月に叢雲花に風

乙人

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便り

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 久光少将は今日も邸を留守にしている。最近、山吹の女と懇ろになったらしい。
(移り気な人ね)
 最初はさんざん憤りを感じたが、近頃はもう、呆れて嘆くことしかできない。
 せめて忘れようにも、世界はあまりにも単調で、慰めにすらならない。


 何となく文机に目をやると、見知らぬ文箱と、大きな漆塗りの箱が置いてあった。
(誰からだろう)
 この邸の者からではなさそうだ。箱の模様に見覚えがあるが、この国のものではない。
「あら、やはり。父上から………」
 そこには、美麗な手蹟によって、悲しい事実が綴られていた。

 大きな箱には、真っ白な喪服が用意されてあった。準備がいい。
 かつて幽閉されていた藤の君は、簡単な身支度くらいは一人で出来る。おろしていた髪を緩く結い上げ、白い衣を身に着ける。
 まさか、自分が他人の喪に服すだなんて考えたことがなかった。そもそも天上では、滅多に人が死なない。そのくせして、危篤でも何でもないのに、自分の葬儀は見たことがあるのは、なんだか滑稽である。皆が同じ白い衣を身に纏い、わざとらしく泣いて見せるのが白々しかった。


「伊勢、伊勢!来て頂戴!」
「どうなさいました、藤の君、その恰好は…」
 伊勢は慌てて参上した。
「倭に伝えてほしいの。わたくしは、これから喪に服します。こちらの作法は知りませんので、手伝ってほしい、と」
「い、一体、どうなさったのですか、服喪…?どなたが…」
「先程、郷里くにから便りがあったのです。わたくしの弟が亡くなったの……」

「話は伊勢から聞きましたわ。ご愁傷様です。藤の君、気を確かになさいね」
「倭……」
 この人も数年前に父を亡くしている。慰めつつも、あまり詮索しては来ないのが有難い。
「あの子は、唯一わたくしを気遣ってくれたの…だから……」
「喪服は調達しでき次第、届けさせます」
「わかった。しかし、今すぐというわけではない。急がなくともよいと伝えてください」


 自分が天上に戻る日が、更に遠退いた気がする。
(あの子が亡くなった今、わたくしの帰りを待つ者はいるのかしら)
 弟は、実の妹にも、侍女にも軽んじられる自分を気にかけて敬ってくれた数少ない人であった。
 その、唯一かもしれなかった弟を亡くした。まだ二十になるかならないかの若さであったのに。
 文には、状況が事細かに記されていた。
 弟は妃に首を斬られて殺害された。その妃自身もすぐに自害したとか。彼の幼い子は、取り敢えずは父が育てるそうだ。
『お父様にはもうお会い出来ないのでしょうか。はやく、伯母様に、お会いしたいです』
 ほんの数度会っただけの甥から、拙いけれども殊勝な文が同封されていた。この子は死というものを理解しているのだろうか。幼気さに、胸が張り裂けそうだ。

 少し経って、倭から喪服が届けられた。こちらの喪服は、白ではなく、鈍色だ。
「藤の君、どうかなさいましたか、鈍色などお召しになって」
 藤の君は溜め息をつく。
 この人には何も知らされていないのか。あぁ、漏洩しないよう、口止めしたのは自分だったか。それでも、これが喪服ならば、誰かが死んだのだと、わかるだろうに。
「………弟が亡くなりました。殺されたそうです。喪に服すつもりよ」
「何故早くおっしゃいませんか!」
 散々放っておいて、今更当事者になろうとするのか。腹の底からこみ上げてくるものがある。
「お前は、お前は山吹だの何だのいう女の元に居たではないか!どうしてお前に知らせる必要がある!」
「それは……」
「お前には関係のないことだ!放っておいてくれ!去ね!」

 あの人は何も知らない。

「郷里から、また報せがありました。弟の葬儀が行われます。わたくし、戻るわ」
「では、若君に………」
久光あのひとには詳しいことは言わないで。少し、痛い目を見ればよい」
 藤の君はするりと重い色を脱ぎ捨て、白い喪服に袖を通した。

 次の日、藤の君は姿を消した。
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