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第1章
第26話:漆黒の矢、王都へ
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アルトマール港は夜明け前から異様な熱気に包まれていた。
ゲオルグの造船所が総力を挙げて仕上げた漆黒の船体。それはコルベット一号艇『テンペスト』と名付けられた。海燕号の白銀とは対照的な、夜の海に溶け込むかのような不吉なまでの黒。船体は極限まで絞り込まれ、全てが速度のためだけに設計されている。この船は獲物を運ぶためのものではない。獲物を狩るため、あるいは敵の包囲網を突破するためだけに生まれた、一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)の体現者だった。
俺はそのテンペストの甲板に立っていた。
背後にはダリオの養成所が輩出した、最も優秀な十名の若者たち。彼らは海賊討伐の成功譚と俺の理論を浴びるように学んだ第一期生だ。その目には恐怖よりも、この最強の船を動かすという誇りと興奮が宿っている。
「若様……いや、船長。乗組員一同、準備完了しております」
副船長格として同乗するダリオが緊張した面持ちで報告する。彼の役割はもはや操舵手ではない。俺の理論を実践する若者たちの監督役だ。
桟橋にはセラフィーナが、ただ一人立っていた。
夜明け前の薄闇の中、彼女の白いドレスだけがぼんやりと浮かび上がっている。
「ミナト」
彼女の声は静かだったが、港の喧騒を突き抜けて俺の耳に届いた。
「王都はアルトマールとは違う。理屈の通じない魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する場所よ。あなたのその合理性が通じるとは思わないことね」
「承知しています」
俺は船縁から彼女を見下ろした。「ですが、彼らの『常識』そのものをこの船で打ち破ります。彼らが俺の価値を査定する前に、俺が彼らの度肝を抜く。政治とはそういうものでしょう」
「……本当に、食えない男」
彼女はフッと息を吐いた。「父には私が全責任を持つと伝えてある。オルデンブルク派の妨害も最大限、私が抑え込む。だから……」
彼女は言葉を続けた。
「必ず生きて帰ってきなさい。私の『騎士』が王都の虎に食われたなどという無様な報告は聞きたくありませんから」
それは彼女なりの、最大限の激励だった。
「御意に、我が主」
俺は彼女に背を向け、乗組員たちに号令を下した。
「錨を上げろ!帆を張れ!これより、王都アラストリアへ向かう!」
「「「おう!」」」
若者たちの雄叫びが響く。
テンペストは縛めから解かれた獣のように、音もなく桟橋を離れた。そして、港の外洋に出た瞬間、その真価を発揮した。
「全帆、展開!風向き、左舷前方三十度!タッキングの準備!」
「了解!」
海燕号でさえ慣れるまでに時間がかかった、風上への航行。
だが、ダリオの弟子たちはそれを教科書通りに、いや、それ以上に完璧にこなした。彼らは古い常識を知らない。最初から俺の理論だけを学んだ、新時代の船乗りたちだ。
ロープが走り、黒い帆が正確な角度で風を捉える。
テンペストは信じられないほどの加速を開始した。
「……速い」
舵輪を握っていたダリオが驚愕に目を見開いた。
「海燕号の比じゃない……!船体が軽い上に抵抗がほとんどない!こいつは船じゃねえ、水面を飛ぶ矢だ!」
その通りだった。海燕号の経験をフィードバックし、船底の形状はさらに洗練されている。船体はゲオルグが持つ最高の技術で、限界まで軽量化されていた。
アルトマールから王都までは通常のガレオン船で、順風でも十日はかかる。
風向きが悪ければ一月以上、海の上で立ち往生することも珍しくない。
だが、俺たちのテンペストはその常識を破壊した。
俺の風詠みの力は最短ルートの風を常に予測する。若者たちは疲労をものともせず、完璧なローテーションで帆を操り、船の速度を一切落とさない。
向かい風こそが俺たちの追い風だった。
航海の途中、王国海軍の大型巡視船と遭遇した。
彼らはこちを不審な船と認め、停船命令の旗を掲げた。
だが、俺たちはその巡視船が方向転換を終える前に、彼らの視界から消え去った。
あまりの速度差に巡視船の甲板で、兵士たちが呆然と立ち尽くしているのが見えた。
そして、出航からわずか二日目の朝。
太陽が昇ると同時に、俺たちの視界の先に巨大な都市の影が現れた。
アラストリア王国、王都。
その入り口を守る、王国最大の軍港『ポルトゥス・レギア』だ。
「……着いちまった」
ダリオが信じられないという顔で呟いた。
「十日の航路を二日足らずで……」
「ここからが本番ですよ」
俺は乗組員たちに緊張を促した。
王都の港はアルトマールとは比較にならないほどの規模を誇っていた。
数百隻の商船がひしめき合い、湾の奥には王国の力そのものである、巨大なガレオン船で構成された王国海軍本隊が威圧するように停泊している。
俺たちの黒く、小さく、異様な形の船は港に入る全ての船から、奇異の視線を浴びた。
「停船せよ!所属と積荷を明らかにせよ!」
港湾警備の船が行く手を遮ろうと近づいてくる。
「無視しろ」
俺は冷たく命じた。「減速する必要はない。王城の直下、海軍本部の目の前にある来賓用の桟橋に直接乗り付ける」
「なっ!若様!無許可でそんなことをすれば、砲撃されますぞ!」
ダリオが叫ぶ。
「撃せるものですか」
俺は警備艇の動きを読み切っていた。
「取舵(とりかじ)!あのでかい戦艦の鼻先を掠めろ!」
「正気か!」
「やれ!」
テンペストは王国海軍旗艦の巨大な船首像の目の前を、まるで嘲笑うかのようにありえない速度で横切った。
そして、港の最も奥深く、来賓用の桟橋に向かって風上へと完璧なタッキングを決めながら、突き進んでいく。
港全体が騒然となった。
「あの船を止めろ!」
「馬鹿な!向かい風だぞ!なぜ、進んでくる!」
「砲撃準備!いや、間に合わん!」
王国海軍が誇る巨大な戦艦たちはただの「的」だった。彼らが錨を上げ、帆を張る頃には、俺たちはとっくの昔に目的を終えている。
テンペストは全ての船を置き去りにし、王族や大使しか使用を許されない最も神聖な桟橋に、音もなく完璧に横付けされた。
俺が船のタラップを降ろす頃には、桟橋は何事かと駆けつけた数十名の王国騎士団の兵士たちによって、完全に包囲されていた。
彼らは槍や剣をこの異様な黒船と、そこから降りてきた辺境の貴族風情の若者に一斉に向けていた。
その殺気立つ包囲網の中心で、俺は一切の動揺を見せず、懐から国王陛下の紋章が押された『召喚状』をゆっくりと掲げた。
「アルトマール港代官、ミナト・アークライト」
俺は兵士たちを、そしてその向こうで呆然とこちらを見ている港湾司令官らしき男に向かって、静かに、しかしよく通る声で宣言した。
「国王陛下の御召(おめし)により、ただ今、参上いたしました」
オルデンブルク侯爵が仕掛けた俺を召喚するという罠。
その罠は今、俺が仕掛けた王国海軍の威信を公衆の面前で叩き潰すという、最悪の『デモンストレーション』によって幕を開けたのだ。
ゲオルグの造船所が総力を挙げて仕上げた漆黒の船体。それはコルベット一号艇『テンペスト』と名付けられた。海燕号の白銀とは対照的な、夜の海に溶け込むかのような不吉なまでの黒。船体は極限まで絞り込まれ、全てが速度のためだけに設計されている。この船は獲物を運ぶためのものではない。獲物を狩るため、あるいは敵の包囲網を突破するためだけに生まれた、一撃離脱(ヒットアンドアウェイ)の体現者だった。
俺はそのテンペストの甲板に立っていた。
背後にはダリオの養成所が輩出した、最も優秀な十名の若者たち。彼らは海賊討伐の成功譚と俺の理論を浴びるように学んだ第一期生だ。その目には恐怖よりも、この最強の船を動かすという誇りと興奮が宿っている。
「若様……いや、船長。乗組員一同、準備完了しております」
副船長格として同乗するダリオが緊張した面持ちで報告する。彼の役割はもはや操舵手ではない。俺の理論を実践する若者たちの監督役だ。
桟橋にはセラフィーナが、ただ一人立っていた。
夜明け前の薄闇の中、彼女の白いドレスだけがぼんやりと浮かび上がっている。
「ミナト」
彼女の声は静かだったが、港の喧騒を突き抜けて俺の耳に届いた。
「王都はアルトマールとは違う。理屈の通じない魑魅魍魎(ちみもうりょう)が跋扈(ばっこ)する場所よ。あなたのその合理性が通じるとは思わないことね」
「承知しています」
俺は船縁から彼女を見下ろした。「ですが、彼らの『常識』そのものをこの船で打ち破ります。彼らが俺の価値を査定する前に、俺が彼らの度肝を抜く。政治とはそういうものでしょう」
「……本当に、食えない男」
彼女はフッと息を吐いた。「父には私が全責任を持つと伝えてある。オルデンブルク派の妨害も最大限、私が抑え込む。だから……」
彼女は言葉を続けた。
「必ず生きて帰ってきなさい。私の『騎士』が王都の虎に食われたなどという無様な報告は聞きたくありませんから」
それは彼女なりの、最大限の激励だった。
「御意に、我が主」
俺は彼女に背を向け、乗組員たちに号令を下した。
「錨を上げろ!帆を張れ!これより、王都アラストリアへ向かう!」
「「「おう!」」」
若者たちの雄叫びが響く。
テンペストは縛めから解かれた獣のように、音もなく桟橋を離れた。そして、港の外洋に出た瞬間、その真価を発揮した。
「全帆、展開!風向き、左舷前方三十度!タッキングの準備!」
「了解!」
海燕号でさえ慣れるまでに時間がかかった、風上への航行。
だが、ダリオの弟子たちはそれを教科書通りに、いや、それ以上に完璧にこなした。彼らは古い常識を知らない。最初から俺の理論だけを学んだ、新時代の船乗りたちだ。
ロープが走り、黒い帆が正確な角度で風を捉える。
テンペストは信じられないほどの加速を開始した。
「……速い」
舵輪を握っていたダリオが驚愕に目を見開いた。
「海燕号の比じゃない……!船体が軽い上に抵抗がほとんどない!こいつは船じゃねえ、水面を飛ぶ矢だ!」
その通りだった。海燕号の経験をフィードバックし、船底の形状はさらに洗練されている。船体はゲオルグが持つ最高の技術で、限界まで軽量化されていた。
アルトマールから王都までは通常のガレオン船で、順風でも十日はかかる。
風向きが悪ければ一月以上、海の上で立ち往生することも珍しくない。
だが、俺たちのテンペストはその常識を破壊した。
俺の風詠みの力は最短ルートの風を常に予測する。若者たちは疲労をものともせず、完璧なローテーションで帆を操り、船の速度を一切落とさない。
向かい風こそが俺たちの追い風だった。
航海の途中、王国海軍の大型巡視船と遭遇した。
彼らはこちを不審な船と認め、停船命令の旗を掲げた。
だが、俺たちはその巡視船が方向転換を終える前に、彼らの視界から消え去った。
あまりの速度差に巡視船の甲板で、兵士たちが呆然と立ち尽くしているのが見えた。
そして、出航からわずか二日目の朝。
太陽が昇ると同時に、俺たちの視界の先に巨大な都市の影が現れた。
アラストリア王国、王都。
その入り口を守る、王国最大の軍港『ポルトゥス・レギア』だ。
「……着いちまった」
ダリオが信じられないという顔で呟いた。
「十日の航路を二日足らずで……」
「ここからが本番ですよ」
俺は乗組員たちに緊張を促した。
王都の港はアルトマールとは比較にならないほどの規模を誇っていた。
数百隻の商船がひしめき合い、湾の奥には王国の力そのものである、巨大なガレオン船で構成された王国海軍本隊が威圧するように停泊している。
俺たちの黒く、小さく、異様な形の船は港に入る全ての船から、奇異の視線を浴びた。
「停船せよ!所属と積荷を明らかにせよ!」
港湾警備の船が行く手を遮ろうと近づいてくる。
「無視しろ」
俺は冷たく命じた。「減速する必要はない。王城の直下、海軍本部の目の前にある来賓用の桟橋に直接乗り付ける」
「なっ!若様!無許可でそんなことをすれば、砲撃されますぞ!」
ダリオが叫ぶ。
「撃せるものですか」
俺は警備艇の動きを読み切っていた。
「取舵(とりかじ)!あのでかい戦艦の鼻先を掠めろ!」
「正気か!」
「やれ!」
テンペストは王国海軍旗艦の巨大な船首像の目の前を、まるで嘲笑うかのようにありえない速度で横切った。
そして、港の最も奥深く、来賓用の桟橋に向かって風上へと完璧なタッキングを決めながら、突き進んでいく。
港全体が騒然となった。
「あの船を止めろ!」
「馬鹿な!向かい風だぞ!なぜ、進んでくる!」
「砲撃準備!いや、間に合わん!」
王国海軍が誇る巨大な戦艦たちはただの「的」だった。彼らが錨を上げ、帆を張る頃には、俺たちはとっくの昔に目的を終えている。
テンペストは全ての船を置き去りにし、王族や大使しか使用を許されない最も神聖な桟橋に、音もなく完璧に横付けされた。
俺が船のタラップを降ろす頃には、桟橋は何事かと駆けつけた数十名の王国騎士団の兵士たちによって、完全に包囲されていた。
彼らは槍や剣をこの異様な黒船と、そこから降りてきた辺境の貴族風情の若者に一斉に向けていた。
その殺気立つ包囲網の中心で、俺は一切の動揺を見せず、懐から国王陛下の紋章が押された『召喚状』をゆっくりと掲げた。
「アルトマール港代官、ミナト・アークライト」
俺は兵士たちを、そしてその向こうで呆然とこちらを見ている港湾司令官らしき男に向かって、静かに、しかしよく通る声で宣言した。
「国王陛下の御召(おめし)により、ただ今、参上いたしました」
オルデンブルク侯爵が仕掛けた俺を召喚するという罠。
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