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4[ミスト]
黒い男
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——これは私の古い記憶だ。
息苦しくて目が覚めた。
何かに圧し潰されそうになっていた。
どうにか押しのけて外に出ると、辺りは一面深い霧に覆われていて濃い鉄の匂いがした。
私に覆いかぶさっていたのが母だと分かった。
すぐ近くに父と妹がいた。隣の家のおばさんとおじさん、それから三軒隣の家に住んでいた叔父も。
全員が死んでいた。
「あそこに幼い子が」と、誰かが遠くで言う。辺りは真っ白で何も見えない。でも、男の声だった。
私も殺されるのだろうか。怖いけれど、別にいいか、とも思った。
異様な状況で、自分の考えもおかしくなっていたのだと思う。
地面を踏みしめる音が近づいてきて、真っ黒な大男が現れた。
長いフード付きの外套に黒い服。ブーツも黒。身に着けている何もかもが黒く、髪だけが金色に輝いていた。
「お前の両親か」
黒い男が言った。
私はうなずいた。
「名は何という」
「わかんない」
「ここが何という町か分かるか」
「……ううん」
「もともと知らなかったのか?」
「知ってた。名前もあった……と思う」
「思い出せないか」
うなずいた。
自分でも信じられなかったが、両親の名も自分の名も、かわいがってくれていた叔父の名も覚えていなかった。向かいの家の友達の名前だけは、ついさっきまで覚えていた気がしたのに、まるで川に流されたかのように消えていった。
「俺も肉親を殺された。お前の親を殺した奴の親玉にやられた」
黒い男はしゃがんで私と視線を合わせた。
そして少し声を小さくして「俺も何もかも忘れてしまいたい」と言った。
「お前はどうしたい? 悪い奴から逃げるか、悪い奴と戦うか、それとも何もしないか。それに適した場所へ連れていってやる」
「戦う」
「……あのな、お前くらい小さな子どもは普通『逃げる』か『わかんない』と言うのだぞ?」
「でも戦う」
「わかった……。もし途中で嫌になったら俺に言え」
「うん。オジサンは誰?」
黒い男は声を押し殺し「まだ『お兄さん』だ」と言うと笑った。
「カールだ。何も思い出せないのでは不便だろう。まずは食事をしながら一緒に新しい名前を考えよう」
「うん」
「しとやかで可愛い名と格好いい名、どちらがいい?」
「カッコイイ名前」
「……そうか、わかったよ」
いつものくせで、母に「行ってきます」と言いそうになった。
振り返ろうとすると、黒いカールに制止された。
「振り返るな。お前の後ろには悪夢しかない。何も覚えていないのなら、ここから先は前だけを見て生きろ」
「……オジサンはカタキを討つの?」
「難しい言葉を知っているな。幼い子どもが話すようなことではないぞ」
黒いカールは少し考えていた。
「しかし、民の質問にはすべて答える主義だ。……俺は何十年かかろうと仇を討つ」
「そのときは教えてくれるの?」
「いいだろう。そのときは教えよう。一緒に戦いたいと思ったら、俺と一緒に来ればいい」
「うん、わかった」
「それまではたくさん勉強しろ。戦う以外の生き方も学べ。仲間を作り、楽しいことも経験しろ」
黒いカールは私を抱き上げ、別のオジサンに「ずいぶんと肝の据わった子どもだ。最近の子は皆こうなのか?」と言った。
彼は私にミストという名を与え、食事と安心して寝られる場所、服、教育と仕事……人生のすべてを与えてくれた。
時々会うと「息災か?」と聞いてきた。
私が「うん」と答えると、最近何を学んだか聞かれた。あれとこれと……と、指を折りながら説明すると、相づちを打ちながら私の話を真面目な顔ですべて聞いてくれた。
「何が一番好きだ?」
「算術。でも、女子は授業の数が少ない」
「もっと勉強したいか?」
「うん」
「苦手なのはどれだ?」
「お行儀かな……」
「嫌いな理由は?」
「教わってないからわからないだけなのに、先生がいきなり叱ってくるから意味がわからない」
黒いカールは笑った。彼はよく笑う人だ。
「正論だ。いきなり叱らない別の教師だったら嫌ではないのか?」
「うん、嫌じゃない」
「放課後に別の先生が寮まで来て、授業よりも先に軽く教えてくれると言ったら?」
「うれしい。授業で分からなかったことも聞きたい」
「よし。ではそうしよう。お前は賢い子だな」
平民しかいない王都立の学校だった。
寮に入っている子の中で、家庭教師がついている生徒なんて私ぐらいしかいない。黒いカールのおかげで、私は恵まれていた。
王都特務師団に入り、数少ない特級特務師になった。黒いカールが王兄殿下で、かつ兵部大臣であることを知ったのは、入団した時だ。
最近、彼を見かける時、眉をつり上げて誰かを叱っていることが多い。彼が怒るくらいだから、よほど出来が悪いのだろう。部下かと尋ねると「俺の部下にあんなアホウはいない」と彼は笑って言った。
今、黒いカールは、上司の上司の上司の——そのまた上司くらいのところにいる。金髪は白いところが増え、黒以外の服も着ていた。
息苦しくて目が覚めた。
何かに圧し潰されそうになっていた。
どうにか押しのけて外に出ると、辺りは一面深い霧に覆われていて濃い鉄の匂いがした。
私に覆いかぶさっていたのが母だと分かった。
すぐ近くに父と妹がいた。隣の家のおばさんとおじさん、それから三軒隣の家に住んでいた叔父も。
全員が死んでいた。
「あそこに幼い子が」と、誰かが遠くで言う。辺りは真っ白で何も見えない。でも、男の声だった。
私も殺されるのだろうか。怖いけれど、別にいいか、とも思った。
異様な状況で、自分の考えもおかしくなっていたのだと思う。
地面を踏みしめる音が近づいてきて、真っ黒な大男が現れた。
長いフード付きの外套に黒い服。ブーツも黒。身に着けている何もかもが黒く、髪だけが金色に輝いていた。
「お前の両親か」
黒い男が言った。
私はうなずいた。
「名は何という」
「わかんない」
「ここが何という町か分かるか」
「……ううん」
「もともと知らなかったのか?」
「知ってた。名前もあった……と思う」
「思い出せないか」
うなずいた。
自分でも信じられなかったが、両親の名も自分の名も、かわいがってくれていた叔父の名も覚えていなかった。向かいの家の友達の名前だけは、ついさっきまで覚えていた気がしたのに、まるで川に流されたかのように消えていった。
「俺も肉親を殺された。お前の親を殺した奴の親玉にやられた」
黒い男はしゃがんで私と視線を合わせた。
そして少し声を小さくして「俺も何もかも忘れてしまいたい」と言った。
「お前はどうしたい? 悪い奴から逃げるか、悪い奴と戦うか、それとも何もしないか。それに適した場所へ連れていってやる」
「戦う」
「……あのな、お前くらい小さな子どもは普通『逃げる』か『わかんない』と言うのだぞ?」
「でも戦う」
「わかった……。もし途中で嫌になったら俺に言え」
「うん。オジサンは誰?」
黒い男は声を押し殺し「まだ『お兄さん』だ」と言うと笑った。
「カールだ。何も思い出せないのでは不便だろう。まずは食事をしながら一緒に新しい名前を考えよう」
「うん」
「しとやかで可愛い名と格好いい名、どちらがいい?」
「カッコイイ名前」
「……そうか、わかったよ」
いつものくせで、母に「行ってきます」と言いそうになった。
振り返ろうとすると、黒いカールに制止された。
「振り返るな。お前の後ろには悪夢しかない。何も覚えていないのなら、ここから先は前だけを見て生きろ」
「……オジサンはカタキを討つの?」
「難しい言葉を知っているな。幼い子どもが話すようなことではないぞ」
黒いカールは少し考えていた。
「しかし、民の質問にはすべて答える主義だ。……俺は何十年かかろうと仇を討つ」
「そのときは教えてくれるの?」
「いいだろう。そのときは教えよう。一緒に戦いたいと思ったら、俺と一緒に来ればいい」
「うん、わかった」
「それまではたくさん勉強しろ。戦う以外の生き方も学べ。仲間を作り、楽しいことも経験しろ」
黒いカールは私を抱き上げ、別のオジサンに「ずいぶんと肝の据わった子どもだ。最近の子は皆こうなのか?」と言った。
彼は私にミストという名を与え、食事と安心して寝られる場所、服、教育と仕事……人生のすべてを与えてくれた。
時々会うと「息災か?」と聞いてきた。
私が「うん」と答えると、最近何を学んだか聞かれた。あれとこれと……と、指を折りながら説明すると、相づちを打ちながら私の話を真面目な顔ですべて聞いてくれた。
「何が一番好きだ?」
「算術。でも、女子は授業の数が少ない」
「もっと勉強したいか?」
「うん」
「苦手なのはどれだ?」
「お行儀かな……」
「嫌いな理由は?」
「教わってないからわからないだけなのに、先生がいきなり叱ってくるから意味がわからない」
黒いカールは笑った。彼はよく笑う人だ。
「正論だ。いきなり叱らない別の教師だったら嫌ではないのか?」
「うん、嫌じゃない」
「放課後に別の先生が寮まで来て、授業よりも先に軽く教えてくれると言ったら?」
「うれしい。授業で分からなかったことも聞きたい」
「よし。ではそうしよう。お前は賢い子だな」
平民しかいない王都立の学校だった。
寮に入っている子の中で、家庭教師がついている生徒なんて私ぐらいしかいない。黒いカールのおかげで、私は恵まれていた。
王都特務師団に入り、数少ない特級特務師になった。黒いカールが王兄殿下で、かつ兵部大臣であることを知ったのは、入団した時だ。
最近、彼を見かける時、眉をつり上げて誰かを叱っていることが多い。彼が怒るくらいだから、よほど出来が悪いのだろう。部下かと尋ねると「俺の部下にあんなアホウはいない」と彼は笑って言った。
今、黒いカールは、上司の上司の上司の——そのまた上司くらいのところにいる。金髪は白いところが増え、黒以外の服も着ていた。
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