月に叢雲花に風

乙人

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公主と女王と妻 弐

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「倭、いや、九重の君。あのひとを、この邸に迎えようと思う」
 ―嗚呼、一番恐れていたことが、起こってしまった。

 この邸に迎えられ、二年は経つのだろうか。
 倭は脇息にもたれ、ため息をつく。
『九重の君、私と共においでになりませんか』
 朽ちた邸。食糧も衣裳も、何もかもが足りない貧しい生活。好意的に、また、自分を敬ってくれる年下の青年。
 あの時、その手を取るべきではなかったのだろう。優しい言葉に、絆されるべきではなかったのだろう。
 ―でも、そうでなければ、既に死んでいたのだろう。

『お姉様。本当に、それでよろしかったの?』
 いつだったか、宮中に参内した時、妹の女御に言われた。
『どうなのでしょうね。もう、振り返るのが怖くなってしまった。でも、あの時、彼の手を取らなければ、今頃は生きて貴女に会うことはなかったでしょうね』
 父を失った皇女の成れの果て。使用人も財産も失い、ただ、朽ちて死ぬ。そうでなくとも、格下の人間に、仕え、惨めに生きるのが関の山である。
『そんな悲しいことをおっしゃらないで。そうではなくとも、いつかは会えます。きっと』
『貴女は優しいわね。何もご存じない。でも、そんなところが好きよ』

 彼の手を取り、この邸に連れられた。東の対を与えられ、其処で暮らすようになった。一介の女房の扱いではないことには気づいていた。
『清原の北の方に衣裳は任せられません。貴女に頼みたいのです』
 そう、久光の母からの文にあった。彼女は今の北の方との結婚には反対していたらしい。自分のことが知れてからは、よく文の遣り取りをした。彼女はとても好意的であった。
 北の方の用意する衣裳は出来が悪く、何処に着て行っても笑い者になるとよく愚痴をこぼしていたのを思い出す。倭が邸に迎えられてからは、これ幸いと、北の方の代わりに衣裳を用意するようになった。
 そして、邸では、実質的には妻のように扱われるようにもなった。

 ある日、日が麗らかに照っている春の日、庭先の一本の木に女が寄りかかって眠っているのを久光が発見した。その女は百年も前の古風な姿をしていた。上背のある、茶色の髪の毛に紅い瞳の特徴的な女だった。
 久光はこの女が気に入ったらしい。藤の花が美しい季節だと、「藤の君」と呼んでこの邸に住まわせることにした。

「あのひとを、この邸に迎えようと思う」
 日の経たないうちにそう告げられた。
 嫌な予感はしていたのだ。
 この人は存外、惚れっぽいのである。哀れな高貴な女性が好みなのかもしれない。それ自体はいいのだが、拾ってきてしまうのはどうにかならないのかと思う。拾われた自分が嘆くことではないのかもしれないが。

 嗚呼、あの女はどう思ったのだろう。
 北の方と呼ばれ、正当な妻として世間に認められている、あの女は。
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