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第一章
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しおりを挟むあれから葵は眠ったまま、玲一の用意したドクターヘリで、都心にある宝条家御用達の病院へと転院した。玲一と秋も世話になっている九条総合病院だ。
最新鋭の医療機器と優秀な医師達に囲まれ、転院後5日目に葵の意識は戻った。
オメガ専門医である橘教授から『毎日出来るだけ肌に触れていてください』そう言われ、時間の許す限り病室へと足を運び、片時も離れず手を握り、頬を撫で、顔中にキスを浴びせた。
時々その場面を玲一に見付かり、おぞましい物でも見たような顔をされたが、そんな事はどうでも良かった。
葵が目を開けてくれるのなら、何でもしてやりたい。
治療の一環だと言い訳をし、完全看護の病院にも拘わらず、泊まり込んで腕に抱き込んで睡眠をとった。
日に日に葵のオメガフェロモンが濃くなるのが分かり、若干忍耐を試されたりもしたが、それよりも、葵のフェロモンを感知出来る事が、純粋に幸せだと思えた。
その夜も、そんな幸せをじんわり味わっている時だった。
葵のベッドに並ぶように横になり、肩肘をついてその寝顔を眺めていると、ひくひくと瞼が揺れた。やがて眉間に小さな皺が寄り、綴じながら瞬きをするように瞼が動き出した。
「───……葵?」
驚かさない様にそっと声を掛ける。ゆっくりと数回瞬きを繰り返して、やがて重たそうに瞼を押し上げた。
暫くぼんやりと空を眺める、覗き込んでいた俺の目を見つけると、吐息をそっと吐き出すような囁き声で、愛娘の名を呼んだ。
「ち、…ず?」
「…残念。 俺だよ」
そう言うと微かに目を瞠り、そして大きな黒い瞳を揺らしながら
─────そー、…じ、さん?
そう呼んでくれた。
「おかえり。葵」
胸がいっぱいで……。
苦しいのに幸せで……。
愛しくて堪らなかった。
一度目は覚めた葵だったが、その後も1日の大半を眠って過ごしていた。無駄に体力を消耗しない為と、弱ってしまった身体の様々な器官を修復させる為に投与される薬のせいだ。
治療は一朝一端とは行かず、前日まで順調だった数値が、翌日には悪化し朦朧としていたりと、片時も目が離せない日々が続いた。
特に俺が、仕事の都合で1日顔を出せず葵から離れていると、それが顕著に現れた。
医師に提案され、どうしても側に居られない時は、俺が普段身につけている衣類やリネンを側に置くようになってからは、徐々に回復の兆しが見られるようになり、改めてアルファとオメガの番の繋がりの深さを思い知らされる結果になった。
それと千津の存在だ。
意識のない葵に会わせるのが気の毒で、暫くは連れて来るのを控えていたけど……。
『千津……、千津……』
うわ言のように我が子を呼ぶ葵が可哀想で、思い切って千津を眠る葵に会わせることにした。
幼い千津には酷だと思ったが、葵がうわ言で呼ぶ姿を見ていられなかったのと、宝条の邸で過ごす千津の方も、母親を恋しがり塞ぎ込んでいたからだ。
『千津。ママに会いに行くか?』
『いく!』
母親に会えると分かると、大喜びで大はしゃぎした。その姿に俺も周囲も複雑な気持ちになった。会えるとは言っても、まだ葵は起きてる事の方が少ない。対面出来たとして、話したり甘えたりはさせてやれないからだ。
病室に入った千津は、やはりショックだったんだろう。苦しげに横たわる葵の顔を覗き込み、暫くはじっとその顔を見つめてた。その内大粒の涙をポロポロと溢し、唇を噛んで静かに泣いた。警察署の待合室では、あんなに大声を上げて泣いてた子と同じとは思えない。
小さな背中がふるふると震えるのを見ていられず、しゃがみ込んで肩を抱くと、袖口で涙を拭い鼻を啜りながら大きく息を吸ったり吐いたりと繰り返した。
そして枕元まで近づくと、葵の胸辺りに頭を預け、トントンと優しくその胸を叩き始めた。
きっと、自分もそうやって母親の手で、あやされ寝かし付けられていたんだろう。
「まぁま。いいこ、いいこねぇ」
腕を伸ばし、眠ったままの葵の髪を小さいその手で何度も撫でた。
そうやって千津が髪を撫でると、苦しそうな葵の表情がふわ…、と緩むんだ。
葵を迎えに向かう道中に聞いた。寝ながら泣いちゃうママに「いいこいいこしてあげるの」と。こんな風に、涙を流しながら眠る母を、何度も目にしてきたんだな。慣れた手付きで、いいこいいこと髪をそっと撫でる千津。
胸が、押し潰されそうだった。
千津を連れて来た母と妹も、その姿を見て貰い泣きしていた。
こんな小さな千津の手が、葵をずっと守っていたんだ。そして葵も。
たった一人で千津を産み、大切に、慈しんで育ててきたんだ。
知らなかった、で、済むかよ。
激しい後悔と自責の念。何時だったか、玲一と口論になって苛立ち紛れに吐き捨てた言葉が、今頃になって針を飲み込んだように胸を刺す。
「千津もママも、いい子だよ」
堪らずそう口にした。
悪いのは俺だ。何も知らずに不貞腐れ、感じたこともない番の気配に苛立ち、消えてしまえばいいだなんて。どの口が言うんだ。
「……ちず、いいこ?」
「うん。千津は凄くいい子だ」
「……ままも?」
「ああ……。いい子だよ」
そうだよ葵。お前は何時だっていい子だった。文句も言わず、働き者で、素直ながんばり屋だ。
「あのね。ままね、いつもいってた」
「うん……? なんて?」
「いいこにしたら、ぱぱにあえるよ、って。だからね、ちず。ずっといいこ、したよ」
「っ、……そっか」
「ままも、いいこだから、……ぱぱ、きたの?」
「……ん。そうだよ」
「まま、よかったねぇ」
ああ……、もう。
誰に責められるより、この千津の言葉が1番堪えた。
「ママは、……パパを許してくれるかな」
震えそうになる声でそう訊ねた。
「? ん~…と。ままね、ぱぱだいすきよ。ぱぱのおはなしするとね、ままのほっぺがね、あかくなるの。すごぉくかわいいの。………かわいいままに、またあいたいなぁ」
「そ…、…っ、そうだな。会いたいよな」
みっともなく震え出した声を誤魔化すように、千津の小さい体を抱きしめる。
子供特有の高めの体温が、こんなにも心地良い事を初めて知った。
「ぱぱも、いいこよ。だからね、なかないの」
「───っ、ん。ありがとう、千津」
小さい手のひらがトントンと背中を叩く度に、一つ……また一つと、涙が溢れて床に落ちた。
それからは、俺も時間の許す限り葵を撫でた。ひんやりとした、一回りも小さい手を温めながら、何度も何度も「いいこいいこ」と心を込めて。
千津の機転と俺の献身で、2ヶ月を過ぎる頃には葵の起きている時間が増えた。けれど未だに退院の目処は立っていない。
さっきもまた午前中の検査が終わり、昼食に出された重湯のような、ドロッとしたお粥を半分程腹に収めながら眠ってしまった。
本当はもう少し食べて貰いたいところだが、これが中々難しい。
後はしっかりと栄養をとり、体力さえ戻れば自宅療養に移れるというのに。
「まだ怖いのか、葵。あの石の事なら気にしなくていいんだよ。元々お前にあげるつもりだったんだ。誰もお前が盗んだなんて、責めてないんだから」
眠る葵の髪をゆっくりと撫でながら、萎縮してしまった心をどう拓かせるかを、俺はずっと考えていた。
柴田から伝えられた誤解についても、早く解いてしまいたい。
この頃漸く穏やかになった寝顔を見る。
もう二度と苦労なんかさせないからな。楽しい夢だけ見てればいい。お前と千津のこと。これからは俺に守らせてくれよ。何よりも、大事にすると誓うから。
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