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「池上課長って聡二さんって言うんだって。誕生日は三月十五日。コーヒーはミルクだけ派。アルファなのにちゃんと薬持って歩いてるんだって。紳士だよね」
「……優子ちゃん、俺、その情報要らない、かな?」
シャレたカフェバーのカウンターで、匡史は精一杯の作り笑顔で隣の優子に言った。帰りに少し飲まないか、と誘われいつものように快諾したのに、さきほどから話題は先日赴任してきた課長のことばかりだ。可愛らしいワンピースも匡史好みの緩くアップした髪も、こんな話をしながらでは印象も半減だった。
「そうよね。金丸くんにとってはライバルよねー。今、女の子の間では急上昇物件だもの、池上課長」
「そう、なんだ」
「だって、あのルックスで三十四でしょ? なのに課長なんて出世株だし、なにより独身アルファなんて狙わない子はいないでしょ」
「そうかなあ」
「そうよ。オメガなんて滅多にいないんだから、だったら課長だって男女で恋愛するはずでしょう?」
金丸くんだってそうでしょ、と優子がこちらを見やる。
匡史は、そうだね、と精一杯の相槌を打ちながらグラスの中のハイボールを喉に流し込んだ。
「でも、歓迎会もパスして、いつも定時上がりって不思議だと思わない?」
「仕事、嫌いなんじゃない? だから、こんな最果ての地に飛ばされたんだよ」
大森建材には十五の支社がある。当然札幌はその最北の支社だった。これまで本社から期限付きで出向に来た人は居ても、こんなふうに役職に就く人は、匡史が入社してからは初めてだった。だから男性社員の間では、女性とは逆に『ある意味左遷だろ』という噂がたっていた。半分はそのルックスと性別に対するやっかみだろうが、匡史もその考えが正しいのかもと思っている。
「そうかなー? 人付き合いが苦手なだけじゃないかな? だって、必要書類とかは全部きっちり出してくれるし資料制作まで引き受けてくれてるんだよ? イイ男はそこに居てくれるだけでいいのに」
事務作業がはかどるのよ、と笑う優子のとなりで匡史はグラスを空にして立ち上がった。
「アレ? どうしたの、金丸くん」
「帰るね、俺」
急に吐き気がした。飲みすぎたわけでもないのに、優子の口から池上の名前が出るたびに嫌な感情がせり上がる。たとえ優子が匡史の求める人ではないとわかっていても、男としていい気がしないのだろう。
「怒った? 金丸くん。私が課長の話ばっかりするから」
「……いや。用事、思い出したんだ」
それでも元来フェミニストである匡史に、その話はもうしたくないから、なんてことは言えない。
「そっか……金丸くんは、私のこといつまで経っても持ち帰ってくれないね」
少し寂しげに目を伏せた優子に、匡史は短くため息をついた。だったらもっと色っぽい話をする努力をしたらいいのに、と思うがやはり言えない。
「ごめんね。――また誘って」
耳元に唇を寄せ囁くように言うと、優子が驚いたように頷いた。赤く火照り始めた優子の顔に微笑んで、またね、と言うと、そのまま店を出る。
「……勘弁してくれよ」
エレベーターの中でため息と共にしゃがみ込んだ匡史に残ったのは、知りたくもない池上の情報と、もやもやとした感情だった。
しかし、この状況はほんの序章だった。
「チカくんじゃない。どうしたの?」
とある日の昼前、会社に戻って来た匡史は、ロビーで女子社員の一団と会った。昼に会えるなんて珍しい、と彼女たちが嬉しそうに匡史を取り囲む。
「アポまで時間が空いちゃって、たまには社食使わないともったいないかなと思って」
匡史は優しい笑みを作ってそう答えた。ほとんど昼を外食で済ますのだが、やはり社員食堂の方が断然格安でバランスのいいものが食べられる。そのため、匡史は時間が許せばこうして会社に戻って昼食を摂っていた。
「だったら駅前のカフェ、一緒しようよ。昨日、優子とデートしたって聞いたよ。私たちと食事行こうよ、たまには」
ランチデートしようよ、と言われ悪い気はせず、匡史は頷いた。カフェへの道すがら、匡史はその中の一人の女性と意識的に並んで歩く。小さく彼女のシャツの袖口を引っ張り、さとみさん、と小声で呼んだ。
「今晩、食事どうですか?」
「……友達連れて、って言うんでしょ?」
隣で囁かれたさとみは、ため息を混ぜながら答えた。
「ダメですか? もちろん、さとみさんと二人で飲みなおす時間も取りますよ」
匡史はさとみの横顔を見つめ小首を傾げた。匡史が懇意にしている広報部のさとみという女性は交友関係が広く、友達は多い。彼女から派生する出会いも、匡史にとっては安藤の次に大事なルートだった。
「でも、チカくんは結局私とは遊びでしょ? もう私ね、遊んでる暇なくなってきたの」
来月三十だもの、とさとみが遠い目をする。匡史は、まだまだじゃないですか、と言うが、さとみは曖昧に頷くだけだった。
「ごめんね。私、もう旦那様を探そうって決めたの。池上課長みたいな、大人で真面目で優しそうな人を」
さとみの言葉に、匡史は気が遠くなる思いがした。また池上課長かよ、と心の中で毒づきながら、顔では切なそうに笑顔を繕う。
「そうですか……幸せにしてくれる人、探してくださいね」
「うん。チカくんも、そろそろ一人に決めなさいね」
できるかな、と笑いながら、匡史の心は焦りでいっぱいだった。これでひとつ出会いのルートが消えたのだ。出会いの場なんてただでさえ少ないのに、あとはもう実質、安藤ルートしか残っていないことになる。本気ならば婚活サイトなんかも使う手もあるのだろうが、それは匡史が求めている出会いではない。
「なんとかしなきゃ……」
わけもなく、そんなふうに思う匡史の焦りの矛先は、自然と池上へ向いていた。池上が悪いとは言わない。けれど、池上のことを考えると焦りとか恐怖とか自分でもわからないどうしようもない感情が溢れるのだ。
「……優子ちゃん、俺、その情報要らない、かな?」
シャレたカフェバーのカウンターで、匡史は精一杯の作り笑顔で隣の優子に言った。帰りに少し飲まないか、と誘われいつものように快諾したのに、さきほどから話題は先日赴任してきた課長のことばかりだ。可愛らしいワンピースも匡史好みの緩くアップした髪も、こんな話をしながらでは印象も半減だった。
「そうよね。金丸くんにとってはライバルよねー。今、女の子の間では急上昇物件だもの、池上課長」
「そう、なんだ」
「だって、あのルックスで三十四でしょ? なのに課長なんて出世株だし、なにより独身アルファなんて狙わない子はいないでしょ」
「そうかなあ」
「そうよ。オメガなんて滅多にいないんだから、だったら課長だって男女で恋愛するはずでしょう?」
金丸くんだってそうでしょ、と優子がこちらを見やる。
匡史は、そうだね、と精一杯の相槌を打ちながらグラスの中のハイボールを喉に流し込んだ。
「でも、歓迎会もパスして、いつも定時上がりって不思議だと思わない?」
「仕事、嫌いなんじゃない? だから、こんな最果ての地に飛ばされたんだよ」
大森建材には十五の支社がある。当然札幌はその最北の支社だった。これまで本社から期限付きで出向に来た人は居ても、こんなふうに役職に就く人は、匡史が入社してからは初めてだった。だから男性社員の間では、女性とは逆に『ある意味左遷だろ』という噂がたっていた。半分はそのルックスと性別に対するやっかみだろうが、匡史もその考えが正しいのかもと思っている。
「そうかなー? 人付き合いが苦手なだけじゃないかな? だって、必要書類とかは全部きっちり出してくれるし資料制作まで引き受けてくれてるんだよ? イイ男はそこに居てくれるだけでいいのに」
事務作業がはかどるのよ、と笑う優子のとなりで匡史はグラスを空にして立ち上がった。
「アレ? どうしたの、金丸くん」
「帰るね、俺」
急に吐き気がした。飲みすぎたわけでもないのに、優子の口から池上の名前が出るたびに嫌な感情がせり上がる。たとえ優子が匡史の求める人ではないとわかっていても、男としていい気がしないのだろう。
「怒った? 金丸くん。私が課長の話ばっかりするから」
「……いや。用事、思い出したんだ」
それでも元来フェミニストである匡史に、その話はもうしたくないから、なんてことは言えない。
「そっか……金丸くんは、私のこといつまで経っても持ち帰ってくれないね」
少し寂しげに目を伏せた優子に、匡史は短くため息をついた。だったらもっと色っぽい話をする努力をしたらいいのに、と思うがやはり言えない。
「ごめんね。――また誘って」
耳元に唇を寄せ囁くように言うと、優子が驚いたように頷いた。赤く火照り始めた優子の顔に微笑んで、またね、と言うと、そのまま店を出る。
「……勘弁してくれよ」
エレベーターの中でため息と共にしゃがみ込んだ匡史に残ったのは、知りたくもない池上の情報と、もやもやとした感情だった。
しかし、この状況はほんの序章だった。
「チカくんじゃない。どうしたの?」
とある日の昼前、会社に戻って来た匡史は、ロビーで女子社員の一団と会った。昼に会えるなんて珍しい、と彼女たちが嬉しそうに匡史を取り囲む。
「アポまで時間が空いちゃって、たまには社食使わないともったいないかなと思って」
匡史は優しい笑みを作ってそう答えた。ほとんど昼を外食で済ますのだが、やはり社員食堂の方が断然格安でバランスのいいものが食べられる。そのため、匡史は時間が許せばこうして会社に戻って昼食を摂っていた。
「だったら駅前のカフェ、一緒しようよ。昨日、優子とデートしたって聞いたよ。私たちと食事行こうよ、たまには」
ランチデートしようよ、と言われ悪い気はせず、匡史は頷いた。カフェへの道すがら、匡史はその中の一人の女性と意識的に並んで歩く。小さく彼女のシャツの袖口を引っ張り、さとみさん、と小声で呼んだ。
「今晩、食事どうですか?」
「……友達連れて、って言うんでしょ?」
隣で囁かれたさとみは、ため息を混ぜながら答えた。
「ダメですか? もちろん、さとみさんと二人で飲みなおす時間も取りますよ」
匡史はさとみの横顔を見つめ小首を傾げた。匡史が懇意にしている広報部のさとみという女性は交友関係が広く、友達は多い。彼女から派生する出会いも、匡史にとっては安藤の次に大事なルートだった。
「でも、チカくんは結局私とは遊びでしょ? もう私ね、遊んでる暇なくなってきたの」
来月三十だもの、とさとみが遠い目をする。匡史は、まだまだじゃないですか、と言うが、さとみは曖昧に頷くだけだった。
「ごめんね。私、もう旦那様を探そうって決めたの。池上課長みたいな、大人で真面目で優しそうな人を」
さとみの言葉に、匡史は気が遠くなる思いがした。また池上課長かよ、と心の中で毒づきながら、顔では切なそうに笑顔を繕う。
「そうですか……幸せにしてくれる人、探してくださいね」
「うん。チカくんも、そろそろ一人に決めなさいね」
できるかな、と笑いながら、匡史の心は焦りでいっぱいだった。これでひとつ出会いのルートが消えたのだ。出会いの場なんてただでさえ少ないのに、あとはもう実質、安藤ルートしか残っていないことになる。本気ならば婚活サイトなんかも使う手もあるのだろうが、それは匡史が求めている出会いではない。
「なんとかしなきゃ……」
わけもなく、そんなふうに思う匡史の焦りの矛先は、自然と池上へ向いていた。池上が悪いとは言わない。けれど、池上のことを考えると焦りとか恐怖とか自分でもわからないどうしようもない感情が溢れるのだ。
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