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しおりを挟む受験も近い晩秋、いつものように楽がノートを写したいから、と自宅までついて来た日だった。
二人でバスに乗って帰宅しただけなのに、ジェットコースターに乗った時よりも高い心拍数のまま自宅に着くと、壱月は更なる緊張に襲われる。部屋で二人きり、という時間だ。
一階の台所でコーヒーサイフォンと睨めっこしている間はまだよかった。落したコーヒーとカップを持って部屋に入った途端、また壱月の心臓は忙しく仕事を始める。こんな時、壱月は楽の傍に居すぎたら死んでしまうんじゃないかとさえ思っていた。
「お、サンキュー。やっぱ匂いから違うよな、壱月のコーヒー」
壱月が部屋へ戻ると、楽が鼻を利かせて笑った。小さなテーブルにはノートが開かれている。
「ウチ、両親がコーヒー好きなんだ。豆挽いて淹れるからそのせいかな」
「へえ。俺もコーヒー好き。壱月と友達になれてラッキーだったな」
楽は嬉しそうに笑いながらコーヒーをすする。壱月はその様子をぼんやりと見つめていた。何をしても絵になる人だと改めて思う。
「なあ、壱月って、星慶大の推薦通ったんだよな?」
その横顔がふと、そんなことを聞く。壱月は頷いた。
「あ、うん。なんとか学校推薦貰えたから」
総合型で受験しようと思っていた時、突然枠がひとつ空いたからと決まったのだ。おそらく色んな委員を押し付けられてやっていたので担任が口を利いてくれたのだろうと思う。なんとか潜り込むことが出来た。
「俺も、そこ第一志望にする」
楽が壱月の目を見つめ、真面目な顔をする。冗談じゃないことは分かったが、戸惑いの方が大きくて慌てて首を振ってしまった。
「え、第一志望って……そんな大事な事、簡単に決めちゃだめだよ」
「壱月と一緒のところがいい。そんなこと言わないで、来年も同級生になろうよー。なあ、壱月ー」
壱月の反応に楽が眉を下げる。腕を伸ばして壱月の袖を引っ張って甘えるように、お願い、と繰り返す。そんな姿を見せられて、恋する少年が断れるはずがない。
「そこまで言うなら……いいけど。模試、受けた?」
「……全然」
「……じゃあ、ノート貸すだけじゃ駄目だよね。放課後勉強付き合うよ」
「やった! じゃあ明日から、場所は壱月の家!」
嬉しそうな楽が手元のカップに視線を落とす。それで壱月は、そうか、とこのおねだりの理由に気づいて笑い出した。
「別に僕の家じゃなくても、コーヒーくらいなら淹れて学校持ってくよ」
「あれ……? ばれた?」
「バレバレ」
照れたように笑った楽が、でもね、とふと表情を変えた。
「この部屋、落ち着くんだよね。俺、男友達って少ないから、なんかこういう空気とかいいなって思う」
「そう、かな?」
友達という言葉に、壱月の心が少しだけ冷える。けれど友達にすらなれないと思っていたのだからずっといいじゃないか、と自分に言い聞かせ、顔に笑みを貼りつかせた。
「うん。なあ、俺が無事合格したら一緒に部屋借りねえ? 家賃安く済むし、一人より心強いだろ。壱月とならシェアできると思うんだ」
「部屋……?」
「まさか、実家から通うなんて無謀なことしないだろ?」
実家から大学までは電車で一時間半ほどの距離だった。頑張れば通えないこともない。壱月は実家から通ってみよう思っていたところだった。
「いや、でも……」
「壱月は俺と暮らすの嫌か? ワガママ言わないで大人しくするから、どう?」
ほらお手も出来るし、と楽は壱月の膝に軽く握った手を置く。壱月は、それに一瞬驚いて、すぐに笑った。
「こんなでかいペット飼ったことないよ。でも、楽がそこまで言うならいいよ。ちゃんと合格したらね」
「ホント? やったー、毎朝極上コーヒー生活確約取った!」
「やっぱりそれかよ」
大げさにガッツポーズを作る横で壱月が笑い出す。毎日コーヒーが飲みたいから、そんな理由でも嬉しかった。
便利な道具の代わりでもいい。友達と言ってくれるならそれだけでも嬉しい。何でもいいから傍にいたかった。楽の笑顔が見られるなら、それでいいと思った。
後に辛い思いをすることになったとしても、この時はただ純粋に一緒に居られることが喜ばしかった。
昔のことを思い出した壱月は少しだけ微笑んでから、小さくため息を吐いた。
「……澤下くん?」
少し思い出に浸りすぎたようだ。由梨乃が不思議そうにこちらを見ている視線に気づき、壱月は口を開いた。
「なんでもない。それはね、全面的に楽が悪い。アイツは人の気持ちを推し量るってことが出来なさすぎる」
壱月が言うと、由梨乃が一瞬驚いた顔をしてから、嬉しそうに笑った。
「ありがと……ねえ、澤下くんって下の名前、なんていうの?」
サイフォンの用意をする壱月に近づく由梨乃がそんなことを聞いた。カウンターに寄りかかり、作業台の前に立つ壱月をじっと見上げる。
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