30 / 62
二章 新しい自分
11-2 うそつきの果実
しおりを挟む「疲れた……」
午後二時。
俺は食堂の机に額を付けながら、呟いた。
客はいない。
今は食堂もクローズ中だ。
ここ、二日。
俺は自身の贖罪を果たすため、走り回っていた。
思った以上に過酷で慣れない作業に、もう身体のあちこちが軋んでいる。
もう一度息を吐き出せば、「頑張ってるね」と声をかけられた。
「タカさん」
「いやあ、まさか凛くんがねぇ。あんなことするなんて思わなかったよ」
おっとりした声で言う彼に、俺は言葉を詰まらせる。
タカさん――女将さんの旦那さんで、蜜希さんと朝陽の父親。本名は宵月孝雄という――は、優しい顔で笑っている。
タカさんは先日の事件について、真相を知っている一人だ。
他の従業員には『アルファ同士のお客様の喧嘩を収めるための処置』と女将さんが説明してくれていた。
「その節はご迷惑をおかけして、すみませんでした」
「うん。自分でわかってるならいいんじゃないかな」
「早苗からも聞いたよ。最初から反省してる様子だったって」とタカさんが続ける。
早苗とは、女将さんの名前だ。
俺は彼らの優しさに、心が温かくなる。
(うちじゃこうはいかないだろうな……)
そんな変な自信が浮かんでしまうくらいには。
「あの、蜜希さんは大丈夫ですか? ちゃんと食べてますか?」
俺はつい気になっていたことを口にしてしまった。
タカさんは少し目を瞠ると、「あー……」と気まずそうな顔をした。
「まあ、そこそこな。毎月の事とは言え、やっぱりちょっと心配になるよ」
「毎月?」
(蜜希さん、毎月風邪ひいてるのか?)
そんなに体が弱いとは思わなかったけど。
タカさんは「あ、やばいな。これ言っちゃダメなんだったっけ」と頭を掻く。
彼の視線がキョロキョロと周囲を見回す。誰もいないのを確認して、口もとに手を添えた。
「凛くん、悪いんだけど今の話聞かなかったことにしてくれないか?」
「えっと……構いませんけど、それはどういう……」
「いや。詳しいことは、ほら、ね?」
ね? じゃわからないんですが。
俺はそう口にしそうになり、咄嗟に言葉を飲み込んだ。
代わりに別の言葉を彼に投げかける。
「それじゃあ――蜜希さんの今日の食事、俺に運ばせてもらえませんか?」
「え?」
俺の言葉は彼にとって予想外だったのだろう。
キョトンとした彼の顔が俺を見る。
俺は言葉を続ける。
「今日、朝陽……くんが休みだって聞きました。なので、代わりに」
「そ、そうか? いやまあ、確かに今日は朝陽が出かけてて、早苗が渡しに行くことにはなっているけど……」
「大丈夫ですよ。俺、こう見えても体強いですし、風邪ももう何年も引いてませんから」
悩むタカさんの背中を押すように、言葉を連ねる。
本当なら『俺が行きたいです! 行きます!』とごり押ししたい気分だが、それは宵月家にとっては良くないことなのは自覚している。
なので、出来るだけ無理をさせないように。
警戒など抱かないようにして、提案をする。
(……我ながら腹黒いな)
でも、それで蜜希さんに会えるなら、安いものだ。
俺はタカさんをじっと見つめた。
「ううーん、でもなぁ……」
「女将さん、今日もかなり忙しいみたいですよ」
「うっ……それは、わかってるんだが」
「それに――俺も、蜜希さんが心配ですし」
視線を下げ、憂う顔を意識的に作る。
嘘を言っているわけではない。ただ、心配する気持ちを誇張しているだけだ。
だが、これが意外と人に利くことを俺は知っている。
「はぁ。わかったよ。それじゃあ、凛くんに任せようかな」
「ありがとうございます」
「ただ、蜜希は寝起きがとんでもなく悪いから、部屋には入らないように。盆ごと部屋の前に置いておくだけでいいからね」
「今準備するから、少し待ってて」とタカさんは厨房へと入って行く。
俺はその背中を見ながら、首を傾げていた。
(寝起きが悪い?)
そんなの、感じたことないけど。
むしろ、寝ても起きても蜜希さんはご機嫌なイメージがある。
(タカさんはどうしてそんなことを?)
俺は疑問に思ったが、追及はしないことにした。
もしして、運ぶのを『やっぱりダメ』と拒否されても困る。
「それじゃあ、お願いね」
「わかりました」
「凛くんのご飯も用意しておくから、帰って来たら好きに食べてくれ」
「ありがとうございます」と言い、タカさんから盆を受け取る。
俺は食堂を後にした。
旅館内の廊下を突き当りまで歩き、『従業員専用』の扉の前でサンダルを足に引っ掛ける。
扉を開ければ、宵月家へと繋がる裏口に繋がっていた。
裏口を通り、勝手口から宵月家へと入る。
勝手口の鍵はかかっていない。
いつでも家族の誰かが出入りできるようにしているのだとか。
(毎度思うけど、不用心だよな)
もう少し気にした方がいいのでは、なんてお節介なことを思ってしまう。
「ええっと、確か蜜希さんの部屋は二階だよな」
タカさんから教えてもらった通りに廊下を歩く。
柔らかい木の床が僅かに軋む音は、聞いていて心地いい。
陽射しの入る廊下は綺麗に磨かれていて、大切にされているのだとわかる。
「……いいな」
温かい家、というものを、俺はここで初めて感じている気がする。
(いや、離れもそうだったか)
俺は離れの空気を思い出す。
温かい雰囲気。
人の過ごした痕跡が残る部屋。
幸せの名残を持った家は使うのに少し躊躇うが、嫌いじゃなかった。
(俺の家とは大違いだな)
比べれば比べるほど、自分の家の異質さが目立つ気がする。
俺は一つ息を吐いて、階段に足をかけた。
階段の中腹。踊り場になっている場所で、俺は異変に気が付く。
「なんだ、この甘い匂い……っ」
まるで、蜂蜜をたっぷりかけたお菓子を作っている店の前を通っているような。
瞬間、視界がぐらりと揺れる。
咄嗟に壁に着いた手で、盆をひっくり返すことは避けられた。
しかし、心臓はドクドクと早鐘を打ち、息が荒くなっていく。
「は……は……っ」
甘い匂いに全身の血が沸騰しているみたいだ。
俺は短い息を繰り返しながら、自身の口元を覆った。
(こんなにキツい匂い……っ、しらねぇ……っ)
ビリビリと体に雷が走る。
それが情欲だと気づいたのは、階段を上り切った後だった。
しかし、今更引き返せない。
「この、におい……」
ふらりと足が進む。
盆の上で食器がガチャガチャと音を立てて煩い。
俺はぼんやりとする視界で、二階を見回した。
二階には、廊下と、部屋が二つ。
他にも何かあった気がするが、揺れる視界じゃよくわからない。
俺は『みつき』の札が掛かっている部屋の前に、盆を置いた。
がしゃんと音が立つ。
お粥の中身が少しだけ零れたのを見て、頭の端っこで罪悪感が顔を出す。
しかし、それもすぐに引っ込んでしまった。
――強烈な甘い匂いは、間違いなく目の前の扉から漂っていたのだから。
「みつ、き、さ……」
思考がままならない。
唾液が口内に溜まり、俺はごくりと飲み下す。
限界まで腹が減った時のような気分だった。
無意識に手が伸びる。
ノブを取り、回す。少し抵抗の感触はあったけど、小さな破壊音と共に無くなった。
手前に引けば――あっさりと開いてしまう扉。
「ッ、!」
ぶわりと広がる、甘い香り。
(これ、は)
間違いない。――オメガの発情期だ。
「なん、で」
「はっ……はっ……あか、つき、く……?」
「蜜希、さん……」
部屋の中。
入って右手にあるベッドの上で、蜜希さんはうつろな目をして俺を見ていた。
あられもない姿に、頭が殴られたような衝撃を受ける。
――ああ、どうして。
「暁月く、ん、なんで、此処に……っ」
「……蜜希さん、オメガ、だったんですね」
大切に思った人はみな、俺に嘘を吐くんだろうか。
10
あなたにおすすめの小説
流れる星、どうかお願い
ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる)
オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年
高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼
そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ
”要が幸せになりますように”
オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ
王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに!
一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので
ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが
お付き合いください!
ジャスミン茶は、君のかおり
霧瀬 渓
BL
アルファとオメガにランクのあるオメガバース世界。
大学2年の高位アルファ高遠裕二は、新入生の三ツ橋鷹也を助けた。
裕二の部活後輩となった鷹也は、新歓の数日後、放火でアパートを焼け出されてしまう。
困った鷹也に、裕二が条件付きで同居を申し出てくれた。
その条件は、恋人のフリをして虫除けになることだった。
オメガ判定されました日記~俺を支えてくれた大切な人~
伊織
BL
「オメガ判定、された。」
それだけで、全部が変わるなんて思ってなかった。
まだ、よくわかんない。
けど……書けば、少しは整理できるかもしれないから。
****
文武両道でアルファの「御門 蓮」と、オメガであることに戸惑う「陽」。
2人の関係は、幼なじみから恋人へ進んでいく。それは、あたたかくて、幸せな時間だった。
けれど、少しずつ──「恋人であること」は、陽の日常を脅かしていく。
大切な人を守るために、陽が選んだ道とは。
傷つきながらも、誰かを想い続けた少年の、ひとつの記録。
****
もう1つの小説「番じゃない僕らの恋」の、陽の日記です。
「章」はそちらの小説に合わせて、設定しています。
病弱の花
雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。
僕を惑わせるのは素直な君
秋元智也
BL
父と妹、そして兄の家族3人で暮らして来た。
なんの不自由もない。
5年前に病気で母親を亡くしてから家事一切は兄の歩夢が
全てやって居た。
そこへいきなり父親からも唐突なカミングアウト。
「俺、再婚しようと思うんだけど……」
この言葉に驚きと迷い、そして一縷の不安が過ぎる。
だが、好きになってしまったになら仕方がない。
反対する事なく母親になる人と会う事に……。
そこには兄になる青年がついていて…。
いきなりの兄の存在に戸惑いながらも興味もあった。
だが、兄の心の声がどうにもおかしくて。
自然と聞こえて来てしまう本音に戸惑うながら惹かれて
いってしまうが……。
それは兄弟で、そして家族で……同性な訳で……。
何もかも不幸にする恋愛などお互い苦しみしかなく……。
【本編完結】αに不倫されて離婚を突き付けられているけど別れたくない男Ωの話
雷尾
BL
本人が別れたくないって言うんなら仕方ないですよね。
一旦本編完結、気力があればその後か番外編を少しだけ書こうかと思ってます。
多分嫌いで大好きで
ooo
BL
オメガの受けが消防士の攻めと出会って幸せになったり苦しくなったり、普通の幸せを掴むまでのお話。
消防士×短大生のち社会人
(攻め)
成瀬廉(31)
身長180cm
一見もさっとしているがいかにも沼って感じの見た目。
(受け)
崎野咲久(19)
身長169cm
黒髪で特に目立った容姿でもないが、顔はいい方だと思う。存在感は薄いと思う。
オメガバースの世界線。メジャーなオメガバなので特に説明なしに始まります( . .)"
強欲なる花嫁は総てを諦めない
浦霧らち
BL
皮肉と才知と美貌をひっさげて、帝国の社交界を渡ってきた伯爵令息・エルンスト──その名には〝強欲〟の二文字が付き纏う。
そんなエルンストが戦功の褒美と称されて嫁がされたのは、冷血と噂される狼の獣人公爵・ローガンのもとだった。
やがて彼のことを知っていくうちに、エルンストは惹かれていく心を誤魔化せなくなる。
エルンストは彼に応える術を探しはじめる。荒れた公爵領を改革し、完璧な伴侶として傍に立つために。
強欲なる花嫁は、総てを手に入れるまで諦めない。
※性描写がある場合には*を付けています。が、後半になると思います。
※ご都合主義のため、整合性は無いに等しいです、雰囲気で読んでください。
※自分の性癖(誤用)にしか配慮しておりません。
※書き溜めたストックが無くなり次第、ノロノロ更新になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる