいい子なんだから~」と女性が頬に手を当てる。
嬉しそうな顔をして、蜜希さんの肩を叩いた。
――瞬間、俺は心臓に針を落とされたような痛みを感じた。
(? なんだ、今の)
しかし、その違和感は一瞬で消えてしまう。
俺が自身の胸元を撫でていると、奥から声がした。
「こら、お前。出入り口で立ち止まるんじゃないよ」
声をかけたのは、もう一人の店員だった。
かっちりとしたベストを着こんだ中年の男性は、女性を困った顔で見ている。
白髪交じりの髪を後ろへ撫でつけた彼は、この店の店主だろうか。
彼女は「あら。ごめんなさいね」と微笑んで、今度こそ案内をしてくれた。
「こっちの席でいいかしら?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
「いいのよぉ」
「お連れの方も、たくさん頼んでくださいね」と朗らかに言って、女性は席を離れて行った。
俺は無意識に強張っていた肩を落とす。
「ごめんね。あの人、いつもこんな感じで」
「お知り合いなんですか?」
「うん。同級生のご両親だよ」
「へえ」
席に座り、メニューを差し出してくる。
俺は受け取りながら、もう一度女性の方を見た。
先ほど窘めた男性と、カウンターの向こうで仲良く話している姿が見える。
俺の疑問を察したのか、蜜希さんも二人へと視線を投げかける。
「夫婦でやっているんだ。旦那さんは元々外の人で、智子さんを追いかけてきてくれたんだって」
「ロマンチックだよねぇ」という蜜希さんは、メニューに視線を落としている。
「……蜜希さんは、そういうのに憧れているんですか?」
「え?」
「あ、いやっ」
俺は慌てて喉の奥に蓋をした。
(俺、なんでこんなこと)
変なことを聞いてしまったと自覚はあった。
俺は慌てて誤魔化そうとして――それよりも早く、蜜希さんが口を開いた。
「うーん、素敵だなぁとは思うけど、憧れることはないよ」
「えっ、あ……」
「暁月くんは? そういうロマンチックなのが好みなの?」
蜜希さんの揶揄う瞳が俺を見る。
その視線に俺の焦りは吹き飛んでしまった。
素直に答えるのも面白くなくて、俺は肩肘をついて努めて挑発的な態度を取った。
「さあ、どうでしょう」
「ふふ。暁月くんも食えない人になってきたねぇ」
「蜜希さんのお陰です」
二人で目を合わせ、どちらともなく笑う。
心地のいい雰囲気に、俺は心の中が満たされていくのを感じていた。
蜜希さんに店の看板メニューを教えてもらい、俺はそれを注文した。
ブラックコーヒーを選ぶ俺の横で、蜜希さんはカフェラテを頼んでいたけど。
「お待たせいたしました~! はい、ハムたまごサンド二つとコーヒーとカフェラテね」
「ありがとうございます、智子さん」
「いいのよぉ。それより、貴方、えらいイケメンじゃないの!」
「えっ?」
飛び火すると思っていなかった俺は、弾かれたように顔を上げる。
『興味津々』と書いてありそうなくらい強い視線が、俺を見つめている。
俺はつい体を後ろへと仰け反らせた。
「あ、えっと。ありがとうございます……?」
「あらあら、声も優しくていいじゃない! ねぇ、みっちゃん?」
「何で俺に言うんですか」
「だってみっちゃんの彼氏でしょう?」
「違いますよ」
蜜希さんは苦笑いで答える。
智子さんは「あら、そうなの?」と残念そうにしていた。
その後、いくつか言葉を交わした彼女は、再び聞こえる旦那さんの声に慌てて仕事に戻っていった。
「ごめんね、暁月くん。びっくりしたよね」
「それはまあ……」
「嫌だったらちゃんといってね?」
「僕が何できるかわからないけど」と蜜希さんが眉を下げる。
俺はその顔を見ながら、コーヒーを啜った。
思わず「美味しい……」と零せば「でしょ?」と蜜希さんが笑う。
コロコロ変わる表情は、見ていて飽きない。
「サンドイッチも美味しいから食べて。ほらほら」
「急かさないでください」
蜜希さんに言いながら、俺はおしぼりで手を拭いた。
サンドイッチを手に取り、歯を立てる。焼かれたパンがサクッと音を立てた。
「! これ、いいですね!」
「ふふ。でしょう?」
分厚い中身の味が、口の中いっぱいに広がっていく。
チーズも入っているようで、温かいパンで若干溶けかけているのが余計に味わいを深くしている。
舌鼓を打っていれば、蜜希さんが満足そうな顔をしていることに気が付いた。
「気に入ってくれたみたいでよかったよ。これの外にも、エビカツサンドも美味しいよ。エビがぷりっぷりで」
「誘惑しないでください。食べたくなるんで」
「まだまだ若いんだし、食べれるんじゃない?」
ぐぬぅ、と喉の奥で悔しさに声が落ちる。
俺はちらりとメニューを見て、目を閉じ――観念した。
「食べる?」
「食べます」
「素直でよろしい」
蜜希さんは追加で注文をすると、自分の分を手に取った。
蜜希さんの細い指が、黒い髪を形のいい耳に掛ける。
差し込む陽の光が、蜜希さんの横顔を照らしていた。
頭が揺れると細い髪が数本、白い頬に落ちてくる。
薄い唇が開かれ、パンに触れる。
その光景が、俺の目にはスローモーションに映った。
白い歯が音を立て、サンドイッチを食む。
白い頬が膨らみ、唇を赤い舌がぺろりと舐める。
――何でもない仕草のはずなのに、胸の奥がひどくざわついた。
「? どうしたの、暁月くん」
その言葉に、俺はハッとした。
無意識に伸ばしかけた手を勢いよくひっこめた。
「い、え。大丈夫です。気にしないでください」
「? そう?」
俺は頷く。
蜜希さんは訝し気にしながらも、追撃はしてこなかった。
そのことに安堵して、俺は再び食事を再開する。
(……なん、か)
いけないものを見たような気がする。
蜜希さんはただ、食事をしていただけなのに。
俺は気まずさを感じながら、窓の外を見る。
涼しいクーラーの風が、身体の熱を冷やしてくれる。
それからすぐ。
追加で注文したエビカツサンドが運ばれてきた。
その時には体に籠っていた熱はなくなっていた。
(それにしても)
俺は、再び智子さんの話の餌食になっている蜜希さんを見る。
(何の疑いもなく“彼氏”なんだな、俺)
友人とか、知人、後輩でもない。
まるで蜜希さんの恋人が男であることを疑わないような雰囲気。
(……もしかして、蜜希さんは男が恋愛対象なのか?)
もしそうなのだとしたら、俺は――――
「暁月くん?」
「あ、はい! なんですか?」
「ううん。別に何かあるわけじゃないんだけど、ぼーっとしてたから」
蜜希さんの手が伸びて来る。
額に触れた手は、飲み物のせいで冷たくなっていた。
蜜希さんの体温が額から全身に回っていく。
手の奥に蜜希さんの心配そうな目が見えた。
(蜜希さんの、目が……)
蜜色の瞳から、目が離せない。
喉の奥が渇いて、形容しがたい欲求が腹の底から駆け上がって来るみたいだった。
「――兄貴?」
「え」
ふと聞こえた第三者の声に、俺と蜜希さんが振り返る。
大きなリュックを背負った青年が一人、俺たちを見下げて目を見開いていた。
「――朝陽?」
10
あなたにおすすめの小説
流れる星、どうかお願い
ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる)
オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年
高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼
そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ
”要が幸せになりますように”
オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ
王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに!
一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので
ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが
お付き合いください!
ジャスミン茶は、君のかおり
霧瀬 渓
BL
アルファとオメガにランクのあるオメガバース世界。
大学2年の高位アルファ高遠裕二は、新入生の三ツ橋鷹也を助けた。
裕二の部活後輩となった鷹也は、新歓の数日後、放火でアパートを焼け出されてしまう。
困った鷹也に、裕二が条件付きで同居を申し出てくれた。
その条件は、恋人のフリをして虫除けになることだった。
オメガ判定されました日記~俺を支えてくれた大切な人~
伊織
BL
「オメガ判定、された。」
それだけで、全部が変わるなんて思ってなかった。
まだ、よくわかんない。
けど……書けば、少しは整理できるかもしれないから。
****
文武両道でアルファの「御門 蓮」と、オメガであることに戸惑う「陽」。
2人の関係は、幼なじみから恋人へ進んでいく。それは、あたたかくて、幸せな時間だった。
けれど、少しずつ──「恋人であること」は、陽の日常を脅かしていく。
大切な人を守るために、陽が選んだ道とは。
傷つきながらも、誰かを想い続けた少年の、ひとつの記録。
****
もう1つの小説「番じゃない僕らの恋」の、陽の日記です。
「章」はそちらの小説に合わせて、設定しています。
病弱の花
雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。
僕を惑わせるのは素直な君
秋元智也
BL
父と妹、そして兄の家族3人で暮らして来た。
なんの不自由もない。
5年前に病気で母親を亡くしてから家事一切は兄の歩夢が
全てやって居た。
そこへいきなり父親からも唐突なカミングアウト。
「俺、再婚しようと思うんだけど……」
この言葉に驚きと迷い、そして一縷の不安が過ぎる。
だが、好きになってしまったになら仕方がない。
反対する事なく母親になる人と会う事に……。
そこには兄になる青年がついていて…。
いきなりの兄の存在に戸惑いながらも興味もあった。
だが、兄の心の声がどうにもおかしくて。
自然と聞こえて来てしまう本音に戸惑うながら惹かれて
いってしまうが……。
それは兄弟で、そして家族で……同性な訳で……。
何もかも不幸にする恋愛などお互い苦しみしかなく……。
【本編完結】αに不倫されて離婚を突き付けられているけど別れたくない男Ωの話
雷尾
BL
本人が別れたくないって言うんなら仕方ないですよね。
一旦本編完結、気力があればその後か番外編を少しだけ書こうかと思ってます。
多分嫌いで大好きで
ooo
BL
オメガの受けが消防士の攻めと出会って幸せになったり苦しくなったり、普通の幸せを掴むまでのお話。
消防士×短大生のち社会人
(攻め)
成瀬廉(31)
身長180cm
一見もさっとしているがいかにも沼って感じの見た目。
(受け)
崎野咲久(19)
身長169cm
黒髪で特に目立った容姿でもないが、顔はいい方だと思う。存在感は薄いと思う。
オメガバースの世界線。メジャーなオメガバなので特に説明なしに始まります( . .)"
強欲なる花嫁は総てを諦めない
浦霧らち
BL
皮肉と才知と美貌をひっさげて、帝国の社交界を渡ってきた伯爵令息・エルンスト──その名には〝強欲〟の二文字が付き纏う。
そんなエルンストが戦功の褒美と称されて嫁がされたのは、冷血と噂される狼の獣人公爵・ローガンのもとだった。
やがて彼のことを知っていくうちに、エルンストは惹かれていく心を誤魔化せなくなる。
エルンストは彼に応える術を探しはじめる。荒れた公爵領を改革し、完璧な伴侶として傍に立つために。
強欲なる花嫁は、総てを手に入れるまで諦めない。
※性描写がある場合には*を付けています。が、後半になると思います。
※ご都合主義のため、整合性は無いに等しいです、雰囲気で読んでください。
※自分の性癖(誤用)にしか配慮しておりません。
※書き溜めたストックが無くなり次第、ノロノロ更新になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる