月に叢雲花に風

乙人

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『お姉様には、そちらがお似合いよ』
 薄汚れた襤褸は、誰かの心を写しているかのように、醜かった。

 倭は衣裳を仕立てさせていた。
「ごきげんよう、倭。これは何方のものなの?」
「あたくしの妹のものですよ」
 薄い紅色の無紋の袿が目に映る。
「貴女、妹がいたのね。何をしているの?」
 途端に、倭の側に侍る女房達が醸し出す雰囲気が変わった。倭自身は、複雑な笑みを浮かべる。
「あの子は、女御になりました」

 ―今様色。
 薄い紅色。嗚呼、憎いあの女が好んだ色にそっくりだ。
『お姉様に、こんな衣裳は似合わないわ』
そう言って、池に突き落とされた。
 桃色の衣に赤い玉の簪。
 総ての人々に祝福された、憎き憎きあの愚かな娘の衣にそっくりだ。
 ―そして、母の好んだ色にも、似ていた。

「倭の妹………樺桜の女御様のことだね」
 久光は思い出したように言う。
「にょご?」
「妃のことだよ。基本的には、大臣や皇族の姫君がおなりになる。倭は女王だからね、後者だ。勿論、妹君もそうだよ」
 倭の妹が女御として入内したこと、倭は頻繁に会いに行っていたことを教えられた。
「本来は倭が入内するはずだったのだけどね、父君がお隠れになったから。妹君は伯父君だったかな、に引き取られたらしい。倭がそうさせたようだよ」
 父親がいないのなら、入内しない理由もわかる。元の世界でもそうであった。後ろ盾のない妃程辛いものはない。母がそうだった。
「彼女を知らない者はいなかったよ」
 九重宮中と呼ばれていたのだから。

「あら、昨日仕立てていた衣裳はどうなさったの?」
「使いの者に持たせて遣りました」
 倭が扇をぱちりと鳴らすと、女房達は下がっていった。誰もいない。
「貴女、あの衣裳を目にして、少し嫌そうな顔をされましたからね。何か事情がおありなのでしょう」
 やはり、分かるのか。
「わたくし、あの色が嫌いなの」
 率直に言う。苦手だとか、好まないだとか、そう言葉を濁すことはなかった。
「妹と母が好んだ色に似ていたから」
 倭は、「そんなことだと思いました。早く済ませてよかったわ」と微笑む。
「妹君と何かおありなのね。でも、そんなものなのでしょう。全ての姉妹が上手くやっていけるわけありませんわ」


「わたくしは公主(皇女)だった。そして、妹が二人と、弟が一人いた。母は皆違った」
 藤の君は過去を語る。
「わたくしの母は後ろ盾のない妃だった。妹達は、国でも有数の名門のご令嬢の娘だった。母はわたくしを憎んで幽閉していたから、世間に秘されたまま、忘れ去られてしまった。なんなら、葬式もしていたのよ」
 襤褸を纏い、鎖に繋がれていた青春時代。相変わらず青い空に憧れ、日の目を見ることができる妹達が恨めしかった。籠の鳥とかいう言葉もあったが、自分以上にそれが似合う者はいない。字もそれに因んだものだった。
「下の妹に助けられて、二十を過ぎた頃に、初めて外に出ることが出来たの。とても嬉しかったわ。わたくしが生きていたことが広がって、父に改めて後宮の一角にある宮を与えられ、身分相応の生活を送るようになった」
 公主として、多くの侍女に傅かれ、新たな生活が始まった。母は位を廃され、離宮で軟禁される身になった。
「その時ね、一人の殿方に出逢いました。わたくしのことを随分と良くしてくれましたよ。笄もくれて」
 普段、藤の君が挿していた銀の笄は、その彼からの贈り物だった。
「でも、そのひとは、異母妹の婚約者だった。宮殿を追われた妹がわたくしを憎んで、婚約者と結託して、恥をかかせようとしていたらしいわね。わたくしは何も知らなかったの」
 今でも昨日のように鮮明に覚えている。

『わたくしを、騙したわね!』
『誰が?人聞きが悪くてよ、お姉様』
 妹の侍女に腕を押さえつけられて、身動きが取れない。結われた髪は引っ張られ、無様に乱れる。そこから無理矢理装飾品が引き抜かれ、衣裳も剥がれた。
『侍女風情が、何をする!』
『侍女風情?』
 今度は、自分が愛した男が嘲笑する。
『下界の女から生まれた、卑しい身で、そう言うのですね。そういえば、貴女は本当に公主であらせられるのでしょうか。二十年も、どちらに?』
 妹が目配せし、侍女達に池に蹴落された。慌てて地に手を着くと、妹はそれを踏みつける。―やはり、赤は嫌いだ。母も、この女も、流れる血も、なにもかも。
『何をするのよ!』
 妹の裙の裾を掴み、女を池に引きずり込む。泳げない女は、足掻いているうちに水を呑み、すぐに意識を手放した。

『私の娘が、申し訳ございません』
 白い衣を着た后が、頭を垂れる。彼女は妹の母で、霛塋の師でもあった。
『貴女の父君は、孫を害されたと大そうお怒りだったよ。もう、私にもどうすることも出来ない』
 それから、霛塋の流刑が決まった。
 あてつけか、嫌がらせなのだろう。彼女の流刑の前日、妹の婚儀が華やかに、そして厳かに行われた。
 霛塋は一人抜け出して、畔の池で感傷に浸っていた。

『燕。必ず連れ戻す。それまで待ちなさい』
 父はそう言った。霛塋に餞別をし、送り出したのは、父と弟だった。
(無理でしょう)
 何処にも自分の居場所はないのだろう。
 せいぜい、鎖に繋がれていたあの日々が相応と言うならば、いっそ、誰にも知られずに死んだ方がマシだった。
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