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二章 新しい自分
11-1 休みの理由
しおりを挟む翌日。
蜜希さんは急遽休みとなった。
「え?」
「あの子、体調を壊しちゃったみたいでね。迷惑をかけると思うけど、ごめんなさいね」
「それじゃあ、今日も一日、よろしくお願いします」と女将さんが礼をする。
俺たち従業員はそれに合わせて「よろしくお願いします」と頭を下げた。
早速と仕事に取り掛かる他の人を見送り、俺は小走りで女将さんのところへ駆け寄った。
「女将さん!」
「あら、凛くん。どうしたの?」
振り返る女将さんに、俺は一瞬躊躇った。
しかし、ここで聞かなければ一日気になって仕方がないだろう。
仕事に支障が出るかもしれない。
そんな言い訳が頭を過った。
「その、蜜希さん、大丈夫なんですか?」
「え? ……ああ、そうね。そうだったわね」
女将さんは何か納得したように呟く。
俺はその反応が意外で、つい首を傾げてしまった。
女将さんは息を吐き、頬に手を当てる。
「実はあの子、昨日風呂で寝ちゃったみたいなのよ」
「へっ?」
「つまり、ただの夏風邪よ」
「自業自得のね」と言われる。
(夏、風邪……)
しかも、蜜希さん自身の管理不足で。
「でも俺、風呂でちょっと一緒になりましたけど、眠そうには思えませんでしたよ?」
「お風呂で? まったく、あの子は……」
「え? えっと、何か問題が……?」
「いいえ。何でもないわ」
「まあ、そんなんだから、凛くんが気にすることじゃないわ」と女将さんが言う。
浮かべる笑顔には若干の心配の色が乗っているものの、そこまで深刻そうには見えなかった。
(これ以上は突っ込めないな……)
俺は聞きたかった言葉を飲み込んだ。
家族である女将さんが『大丈夫』というのだから、それを信じるしかない。
(落ち着いたら、様子だけでも見せてもらえないか聞いてみよう)
俺は後ろ髪を引かれる思いをしながらも、仕事に戻って行った。
その日はやたらと室内の仕事が多かった。
俺は一番下っ端だし、男だ。
だからてっきり蜜希さんの仕事である庭の掃除を言われると思ったのだが、「今日は外国人のお客様が多いから」とのことで受付に押し込められてしまった。
(いやまあ、確かに庭掃除なんてしたことないけど)
蜜希さんの仕事は俺が代わりにやりたかった。
なんて子供じみたことを思う。
こんなこと女将さんに行ったら一笑されて終わりだろう。
庭はこの旅館の目玉でもあるんだし、当然だ。
「……蜜希さん、大丈夫かな」
気が緩むと頭を過る、彼の姿。
昨日はあんなに元気だったのに、と内心呟く。
元気に買い物して、遊んで、風呂でだって。
(……蜜希さんの肌、綺麗だったな)
白くて、ツヤツヤしていて。
日焼けしてるところとしていないところの境目がはっきりしていた。
それが妙に色気を持っていて、目が離せなかったのを覚えている。
水滴が月の光を受けてキラキラして、蜜希さんの火照った顔と甘い匂いが―――――
『暁月くん?』
「っ――!」
ゴン。
俺は額をカウンターに打ち付けた。
お客様用のペンがペン立てごと倒れてしまう。
いそいそとそれを拾いながら、俺は大きく息を吐き出した。
(仕事中に何考えてるんだ、俺は……!)
公共の場で考えることではない。決して。
俺は頭を抱え、大きく深呼吸をした。
一旦頭の中から蜜希さんの事を追い出そうとして、出来なかった。
居座る蜜希さんに、どうか大人しくしていてくれと願いながら、俺は仕事に戻ることにした。
仕事は探せばいくらでもある。
特に、顧客管理のデータ化やシステムに関しては。
俺は煩悩を消そうと、必死にそれらに手を付けた。
お陰で予定の倍進んでしまい、後に来た朝陽くんにドン引かれた。
「帰っていいか?」
「女将さんに報告しても良いなら」
「チッ」
不機嫌そうに舌を打った朝陽は、エナジードリンク片手に事務所に居座った。
今日から朝陽も出勤することは、朝礼の時点で聞いていた。
まさか十時からの重役出勤だとは思っていなかったけど。
俺はチラリと彼を見る。
蜜希さんと同じ作務衣服を着ている彼は、様になっていた。
流石蜜希さんの弟だと、賞賛したいくらいには。
「んだよ」
「別に、何でもないよ」
「そっちの紙頂戴」と手を伸ばせば、すぐに渡される紙の束。
(分厚いな)
絶対多く取っただろ、と朝陽を睨めば、素知らぬふりをされる。
ムカつく態度は今日も変わらず。
はぁ、と息を吐けば、ふわりと漂う匂い。
俺は勢いよく朝陽を見た。
「……なぁ、朝陽」
「んだよ」
「今朝、蜜希さんと会ったのか?」
朝陽の視線が鋭く俺を見る。
警戒されている。
「で?」
「でって……」
「会ったかなんてどうでもいいだろ」
「どうでもよくない」
「なんで」
「なんでって」
俺は教えてくれない歯痒さに、思わず舌を打った。
「それこそ君に関係ないだろ。俺は蜜希さんが心配で――」
「嘘つけ」
「嘘じゃない!」
ダンッと机を叩いて、俺は立ち上がる。
朝陽は一瞬眉を動かしたが、それだけだった。
その態度に、俺は言葉に出来ない焦りが込み上げて来るのを感じる。
(年下の癖に、余裕ぶりやがって……っ)
完全に八つ当たりだった。
でも、何もわからないまま警戒だけされるのは、理不尽だろ。
俺は拳を握りしめた。爪が刺さるほど、強く。
「……お前から、蜜希さんの匂いがする。会ってきたんだろ」
「チッ……あんな短時間でもつくのかよ」
「会ったんだな?」
俺は確信を持った声色で告げた。
朝陽は嘲笑する。
それが答えだった。
「はっ。口調が崩れてんぞ、ボンボン」
「煩い。そんなことより答えろ。蜜希さんの容態は? 大丈夫なのか?」
「あぁ? 誰がお前なんかの質問に答えるかよ」
「……そうか」
俺は目を伏せる。
瞬間、朝陽は一瞬肩を震わせると、挑発的だった顔が一気に強張った。
警戒が跳ね上がり、朝陽の呼吸が早くなる。
――やはりそうだ。
アルファ性は俺の方が高い。
ならば、このまま聞き出すのが一番手っ取り早いだろう。
(女将さんたちにはこんなこと出来ないからな)
同じアルファが蜜希さんの弟で良かった。
(……なんて考えている俺は、最低なんだろうな)
だが今更引けない。
俺は朝陽をねめつけるように見た。
「もう一度だけ聞く。蜜希さんは大丈夫なのか?」
「っ……余裕ねぇ癖に、威圧だけは一丁前だな」
「もっと浴びたいならそう言えばいいだろ」
俺はフェロモンを強くした。
自分よりも上位のアルファのフェロモンを浴びた朝陽は、顔を真っ青にしている。
少し可哀想かもしれないが、蜜希さんとのことを邪魔するなら、話は別だ。
(蜜希さん)
もし彼が朝に蜜希さんに会い、ひどいことを口にしていたら。
そう思うと腸が煮えくり返る想いだった。
二人の仲の良さを考えればあり得ない事なのに。
朝陽はぐっと眉を寄せる。
眩暈がしてきたのだろう。彼の身体が机の上にぐったりと落ちた。
「このまま気を失うまで耐えるか?」
「っ、テメェ、マジで覚えてろよ」
「気が向いたらな」
俺の返答に、舌打ちが返される。
昨日の勝負で『年上は敬うように』と言ったのに。
(覚えていないのはお前の方だろ)
まあ、今はどうでもいいが。
朝陽は苦々しい顔をしながら、思案する。
俺の目が細くなったのを見て、彼は渋々口を開いた。
「……言っとくが、テメェが心配するようなことはねェよ」
「本当だな?」
「はっ。この状況で嘘つくと思うか?」
思わない。
俺は数秒彼の様子を見て、ゆっくりとフェロモンを弱めた。
朝陽は重りを退かされた体を起き上がらせ、気持ち悪そうに口元に手を添える。
同時に、受付カウンターから電話が鳴り始める。
恐らく旅館内で泊っている客からの問い合わせだろう。
――『今のアルファのフェロモンはなんだ』と。
(やらかしたな)
幸い、今泊まっている客にオメガの人はいない。
予約の際に書いてもらっていた性別を、俺は全て覚えていた。
とはいえ、アルファの客はいるので、バレないはずはない。
あとで女将さんにこっぴどく怒られてしまうだろう。
しかし、俺は安堵感でいっぱいだった。
「そうか。蜜希さんは、大丈夫なんだな」
「けほっ。……あ? テメェ、この状況でよくそれが言えるな」
「いや、うん。悪い」
「体調戻るまで、休んでていい。女将さんには俺が説明しとく」と告げ、俺はカウンターに戻った。
鳴り響く電話を取れば、予想通りの問い合わせ。
俺はすべての電話に『喧嘩したお客様を止めるための処置だった』と伝えた。
半分は嘘じゃない。
喧嘩をしていたのは俺たちだけど。
その後、異常を察知した女将さんが飛んで来た。
俺は事情と朝陽の事を説明すると、こっぴどく怒られた。
「まったく。凛くんといい、朝陽といい、何をしているのかしら」
「すみません」
「はぁ……もういいわ。私も、蜜希について貴方にちゃんと説明すればよかったわね」
「ごめんなさいね」と言われ、俺は戸惑う。
まさかそう言われるとは思っていなかった。
「でも、フェロモンを意図的に出したのはマナー違反よ。罰として一週間、旅館中のトイレ掃除とお風呂掃除、それから買い出し係りに任命するわ。よろしくね」
「え゛っ」
「もちろん、通常業務もね。それとも、三日間の謹慎が良かったかしら?」
俺は冷や汗を流しながら、「わ、わかりました……」と静かに頷いた。
過酷になるであろう日々に、魂が抜けそうになる。
しかし、蜜希さんの容態を聞けたことと天秤にかければ、随分と安いことのように思えた。
俺は礼をして、掃除道具を持って駆けだした。
旅館のトイレは六ケ所。
グズグズはしていられない。
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