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幻 壱
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一つ、秘密を知ると、また一つ二つと知りたくなる。
(藤の君………あちらでは霛塋と呼ばれていたのだったな……どのような生活を送っていたのだろう)
彼女は自分のことを語っているようで、案外語っていない。幽閉されていたことや妹に貶められた事以外、あまり知らない。
(藤の君に聞いてみてもいいけれど……)
まぁ、教えてはくれないだろう。期待はしていない。つまらない話だと一蹴されるに決まっている。
そもそも、彼女の公主としての呼び名以外は知らない。
『ねぇ、字はなんとおっしゃるんだい?貴女にはおありでしょう』
以前、そう訪ねた時、彼女は少し、寂しそうな顔をしていた。
彼女は何故、あんな顔をしたのだろうか。
不思議に思いながらも、床についた。
(何処だ、此処は)
見たことも聞いたこともない場所。建造物の意匠も慣れ親しんだものとはかけ離れている。更に奇妙なことに、辺りを見渡すと、女しかいない。まずい、隠れなくては、と思ったが、誰も自分の存在に気がついていないらしかった。
紅い瞳に長く茶色い髪をした女が、窓の外を眺めている。
「霛塋公……」
ピキリと手にした団扇が音をたてる。そういえば、彼女はそう呼ばれるのは嫌いと言っていた。それがわかって呼んでいるのが目に見えて、癪に障る。
「公主」
そろそろお時間です、と侍女が支度を促す。
「今日は何をお召しになりますか」
「何でもいい。勝手にすればよい」
聞き慣れた声だ。間違いない、彼女だ。
「今日は何処に行くのだったか」
「はぁ……圓皇后陛下の元でしょう」
「冗談に決まっているでしょう。本気にするな。忘れているわけがないだろう」
緑色の衣を着せ、座る。
ただでさえきつい印象を受ける眦を強調している。不機嫌そうに眉間にしわを寄せていて、むやみに近づいては殺されそうである。
そして、侍女は荒い手つきで髪を梳り始める。ぐいっとそのひと房を引く。
「痛い」
侍女はあぁ、と声をあげるが、謝りはしない。霛塋は少しばかり顔を歪める。
長い髪を結上げ、冠を銀の笄で固定している。どこか中性的な出で立ちだ。装飾品は銀と翡翠で統一しているのが、なかなかに似合っている。
「腕の包帯、外してはいかがですか。見苦しいですよ」
「五月蝿い。これが何か、知らぬはずがない」
「そうですか」
彼女は両腕に布を巻き付けて、その上から腕輪をしている。手首にある枷の痕を隠したいのだろう。それは今でも変わらない。
「いらっしゃい、公主様」
白いに身を包んだ年上の女が礼をしている。たいへん上品な女だった。
「ごきげんよう、圓氏様」
こちらへ、と侍女らしき女が案内する。その部屋には机と、多くの書物が置いてあった。
「さて、公主。課題は終わりましたかしら」
「勿論です、こちらを」
霛塋は紙の束を手渡す。圓と呼ばれた女は一枚一枚じっくりと見ている。
「よろしい。では、次に進みましょう」
霛塋の手習いの手本は、全て圓氏の手によるものだったらしい。そこには彼女の落款があった。
「わたくしも、字をつけようかしら」
「公主様?」
「わたくしと母の関係を貴女もよくご存知でしょう。ですから、霛塋と呼ばれるのは大変不愉快なのです。それに、わたくしは二十を過ぎました。出自を疑われている身です。きっと結婚することもないでしょう」
霛塋は俯く。自分で言って惨めになったらしい。
「字、ですか……」
「そうです。是非、貴女につけて頂きたくて」
「……成程。事情は理解しました。しかし、私は立場上、貴女様に字をつけて差し上げることは難しいのです」
「そう……ですか」
「申し訳ありません」
「いいえ、よいのです。わかっていましたもの。わたくしの我儘です。どうか忘れてくださいまし」
公主は四阿で茶を飲んでいる。
「誰」
まずい、と思った。しかし、姿をかくすことが出来る場所がない。狼狽えていると、それを訝しんだ霛塋は立ち上がり、近づいてくる。
「誰か、と問うている」
「え、えと……私が見えるのですか」
「何を当然のことを。見慣れない出で立ちですこと。此処の者ではないのね」
そう言って彼の腕を引く。
「何をなさいますか!」
「知れたこと。警備の者に引き渡します」
事態は好転しない。冷や汗が流れる。
「ま、待ってください!」
「何」
「私は此処まで、誰にも見とがめられることはありませんでした、一体、そういうことでしょうか」
女はぱちりと目を開いた。
(藤の君………あちらでは霛塋と呼ばれていたのだったな……どのような生活を送っていたのだろう)
彼女は自分のことを語っているようで、案外語っていない。幽閉されていたことや妹に貶められた事以外、あまり知らない。
(藤の君に聞いてみてもいいけれど……)
まぁ、教えてはくれないだろう。期待はしていない。つまらない話だと一蹴されるに決まっている。
そもそも、彼女の公主としての呼び名以外は知らない。
『ねぇ、字はなんとおっしゃるんだい?貴女にはおありでしょう』
以前、そう訪ねた時、彼女は少し、寂しそうな顔をしていた。
彼女は何故、あんな顔をしたのだろうか。
不思議に思いながらも、床についた。
(何処だ、此処は)
見たことも聞いたこともない場所。建造物の意匠も慣れ親しんだものとはかけ離れている。更に奇妙なことに、辺りを見渡すと、女しかいない。まずい、隠れなくては、と思ったが、誰も自分の存在に気がついていないらしかった。
紅い瞳に長く茶色い髪をした女が、窓の外を眺めている。
「霛塋公……」
ピキリと手にした団扇が音をたてる。そういえば、彼女はそう呼ばれるのは嫌いと言っていた。それがわかって呼んでいるのが目に見えて、癪に障る。
「公主」
そろそろお時間です、と侍女が支度を促す。
「今日は何をお召しになりますか」
「何でもいい。勝手にすればよい」
聞き慣れた声だ。間違いない、彼女だ。
「今日は何処に行くのだったか」
「はぁ……圓皇后陛下の元でしょう」
「冗談に決まっているでしょう。本気にするな。忘れているわけがないだろう」
緑色の衣を着せ、座る。
ただでさえきつい印象を受ける眦を強調している。不機嫌そうに眉間にしわを寄せていて、むやみに近づいては殺されそうである。
そして、侍女は荒い手つきで髪を梳り始める。ぐいっとそのひと房を引く。
「痛い」
侍女はあぁ、と声をあげるが、謝りはしない。霛塋は少しばかり顔を歪める。
長い髪を結上げ、冠を銀の笄で固定している。どこか中性的な出で立ちだ。装飾品は銀と翡翠で統一しているのが、なかなかに似合っている。
「腕の包帯、外してはいかがですか。見苦しいですよ」
「五月蝿い。これが何か、知らぬはずがない」
「そうですか」
彼女は両腕に布を巻き付けて、その上から腕輪をしている。手首にある枷の痕を隠したいのだろう。それは今でも変わらない。
「いらっしゃい、公主様」
白いに身を包んだ年上の女が礼をしている。たいへん上品な女だった。
「ごきげんよう、圓氏様」
こちらへ、と侍女らしき女が案内する。その部屋には机と、多くの書物が置いてあった。
「さて、公主。課題は終わりましたかしら」
「勿論です、こちらを」
霛塋は紙の束を手渡す。圓と呼ばれた女は一枚一枚じっくりと見ている。
「よろしい。では、次に進みましょう」
霛塋の手習いの手本は、全て圓氏の手によるものだったらしい。そこには彼女の落款があった。
「わたくしも、字をつけようかしら」
「公主様?」
「わたくしと母の関係を貴女もよくご存知でしょう。ですから、霛塋と呼ばれるのは大変不愉快なのです。それに、わたくしは二十を過ぎました。出自を疑われている身です。きっと結婚することもないでしょう」
霛塋は俯く。自分で言って惨めになったらしい。
「字、ですか……」
「そうです。是非、貴女につけて頂きたくて」
「……成程。事情は理解しました。しかし、私は立場上、貴女様に字をつけて差し上げることは難しいのです」
「そう……ですか」
「申し訳ありません」
「いいえ、よいのです。わかっていましたもの。わたくしの我儘です。どうか忘れてくださいまし」
公主は四阿で茶を飲んでいる。
「誰」
まずい、と思った。しかし、姿をかくすことが出来る場所がない。狼狽えていると、それを訝しんだ霛塋は立ち上がり、近づいてくる。
「誰か、と問うている」
「え、えと……私が見えるのですか」
「何を当然のことを。見慣れない出で立ちですこと。此処の者ではないのね」
そう言って彼の腕を引く。
「何をなさいますか!」
「知れたこと。警備の者に引き渡します」
事態は好転しない。冷や汗が流れる。
「ま、待ってください!」
「何」
「私は此処まで、誰にも見とがめられることはありませんでした、一体、そういうことでしょうか」
女はぱちりと目を開いた。
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