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第1章
第22話:速度という名の価値
しおりを挟む王都の査察団が去った翌日、アルトマール港は再び慌ただしい朝を迎えた。
俺は海燕号の甲板の上で、出航準備の最終確認を行っていた。目指すは再びのオーベル港。だが、今回の目的は交易ではない。オーベル港との「独占交易契約」の締結。それが俺の新たな主(パートナー)であるセラフィーナに捧ぐ、最初の『利益』となる。
「若様、準備は整いやした」
ダリオが誇らしげに舵輪を磨きながら報告する。
船倉には、ボルガがこの港でかき集めた僅かな特産品と、海賊から鹵獲(ろかく)した財宝の一部が積まれている。これらはオーベルの領主への手土産だ。
「ミナト殿」
桟橋では、セラフィーナが護衛騎士アルフレッドだけを伴い、俺たちを見送っていた。彼女の存在はすでに町の風景の一部となりつつあった。
「オーベルの領主、オズワルド伯はなかなかの狸と聞いていますわ。ただの海賊退治の武勇伝だけでは、あの老人の心は動かせませんでしょう」
「分かっています」
俺は船縁から彼女を見下ろした。「俺が売りに行くのは武勇伝ではありません。『未来』です」
「……結構ですわ。いってらっしゃい、私の騎士。せいぜい手ぶらで帰ってこないことですわね」
彼女の冷たい激励を受け、俺は号令を下した。
「出航だ!」
海燕号は今やアルトマールの象徴となった白銀の帆を張り、滑るように港を離れた。
セラフィーナは船が見えなくなるまで、その場を動かなかった。彼女は港の統治と王都からの次の刺客に備えるため、このアルトマールに残る。俺たちは互いの戦場へと向かうのだ。
航海は、順調そのものだった。
霧の海域も岩礁地帯も、今や俺たちの庭だ。ダリオは俺が作成した精密な海図と俺の風詠みの指示により、完璧な操船を見せる。
ボルガは船室でこれから始まる交渉の資料を読み込み、落ち着かない様子だった。
「代官様……本当に、あのオズワルド伯が、我々のような小さな港と独占契約など結んでくれるでしょうか」
「ボルガ氏」
俺は海図から目を離さずに言った。「商談とは対等な立場でやるものだと思うから緊張するのです。圧倒的な価値を提示し、相手に『選ばせる』のではなく相手に『懇願させる』。それが俺のやり方です」
ボルガは俺のその絶対的な自信に、ただ息を呑むだけだった。
三時間後、オーベルの港が見えてきた。
その光景は、前回とは一変していた。港には、俺たちの船の到着を今か今かと待ちわびる大勢の人だかりができていたのだ。
海燕号が桟橋にその美しい船体を横付けすると、割れんばかりの歓声が上がった。
「来たぞ!“白銀の矢”だ!」
「“赤牙”を沈めた、英雄の船だ!」
俺の名はもはや没落貴族ではなく、海賊殺しの英雄、そして奇跡の航海士として、この海域一帯に轟いていた。
人混みをかき分け、立派な鎧兜をまとった騎士たちと共に、一人の恰幅の良い老人が進み出てきた。
「お待ちしておりましたぞ、アークライト代官殿」
柔和な笑みを浮かべているが、その目の奥は鋭く俺の価値を査定している。彼こそがこのオーベル港を治めるオズワルド伯だった。
「本日はオーベル港とアルトマール港の末永い友好のために参りました」
俺は貴族としての礼を尽くし、挨拶を返した。
歓迎の宴もそこそこに、俺とボルガはオズワルド伯の執務室へと通された。オズワルド伯は俺たちが持参した海賊の財宝を一瞥すると、すぐに本題に入った。
「ボルガ殿。アルトマールとの交易。もちろん歓迎いたします。だが、『独占』というのは、話が別ですかな」
ボルガが緊張しながらも用意してきた交易品リストと、関税の優遇案を提示する。だが、オズワルド伯はそれを軽く退けた。
「アルトマールは小さな港。オーベルの物流を支えるには、あまりに非力だ。海賊を退治なされたお手並みは見事だが、それはそれ、これはこれ。ビジネスは感情ではできませぬ」
老獪な駆け引き。ボルガの顔色が悪くなる。
俺はここで静かに割って入った。
「オズワルド伯。我々がアルトマールからここまで、何時間かかったかご存知ですか」
「……三時間と聞いておる。驚くべき速さだ」
「では、このオーベル港から王都までは、船で何日かかりますか」
「……風が良ければ十日。嵐に遭えば一月はかかる。それが何か?」
俺は立ち上がると、執務室に飾られた王国の全図を指差した。
「オーベル港は豊かな内陸部からの物資が集まる、素晴らしい拠点です。ですが、その富は王都へ運ぶまでに、その価値の多くを失っている。時間と危険によって」
俺はオーベルから王都へ至る、危険な海路を指でなぞる。
「もし、その十日の航海が三日になるとしたら?」
オズワルド伯の柔和だった目がカッと見開かれた。
「……三日、だと?馬鹿な。王都まではアルトマールへの距離の五倍はあるのだぞ」
「距離は関係ありません。我々の船は風に逆らって進める。つまり、最短距離を常に最高速度で航行できるのです。オーベル港の豊かな物資を、他のどの港よりも早く、安全に王都へ届けることができる。これが我々が提示する『価値』です」
オズワルド伯はゴクリと唾を飲んだ。彼の商人としての脳がこの提案の持つ恐るべき利益を瞬時に計算していた。
王都の流行品を誰よりも早く仕入れることができる。
内陸の生鮮食料品を腐らせずに王都の食卓へ届けることができる。
物流を制する者が、富を制する。
「我々アルトマールは、その『速度』と『安全』をあなたに独占的に提供する。その代わり、オーベル港を通過する全ての海上物資の優先権を我が『アルトマール商会』にいただきたい」
もはや対等な交渉ではなかった。
俺は彼が絶対に拒否できない、未来そのものを提示したのだ。
「……アークライト殿」
オズワルド伯の顔から、狸の笑みは消えていた。
「あなたは悪魔か、それとも神の使いか。……よろしい。その独占契約、前向きに検討……いや、締結いたしましょう。ただし」
彼は俺の目をじっと見つめた。
「その航路はあまりにも大きな富を生む。あなたの後ろ盾はどなたかな?まさか、没落したアークライト家の名だけではその富は守れまい」
政治的な揺さぶり。
俺は待ってましたとばかりに、微笑んだ。
「我が主はセラフィーナ・フォン・ルクスブルク様。この事業は、近く設立される『アルトマール特区』の基幹事業として、ルクスブルク公爵家、その全威信をかけて推進されることになります」
オズワルド伯の顔が驚愕に引きつった。
ルクスブルク家。その名が持つ政治的重量を彼が知らないはずはない。
俺はただの技術者ではない。ルクスブルク家という巨大な権力の代理人でもあるのだ。
「……完敗だ、アークライト殿」
オズワルド伯はそう言うと、心底愉快そうに笑い出した。
「面白い!実に面白い!よかろう!このオーベル港、あなたのその壮大な夢に乗らせていただこう!」
交渉は成立した。
俺はアルトマール港に、最初の、そして最も強力な交易ルートという名の『資産』を持ち帰ることになる。
だが、俺が執務室を辞去する際、港の片隅で、見覚えのある男の影が一瞬見えた気がした。
王都の監査官、キルヒハイム。
あるいは彼が放った別の刺客か。
俺の戦いがアルトマール港の外でもすでに始まっていることを、俺は確信していた。
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