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二章 新しい自分
11-2 うそつきの果実
しおりを挟む「疲れた……」
午後二時。
俺は食堂の机に額を付けながら、呟いた。
客はいない。
今は食堂もクローズ中だ。
ここ、二日。
俺は自身の贖罪を果たすため、走り回っていた。
思った以上に過酷で慣れない作業に、もう身体のあちこちが軋んでいる。
もう一度息を吐き出せば、「頑張ってるね」と声をかけられた。
「タカさん」
「いやあ、まさか凛くんがねぇ。あんなことするなんて思わなかったよ」
おっとりした声で言う彼に、俺は言葉を詰まらせる。
タカさん――女将さんの旦那さんで、蜜希さんと朝陽の父親。本名は宵月孝雄という――は、優しい顔で笑っている。
タカさんは先日の事件について、真相を知っている一人だ。
他の従業員には『アルファ同士のお客様の喧嘩を収めるための処置』と女将さんが説明してくれていた。
「その節はご迷惑をおかけして、すみませんでした」
「うん。自分でわかってるならいいんじゃないかな」
「早苗からも聞いたよ。最初から反省してる様子だったって」とタカさんが続ける。
早苗とは、女将さんの名前だ。
俺は彼らの優しさに、心が温かくなる。
(うちじゃこうはいかないだろうな……)
そんな変な自信が浮かんでしまうくらいには。
「あの、蜜希さんは大丈夫ですか? ちゃんと食べてますか?」
俺はつい気になっていたことを口にしてしまった。
タカさんは少し目を瞠ると、「あー……」と気まずそうな顔をした。
「まあ、そこそこな。毎月の事とは言え、やっぱりちょっと心配になるよ」
「毎月?」
(蜜希さん、毎月風邪ひいてるのか?)
そんなに体が弱いとは思わなかったけど。
タカさんは「あ、やばいな。これ言っちゃダメなんだったっけ」と頭を掻く。
彼の視線がキョロキョロと周囲を見回す。誰もいないのを確認して、口もとに手を添えた。
「凛くん、悪いんだけど今の話聞かなかったことにしてくれないか?」
「えっと……構いませんけど、それはどういう……」
「いや。詳しいことは、ほら、ね?」
ね? じゃわからないんですが。
俺はそう口にしそうになり、咄嗟に言葉を飲み込んだ。
代わりに別の言葉を彼に投げかける。
「それじゃあ――蜜希さんの今日の食事、俺に運ばせてもらえませんか?」
「え?」
俺の言葉は彼にとって予想外だったのだろう。
キョトンとした彼の顔が俺を見る。
俺は言葉を続ける。
「今日、朝陽……くんが休みだって聞きました。なので、代わりに」
「そ、そうか? いやまあ、確かに今日は朝陽が出かけてて、早苗が渡しに行くことにはなっているけど……」
「大丈夫ですよ。俺、こう見えても体強いですし、風邪ももう何年も引いてませんから」
悩むタカさんの背中を押すように、言葉を連ねる。
本当なら『俺が行きたいです! 行きます!』とごり押ししたい気分だが、それは宵月家にとっては良くないことなのは自覚している。
なので、出来るだけ無理をさせないように。
警戒など抱かないようにして、提案をする。
(……我ながら腹黒いな)
でも、それで蜜希さんに会えるなら、安いものだ。
俺はタカさんをじっと見つめた。
「ううーん、でもなぁ……」
「女将さん、今日もかなり忙しいみたいですよ」
「うっ……それは、わかってるんだが」
「それに――俺も、蜜希さんが心配ですし」
視線を下げ、憂う顔を意識的に作る。
嘘を言っているわけではない。ただ、心配する気持ちを誇張しているだけだ。
だが、これが意外と人に利くことを俺は知っている。
「はぁ。わかったよ。それじゃあ、凛くんに任せようかな」
「ありがとうございます」
「ただ、蜜希は寝起きがとんでもなく悪いから、部屋には入らないように。盆ごと部屋の前に置いておくだけでいいからね」
「今準備するから、少し待ってて」とタカさんは厨房へと入って行く。
俺はその背中を見ながら、首を傾げていた。
(寝起きが悪い?)
そんなの、感じたことないけど。
むしろ、寝ても起きても蜜希さんはご機嫌なイメージがある。
(タカさんはどうしてそんなことを?)
俺は疑問に思ったが、追及はしないことにした。
もしして、運ぶのを『やっぱりダメ』と拒否されても困る。
「それじゃあ、お願いね」
「わかりました」
「凛くんのご飯も用意しておくから、帰って来たら好きに食べてくれ」
「ありがとうございます」と言い、タカさんから盆を受け取る。
俺は食堂を後にした。
旅館内の廊下を突き当りまで歩き、『従業員専用』の扉の前でサンダルを足に引っ掛ける。
扉を開ければ、宵月家へと繋がる裏口に繋がっていた。
裏口を通り、勝手口から宵月家へと入る。
勝手口の鍵はかかっていない。
いつでも家族の誰かが出入りできるようにしているのだとか。
(毎度思うけど、不用心だよな)
もう少し気にした方がいいのでは、なんてお節介なことを思ってしまう。
「ええっと、確か蜜希さんの部屋は二階だよな」
タカさんから教えてもらった通りに廊下を歩く。
柔らかい木の床が僅かに軋む音は、聞いていて心地いい。
陽射しの入る廊下は綺麗に磨かれていて、大切にされているのだとわかる。
「……いいな」
温かい家、というものを、俺はここで初めて感じている気がする。
(いや、離れもそうだったか)
俺は離れの空気を思い出す。
温かい雰囲気。
人の過ごした痕跡が残る部屋。
幸せの名残を持った家は使うのに少し躊躇うが、嫌いじゃなかった。
(俺の家とは大違いだな)
比べれば比べるほど、自分の家の異質さが目立つ気がする。
俺は一つ息を吐いて、階段に足をかけた。
階段の中腹。踊り場になっている場所で、俺は異変に気が付く。
「なんだ、この甘い匂い……っ」
まるで、蜂蜜をたっぷりかけたお菓子を作っている店の前を通っているような。
瞬間、視界がぐらりと揺れる。
咄嗟に壁に着いた手で、盆をひっくり返すことは避けられた。
しかし、心臓はドクドクと早鐘を打ち、息が荒くなっていく。
「は……は……っ」
甘い匂いに全身の血が沸騰しているみたいだ。
俺は短い息を繰り返しながら、自身の口元を覆った。
(こんなにキツい匂い……っ、しらねぇ……っ)
ビリビリと体に雷が走る。
それが情欲だと気づいたのは、階段を上り切った後だった。
しかし、今更引き返せない。
「この、におい……」
ふらりと足が進む。
盆の上で食器がガチャガチャと音を立てて煩い。
俺はぼんやりとする視界で、二階を見回した。
二階には、廊下と、部屋が二つ。
他にも何かあった気がするが、揺れる視界じゃよくわからない。
俺は『みつき』の札が掛かっている部屋の前に、盆を置いた。
がしゃんと音が立つ。
お粥の中身が少しだけ零れたのを見て、頭の端っこで罪悪感が顔を出す。
しかし、それもすぐに引っ込んでしまった。
――強烈な甘い匂いは、間違いなく目の前の扉から漂っていたのだから。
「みつ、き、さ……」
思考がままならない。
唾液が口内に溜まり、俺はごくりと飲み下す。
限界まで腹が減った時のような気分だった。
無意識に手が伸びる。
ノブを取り、回す。少し抵抗の感触はあったけど、小さな破壊音と共に無くなった。
手前に引けば――あっさりと開いてしまう扉。
「ッ、!」
ぶわりと広がる、甘い香り。
(これ、は)
間違いない。――オメガの発情期だ。
「なん、で」
「はっ……はっ……あか、つき、く……?」
「蜜希、さん……」
部屋の中。
入って右手にあるベッドの上で、蜜希さんはうつろな目をして俺を見ていた。
あられもない姿に、頭が殴られたような衝撃を受ける。
――ああ、どうして。
「暁月く、ん、なんで、此処に……っ」
「……蜜希さん、オメガ、だったんですね」
大切に思った人はみな、俺に嘘を吐くんだろうか。
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