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四章 散らばった真実をかき集めて
23-2 雪と舞い降りた天使だと思う
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何やってんの何やってんの何やってんの!!!
俺は全力で階段を駆け下りる。ぶつかりそうになった体を捻り、階段を飛び越え、驚いた人を受け止める。
「大丈夫ですか!?」と声をかければ、頷く。俺はすみません、と頭を下げるとそのまま走り出した。
外に出れば雪が降っている。
冷たい風がびゅうっと吹き、身体に白い雪が叩きつけられた。
「蜜希さん!」
「あ、暁月くん」
「何してるんですか!」
蜜希さんの肩を掴んで、声を上げる。
彼の大きな瞳が満月を作った。
「傘も差さないでこんなところっ……! って、違う、そうじゃなくてっ!」
「どーどー。落ち着いて、暁月くん」
これが落ち着いていられるか。
俺は恨みがましく蜜希さんを見た。蜜希さんは少し瞬きをすると「あははは」と声を上げて笑う。
「なんですか」と問えば、「何でもない」と返された。意味が解らない。
(違う、そんなことより)
俺は手を伸ばす。来る途中に掻っ攫って来た自分の荷物からマフラーを出して、蜜希さんの首元に掛けた。
「こんな寒い日にダウンだけで出歩くなんて、自殺行為です。天気予報見てなかったんですか。ほらもう、鼻真っ赤じゃないですか」
「暁月くんがお母さんだ」
「真面目に言ってるんですよ、俺は」
へらへらと笑う蜜希さん。「マフラーくらいしてください」と半ば叫ぶように言えば「あったかいねぇ」と返された。
温かくて当たり前だ。
ついさっきまで暖房のついた部屋に置きっぱなしになっていたんだから。
「ふ、ふふふ……」
「……ちょっと、蜜希さん。何笑ってるんですか」
俺は肩眉を上げて、問いかける。
どこかおかしそうに――楽しそうに――笑う蜜希さんは、俺を見上げた。
柔い月の瞳が、俺を見つめる。その視線に、全身が戦慄く。
「ううん、懐かしいなって思って」
「……俺も、同じこと思ってました」
ほんとう? と聞かれて、俺は頷く。
「こんなことで嘘ついてどうするんですか」と呟けば、それもそっかと納得してくれる。
俺はじわじわと込み上げる熱を感じていた。
腹の底から、背中の下の方から、ふつふつと湧き上がってくる。
俺はもう一度蜜希さんに手を伸ばした。冷たい頬に触れる。柔い肌の感触が伝わり、じんわりと蜜希さんの体温が指先を流れて来た。
「なあに。どうしたの、暁月くん」
「……いる」
「うん?」
「蜜希さんが、いる」
ぽつり。
零れた声は、球のようになって雪と一緒に転がり落ちた。
「うん。いるよ」
蜜希さんの声が聞こえる。甘くない、ビターな感じだったけど、それがより現実感を感じさせた。
「どうして」
「どうしてだと思う?」
「……わからない、です」
「暁月くんに会いに来たんだよ」
平然とした声で爆弾が落とされる。
ドクンと大きく心臓が跳ね、俺は込み上げる歓喜と愛おしさに奥歯を噛み締めた。
気が付けば、蜜希さんの身体が腕の中に収まっていた。
「暁月くっ」
「蜜希さんっ、蜜希さん……!」
ああ、本当に会えた。
空から降っては来なかったけど、蜜希さんが俺のために、ここまで会いに来てくれた。
それだけで、俺の世界は色づいてしまう。現金な奴? そんなこと、俺が一番わかってるんだよ。
ぎゅうぅぅうっと強く、それはもう全力で抱きしめていれば、蜜希さんが「苦しいよ、暁月くん」と肩を叩いてくる。
仕方なく「すみません」と腕の力を緩めた。
「そこは普通、離れるところじゃない?」
「無理です」
「即答かぁ」
当然だ。どれだけ我慢したと思っている。
「ふふふ」
「……なんで笑ってるんですか」
「んー? なーんか懐かしくなっちゃって」
何の話だと蜜希さんを見る。蜜希さんは「ないしょ」と、くふくふと口の中で笑いを零している。
すごく上機嫌だ。
(ほっぺ、膨らんでる)
餅みたいだ。美味しそう。
「それにしても寒いね」
「そんな薄着で来るからですよ」
「だって雪が降るなんて思わな――」
「凛様」
不意に。
投げかけられた声に、俺の機嫌が急降下していくのがわかる。
振り返れば、真っ黒なスーツを着た物々しい雰囲気の男たちがいた。
「……覚」
「そろそろお時間です」
俺は蜜希さんを庇うように後ろに引っ込める。
覚は一瞬蜜希さんの方に目を向けたが、すぐに俺を真っすぐ見た。
俺はチラリと蜜希さんを盗み見る。
状況がわかっていない蜜希さんは、俺を見上げて首を傾げていた。「何この状況?」と言わんばかりの顔だ。
正直、ちょっと可愛い。いや、会えなかった分も合わせると、このまま現実を投げ出したいくらいには、輪をかけて可愛く見えている。
(今日は休んで……いや、駄目だ。こんなことで兄さんに借りを作りたくない)
兄さんの経営するホテルに勤めている以上、休んだら即バレる。
バレたら必ず連絡が来る。それはすごく面倒だ。
「……わかった。ちょっとしたら行くから、先に車で待っていてくれ」
「わかりました」
覚は仰々しく礼をすると、他の二人と一緒に車に戻って行った。
迎えなら覚一人で良いのに、なんであんなにいるんだ。俺が暴れるとでも思っているのか。
(心外だな)
俺はもう一度家出をしようとしていたことを棚に上げて、彼らを見送る。
「暁月くん?」と蜜希さんの声がして、俺はようやく振り返った。
「蜜希さん」
「ねぇ、あの人たちって誰? 家の人? それとも今やってるバイト先の人?」
「えっ。あ、まあ……そう、ですね。どっちも、っていう感じ……」
「ふーん」
(興味なさそうだな……)
適当な相槌だけ打って、ぼうっと覚たちが乗り込んだ車を見つめる蜜希さん。
その横顔は見たことがないくらい、物思いにふけったもので。
「……蜜希さん、ああいうタイプが好きなんですか?」
「は? 何の話?」
「あっ、なんでもないです」
俺の勘違いでした。
鋭い視線に咄嗟に視線を背ける。蜜希さんのあんな顔、初めて見た。
(ああいや、そんなことより)
「……蜜希さん、これからって予定ありますか?」
「え? うーん。ホテル探しかな」
「ホテルって、予約とかしてこなかったんですか?」
「今日のところは暁月くんの顔見たら帰るつもりだったからね。でも雪降って来ちゃったし、これじゃあ電車止まってるだろうし」
確かに。
近年雪に対する呼びかけや対策がされているとはいえ、北国と比べればまだまだ弱いのが都内の現状だ。
特に蜜希さんの方面の電車は本数が少ない上、人が行き来する量も少ないので運休になる確率も高い。
空を見上げれば、しんしんと雪が降っている。
蜜希さんの黒い髪には所々結晶が落ち、キラキラと輝いている。
(そうか。電車、止まってるのか)
ズクン、と腹の奥に重しが掛かる。その重しには『期待』という二文字が書かれている事だろう。
「まあ、暁月くんに会うって名目で一週間休みもぎ取って来たから、泊まる予定ではあったんだけどね」
「どっちなんですか……っていうか、一週間も!? だ、大丈夫なんですか……」
「まあ、なんとかなるんじゃない? 朝陽に託してきたし」
「出来る弟がいると楽だよ~?」と煽るように蜜希さんは笑う。……すみませんでしたね、頼れない状況になっちゃって。
(いや、そっちを離れたのは俺のせいじゃないけど)
でも、そうか。
心配しなくていいんだ。
俺は徐にポケットに手を突っ込んだ。触れた無機質なものを握りしめる。
心臓が早鐘を打つ。まるで緊張が音を立ててやってきているみたいだ。
「まあ、そういうことだから。今日は僕もお暇するよ。暁月くんは仕事? 頑張ってね。あ、連絡先だけ交換してもいい? 話したい事が――」
「蜜希さん、その予定、キャンセルしてください」
「はい?」
キョトンとした蜜希さんの目が俺を見る。
満月が俺を見つめる。ふわりと冬の風に乗って蜜希さんの髪が揺れ、同時に甘い香りが鼻孔を擽る。
あの時と変わらない……けれど、冬に溶け込む蜜希さんの香りは、夏の時とはちょっと違って。
(これも、好きだな)
甘さの中に、冷たさが残る。不思議な感覚だった。
俺は蜜希さんの手を掬い上げた。驚く手を逃げないでと、指先で掴む。
「連絡先はもちろん、交換しましょう。それと、ホテルならいいところがあります」
「あ、本当? やった」
無邪気に喜ぶ蜜希さん。
俺は彼の手に、ポケットから取り出したそれを乗せた。
「これ、使ってください」
「えっ。これって、鍵?」
「俺の家の鍵です。蜜希さんのホテルでもあります」
ドクドクと脈が速くなる。
緊張で手汗が滲み出そうなのを、必死に堪えた。
「俺に、会いに来てくれたって言いましたよね? 話もあるって」
「う、うん」
「じゃあ、俺の部屋で、待っててくれませんか」
賭けだった。
蜜希さんがそういう気持じゃないのはわかっている。邪な気持ちがないわけじゃないが……ただ、俺も蜜希さんに会いたかったから。
「だめ、ですか」
蜜希さんは驚いた顔で鍵を見つめていた。
数分……いや、数十分にも感じる僅かな間が落ち、蜜希さんが小さく息を吐く。
「……暁月くんってさ。自分の使い方、本当わかってるよね。熟知してるって言うか」
「……あの」
「それとも、僕が犬好きなのわかってしてる? いや、犬以外も大好きだけど」
「いや、それは初耳です」
「だよね、言ったことないもん」
聞いたことないですね、とは言えなかった。
(蜜希さんが何言いたいのか全然わかんねぇ)
蜜希さんは俺をじっと見つめると、また息を吐いた。
呆れられたのか、と思ったが――握りしめられた手に、違うんだと悟る。
手の中の鍵が抜き取られた。
「仕方ないなぁ。暁月くんがそ、こ、ま、で、言うんだったら、君の家で待っててあげようじゃないか」
「えっ」
「早く帰って来ないと、退屈してどっか行っちゃうかもね」
蜜希さんがにやりと笑う。
まるで最初に出会った頃の蜜希さんが、そこにいるみたいだった。
ぶわっと込み上げる熱は、喜びとトキメキと、あとは――。
「っ、わ、かりました。すぐに、帰ります」
「うんうん。じゃあ、先に行ってるね」
「はいっ」
「あ、あと“そういうこと”はしないから」
「期待はしないでね」と笑われる。
「“そういう”……?」
俺が疑問を呟いた時には、もう蜜希さんは背を向けていた。
(えっ、早っ)
感動の再会が一瞬のようだった。
待って。せめて意味を――!
「凛様。お時間です」
踏み出した足が止まる。硬質な声に嫌々振り返れば、覚がすぐ後ろまで来ていた。
この距離じゃ逃げられない。
蜜希さんを追いかけられない事が確定した俺は、どっと襲い来る落胆に肩を落とした。
せめてもうちょっと……話がしたかった。最後にもう一回抱き締めたかった。
(いやでも、蜜希さんは待っててくれるって)
そうだ。蜜希さんは待っててくれるのだ。
俺の家で。俺が帰って来るのを。
「……覚」
「なんでしょう」
「今日の仕事、巻きで終わらせるから」
俺は決意した。
一分一秒でも早く、家に帰ることを。
そして蜜希さんと一分一秒長く話をするのだと。
(放したい事なんて、山ほどあるんだから)
俺の片想いを舐めないで欲しい。
俺は車に乗り込むと、蜜希さんに家までの地図を送る。
しばらくして『了解』とスタンプが送られてきた。無料のスタンプだ。
「ふっ……」
可愛い。慣れて居なさそうなのが、余計。
俺はスマートフォンを閉じると、窓の外を眺める。
いつも憎たらしいとばかりに思っていた景色が、今日はどこか違うように見える。いや、憎たらしい事には変わりないんだけど。
(ここ、こんな景色だったんだな)
初めて見たような景色に、俺は目を閉じた。
数分後、到着したホテルはいつもより色づいて見えた。
俺は全力で階段を駆け下りる。ぶつかりそうになった体を捻り、階段を飛び越え、驚いた人を受け止める。
「大丈夫ですか!?」と声をかければ、頷く。俺はすみません、と頭を下げるとそのまま走り出した。
外に出れば雪が降っている。
冷たい風がびゅうっと吹き、身体に白い雪が叩きつけられた。
「蜜希さん!」
「あ、暁月くん」
「何してるんですか!」
蜜希さんの肩を掴んで、声を上げる。
彼の大きな瞳が満月を作った。
「傘も差さないでこんなところっ……! って、違う、そうじゃなくてっ!」
「どーどー。落ち着いて、暁月くん」
これが落ち着いていられるか。
俺は恨みがましく蜜希さんを見た。蜜希さんは少し瞬きをすると「あははは」と声を上げて笑う。
「なんですか」と問えば、「何でもない」と返された。意味が解らない。
(違う、そんなことより)
俺は手を伸ばす。来る途中に掻っ攫って来た自分の荷物からマフラーを出して、蜜希さんの首元に掛けた。
「こんな寒い日にダウンだけで出歩くなんて、自殺行為です。天気予報見てなかったんですか。ほらもう、鼻真っ赤じゃないですか」
「暁月くんがお母さんだ」
「真面目に言ってるんですよ、俺は」
へらへらと笑う蜜希さん。「マフラーくらいしてください」と半ば叫ぶように言えば「あったかいねぇ」と返された。
温かくて当たり前だ。
ついさっきまで暖房のついた部屋に置きっぱなしになっていたんだから。
「ふ、ふふふ……」
「……ちょっと、蜜希さん。何笑ってるんですか」
俺は肩眉を上げて、問いかける。
どこかおかしそうに――楽しそうに――笑う蜜希さんは、俺を見上げた。
柔い月の瞳が、俺を見つめる。その視線に、全身が戦慄く。
「ううん、懐かしいなって思って」
「……俺も、同じこと思ってました」
ほんとう? と聞かれて、俺は頷く。
「こんなことで嘘ついてどうするんですか」と呟けば、それもそっかと納得してくれる。
俺はじわじわと込み上げる熱を感じていた。
腹の底から、背中の下の方から、ふつふつと湧き上がってくる。
俺はもう一度蜜希さんに手を伸ばした。冷たい頬に触れる。柔い肌の感触が伝わり、じんわりと蜜希さんの体温が指先を流れて来た。
「なあに。どうしたの、暁月くん」
「……いる」
「うん?」
「蜜希さんが、いる」
ぽつり。
零れた声は、球のようになって雪と一緒に転がり落ちた。
「うん。いるよ」
蜜希さんの声が聞こえる。甘くない、ビターな感じだったけど、それがより現実感を感じさせた。
「どうして」
「どうしてだと思う?」
「……わからない、です」
「暁月くんに会いに来たんだよ」
平然とした声で爆弾が落とされる。
ドクンと大きく心臓が跳ね、俺は込み上げる歓喜と愛おしさに奥歯を噛み締めた。
気が付けば、蜜希さんの身体が腕の中に収まっていた。
「暁月くっ」
「蜜希さんっ、蜜希さん……!」
ああ、本当に会えた。
空から降っては来なかったけど、蜜希さんが俺のために、ここまで会いに来てくれた。
それだけで、俺の世界は色づいてしまう。現金な奴? そんなこと、俺が一番わかってるんだよ。
ぎゅうぅぅうっと強く、それはもう全力で抱きしめていれば、蜜希さんが「苦しいよ、暁月くん」と肩を叩いてくる。
仕方なく「すみません」と腕の力を緩めた。
「そこは普通、離れるところじゃない?」
「無理です」
「即答かぁ」
当然だ。どれだけ我慢したと思っている。
「ふふふ」
「……なんで笑ってるんですか」
「んー? なーんか懐かしくなっちゃって」
何の話だと蜜希さんを見る。蜜希さんは「ないしょ」と、くふくふと口の中で笑いを零している。
すごく上機嫌だ。
(ほっぺ、膨らんでる)
餅みたいだ。美味しそう。
「それにしても寒いね」
「そんな薄着で来るからですよ」
「だって雪が降るなんて思わな――」
「凛様」
不意に。
投げかけられた声に、俺の機嫌が急降下していくのがわかる。
振り返れば、真っ黒なスーツを着た物々しい雰囲気の男たちがいた。
「……覚」
「そろそろお時間です」
俺は蜜希さんを庇うように後ろに引っ込める。
覚は一瞬蜜希さんの方に目を向けたが、すぐに俺を真っすぐ見た。
俺はチラリと蜜希さんを盗み見る。
状況がわかっていない蜜希さんは、俺を見上げて首を傾げていた。「何この状況?」と言わんばかりの顔だ。
正直、ちょっと可愛い。いや、会えなかった分も合わせると、このまま現実を投げ出したいくらいには、輪をかけて可愛く見えている。
(今日は休んで……いや、駄目だ。こんなことで兄さんに借りを作りたくない)
兄さんの経営するホテルに勤めている以上、休んだら即バレる。
バレたら必ず連絡が来る。それはすごく面倒だ。
「……わかった。ちょっとしたら行くから、先に車で待っていてくれ」
「わかりました」
覚は仰々しく礼をすると、他の二人と一緒に車に戻って行った。
迎えなら覚一人で良いのに、なんであんなにいるんだ。俺が暴れるとでも思っているのか。
(心外だな)
俺はもう一度家出をしようとしていたことを棚に上げて、彼らを見送る。
「暁月くん?」と蜜希さんの声がして、俺はようやく振り返った。
「蜜希さん」
「ねぇ、あの人たちって誰? 家の人? それとも今やってるバイト先の人?」
「えっ。あ、まあ……そう、ですね。どっちも、っていう感じ……」
「ふーん」
(興味なさそうだな……)
適当な相槌だけ打って、ぼうっと覚たちが乗り込んだ車を見つめる蜜希さん。
その横顔は見たことがないくらい、物思いにふけったもので。
「……蜜希さん、ああいうタイプが好きなんですか?」
「は? 何の話?」
「あっ、なんでもないです」
俺の勘違いでした。
鋭い視線に咄嗟に視線を背ける。蜜希さんのあんな顔、初めて見た。
(ああいや、そんなことより)
「……蜜希さん、これからって予定ありますか?」
「え? うーん。ホテル探しかな」
「ホテルって、予約とかしてこなかったんですか?」
「今日のところは暁月くんの顔見たら帰るつもりだったからね。でも雪降って来ちゃったし、これじゃあ電車止まってるだろうし」
確かに。
近年雪に対する呼びかけや対策がされているとはいえ、北国と比べればまだまだ弱いのが都内の現状だ。
特に蜜希さんの方面の電車は本数が少ない上、人が行き来する量も少ないので運休になる確率も高い。
空を見上げれば、しんしんと雪が降っている。
蜜希さんの黒い髪には所々結晶が落ち、キラキラと輝いている。
(そうか。電車、止まってるのか)
ズクン、と腹の奥に重しが掛かる。その重しには『期待』という二文字が書かれている事だろう。
「まあ、暁月くんに会うって名目で一週間休みもぎ取って来たから、泊まる予定ではあったんだけどね」
「どっちなんですか……っていうか、一週間も!? だ、大丈夫なんですか……」
「まあ、なんとかなるんじゃない? 朝陽に託してきたし」
「出来る弟がいると楽だよ~?」と煽るように蜜希さんは笑う。……すみませんでしたね、頼れない状況になっちゃって。
(いや、そっちを離れたのは俺のせいじゃないけど)
でも、そうか。
心配しなくていいんだ。
俺は徐にポケットに手を突っ込んだ。触れた無機質なものを握りしめる。
心臓が早鐘を打つ。まるで緊張が音を立ててやってきているみたいだ。
「まあ、そういうことだから。今日は僕もお暇するよ。暁月くんは仕事? 頑張ってね。あ、連絡先だけ交換してもいい? 話したい事が――」
「蜜希さん、その予定、キャンセルしてください」
「はい?」
キョトンとした蜜希さんの目が俺を見る。
満月が俺を見つめる。ふわりと冬の風に乗って蜜希さんの髪が揺れ、同時に甘い香りが鼻孔を擽る。
あの時と変わらない……けれど、冬に溶け込む蜜希さんの香りは、夏の時とはちょっと違って。
(これも、好きだな)
甘さの中に、冷たさが残る。不思議な感覚だった。
俺は蜜希さんの手を掬い上げた。驚く手を逃げないでと、指先で掴む。
「連絡先はもちろん、交換しましょう。それと、ホテルならいいところがあります」
「あ、本当? やった」
無邪気に喜ぶ蜜希さん。
俺は彼の手に、ポケットから取り出したそれを乗せた。
「これ、使ってください」
「えっ。これって、鍵?」
「俺の家の鍵です。蜜希さんのホテルでもあります」
ドクドクと脈が速くなる。
緊張で手汗が滲み出そうなのを、必死に堪えた。
「俺に、会いに来てくれたって言いましたよね? 話もあるって」
「う、うん」
「じゃあ、俺の部屋で、待っててくれませんか」
賭けだった。
蜜希さんがそういう気持じゃないのはわかっている。邪な気持ちがないわけじゃないが……ただ、俺も蜜希さんに会いたかったから。
「だめ、ですか」
蜜希さんは驚いた顔で鍵を見つめていた。
数分……いや、数十分にも感じる僅かな間が落ち、蜜希さんが小さく息を吐く。
「……暁月くんってさ。自分の使い方、本当わかってるよね。熟知してるって言うか」
「……あの」
「それとも、僕が犬好きなのわかってしてる? いや、犬以外も大好きだけど」
「いや、それは初耳です」
「だよね、言ったことないもん」
聞いたことないですね、とは言えなかった。
(蜜希さんが何言いたいのか全然わかんねぇ)
蜜希さんは俺をじっと見つめると、また息を吐いた。
呆れられたのか、と思ったが――握りしめられた手に、違うんだと悟る。
手の中の鍵が抜き取られた。
「仕方ないなぁ。暁月くんがそ、こ、ま、で、言うんだったら、君の家で待っててあげようじゃないか」
「えっ」
「早く帰って来ないと、退屈してどっか行っちゃうかもね」
蜜希さんがにやりと笑う。
まるで最初に出会った頃の蜜希さんが、そこにいるみたいだった。
ぶわっと込み上げる熱は、喜びとトキメキと、あとは――。
「っ、わ、かりました。すぐに、帰ります」
「うんうん。じゃあ、先に行ってるね」
「はいっ」
「あ、あと“そういうこと”はしないから」
「期待はしないでね」と笑われる。
「“そういう”……?」
俺が疑問を呟いた時には、もう蜜希さんは背を向けていた。
(えっ、早っ)
感動の再会が一瞬のようだった。
待って。せめて意味を――!
「凛様。お時間です」
踏み出した足が止まる。硬質な声に嫌々振り返れば、覚がすぐ後ろまで来ていた。
この距離じゃ逃げられない。
蜜希さんを追いかけられない事が確定した俺は、どっと襲い来る落胆に肩を落とした。
せめてもうちょっと……話がしたかった。最後にもう一回抱き締めたかった。
(いやでも、蜜希さんは待っててくれるって)
そうだ。蜜希さんは待っててくれるのだ。
俺の家で。俺が帰って来るのを。
「……覚」
「なんでしょう」
「今日の仕事、巻きで終わらせるから」
俺は決意した。
一分一秒でも早く、家に帰ることを。
そして蜜希さんと一分一秒長く話をするのだと。
(放したい事なんて、山ほどあるんだから)
俺の片想いを舐めないで欲しい。
俺は車に乗り込むと、蜜希さんに家までの地図を送る。
しばらくして『了解』とスタンプが送られてきた。無料のスタンプだ。
「ふっ……」
可愛い。慣れて居なさそうなのが、余計。
俺はスマートフォンを閉じると、窓の外を眺める。
いつも憎たらしいとばかりに思っていた景色が、今日はどこか違うように見える。いや、憎たらしい事には変わりないんだけど。
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