月に叢雲花に風

乙人

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公主と女王と妻 壱

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『お前が?愛されるわけがないじゃない』

「藤の君様。こちらを」
 伊勢は藤の君に一枚の文を手渡した。
「どうしたの。これは」
「文遣いの童を引き止めました。北の方へと思いましたが、違うのだと申しておりました」
 いかにも女人が好みそうな料紙に、流麗な手蹟で書いてある。久光のものだった。

『思へども なほぞあやしき 逢ふことの
 なかりし昔 いかでへつらむ』
(貴方を恋しく思っていると、貴方に逢う前はどんな気持ちで過ごしていたか不思議に思われる)

 藤の君は文を落とす。これは、どう見ても、恋文である。
「これを、いったい、何処に遣るはずだったの」
「それが………」
 伊勢は口籠る。言えないような場所らしい。
「北の方の妹………だとか…」

『ほら、やはり。お前がい人だと思っていた男は、お前だけの者ではないのよ。哀れね』
 頭が痛い。靄がかかったように、視界がはっきりとしない。でも、声の主は分かる。一二を争う程憎い女だ。
『わたくしを憐れむだと?お前が?笑わせるな。位を廃されたくせに、誰に言っているのやら』
 嘲笑う。あれでも、母らしい。鏡を見る度に思う。自分は憎き憎き母にそっくりなのだと。
『所詮、拾われただけの女じゃない。身分もない。家柄もない。後ろ盾もない。よくもまぁ、己はましなのだと思えたことね』
 サッと靄が晴れる。
 黒髪に青い瞳をした女。元后に相応しく、赤く豪奢な衣を纏い、髪は結上げられ、金の歩揺(簪)で飾られている。

 何故公主おんなに生まれたのだと、ずっと根に持っていた。いや、そんなことは関係ないのかもしれない。男に生まれたとて、幸せになれたかなんて保証されない。
(これが、罰、なのか)
 御簾の奥でひっそりと、夫を待つだけの生活。端に寄ってはならない、顔を見せてはならない。それだけではなく、立って歩いてはいけない、だの、何やかんや制約の多い生活だ。
 そして、藤の君は、世間に知られた存在ではない。決して知られてはならない存在だ。
 倭と自分は、同じ立場の人間だと思っていたが、それどころではなかったらしい。自分はもっと哀れな存在だ。

「藤の君」
 ―嘘だ。この人の言うことは、信じてはならない。
「どうしたのですか?」
 ―どうしたもこうしたもない。
「体調でも……」
 ―貴方のせいじゃないか。

『わが恋を 人知るらめや しきたへの
  枕のみこそ 知らば知るらめ』
(私の恋心をあの人は分かっているだろうか。枕だけが知っているとしたら知っているでしょう)

 筆をとり、書いてみる。しかし、気に入らず、ぐしゃぐしゃに丸めて、ポイと捨てた。
(柄じゃないわね)
 人を信じていけないと、棄てられたとき、知ったではないか。

 自分を愛してくれていると思った人が、他の女を迎える時、
(あの女王様は、どう思ったのかしら)
 口にしたことはないが、何度も知りたいと思った。
 でもきっと、彼女はそれだけは教えてくれないのだろう。
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