没落貴族は最果ての港で夢を見る〜政敵の公爵令嬢と手を組み、忘れられた航路を拓いて帝国の海を制覇する〜

namisan

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第1章

第23話:最初の政治的砲撃


オーベル港の喧騒を背に、海燕号は再びその白銀の帆を張った。
ボルガ氏は羊皮紙に記されたオズワルド伯の署名を、まるで宝物のように抱きしめている。
「やりましたな、代官様!独占契約!これでアルトマールは王国東海岸の物流を握れますぞ!」
ボルガの興奮とは裏腹に、俺の表情は硬かった。
「浮かれるのは早いですよ、ボルガ氏。契約は履行されて初めて価値を持つ。そして、俺たちの敵はそれを黙って見ているほど甘くはない」
俺の脳裏にはオーベル港の雑踏に紛れた、あの執拗な視線が焼き付いていた。キルヒハイム。あるいは彼が放ったオルデンブルク侯爵の息がかかった間者(スパイ)。
航海は何事もなく終わった。
海賊が消えた航路は驚くほど静かだった。風詠みの力で最短ルートを突き進み、海燕号は再び三時間という驚異的な速さでアルトマール港へと帰還した。
港では、セラフィーナがただ一人の騎士アルフレッドを伴い、静かに俺たちの帰りを待っていた。彼女の表情はいつも通り完璧なまでに整えられている。だが、俺はその紫水晶の瞳の奥に、いつもとは違う種類の、冷たい怒りの色を見た。
俺は船を降り、彼女の前に立つ。
「ただ今戻りました、セラフィーナ様。オーベル港との独占交易契約、無事締結いたしました」
「……ご苦労様、ミナト」
彼女は俺の功績を称えながらも、すぐに本題に入った。
「良い知らせと悪い知らせがありますわ。どちらから聞きたい?」
「悪い知らせから」
「王都から新たな公式通達が届きました。財務省監査官キルヒハイム卿の連名でね」
彼女が差し出した羊皮紙を俺は受け取り目を通す。
そこには極めて高圧的な文面で、こう記されていた。
『“赤牙”海賊団より押収した全財産、および海賊討伐に使用した新型船(海燕号)の設計図一式を、王国の資産として即刻、財務省監査局に提出せよ』
ボルガがその内容を横から覗き込み、血相を変えた。
「なっ!なんという暴挙!あれは我々が命懸けで手に入れたものですぞ!」
「静かに、ボルガ氏」
俺は彼を制した。これは単なる横槍ではない。オルデンブルク侯爵派による、明確な政治的攻撃だ。
「キルヒハイム卿は監査官として、実に『正当』な手続きを踏んできましたわ」
セラフィーナが冷ややかに解説する。
「海賊の財産は討伐した者が得るのが慣習。だが、法的には王家に帰属するとも解釈できる。そして、海燕号の技術。あれはあまりにも危険すぎる。一貴族(ルクスブルク家)が独占するのではなく、王国(財務省)が管理すべきだ、という論理ですわ」
「狙いは財宝でも設計図でもない」
俺は羊皮紙を握り潰した。「俺たちの力を削ぎ、特区設立の功績をルクスブルク家から奪い取り、俺という『資産』をあなたから引き剥がすことだ」
「その通りよ」
セラフィーナの瞳が怒りに燃える。
「彼らは私が王都に戻る前に事を決定づけるつもりです。私がどれだけ報告書であなたを庇おうと、財務省が『王国の資産』として差し押さえてしまえば、父(ルクスブルク公爵)も手出しが難しくなる」
絶体絶命の状況だった。海賊との物理的な戦いより遥かに厄介な、政治という名の戦場。法と論理を武器にした、見えない砲撃だ。
ダリオやボルガが青ざめた顔で俺たちを見ている。
「……それで、良い知らせとは?」
俺はあえて冷静に尋ねた。
セラフィーナはフッと、不敵な笑みを浮かべた。
「良い知らせは、この通達が届いたのがつい半刻前だということですわ」
「……なるほど」
俺も笑みを返した。「まだ時間は残されている、と」
俺たちはもはや主従やパートナーを超えた、完全な共犯者として視線を交わした。
「ミナト。どう動く?あなたの答えを聞かせなさい」
「答えは一つしかありません」
俺は港に集まっていたゲオルグと、海賊の労働力を監督していたザラードを大声で呼び寄せた。
「ゲオルグさん!」
「おう!どうした若様!」
「今すぐ海燕号をドックに入れろ!そして、徹底的に『解体』しろ!」
「な……!?」
ゲオルグもボルガもダリオも、そしてセラフィーナの隣に立つアルフレッドさえも、俺の言葉に絶句した。
あの奇跡の船を解体しろというのだ。
「若様、気は確かか!あの船は俺たちの宝だぞ!」
「だからこそだ、ゲオルグさん!」
俺は設計図を要求する羊皮紙を、彼らに叩きつけた。
「奴らが欲しいのは設計図と、完成した船だ。ならばその両方をこの世から消してしまえばいい」
俺はセラフィーナに向き直った。
「監察官殿。王都への返書をこう書いてください」
「『海燕号は海賊との戦闘による損傷が激しく、アルトマール港へ帰還直後ドックにて解体処分となった。よって、現物は存在しない』と」
「……設計図は?」
セラフィーナが俺の真意を確かめるように尋ねる。
「『設計図は存在しない』」
俺はきっぱりと言い放った。
「あの船は古い船を修理する過程で、俺とゲオルグさんが現場で試行錯誤しながら造り上げた、偶然の産物だ。体系化された設計図など最初から存在しない。全ては俺と、この港の職人たちの『頭の中』にしかない、と」
それはあまりにも大胆不敵な、完璧な「嘘」だった。
現物も証拠(設計図)もなければ、財務省は差し押さえようがない。
俺という『資産』の価値は俺の頭脳そのものとなり、誰にも奪うことのできないものとなる。
セラフィーナは一瞬、呆気に取られたような顔をしたが、次の瞬間、声を立てて笑い出した。
「ククク……あっははは!最高だわ、ミナト!あなたは本当に最高よ!」
彼女は心の底から楽しそうに笑っていた。
「ええ、分かったわ。その返書、このセラフィーナ・フォン・ルクスブルクの名において財務省の馬鹿どもに叩きつけて差し上げましょう」
「ゲオルグさん、聞こえたな!今すぐやれ!躊躇するな!」
「……ちくしょう!分かったよ!あんたは本当に悪魔だ!」
ゲオルグは悔しそうに、しかしどこか嬉しそうに叫ぶと、職人たちに檄を飛ばしに走っていった。
こうして、オルデンブルク侯爵派による最初の政治的砲撃は俺の「資産隠し」という常識外れの一手によって、完全に無力化された。
だが、俺たちは知っていた。
これは長い戦いの、本当の序章に過ぎないことを。
王都の虎や狐たちはこの程度で諦めるはずがないのだから。

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