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第1章
第29話:王都の工房と公爵の賭け
しおりを挟む国王陛下の裁定は絶対だった。
「御前レースでの勝利」
その一言が俺の、いや、アルトマール特区とルクスブルク家の運命までをも決定づけることになった。
謁見の間が解散となると、貴族たちは俺の周りを遠巻きに囲んだ。
オルデンブルク侯爵派の貴族たちは隠そうともしない嘲笑を俺に向けてくる。
「御前レースだとよ。あの黒い小舟で、海軍の『ヴィクトワール号』に勝てるとでも?」
「辺境の蛮勇も、ここまでだな」
「良い見世物になるわい」
彼らにとって、この勝負はすでに決着がついている。王国海軍の威信をかけて建造された最新鋭の旗艦に、どこの馬の骨とも知れぬ船が勝てるはずがない。俺は王都の貴族たちの前で、公然と恥をかくことが決定した道化師なのだ。
アウグスト公爵はその嘲笑の渦を厳しい表情で一蹴した。
「ミナト殿。王城を出るぞ。お前の宿舎は我が屋敷に用意してある」
それは招待ではなかった。命令だ。
俺は公爵の馬車に再び乗り込み、王都で最も壮麗なルクスブルク公爵邸へと移送された。これは賓客としての待遇ではなく、オルデンブルク派の妨害や暗殺から『資産』を守るための事実上の軟禁だった。
公爵邸の広大な書斎。公爵と二人きりになった俺に、アウグストは重い口を開いた。
「……ミナト・アークライト。お前はとんでもない賭けの駒にされた自覚があるか」
「賭けは望むところです」
「愚か者が」
公爵は俺の不遜な態度を叱責した。
「御前レースをただの船競走だと思うな。あれは政治だ。海軍の威信、各貴族家の面子、そして莫大な利権が絡み合う。お前が戦う相手は王国海軍最新鋭艦『ヴィクトワール号』。王国の造船技術の粋を集めた怪物だ。お前のテンペストがいくら速くとも、正面からの性能勝負では勝ち目はない」
「真正面から勝負するつもりはありませんので」
俺は冷静に答えた。「公爵閣下。情報が欲しい。ヴィクトワール号の正確な設計図、帆の形状、乗組員の練度。そして、レースの正確な航路(コース)と過去十年間の気象データ。全てです」
俺の即座の要求に、アウグスト公爵はわずかに目を見開いた。この男は絶望的な状況に置かれても一切動揺せず、すでに次の手を思考している。
「……面白い」
公爵は書斎のベルを鳴らし、執事を呼んだ。
「客人の要求するものを全て、即刻揃えろ。海軍の機密であろうとだ。手段は問わん」
公爵は俺という駒に、本気で投資する覚悟を決めたのだ。
「だが」と俺は続けた。
「情報だけでは足りません。このレースに勝つには、あのテンペストをさらに『進化』させる必要がある」
「王都の職人を好きなだけ使うがいい」
「いえ」
俺は首を横に振った。「王都の職人では不可能です。彼らの古い常識では俺の要求する改造は理解すらできない」
俺は公爵の目を真っ直ぐに見据えた。
「アルトマールから俺の部下を呼び寄せる許可をいただきたい。造船所の親方、ゲオルグ・バーリントン。そして、彼の技術を継ぐ者たちを。彼らでなければ俺の『切り札』は完成しません」
「……アルトマールから?一月しかないのだぞ。間に合うとでも?」
「間に合わせます。いや、公爵閣下。あなたに間に合わせていただく」
俺は公爵の机に置かれた王都近郊の海図を広げた。
「俺のテンペストはアルトマールと王都を二日で結んだ。だが、あれは『武装』した状態での速度です。武装を全て降ろし、乗組員を最小限にした伝令仕様にすれば、片道一日の航行も可能」
「……!」
「公爵家の最速の伝令船と俺のテンペスト。二隻体制でアルトマールのゲオルグたちに俺の指示書を届けてください。彼らは俺が要求する『部品』をアルトマールで製作し、それをテンペストで王都へ輸送するのです」
それは常識外れの兵站(へいたん)計画だった。王都と辺境の港をレースまでの間に往復させるというのだ。
アウグスト公爵はもはや驚きを通り越し、この若き怪物の思考に畏怖すら感じ始めていた。
「……そこまでして、勝てるという確証がお前にはあるのか」
「確証はありません。ですが」
俺は窓の外、王都の空を見上げた。「彼らのルールで戦うつもりはありませんので。俺のルールで勝ちます。必要なのは、ゲオルグの腕とアルトマールの技術だけです」
公爵は長い沈黙の後、重々しく頷いた。
「……分かった。セラフィーナがなぜお前に賭けたのか、今、確信した。良かろう。ルクスブルク家の総力を挙げ、お前のその狂気に付き合おう。だが、ミナト・アークライト。もしお前が敗北した時は……」
「その時は俺の首も技術も全て、オルデンブルク侯に差し出せばいい。俺は負ける戦はしません」
その夜。
ルクスブルク家の紋章を掲げた最速の伝令船と武装を解かれた漆黒のテンペストが、二隻、王都の港を秘密裏に出航した。
テンペストにはダリオが、俺の託した秘密の設計図を携えている。それはセラフィーナへの状況報告と、ゲオルグとマーサへのレースに勝つための、ある『特殊な部品』の開発・輸送を命じる、ミナトからの絶対命令書だった。
王都のルクスブルク邸の一室。俺は運び込まれた膨大な資料……ヴィクトワール号の設計図とレース海域の気象データを前に、不眠不休の分析を開始していた。
オルデンブルク侯爵のスパイたちが俺が屋敷に閉じ込められたと安心して、監視を緩める頃。
俺の、そしてアルトマールの反撃はすでに始まっていた。
一月後、王都の貴族たちが目にするのは彼らの常識の、完全な終わりとなるのだから。
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