普段「はい」しか言わない僕は、そばに人がいると怖いのに、元マスターが迫ってきて弄ばれている

迷路を跳ぶ狐

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36.待って!

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 僕は、湖で野菜を洗い始めた。かごから野菜を取り出して、湖につけて洗う。

 野菜を洗うのは初めてじゃない。レヴェリルインに会う前はよく洗っていたから。だけどあの時はよく失敗して怒られていたんだ。

 だ、大丈夫かな……僕が洗ったって、野菜が痛むだけじゃないかな……

 そんなことを考えながら、野菜を湖につけていたら、かごの中の野菜の一つが動いた気がした。どれもこれも、見たことのないものばかりだけど、動くものもあるのか?

 だけど、かごの中のものは、どれも動いていない。気のせいかな……?

 そっちに気を取られていたら、洗っている途中だった野菜から手を離してしまう。小さな、人参みたいな大きさのそれは、見る間に沈んでいった。

「ま、まって……!」

 追いかける僕の手をすり抜けて、野菜は湖に沈んでいく。伸ばした手は届かずに、それどころか湖から魚みたいな魔物が飛び出してきて、野菜を丸呑みにしてしまう。

「う、うそ…………」

 ど、どうしよう…………

 慌てて追うけど、すでに魔物は湖の中深くに潜った後。

 レヴェリルインにすぐに魔物が出たことを報告しに行こうとしたけど、すぐそばに、いつのまにかあの警備隊の人が立っていた。確か、ラックトラートさんがソアドルトって呼んでいた。

 彼は湖を睨みつけたまま、僕に聞いてきた。

「今、ここに魔物がいなかったか?」
「あ……は、はいっ!」

 僕が頷くと、彼は背中の大剣を構える。やっぱり剣術使いなんだろう。剣術使いは、その名のとおり剣術に優れ、魔物と戦う能力に長けているけど、魔法使いをよく思っていない人もいるらしい。

 今にも彼は湖に飛び込んでいきそうだった。けれど、それより先にこっちに気づいたらしいレヴェリルインが僕らに近づいてくる。

「その魔物なら、すでに対処している。お前は薪を集めてきてくれ」
「……」

 彼は、無言でレヴェリルインを睨みつける。レヴェリルインも、彼と目を合わせて、何も言わなかった。

 しばらく睨み合った後、彼はレヴェリルインに背を向け、森の方に歩いていく。ぼそっと「魔法使いめっ……」って言って、敵意のこもった目をしていた。

 残ったレヴェリルインは、僕が洗った野菜のかごを持ち上げる。

「洗えたか?」
「……は、はい……あ、あのっ……! ま、魔物がっ……!」
「大丈夫だ。それは心配しなくていい。食事を作る。ついてこい」
「は、はいっ……!」

 返事をすると、彼は野菜のかごを持って、焚き火のほうに歩きだす。

 僕も慌ててついていくけど、どうしよう……野菜、食べられちゃった。せっかくレヴェリルインが用意してくれたのに。

 レヴェリルインになんて言おう。落ちただけなら、湖に潜って探せたのに、食べられちゃったらどうしようもない。

 僕は、レヴェリルインの背中を見つめた。彼は、僕が野菜を一個なくしちゃったなんて、思ってもみないんだろう。

 どうしよう……ちゃんと野菜をなくしたこと、報告しなきゃ。

 だけど……

 ぎゅっと、着ているものを握りしめる。これは、レヴェリルインが用意してくれたものだ。すごく嬉しかったのに、僕はなんで言われたこともちゃんとこなせないんだろう。

 今度こそ、レヴェリルインは僕に愛想を尽かすかもしれない。

 そう思ったら……

 自分の服を掴む手に力がはいる。もしも、愛想をつかされたら? もしも、レヴェリルインが、僕なんてもういらないって思ったら。僕はどうなるんだ?

 どうなるって、そんなこと、僕が考えることじゃない。レヴェリルインに、もういらないって言われたら、僕はもう、レヴェリルインとは一緒にいられなくなる。それだけだ。

 足がいつもより重くなってしまったかのように動かしづらい。

 言わなきゃ……野菜を一つ、食べられたことを。

 レヴェリルインは、なんて言うんだろう。

 罰……とか、あるのかな?

 いや、彼からひどい罰を言い渡されたことはないし、王家からの使者からも、僕を庇ってくれたんだ。
 だから今回も、僕を怒鳴りつけたりはしない。だけどすごく、残念に思うだろう。手に入れた野菜、ダメにされたんだから。
 レヴェリルインの傷つく顔を想像してしまう。がっかりして肩を落とす姿も。

 そう思ったら、怖くなる。野菜はまだたくさんあるんだ。黙っていれば……そんな気になってしまう。
 黙っていれば、気づかれないかもしれない。そうしたら、何も起きず、このままでいられる。

 考えていたら、足もだんだん動かなくなって、僕はノロノロと、レヴェリルインのいる、焚き火の方に向かった。

 焚き火の前では、レヴェリルインが一人で、鍋をかき混ぜている。肉の焼ける匂いがして、ジュージューと油が跳ねていた。

 ど、どうしよう……落としたこと、なんていえばいいんだろう。

 レヴェリルインは、かごの野菜を全部魔法であっという間に切って、鍋に入れてしまう。

 数を数えたりしないんだ……あ、だったら、黙っていたらバレないのかもしれない。何も言わなかったら……レヴェリルインには、わからないかもしれない。

 悪いことばかり考えてしまう。

 何を考えているんだ、僕は……レヴェリルインに嘘をつくようなものだ。

 ちゃんと報告したって、レヴェリルインは、僕を罰したりしない。それは分かっているじゃないか。この人は、王子に逆らっても僕を処分しなかったんだから。

 レヴェリルインが僕に振り向く。そして、隣を指して、座れって言ってくれた。

 恐る恐る、僕は隣に座る。

 言わなきゃ……そう思えば思うほど、声が出なくなる。

 罰が怖いんじゃない。

 この人に、失望されたくない。
 こんなこともできないんだって、そう思われたくない。

 悩んでいたら、不意に、レヴェリルインが僕に振り向いた。

「コフィレグトグス? どうした?」
「……な、なっ……何で……も、あり……ません…………」

 何言ってるんだ、僕。何でもなくないだろ。ちゃんと言わなきゃならないのに。

 だけど、口が動かない。言えるはずなのに。

 失望されたくない。この人に、嫌われたくない。

 だけど……言わなきゃ!!

 なんとか勇気を振り絞って顔を上げる。レヴェリルインも僕を見下ろしていて、目があってしまった。

「……っ!」
「どうした?」
「…………」
「何か言いたいことがあったんじゃないのか?」
「えっ……! あっ……あの…………」

 言わなきゃ……チャンスだ。今言って、ちゃんとごめんなさいって言わなきゃ。

 それなのに、僕は俯くばかり。何をしているんだ……

 レヴェリルインは、僕に微笑んだ。

「明日は、冒険者ギルドへ行く」
「え!? ぼ、冒険者……?」

 何のことか分からなくて、僕が首を傾げると、ラックトラートさんが僕らの間に入ってきた。彼は狸の柄の手帳を持って、狸のしっぽをぶんぶんふりながら、レヴェリルインに顔を近づける。

「冒険者ギルド!? それは本当ですか?」
「……狸はさがっていろ」

 レヴェリルインに嫌そうな顔をされても、彼はめげない。小さな手帳片手に、レヴェリルインに近づいていった。
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