米国戦艦大和        太平洋の天使となれ

みにみ

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朝鮮戦争開戦

旧海軍

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大和の再武装と改修が怒涛の勢いで進められるポーツマス海軍造船所で
米海軍の技術者たちは、ある決定的な問題に直面していた。
それは、大和の主砲、すなわち46センチ砲の砲弾の供給であった。
世界に唯一無二の口径を持つこの巨大な砲弾は、アメリカ国内にはその製造設備も
ましてや製造ノウハウも存在しなかったのである。
第二次世界大戦中、アメリカは自国の兵器生産に特化しており
日本の特殊な規格の砲弾を製造する理由は皆無だった。
しかし、これはすでにマッカーサー司令官の承認を得た
国家レベルの最優先計画であった。
そのため、この絶望的な状況を打破するために
あらゆるリソースが投入されることになったのだ。

米軍は、まず日本の海軍火薬廠、特に広島の呉や神奈川の横須賀にあった
旧日本海軍の主要な火薬廠の技術者たちに接触した。
彼らは、大和の主砲弾である零式通常弾や、
各種高角砲弾(九八式長10cm高角砲弾など)の製造工程を熟知しており
その火薬の配合比率、弾頭の設計、信管の製造方法
そして何よりも安全かつ効率的な製造に関する
貴重な知識と経験を持っていたのである。
しかし、終戦によって、それらの火薬廠は閉鎖され
多くの熟練した技術者たちは、各地に散り散りになっていた。
彼らは、もはや軍人ではなく、一般市民として、荒廃した日本の再建のために
それぞれの場所で懸命に生きていたのだ。

米軍は、GHQの広範なネットワークを駆使し
まるで「宝探し」のように、これらの熟練した職人たちを文字通り探し出した。
彼らの多くは、かつての日本の最高機密を扱っていたにもかかわらず
敗戦後はその技術を生かす場を失い、田畑を耕したり
町工場で細々と働いたり、あるいは失意のうちに日々の生活を送っていた。
ある者は、故郷の小さな漁村で漁師となり、またある者は
焼け野原となった街で露天商を営んでいた。
彼らの技術は、世界に誇るべきものであったにもかかわらず
その才能は埋もれていたのである。

米軍の担当官たちは、彼らに対して
単なる金銭的な報酬だけでなく、再び日本の技術が
世界に貢献できるという「可能性」を提示した。
「貴方方の技術は、今、世界で最も必要とされている。
 朝鮮半島で苦しむ人々を救うために、貴方方の知識が必要なのだ。」
最初は戸惑いや反発もあった。かつて敵だった国の兵器のために
自国の技術を提供するということに、彼らのプライドが
許さない部分もあっただろう。しかし、自身の技術を再び生かせるという誘惑
そして何よりも「大和のために」という名目
そして「人々を救う」という大義名分は、彼らの心を動かした。
かつて、大和という巨大なプロジェクトに人生を捧げた彼らにとって
その艦が再び活動するという事実は、何よりも強い誘因となったのである。
こうして、百人程度の海軍火薬廠の技術者たちが、再び集められることになった。
彼らは、家族に別れを告げ、遠い異国の地へと旅立つ覚悟を決めたのだ。


砲弾の製造と並行して、もう一つの極めて重要な課題があった。
それは、大和の運用に関わる「人間」の確保であった。
大和は、その複雑な機関部や砲塔の操作、そして損傷時の応急処置に関する
深い知識を持つ、熟練した乗組員がいなければ
決して動かすことのできない艦であった。
アメリカ海軍の乗組員がどんなに優秀であろうとも
この艦の持つ独特の癖や、日本式の運用方法を短期間で習得することは不可能だった。

そこで、米軍は、徳永栄一中尉の助言を参考にしながら、
日本各地に散らばった元大和乗組員を1000人ほどかき集めるという
これまた前代未聞の任務に乗り出した。
徳永は、かつて共に大和に乗った仲間たちの名前を挙げ
彼らの専門分野や性格までを米軍に伝えた。
機関兵、砲術員、電気技師、通信士、応急工作員、そして調理員に至るまで
それぞれが艦の特定の部署で専門的な知識と経験を持つベテランばかりだった。

彼らは、終戦後、それぞれの道を歩んでいた。
故郷の漁村で漁師になった者、焼け跡で教師として子供たちに未来を教えていた者
あるいは小さな商店を営む者、さらには闇市で日銭を稼いでいた者など
多種多様な人生を送っていた。彼らの多くは
大和の沈没を免れた「生き残り」として、複雑な感情を抱えていた。
生き残ったことへの罪悪感、そして失われた仲間たちへの追悼の念。

その中には、大和最後の艦長であった有賀幸作元大佐も含まれていた。
彼は、大和と共に沈むことを覚悟していたが
奇跡的に生還し、終戦後は静かに隠遁生活を送っていた。
米軍からの招集を受けた際、彼は当初、固辞したという。
しかし、「大和が再び海を往く」という言葉
そして「人々を救うため」という大義名分が、彼の心を動かした。
かつて、多くの部下を失った彼にとって、大和が再びその力を発揮し
新たな使命を果たすことは
亡き魂への鎮魂にもなりうると考えたのかもしれない。

日本国内の主要な空港からは、米軍がチャーターした
C-54スカイマスターなどの大型輸送機が
連日、これらの元海軍軍人たちを乗せて飛び立った。
機内では、偶然にもかつての同期や上官との再会を喜ぶ者もいた。
「おい、藤本! お前も呼ばれたのか! 生きていたとはな!」
「まさか、また大和に乗れる日が来るとは思わなかったぞ…!」
彼らは、互いの無事を喜び、旧交を温めながら
遠い異国の地、アメリカのポーツマスへと向かうことになる。
彼らの心には、不安と期待が入り混じっていた。
かつての敵国の管理下で、再び軍務に就くという屈辱。
しかし、同時に、愛する「あの艦」で再び任務に就けるという
複雑な高揚感が彼らを包んでいた。


ポーツマスに到着した元大和乗組員たちは、まず米軍の管理下で
厳重なセキュリティチェックを受けた。彼らは、かつての軍服ではなく
支給された作業服に身を包み、大和が係留されているドックへと向かった。
彼らの目に映ったのは、真新しいレーダーや対空砲を搭載し
かつてとは異なる姿に変貌した大和であった。

彼らは、米軍の指示のもと、それぞれの持ち場へと配置された。
機関兵たちは、大和の巨大なボイラーとタービンの再稼働のために
埃をかぶった計器を清掃し、配管の点検を行った。
砲術員たちは、46センチ主砲の内部構造を再確認し
装填機構の調整を行った。電気技師たちは
複雑に張り巡らされた配線をチェックし、通信士たちは
米軍の最新通信機器の操作方法を学んだ。

言葉の壁は依然として存在したが、徳永栄一や
英語が堪能な一部の元海軍将校が通訳を務め、意思疎通を図った。
米軍の技術者たちは、彼らの持つ深い知識と経験に驚嘆した。
特に、長年大和に乗り組んでいた者たちは、艦の微細な振動や音の変化から
異常を察知する能力を持っていた。
それは、マニュアルには決して記されない、「職人の勘」と呼ぶべきものであった。

元大和乗組員たちは、米軍の訓練プログラムにも参加した。
彼らは、アメリカ海軍の標準的な運用手順、最新の戦術
そして電子機器の操作方法を学んだ。当初は戸惑いもあったが
彼らの適応能力は高く、すぐに新しい環境に順応していった。
彼らは、かつての敵である米軍の技術者や兵士たちと
共に汗を流し、共に食事を摂る中で、少しずつ互いを理解し
信頼関係を築いていったのである。

夜、宿舎に戻った彼らは、酒を酌み交わしながら、かつての思い出を語り合った。
「まさか、この歳になって、また大和に乗れるとはな。」
「だが、今度は日の丸じゃない。星条旗だ…」
複雑な感情は拭い去れなかったが、彼らの心には
再び「大和を動かす」という共通の目標が芽生えていた。
それは、彼らの失われた誇りを、再び取り戻すための、新たな挑戦でもあったのだ。

こうして、ポーツマスには、日米の技術者と兵士たちが
大和という共通の「存在」を介して集結し、来るべき戦場に向けて
静かに、しかし着実に準備を進めていたのである。
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