29 / 95
二章 新しい自分
11-1 休みの理由
しおりを挟む翌日。
蜜希さんは急遽休みとなった。
「え?」
「あの子、体調を壊しちゃったみたいでね。迷惑をかけると思うけど、ごめんなさいね」
「それじゃあ、今日も一日、よろしくお願いします」と女将さんが礼をする。
俺たち従業員はそれに合わせて「よろしくお願いします」と頭を下げた。
早速と仕事に取り掛かる他の人を見送り、俺は小走りで女将さんのところへ駆け寄った。
「女将さん!」
「あら、凛くん。どうしたの?」
振り返る女将さんに、俺は一瞬躊躇った。
しかし、ここで聞かなければ一日気になって仕方がないだろう。
仕事に支障が出るかもしれない。
そんな言い訳が頭を過った。
「その、蜜希さん、大丈夫なんですか?」
「え? ……ああ、そうね。そうだったわね」
女将さんは何か納得したように呟く。
俺はその反応が意外で、つい首を傾げてしまった。
女将さんは息を吐き、頬に手を当てる。
「実はあの子、昨日風呂で寝ちゃったみたいなのよ」
「へっ?」
「つまり、ただの夏風邪よ」
「自業自得のね」と言われる。
(夏、風邪……)
しかも、蜜希さん自身の管理不足で。
「でも俺、風呂でちょっと一緒になりましたけど、眠そうには思えませんでしたよ?」
「お風呂で? まったく、あの子は……」
「え? えっと、何か問題が……?」
「いいえ。何でもないわ」
「まあ、そんなんだから、凛くんが気にすることじゃないわ」と女将さんが言う。
浮かべる笑顔には若干の心配の色が乗っているものの、そこまで深刻そうには見えなかった。
(これ以上は突っ込めないな……)
俺は聞きたかった言葉を飲み込んだ。
家族である女将さんが『大丈夫』というのだから、それを信じるしかない。
(落ち着いたら、様子だけでも見せてもらえないか聞いてみよう)
俺は後ろ髪を引かれる思いをしながらも、仕事に戻って行った。
その日はやたらと室内の仕事が多かった。
俺は一番下っ端だし、男だ。
だからてっきり蜜希さんの仕事である庭の掃除を言われると思ったのだが、「今日は外国人のお客様が多いから」とのことで受付に押し込められてしまった。
(いやまあ、確かに庭掃除なんてしたことないけど)
蜜希さんの仕事は俺が代わりにやりたかった。
なんて子供じみたことを思う。
こんなこと女将さんに行ったら一笑されて終わりだろう。
庭はこの旅館の目玉でもあるんだし、当然だ。
「……蜜希さん、大丈夫かな」
気が緩むと頭を過る、彼の姿。
昨日はあんなに元気だったのに、と内心呟く。
元気に買い物して、遊んで、風呂でだって。
(……蜜希さんの肌、綺麗だったな)
白くて、ツヤツヤしていて。
日焼けしてるところとしていないところの境目がはっきりしていた。
それが妙に色気を持っていて、目が離せなかったのを覚えている。
水滴が月の光を受けてキラキラして、蜜希さんの火照った顔と甘い匂いが―――――
『暁月くん?』
「っ――!」
ゴン。
俺は額をカウンターに打ち付けた。
お客様用のペンがペン立てごと倒れてしまう。
いそいそとそれを拾いながら、俺は大きく息を吐き出した。
(仕事中に何考えてるんだ、俺は……!)
公共の場で考えることではない。決して。
俺は頭を抱え、大きく深呼吸をした。
一旦頭の中から蜜希さんの事を追い出そうとして、出来なかった。
居座る蜜希さんに、どうか大人しくしていてくれと願いながら、俺は仕事に戻ることにした。
仕事は探せばいくらでもある。
特に、顧客管理のデータ化やシステムに関しては。
俺は煩悩を消そうと、必死にそれらに手を付けた。
お陰で予定の倍進んでしまい、後に来た朝陽くんにドン引かれた。
「帰っていいか?」
「女将さんに報告しても良いなら」
「チッ」
不機嫌そうに舌を打った朝陽は、エナジードリンク片手に事務所に居座った。
今日から朝陽も出勤することは、朝礼の時点で聞いていた。
まさか十時からの重役出勤だとは思っていなかったけど。
俺はチラリと彼を見る。
蜜希さんと同じ作務衣服を着ている彼は、様になっていた。
流石蜜希さんの弟だと、賞賛したいくらいには。
「んだよ」
「別に、何でもないよ」
「そっちの紙頂戴」と手を伸ばせば、すぐに渡される紙の束。
(分厚いな)
絶対多く取っただろ、と朝陽を睨めば、素知らぬふりをされる。
ムカつく態度は今日も変わらず。
はぁ、と息を吐けば、ふわりと漂う匂い。
俺は勢いよく朝陽を見た。
「……なぁ、朝陽」
「んだよ」
「今朝、蜜希さんと会ったのか?」
朝陽の視線が鋭く俺を見る。
警戒されている。
「で?」
「でって……」
「会ったかなんてどうでもいいだろ」
「どうでもよくない」
「なんで」
「なんでって」
俺は教えてくれない歯痒さに、思わず舌を打った。
「それこそ君に関係ないだろ。俺は蜜希さんが心配で――」
「嘘つけ」
「嘘じゃない!」
ダンッと机を叩いて、俺は立ち上がる。
朝陽は一瞬眉を動かしたが、それだけだった。
その態度に、俺は言葉に出来ない焦りが込み上げて来るのを感じる。
(年下の癖に、余裕ぶりやがって……っ)
完全に八つ当たりだった。
でも、何もわからないまま警戒だけされるのは、理不尽だろ。
俺は拳を握りしめた。爪が刺さるほど、強く。
「……お前から、蜜希さんの匂いがする。会ってきたんだろ」
「チッ……あんな短時間でもつくのかよ」
「会ったんだな?」
俺は確信を持った声色で告げた。
朝陽は嘲笑する。
それが答えだった。
「はっ。口調が崩れてんぞ、ボンボン」
「煩い。そんなことより答えろ。蜜希さんの容態は? 大丈夫なのか?」
「あぁ? 誰がお前なんかの質問に答えるかよ」
「……そうか」
俺は目を伏せる。
瞬間、朝陽は一瞬肩を震わせると、挑発的だった顔が一気に強張った。
警戒が跳ね上がり、朝陽の呼吸が早くなる。
――やはりそうだ。
アルファ性は俺の方が高い。
ならば、このまま聞き出すのが一番手っ取り早いだろう。
(女将さんたちにはこんなこと出来ないからな)
同じアルファが蜜希さんの弟で良かった。
(……なんて考えている俺は、最低なんだろうな)
だが今更引けない。
俺は朝陽をねめつけるように見た。
「もう一度だけ聞く。蜜希さんは大丈夫なのか?」
「っ……余裕ねぇ癖に、威圧だけは一丁前だな」
「もっと浴びたいならそう言えばいいだろ」
俺はフェロモンを強くした。
自分よりも上位のアルファのフェロモンを浴びた朝陽は、顔を真っ青にしている。
少し可哀想かもしれないが、蜜希さんとのことを邪魔するなら、話は別だ。
(蜜希さん)
もし彼が朝に蜜希さんに会い、ひどいことを口にしていたら。
そう思うと腸が煮えくり返る想いだった。
二人の仲の良さを考えればあり得ない事なのに。
朝陽はぐっと眉を寄せる。
眩暈がしてきたのだろう。彼の身体が机の上にぐったりと落ちた。
「このまま気を失うまで耐えるか?」
「っ、テメェ、マジで覚えてろよ」
「気が向いたらな」
俺の返答に、舌打ちが返される。
昨日の勝負で『年上は敬うように』と言ったのに。
(覚えていないのはお前の方だろ)
まあ、今はどうでもいいが。
朝陽は苦々しい顔をしながら、思案する。
俺の目が細くなったのを見て、彼は渋々口を開いた。
「……言っとくが、テメェが心配するようなことはねェよ」
「本当だな?」
「はっ。この状況で嘘つくと思うか?」
思わない。
俺は数秒彼の様子を見て、ゆっくりとフェロモンを弱めた。
朝陽は重りを退かされた体を起き上がらせ、気持ち悪そうに口元に手を添える。
同時に、受付カウンターから電話が鳴り始める。
恐らく旅館内で泊っている客からの問い合わせだろう。
――『今のアルファのフェロモンはなんだ』と。
(やらかしたな)
幸い、今泊まっている客にオメガの人はいない。
予約の際に書いてもらっていた性別を、俺は全て覚えていた。
とはいえ、アルファの客はいるので、バレないはずはない。
あとで女将さんにこっぴどく怒られてしまうだろう。
しかし、俺は安堵感でいっぱいだった。
「そうか。蜜希さんは、大丈夫なんだな」
「けほっ。……あ? テメェ、この状況でよくそれが言えるな」
「いや、うん。悪い」
「体調戻るまで、休んでていい。女将さんには俺が説明しとく」と告げ、俺はカウンターに戻った。
鳴り響く電話を取れば、予想通りの問い合わせ。
俺はすべての電話に『喧嘩したお客様を止めるための処置だった』と伝えた。
半分は嘘じゃない。
喧嘩をしていたのは俺たちだけど。
その後、異常を察知した女将さんが飛んで来た。
俺は事情と朝陽の事を説明すると、こっぴどく怒られた。
「まったく。凛くんといい、朝陽といい、何をしているのかしら」
「すみません」
「はぁ……もういいわ。私も、蜜希について貴方にちゃんと説明すればよかったわね」
「ごめんなさいね」と言われ、俺は戸惑う。
まさかそう言われるとは思っていなかった。
「でも、フェロモンを意図的に出したのはマナー違反よ。罰として一週間、旅館中のトイレ掃除とお風呂掃除、それから買い出し係りに任命するわ。よろしくね」
「え゛っ」
「もちろん、通常業務もね。それとも、三日間の謹慎が良かったかしら?」
俺は冷や汗を流しながら、「わ、わかりました……」と静かに頷いた。
過酷になるであろう日々に、魂が抜けそうになる。
しかし、蜜希さんの容態を聞けたことと天秤にかければ、随分と安いことのように思えた。
俺は礼をして、掃除道具を持って駆けだした。
旅館のトイレは六ケ所。
グズグズはしていられない。
10
あなたにおすすめの小説
流れる星、どうかお願い
ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる)
オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年
高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼
そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ
”要が幸せになりますように”
オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ
王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに!
一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので
ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが
お付き合いください!
六年目の恋、もう一度手をつなぐ
高穂もか
BL
幼なじみで恋人のつむぎと渉は互いにオメガ・アルファの親公認のカップルだ。
順調な交際も六年目――最近の渉はデートもしないし、手もつながなくなった。
「もう、おればっかりが好きなんやろか?」
馴ればっかりの関係に、寂しさを覚えるつむぎ。
そのうえ、渉は二人の通う高校にやってきた美貌の転校生・沙也にかまってばかりで。他のオメガには、優しく甘く接する恋人にもやもやしてしまう。
嫉妬をしても、「友達なんやから面倒なこというなって」と笑われ、遂にはお泊りまでしたと聞き……
「そっちがその気なら、もういい!」
堪忍袋の緒が切れたつむぎは、別れを切り出す。すると、渉は意外な反応を……?
倦怠期を乗り越えて、もう一度恋をする。幼なじみオメガバースBLです♡
僕の幸せは
春夏
BL
【完結しました】
【エールいただきました。ありがとうございます】
【たくさんの“いいね”ありがとうございます】
【たくさんの方々に読んでいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます!】
恋人に捨てられた悠の心情。
話は別れから始まります。全編が悠の視点です。
【完結】選ばれない僕の生きる道
谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。
選ばれない僕が幸せを選ぶ話。
※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです
※設定は独自のものです
※Rシーンを追加した加筆修正版をムーンライトノベルズに掲載しています。
運命の番は僕に振り向かない
ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。
それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。
オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。
ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。
ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。
ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。
ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。
2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~
青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」
その言葉を言われたのが社会人2年目の春。
あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。
だが、今はー
「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」
「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」
冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。
貴方の視界に、俺は映らないー。
2人の記念日もずっと1人で祝っている。
あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。
そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。
あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。
ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー
※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。
表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。
泡にはならない/泡にはさせない
玲
BL
――やっと見つけた、オレの『運命』……のはずなのに秒でフラれました。――
明るくてお調子者、だけど憎めない。そんなアルファの大学生・加原 夏樹(かはらなつき)が、ふとした瞬間に嗅いだ香り。今までに経験したことのない、心の奥底をかき乱す“それ”に導かれるまま、出会ったのは——まるで人魚のようなスイマーだった。白磁の肌、滴る水、鋭く澄んだ瞳、そしてフェロモンが、理性を吹き飛ばす。出会った瞬間、確信した。
「『運命だ』!オレと『番』になってくれ!」
衝動のままに告げた愛の言葉。けれど……。
「運命論者は、間に合ってますんで。」
返ってきたのは、冷たい拒絶……。
これは、『運命』に憧れる一途なアルファと、『運命』なんて信じない冷静なオメガの、正反対なふたりが織りなす、もどかしくて、熱くて、ちょっと切ない恋のはじまり。
オメガバースという世界の中で、「個」として「愛」を選び取るための物語。
彼が彼を選ぶまで。彼が彼を認めるまで。
——『運命』が、ただの言葉ではなくなるその日まで。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる