3 / 12
3話「外は広くて、知らない匂いがする」
しおりを挟む今日は、いつもと違う。
そのことだけは、
ぼんやりした頭でもはっきり分かった。
空気が、違う。
家の中の空気は、
木と土と、人の匂いが混ざっていて、
どこか、丸い。
でも今、鼻に届く匂いは、
もっと雑多で、ざらざらしている。
(……そと)
そう思った瞬間、
胸の奥が、少しだけきゅっと縮んだ。
私は父親の腕の中にいた。
いつもより、しっかりと抱かれている。
片腕で支えられて、
もう一方の腕で、身体を囲われて。
(……ぎゅ)
安心する。
上下に、ゆらゆら揺れる。
一定のリズム。
(……あるいてる)
たぶん。
風が、少しだけ、冷たい。
思ったより、外は明るい。
視界が、白く滲んで、
形がうまく追えない。
その代わり、
音は、はっきりしていた。
人の声。
金属が触れ合う音。
何かを引きずる音。
(……うるさい)
前世の記憶が、
一瞬だけ、顔を出す。
駅前。
昼休み。
人の波。
(……にてる)
似ている、と思った途端、
理由の分からない不安が、胸に広がった。
「……ふぇ……」
自分でも驚くほど、
小さな声。
でも、父親はすぐに気づいた。
「どうした?」
歩く速度が、少し落ちる。
「眠いか?」
(……ちがう)
違う。
でも、説明できない。
説明しようとして、
言葉を探して。
その途中で、
まぶたが、重くなる。
(……だめ)
考えようとした途端に、
思考が、眠気に溶ける。
必死に、
父親の服を掴もうとして。
手は、また空を掴んだ。
代わりに、
指が、布に引っかかる。
「……お」
父親の声が、少し柔らかくなる。
「大丈夫だ」
その一言で、
胸の奥のざわざわが、少し引いた。
(……だいじょうぶ)
意味は、分からない。
でも、
この人がそう言うなら、
きっと、そうなんだ。
***
人が、多い。
視線、というものが、
肌に触れる感じ。
「赤ちゃん?」
「かわいいねえ」
知らない声。
知らない顔。
近い。
反射的に、
父親の方に、顔を押し付けた。
ぎゅっと。
「おっと」
父親が、体勢を変える。
「触らないでくれ」
穏やかだけど、
はっきりした声。
(……あ)
守って、くれてる。
その事実が、
胸に、じんわり広がる。
父親の腕の中は、
ちゃんと、安全だった。
***
しばらくすると、
匂いが、変わった。
甘い。
香ばしい。
油の匂い。
(……たべもの)
それだけで、
お腹が、きゅっと鳴る。
身体は、正直だ。
父親が、立ち止まった。
鍋の中で、
何かが、ぐつぐつしている。
(……あ)
前世の記憶が、
ふっと、浮かぶ。
こうすると、
美味しくなる、という感覚。
でも、
具体的な何かは、思い出せない。
(……なに)
確かめたくて、
手を伸ばした。
つもりだった。
実際には、
指が、ふらふらと、空を切る。
それでも、
諦めきれなくて、
もう一度。
(……とどけ)
届かない。
当たり前だ。
私は、赤ちゃんで、
抱っこされていて、
鍋は、遠い。
結果、
掴んでいたのは、
父親の服の紐だった。
「……?」
父親が、視線を落とす。
「それ、気になるか?」
(……ちがう)
違う。
そこじゃない。
悔しくて、
胸の奥が、きゅっとなる。
「はは」
父親が笑った。
「食いしん坊だな」
(……たべれない)
まだ、食べられない。
分かってる。
でも、
何か、したかった。
父親が、
私の頭を、そっと撫でる。
「もう少し、大きくなったらな」
(……おおきく)
大きくなったら。
今は、できない。
でも、
いつかは、できる。
その未来が、
ちゃんと用意されている感じがして。
悔しさが、
少しだけ、希望に変わった。
***
帰り道。
父親の歩くリズムが、
だんだん、心地よくなる。
外の音も、
もう気にならない。
(……つかれた)
頑張った。
知らない匂いを嗅いで、
知らない人を見て、
知らない感情を、たくさん感じた。
それだけで、
今日は、十分だ。
まぶたが、
ゆっくり、落ちていく。
最後に、
父親の胸の音を、確認して。
(……ここ)
ここが、
今の、私の世界。
その世界が、
ちゃんと、私を包んでいることを、
確かめながら。
私は、
また、眠りに落ちた。
72
あなたにおすすめの小説
幻獣保護センター廃棄処理係の私、ボロ雑巾のような「ゴミ幻獣」をこっそり洗ってモフっていたら、実は世界を喰らう「終焉の獣」だった件について
いぬがみとうま🐾
ファンタジー
「魔力なしの穀潰し」――そう蔑まれ、幻獣保護センターの地下で廃棄幻獣の掃除に明け暮れる少女・ミヤコ。
実のところ、その施設は「価値のない命」を無慈悲に殺処分する地獄だった。
ある日、ミヤコの前に運ばれてきたのは、泥と油にまみれた「ボロ雑巾」のような正体不明の幻獣。
誰の目にもゴミとしか映らないその塊を、ミヤコは放っておけなかった。
「こんなに汚れたままなんて、かわいそう」
彼女が生活魔法を込めたブラシで丹念に汚れを落とした瞬間、世界を縛る最凶の封印が汚れと一緒に「流されてしまう。
現れたのは、月光を纏ったような美しい銀狼。
それは世界を喰らうと恐れられる伝説の災厄級幻獣『フェンリル・ヴォイド』だった……。
異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました
雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。
気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。
剣も魔法も使えないユウにできるのは、
子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。
……のはずが、なぜか料理や家事といった
日常のことだけが、やたらとうまくいく。
無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。
個性豊かな子供たちに囲まれて、
ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。
やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、
孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。
戦わない、争わない。
ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。
ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、
やさしい異世界孤児院ファンタジー。
【第2部開始】ぬいぐるみばかり作っていたら実家を追い出された件〜だけど作ったぬいぐるみが意志を持ったので何も不自由してません〜
月森かれん
ファンタジー
中流貴族シーラ・カロンは、ある日勘当された。理由はぬいぐるみ作りしかしないから。
戸惑いながらも少量の荷物と作りかけのぬいぐるみ1つを持って家を出たシーラは1番近い町を目指すが、その日のうちに辿り着けず野宿をすることに。
暇だったので、ぬいぐるみを完成させようと意気込み、ついに夜更けに完成させる。
疲れから眠りこけていると聞き慣れない低い声。
なんと、ぬいぐるみが喋っていた。
しかもぬいぐるみには帰りたい場所があるようで……。
天真爛漫娘✕ワケアリぬいぐるみのドタバタ冒険ファンタジー。
※この作品は小説家になろう・ノベルアップ+にも掲載しています。
悪女の針仕事〜そのほころび、見逃しません!〜
陰陽@4作品商業化(コミカライズ他)
ファンタジー
公爵令嬢として生まれながら、子ども時代からメイドや周囲の陰謀で、次々と濡れ衣を着せられ、「悪女」扱いされてきたミリアム。
第3王子との婚約を聖女に奪われ、聖女への嫌がらせの冤罪で国外追放された後、平民として生き延びる中で、何度も5年前へのロールバック(逆行)を繰り返すことに。
生計をたてる為に、追放後の平民生活で極めた針仕事が、ロールバックが繰り返されることで、針仕事の能力だけは引き継がれ、天才的な実力を手に入れる。
その時女神「アテナ」の加護を得て、2つの力を手にすることに。
「加護縫い」
(縫った布に強力な祝福を込められる)
「嘘のほころびを見抜く力」
(相手の嘘を布のほころびとして視覚的に捉え、引き抜く、または繕うことで、真実を暴いたり修正したりする)
を手にしたミリアムは、5歳の幼女時代まで遡り、2つの力で悪評をぬりかえ、仲違いしていた家族も、加護の力を与えることで協力な味方へと変貌。
さらに、女神から可愛いしもべ「アリアドネ」を授かり、元婚約者と聖女にザマァを狙う中、加護縫いの能力が最も高い人間を王太子妃に迎える決まりのある大国、ルーパート王国の王太子が近付いて来て……?
公爵令嬢やめて15年、噂の森でスローライフしてたら最強になりました!〜レベルカンストなので冒険に出る準備、なんて思ったけどハプニングだらけ〜
咲月ねむと
ファンタジー
息苦しい貴族社会から逃げ出して15年。
元公爵令嬢の私、リーナは「魔物の森」の奥で、相棒のもふもふフェンリルと気ままなスローライフを満喫していた。
そんなある日、ひょんなことから自分のレベルがカンストしていることに気づいてしまう。
「せっかくだし、冒険に出てみようかしら?」
軽い気持ちで始めた“冒険の準備”は、しかし、初日からハプニングの連続!
金策のために採った薬草は、国宝級の秘薬で鑑定士が気絶。
街でチンピラに絡まれれば、無自覚な威圧で撃退し、
初仕事では天災級の魔法でギルドの備品を物理的に破壊!
気づけばいきなり最高ランクの「Sランク冒険者」に認定され、
ボロボロの城壁を「日曜大工のノリ」で修理したら、神々しすぎる城塞が爆誕してしまった。
本人はいたって平和に、堅実に、お金を稼ぎたいだけなのに、規格外の生活魔法は今日も今日とて大暴走!
ついには帝国の精鋭部隊に追われる亡国の王子様まで保護してしまい、私の「冒険の準備」は、いつの間にか世界の運命を左右する壮大な旅へと変わってしまって……!?
これは、最強の力を持ってしまったおっとり元令嬢が、その力に全く気づかないまま、周囲に勘違いと畏怖と伝説を振りまいていく、勘違いスローライフ・コメディ!
本人はいつでも、至って真面目にお掃除とお料理をしたいだけなんです。信じてください!
転生能無し少女のゆるっとチートな異世界交流
犬社護
ファンタジー
10歳の祝福の儀で、イリア・ランスロット伯爵令嬢は、神様からギフトを貰えなかった。その日以降、家族から【能無し・役立たず】と罵られる日々が続くも、彼女はめげることなく、3年間懸命に努力し続ける。
しかし、13歳の誕生日を迎えても、取得魔法は1個、スキルに至ってはゼロという始末。
遂に我慢の限界を超えた家族から、王都追放処分を受けてしまう。
彼女は悲しみに暮れるも一念発起し、家族から最後の餞別として貰ったお金を使い、隣国行きの列車に乗るも、今度は山間部での落雷による脱線事故が起きてしまい、その衝撃で車外へ放り出され、列車もろとも崖下へと転落していく。
転落中、彼女は前世日本人-七瀬彩奈で、12歳で水難事故に巻き込まれ死んでしまったことを思い出し、現世13歳までの記憶が走馬灯として駆け巡りながら、絶望の淵に達したところで気絶してしまう。
そんな窮地のところをランクS冒険者ベイツに助けられると、神様からギフト《異世界交流》とスキル《アニマルセラピー》を貰っていることに気づかされ、そこから神鳥ルウリと知り合い、日本の家族とも交流できたことで、人生の転機を迎えることとなる。
人は、娯楽で癒されます。
動物や従魔たちには、何もありません。
私が異世界にいる家族と交流して、動物や従魔たちに癒しを与えましょう!
腹違いの妹にすべてを奪われた薄幸の令嬢が、義理の母に殴られた瞬間、前世のインテリヤクザなおっさんがぶちギレた場合。
灯乃
ファンタジー
十二歳のときに母が病で亡くなった途端、父は後妻と一歳年下の妹を新たな『家族』として迎え入れた。
彼らの築く『家族』の輪から弾き出されたアニエスは、ある日義母の私室に呼び出され――。
タイトル通りのおっさんコメディーです。
没落した建築系お嬢様の優雅なスローライフ~地方でモフモフと楽しい仲間とのんびり楽しく生きます~
土偶の友
ファンタジー
優雅な貴族令嬢を目指していたクレア・フィレイア。
しかし、15歳の誕生日を前に両親から没落を宣言されてしまう。
そのショックで日本の知識を思いだし、ブラック企業で働いていた記憶からスローライフをしたいと気付いた。
両親に勧められた場所に逃げ、そこで楽しいモフモフの仲間と家を建てる。
女の子たちと出会い仲良くなって一緒に住む、のんびり緩い異世界生活。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる