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朝鮮戦争開戦
大和の再生
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ポーツマス海軍造船所の乾ドックは
かつてないほどの熱気に包まれていた。
そこは、単なる船舶修理の場ではなく、歴史の新たな一ページが刻まれる
まさに戦場の前線と化していたのである。スクラップ寸前だった
戦艦大和を再稼働させるという前代未聞の任務は
日米双方の技術者と兵士たちに、それぞれの立場で計り知れない重圧を与えていた。
その中心にいたのは、旧日本海軍の青年将校、徳永栄一特務中尉と
彼の直属の上官であり、かつて大和の艦長を務めた有賀幸作特務大佐であった。
彼らは休む間もなく、米海軍の技術者たち
そして日本から呼び寄せられた元海軍将兵と共に
大和の再生に文字通り身を粉にして奔走していたのだ。
徳永の専門は機関部、そして有賀は艦全体の運用と砲術の権威であった。
二人は、それぞれの分野で卓越した知識と経験を有し、大和の複雑な心臓部
すなわち独特の蒸気タービン機関部の調整に当たった。
巨大なボイラーとタービンは、長年の放置により深刻なダメージを受けていた。
蒸気圧の管理、燃料供給システムの再構築、そして推進軸の微調整など
一つ一つの作業は気の遠くなるような精密さを要求された。
徳永は、油まみれになりながら、細部まで点検し
かつての経験と培われた知識を総動員して、米軍の技術者や
日本人技師たちに的確な指示を与えた。彼の脳裏には
大和の機関が奏でる、かつての力強い鼓動が蘇る瞬間が描かれていたのである。
同時に、大和の心臓であり、その最大の武器である46センチ主砲の再調整もまた
徳永と有賀にとっての重要な任務であった。砲身の内部検査から始まり
油圧システムの綿密な調整、そして砲塔の旋回機構の潤滑
さらには射撃管制システムの要となる照準装置のキャリブレーションまで
細部にわたる確認作業を彼らは指揮した。
特に、複雑な射撃盤や方位盤の調整は、日本式の緻密な計算と調整が必要であり
徳永の指導なくしては不可能であった。
有賀は、主砲発射時の衝撃が艦体に及ぼす影響まで考慮し
その最適な運用方法について米軍側に助言を与えていた。
当初、ポーツマス海軍造船所では、言葉の壁や文化の違い
そして何よりもかつての敵同士という、根深い感情が渦巻く中
日米の技術者間には様々な摩擦が生じることも少なくなかった。
米軍の技術者たちは、日本の古い計測単位
例えば尺貫法や独特の図面表記、さらには部品の名称に戸惑い
作業効率が低下することがあった。彼らは、すべてが規格化された
アメリカ式の作業に慣れていたため、日本の職人たちの「勘」や
「暗黙の了解」に基づいた作業手順を理解するのに苦労したのだ。
「これはどういうことだ? 図面と数字が合わないぞ!」
「この部品は、マニュアルには載っていない!」
一方、日本から呼び寄せられた職人たちや元海軍将兵は
アメリカ式の合理主義的な作業手順に戸惑うことがあった。
彼らは、これまで培ってきた職人技や経験に基づいた
より柔軟な作業を好んだが、米軍は厳格なマニュアルと
手順を遵守することを求めたのである。
また、米軍の兵士たちがフランクな態度で接してくることにも
最初は戸惑いを覚えた。かつての上下関係や規律が厳しかった日本海軍とは異なる
ある種の自由さに、彼らは文化の違いを痛感したのだ。
さらに、感情的な軋轢も存在した。一部の米軍兵士の中には
太平洋戦争で親族を失った者もおり、かつての敵である日本の軍人や
職人と協力することに、内心で強い抵抗を感じている者もいた。
彼らの間には、冷たい視線や、時には感情的な言葉が交わされることもあった。
徳永や有賀も、そうした視線や感情を肌で感じ取り
その度に胸が締め付けられる思いであった。
しかし、その隔たりを埋め、日米の間に信頼の橋を架ける役割を担ったのが
他ならぬ徳永栄一の存在であった。
彼は、類まれな語学力(彼がアメリカへの曳航時に通訳を務めていたため)と
そして何よりも大和に関する深い、そして網羅的な知識を武器に
日米双方の技術者たちの間を奔走した。
徳永の知識は、米軍の技術者たちを圧倒した。大和のあらゆる疑問に対し
彼は即座に、そして驚くほど的確な答えを出すことができた。
ある時、機関部の複雑な配管図に不明な箇所があり
米軍の技術者たちが何日も頭を抱えていた際
徳永は図面を広げることすらなく、その配管の目的
役割、そして経路を完璧に説明し、問題を解決してみせたのである。
「その配管は、ボイラーの過熱蒸気を
補助タービンに供給するためのものです。
緊急時、例えば被弾によるタービン損傷時には、このバルブを操作すれば…」
彼の説明は米軍の技術者たちの理解を促し
作業の停滞を一気に解消させた。
彼らは、徳永の記憶力と知識の深さに、ただただ感嘆するしかなかった。
また、徳永の艦への献身的な姿勢は、言葉や文化の壁を超えて
米軍関係者たちの心を動かした。彼は、自身のプライドを捨て
ただひたすらに大和が完璧な状態になることだけを願って働いたのである。
日中の作業はもちろん、夜遅くまで資料を漁り
時には徹夜で不具合の原因を究明した。彼の行動は
大和という艦に対する純粋な愛情と、その再生に賭ける情熱から来るものであった。
彼のこうした姿は、パーカー少佐をはじめとする
米軍関係者たちの深い信頼を徐々に勝ち取っていくことになった。
「徳永中尉は、まるでヤマト自身と会話しているかのようだ。」
米軍の技術者が、そう漏らすほどであった。
彼らは、徳永が大和の隅々まで知り尽くしているだけでなく
まるでその艦の「魂」と通じ合っているかのような錯覚さえ覚えたのだ。
徳永の献身は、有賀大佐の存在によっても支えられていた。
有賀は、徳永が時に感情的になりそうになるのを冷静に諭し
また米軍との交渉においても、日本の職人たちの立場を代弁することで
彼らの士気を維持した。有賀は、かつての艦長としての威厳を保ちつつも
米軍の指揮下に入るという屈辱を受け入れ
ひたすら大和の再生という「使命」に集中したのである。
日を追うごとに、日米の技術者や兵士たちの間に
奇妙な、しかし確かな融和の兆しが見え始めた。最初はぎこちなかった会話も
次第にスムーズになり、共通の作業を通じて
互いの専門知識と人間性を尊重し合うようになった。
昼食時には、米兵が日本人職人たちにコーヒーを勧め
日本人が持参した珍しい干物(米軍兵にとっては異臭を放つが)を
分け合う光景も見られるようになった。
彼らは、大和という巨大な船を動かすという共通の目標に向かって
それぞれの持ち場で最高のパフォーマンスを発揮しようとした。
徳永とパーカー少佐の間には、特に深い信頼関係が築かれていった。
パーカーは、徳永が単なる「通訳」や「技術指導員」ではなく
大和の再生に不可欠な「魂の管理者」であることを理解していた。
彼は、徳永の意見に真摯に耳を傾け、重要な決定を下す際には
必ず徳永の意見を求めた。一方
徳永もまた、パーカーが単なる上官としてではなく
朝鮮戦争の苦境を真剣に憂い、大和の力を信じる一人の人間として
自分と向き合っていることを感じ取っていた。
ある夜、作業を終えたパーカーと徳永は、造船所の喫茶室でコーヒーを飲んでいた。
「徳永中尉、貴官の協力なくしては
このプロジェクトはここまで進まなかっただろう。感謝する。」
パーカーの言葉に、徳永は静かに答えた。
「少佐、私もまた、貴官の信念と
大和を救おうとする情熱に心を動かされました。
この艦が、再び海を往くことができるのならば、私の人生に悔いはありません。」
彼らは、大和を単なる兵器としてではなく、朝鮮半島の戦況を打開し
苦しむ人々を救うための「希望の船」として捉えていたのである。
彼らの間には、国籍や過去の因縁を超え、「大和を動かす」という
共通の使命を負う同志としての、揺るぎない絆が築かれていったのだ。
それは、未来の日米関係を象徴するかのような
奇跡的な融和の始まりでもあった。
ポーツマス海軍造船所のドックでは
夜空の下、大和の船体から上がる溶接の火花が
新たな時代の夜明けを告げるかのように、静かに輝き続けていた。
かつてないほどの熱気に包まれていた。
そこは、単なる船舶修理の場ではなく、歴史の新たな一ページが刻まれる
まさに戦場の前線と化していたのである。スクラップ寸前だった
戦艦大和を再稼働させるという前代未聞の任務は
日米双方の技術者と兵士たちに、それぞれの立場で計り知れない重圧を与えていた。
その中心にいたのは、旧日本海軍の青年将校、徳永栄一特務中尉と
彼の直属の上官であり、かつて大和の艦長を務めた有賀幸作特務大佐であった。
彼らは休む間もなく、米海軍の技術者たち
そして日本から呼び寄せられた元海軍将兵と共に
大和の再生に文字通り身を粉にして奔走していたのだ。
徳永の専門は機関部、そして有賀は艦全体の運用と砲術の権威であった。
二人は、それぞれの分野で卓越した知識と経験を有し、大和の複雑な心臓部
すなわち独特の蒸気タービン機関部の調整に当たった。
巨大なボイラーとタービンは、長年の放置により深刻なダメージを受けていた。
蒸気圧の管理、燃料供給システムの再構築、そして推進軸の微調整など
一つ一つの作業は気の遠くなるような精密さを要求された。
徳永は、油まみれになりながら、細部まで点検し
かつての経験と培われた知識を総動員して、米軍の技術者や
日本人技師たちに的確な指示を与えた。彼の脳裏には
大和の機関が奏でる、かつての力強い鼓動が蘇る瞬間が描かれていたのである。
同時に、大和の心臓であり、その最大の武器である46センチ主砲の再調整もまた
徳永と有賀にとっての重要な任務であった。砲身の内部検査から始まり
油圧システムの綿密な調整、そして砲塔の旋回機構の潤滑
さらには射撃管制システムの要となる照準装置のキャリブレーションまで
細部にわたる確認作業を彼らは指揮した。
特に、複雑な射撃盤や方位盤の調整は、日本式の緻密な計算と調整が必要であり
徳永の指導なくしては不可能であった。
有賀は、主砲発射時の衝撃が艦体に及ぼす影響まで考慮し
その最適な運用方法について米軍側に助言を与えていた。
当初、ポーツマス海軍造船所では、言葉の壁や文化の違い
そして何よりもかつての敵同士という、根深い感情が渦巻く中
日米の技術者間には様々な摩擦が生じることも少なくなかった。
米軍の技術者たちは、日本の古い計測単位
例えば尺貫法や独特の図面表記、さらには部品の名称に戸惑い
作業効率が低下することがあった。彼らは、すべてが規格化された
アメリカ式の作業に慣れていたため、日本の職人たちの「勘」や
「暗黙の了解」に基づいた作業手順を理解するのに苦労したのだ。
「これはどういうことだ? 図面と数字が合わないぞ!」
「この部品は、マニュアルには載っていない!」
一方、日本から呼び寄せられた職人たちや元海軍将兵は
アメリカ式の合理主義的な作業手順に戸惑うことがあった。
彼らは、これまで培ってきた職人技や経験に基づいた
より柔軟な作業を好んだが、米軍は厳格なマニュアルと
手順を遵守することを求めたのである。
また、米軍の兵士たちがフランクな態度で接してくることにも
最初は戸惑いを覚えた。かつての上下関係や規律が厳しかった日本海軍とは異なる
ある種の自由さに、彼らは文化の違いを痛感したのだ。
さらに、感情的な軋轢も存在した。一部の米軍兵士の中には
太平洋戦争で親族を失った者もおり、かつての敵である日本の軍人や
職人と協力することに、内心で強い抵抗を感じている者もいた。
彼らの間には、冷たい視線や、時には感情的な言葉が交わされることもあった。
徳永や有賀も、そうした視線や感情を肌で感じ取り
その度に胸が締め付けられる思いであった。
しかし、その隔たりを埋め、日米の間に信頼の橋を架ける役割を担ったのが
他ならぬ徳永栄一の存在であった。
彼は、類まれな語学力(彼がアメリカへの曳航時に通訳を務めていたため)と
そして何よりも大和に関する深い、そして網羅的な知識を武器に
日米双方の技術者たちの間を奔走した。
徳永の知識は、米軍の技術者たちを圧倒した。大和のあらゆる疑問に対し
彼は即座に、そして驚くほど的確な答えを出すことができた。
ある時、機関部の複雑な配管図に不明な箇所があり
米軍の技術者たちが何日も頭を抱えていた際
徳永は図面を広げることすらなく、その配管の目的
役割、そして経路を完璧に説明し、問題を解決してみせたのである。
「その配管は、ボイラーの過熱蒸気を
補助タービンに供給するためのものです。
緊急時、例えば被弾によるタービン損傷時には、このバルブを操作すれば…」
彼の説明は米軍の技術者たちの理解を促し
作業の停滞を一気に解消させた。
彼らは、徳永の記憶力と知識の深さに、ただただ感嘆するしかなかった。
また、徳永の艦への献身的な姿勢は、言葉や文化の壁を超えて
米軍関係者たちの心を動かした。彼は、自身のプライドを捨て
ただひたすらに大和が完璧な状態になることだけを願って働いたのである。
日中の作業はもちろん、夜遅くまで資料を漁り
時には徹夜で不具合の原因を究明した。彼の行動は
大和という艦に対する純粋な愛情と、その再生に賭ける情熱から来るものであった。
彼のこうした姿は、パーカー少佐をはじめとする
米軍関係者たちの深い信頼を徐々に勝ち取っていくことになった。
「徳永中尉は、まるでヤマト自身と会話しているかのようだ。」
米軍の技術者が、そう漏らすほどであった。
彼らは、徳永が大和の隅々まで知り尽くしているだけでなく
まるでその艦の「魂」と通じ合っているかのような錯覚さえ覚えたのだ。
徳永の献身は、有賀大佐の存在によっても支えられていた。
有賀は、徳永が時に感情的になりそうになるのを冷静に諭し
また米軍との交渉においても、日本の職人たちの立場を代弁することで
彼らの士気を維持した。有賀は、かつての艦長としての威厳を保ちつつも
米軍の指揮下に入るという屈辱を受け入れ
ひたすら大和の再生という「使命」に集中したのである。
日を追うごとに、日米の技術者や兵士たちの間に
奇妙な、しかし確かな融和の兆しが見え始めた。最初はぎこちなかった会話も
次第にスムーズになり、共通の作業を通じて
互いの専門知識と人間性を尊重し合うようになった。
昼食時には、米兵が日本人職人たちにコーヒーを勧め
日本人が持参した珍しい干物(米軍兵にとっては異臭を放つが)を
分け合う光景も見られるようになった。
彼らは、大和という巨大な船を動かすという共通の目標に向かって
それぞれの持ち場で最高のパフォーマンスを発揮しようとした。
徳永とパーカー少佐の間には、特に深い信頼関係が築かれていった。
パーカーは、徳永が単なる「通訳」や「技術指導員」ではなく
大和の再生に不可欠な「魂の管理者」であることを理解していた。
彼は、徳永の意見に真摯に耳を傾け、重要な決定を下す際には
必ず徳永の意見を求めた。一方
徳永もまた、パーカーが単なる上官としてではなく
朝鮮戦争の苦境を真剣に憂い、大和の力を信じる一人の人間として
自分と向き合っていることを感じ取っていた。
ある夜、作業を終えたパーカーと徳永は、造船所の喫茶室でコーヒーを飲んでいた。
「徳永中尉、貴官の協力なくしては
このプロジェクトはここまで進まなかっただろう。感謝する。」
パーカーの言葉に、徳永は静かに答えた。
「少佐、私もまた、貴官の信念と
大和を救おうとする情熱に心を動かされました。
この艦が、再び海を往くことができるのならば、私の人生に悔いはありません。」
彼らは、大和を単なる兵器としてではなく、朝鮮半島の戦況を打開し
苦しむ人々を救うための「希望の船」として捉えていたのである。
彼らの間には、国籍や過去の因縁を超え、「大和を動かす」という
共通の使命を負う同志としての、揺るぎない絆が築かれていったのだ。
それは、未来の日米関係を象徴するかのような
奇跡的な融和の始まりでもあった。
ポーツマス海軍造船所のドックでは
夜空の下、大和の船体から上がる溶接の火花が
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