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しおりを挟む「ホントに、ここで待つ気? いつ戻るかわかんないし、一人で戻ってくるとは限らないよ」
壱月は台所でコーヒーを淹れながら、ダイニングチェアに座る由梨乃に聞いた。
バイト先から由梨乃と共に帰宅した壱月だったが、まだ楽は帰っていなかった。帰っていてくれたら話は早かったのだが、この時間に帰宅していることは少ないので、仕方なく由梨乃を部屋の中へと招いた。
今日は楽は一日バイトのはずだから、まっすぐ帰るならもう少しで帰宅するだろう。ただ、楽はまっすぐに帰宅することがほとんどない。バイト仲間や店の前でバイト終りを待っている女の子に捉まり、大抵は少し遊んで帰ってくる。もしくは、連れて帰ってくる。どちらにせよ、由梨乃にとっていい状況ではないと思った。
壱月はため息を吐きながら目の前のコーヒーサイフォンを見つめる。壱月のコーヒーは豆を挽き、サイフォンで淹れる。両親がコーヒー好きだったこともあり、この淹れ方が面倒とも思わなかったし、なにより楽が、これがいいと言う。好きな相手にそう言われたらこの淹れ方以外にするつもりなんてなかった。
「待つわよ。こうでもしないと、楽に会えないもの」
壱月はその言葉を聞きながらアルコールランプに蓋をかぶせた。琥珀がゆっくりと落ちてくるのを眺め、口を開く。
「楽、そういうの、ものすごく嫌うよ。指輪置いて帰った方がチャンスあるんじゃない?」
がっついてくるのは怖い。そう、前に零していたことがあるのを思い出す。だからこの場合、指輪を届けたよとメッセージでも送った方が、楽は安心して連絡を再開するのではないかと思う。でも由梨乃は、嫌、の一点張りだった。こうなったら動かないだろう。壱月は仕方なく、由梨乃にコーヒーを出してソファに座り込んだ。
「このコーヒー、美味しいね。澤下くん、店出来るんじゃない?」
今度キャラマキ作ってよ、とはしゃぐ由梨乃に壱月はそっけなく、機会があればね、と答えてテレビを点けた。静かだった部屋にテレビからの音だけが響く。
「ひょっとして、迷惑?」
あまりに反応が薄い壱月の様子に、由梨乃はたまらず聞く。壱月はその言葉にゆっくりと由梨乃に視線を向けた。
「気づいてくれた? なら、いいよ」
「なに、それ?」
「迷惑承知でお願いされるのと、厚顔無礼で頼まれるのじゃ違うでしょ。迷惑だって気づいたんならいいよ」
壱月の言葉に由梨乃は床に視線を落として小さく頷くと、ありがと、と呟いた。
楽を好きだという女の子を見ると、壱月は不思議な気持ちになる。素直に好きだと言えて楽に愛されることは、羨ましくて泣きたくなるほど切ないのに、楽を想うその気持ちは痛いくらい共感できて手助けしたくなる。だからいつもなら、見ないフリ、聞かないフリで通していたのに、こんなに積極的に協力要請されたのは初めてで、そのせいか少しくらいなら、と思ってしまった。バカだな、と自分でも思う。この子と楽が上手くいったら、自分に望みのひとつもなくなるというのにこんなことをするなんて、ばかだとしか言いようがない。
「……楽の、どこが好き?」
ふと、そんなことを聞いてみた。壱月ならきっと全部と答えてしまうその質問に、由梨乃は、うーん、と少し考える。
「……顔?」
「……正直だね」
「面食いなのは否定しないよ。あと雰囲気、かなあ? 楽の周りはキラキラって空気が変わってくの」
その言葉は理解できた。こちらの気持ちが影響しているのだと思うが、楽の周りは常にキラキラと輝いている気がする。その光に吸い寄せられるその気持ちはとてもよく分かる。
「楽のこと、好きなんだね」
「まあ……遊ばれてもいいけど、一回では終わりたくないって思ってるくらいには。あわよくば、たくさんいる恋人の中の一番になりたいって思うくらいには」
由梨乃がそう言って笑う。その言葉に、ふと高校の頃聞いた言葉を思い出した。由梨乃は、諦めているのだ。そういう人だと分かっていながら、諦めて恋をしている。
自分とは違う諦め方をして、それでも楽を想っている。
急に由梨乃が羨ましくなって、壱月は時計を見上げた。
「遅いね、楽」
既に日が変わっている。由梨乃は寂しそうに頷いた。テーブルに置かれたコーヒーも冷めてしまっている。
「コーヒー、淹れなおそうか。ラテにしてあげるよ」
壱月はそう言って立ち上がり、キッチンに向かった。
「うん、ありがと。……いつもこんなコーヒー飲んでるんだ、楽」
「どうかしたの?」
「前にね、コーヒー淹れてあげたら、こんなのただの泥水だって、キレられたの。ひどいと思ったけど、たしかにコレ飲んでたら、私のコーヒーの方がひどいかな」
由梨乃が切ない表情のまま笑った。壱月は、そんなことないよ、と答える。
楽が壱月と生活しているのは、このコーヒーへのこだわりだけなのだと、壱月は気づいていた。
そもそも、壱月と同居しようと思ったきっかけは多分、コーヒーなのだ。
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