月に叢雲花に風

乙人

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招かれざる客

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 久光は北の方の元を訪問するため、邸を後にした。
「暇だこと」
「それならば、よい機会です。こちらを」
 倭がパチリと扇を鳴らすと、大きな物を抱えた女房がやってきた。女房が布を外すと、中から現れたのは、筝の琴であった。
「貴女は琵琶は得手だとか。でも、筝を弾くことができなければ、お話になりませんわね」
 好きで琵琶が得手なのではない。母が得意だったのだ。彼女は琴を苦手としていたため、身近になかったのである。
「貴女はどうなの」
「まあ、嗜み程度だけれども」
 自分がそうすれば、気取ったようで見苦しいだろうに、彼女がそうすれば、わざとらしくないのが素晴らしい。さすが女王だと思った。彼女が九重と呼ばれていたのも納得がいく。

 夜。久光の友人を名乗る青年が邸を訪ねてきた。
方違かたたがえでおいでだそうで」
「かたたがえ?」
「向かいたい方向が悪い場合、目的地に直接行かず、何処か別の場所を中継して向かうのよ」
 倭が耳打ちしてくれた。
「あら。あの人、友人いたの?」
「いるでしょう。数人ね。優しい方ですから。あたくしと初めて会ったのも、彼らとあたくしの邸に肝試しにやって来たからでした」
 朽ちかけた襤褸邸でしたから、と懐かしそうな、悲しそうな顔でつぶやいた。


 ペタリペタリと、人の歩く音がする。女房が来たのか?それにしては、衣擦れの音がしない。鷹揚と、足音の間隔も広い。奇妙だ。
「誰だ」
 誰何しても、返事はない。ますます気味が悪い。
「誰だ」
 何も見えない。
 手習いのためにとつけた灯りが、ぼんやりと人の影をつくる。
 藤の君は人より目が悪い。目隠しをされて生活をしていたためである。その分、物音に敏感である。
「ご機嫌よう」
 違和感が確信に変わる。知らない男の声だった。
 男は慣れたように御簾をくぐり、にじり寄る。大変不愉快である。
 しかし、何故誰も来ないのだ。
「誰だ!」
 誰何されたなら答えるのが礼儀ではないのか。それとも、この尊大の侵入者はこんな女には名乗らなくても構わないとでも思っているのだろうか。
「やめろ。来るな。わたくしはお前など、お呼びでない」
 几帳を掴んで、壁にするように男との間に向ける。男も几帳を掴んできたが、藤の君の方が上背があり、このまま押し切れると思った。
「ヒッ!」
 男が短く悲鳴をあげる。瞳には、恐怖と軽蔑が浮かんでいた。
「い、異形」
 紅い瞳を隠すことを失念していた。相手が怯んだすきに、藤の君は、懐の袙扇で頬を打つ。
「何があったのです!」
 伊勢が慌てて駆け寄る。
 藤の君と体勢を崩し頬を押さえた男を交互に見る。
「一体、何をなさったのですか?」
 伊勢が藤の君を庇うように前に出る。男は肩越しに俯く藤の君を呆気にとられた顔をして見ている。
「貴女は、この邸の女房でしょう?違うのですか?」
 強く握られた衵扇が手からするりと滑り落ちた。


 その日、藤の君は久光と正式な結婚をしていなかったことを知った。
「貴女は、世間に知られた身ではないのです」
 彼女は何処の姫君でもない。この世の者ですらない。それ故、出身を明かせない身である。
「あれは、倭以外の女人が此処にいることを知らないのです。ですから、貴女のことも、手を出してもよいと………」
 嗚呼、哀しいかな。自分は何処へ行っても、日陰者なのだと、否が応でも思い知らされる。

(異形、ね………)
 元の世界でも、紅い瞳は少なかった。彼女の血縁だけだった。しかし、いない訳ではないし、高貴な身の上の象徴だったので、だれも侮辱することはなかった。
 久光や倭はそんなことを絶対に言わなかった。しかし、あの不調法者の反応が普通なのかもしれない。
 藤の君は脇息にもたれて、深く溜息をつく。気分は暫く晴れそうにない。
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