そうだ課長、俺と結婚してください

藤吉めぐみ

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「本田さん、今回はありがとうございました。勉強になりました」
 安藤が頭を下げると、ほろ酔いの本田は、こちらこそ、と言いながら空いた席を勧めた。安藤がそれに従い、匡史もその向かい側に落ち着いた。
「さすがに大手を相手にしてるトクハンだな。説明も淀みがなかったし、質問の答えは的確で早いし」
「いや、でも、やっぱり全然違いましたよ」
 安藤はかぶりを振って笑った。
 確かに特販は、大手の企業と取引をする課で、動く金も億単位だ。今回の展示会のターゲットである中小の建設会社や工務店との取引とは勝手が違う。
「これで営業先が増えたって、さっきウチの営業部長も言ってたよ。ありがとう」
 いいえ、と安藤と揃って言うと、仕事の話はここまでにしようか、と本田が笑う。そして、こっちはよく来る? と他愛もない話をし始めた。
「いえ、ほとんど。金丸なんか、寿司だ、蕎麦だ、もんじゃだって、この機会に乗じて食い尽くしてますよ」
 安藤に言われ匡史は、一緒に喰ってるだろ、と反論する。
「雷おこしと人形焼は食ってないよ」
 匡史が、う、と呻くと、本田が軽やかに笑い出した。
「金丸くんはこの出張を堪能してるようだね」
 なによりだよ、と言われなんだか遠足気分だと言われているみたいで匡史は思わず口を尖らせてしまう。何より、この人に子供と見られるのは、腹立たしい。
「悪いことじゃないよ。実際、仕事はきちんとこなしてるんだから、それ以外は楽しんでもらった方が、呼んだ僕も嬉しい」
「それなら、いいですけど」
 腹が立つからと言って、露骨な態度も大人としてよろしくない。本田のフォローを受け、匡史はそれで納得した態度に変えた。
「僕が札幌へ出張になったら、いい店教えてよ。僕もその機会に乗じて北海道を食べつくすから」
「じゃあ、一緒にススキノ情報も」
 匡史が言うと、それはもっと若いやつらに、と微笑んだ。隣に座っていた社員の一人が、主任は来月結婚するんです、と小さく教えてくれた。
 匡史は思わず、え、と声に出してしまう。じゃあ、瑛蒔は? 池上は? 別れたって原因は結婚? と思考がぐるぐると絡まり始める。本田を見ると、まあね、と嬉しそうに笑った。考えるより先に、匡史の眉間に皺が寄る。けれど、それには気にも留めず、本田が口を開いた。
「そういえば、特販って確か聡二が移った部署だよな。課長になったんだっけ? 元気にやってる?」
 同期なんだよ、と本田は笑顔で池上の名前を口にした。一方的に捨てた人を、しかも子供まで押し付けている人の名前をこんな笑顔で、軽々しく口にする本田が分からないし、許せなかった。黙り込んだ匡史を見て、安藤が本田の横から、いつもお世話になってます、と穏やかに言う。そのまま匡史に視線を投げて、どうしたんだよ、とその目で問いかける。
 どうもこうもない。あの人があんなに苦しみながらも、瑛蒔まで引き取ってこの人との繋がりを維持したいと思っているのに、どうしてこの人は軽々しく話題に上らせ、あまつさえ結婚などできるのだろう。匡史の我慢はあっけなく限界を超えた。
「……池上課長、まだあなたが好きなんだと思います」
 本田の目を見て、静かにそんなことを言うと、一瞬空気が冷えるのを感じた。静寂の中、乱暴に本田が立ち上がり、匡史の腕を引いて宴会の席から店の外まで歩いていく。後方から窺うその顔は、いままで見たことのないほど焦りの色が出ていた。そりゃそうだ。部下たちの前で、しかもこれから結婚という時にありえない言葉だろう。上司の沽券、世間体、そんなものが本田の頭を巡っているに違いない。
 店の外に出た本田は匡史の腕を離すと、深呼吸をしてから話し出した。
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