僕《わたし》は誰でしょう

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第一章

大切な思い出

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 コンコン、と扉の向こうから音がして、ぼくは反射的に全身を強張らせた。

「すずちゃん。大丈夫? お腹でも痛いの?」

 母親の声が聞こえる。こちらを心配する優しげな声。
 けれど彼女は、本当にぼくの母親なのだろうか——そんな風に疑い始めると、もはや何を信じればいいのかわからなくなってくる。

「すずー? もしかしてあたし、何か気に触るようなこと言った? なんか、余計なこととかしちゃってたらごめんね」

 今度は沙耶の声がする。彼女もこちらのことを心配している。

「すず。オレのポテトサラダ、口に合わなかったか? それともまだ体調が良くないのか? 無理しちゃだめだぞ。オレたちはもう帰るから、今日はゆっくり休んでくれよな」

 最後に桃ちゃんの声。どうやら彼と沙耶はもう帰るらしい。こちらが素っ気ない態度を取ってしまったから、気を遣わせてしまったのだろう。

 申し訳なさばかりが募る。けれど彼らを引き止める勇気すら持てず、そのまま二人が去っていく音をトイレの扉越しに聞いていた。

 自分は一体何をやっているのだろう。
 今日はせっかく、ぼくのためにお祝いの用意までしてくれたというのに。

 不甲斐なさでたまらなくなって、その場にうずくまり、膝に顔を埋める。なんだか頭の中がぐちゃぐちゃだ。
 ぼくは一体、何を信じればいいのだろう?



 しばらくすると、家の中の物音が何も聞こえなくなった。
 両親はどこかの部屋にいるはずだけれど、動いている気配はない。

 ぼくはそっとトイレの扉を開け、廊下をキョロキョロと見渡した。誰もいない。

 あまりにも静かすぎて不思議に思いながら、恐る恐るリビングを覗く。
 すると、パーティーの飾り付けはそのままに、壁際のソファで父と母が腰を落ち着けていた。仲睦まじく肩を寄せ合い、二人で一冊の本に目を落としている。

「あら、すずちゃん。大丈夫? 少し落ち着いた?」

 こちらに気づいた母は尚も笑顔で尋ねてくる。
 ぼくは「うん……」と力なく答えながら、彼らのそばへ歩み寄る。それとなく本の中身へ視線を移すと、それに気づいた父親がいつも以上に穏やかな声で言った。

「アルバムを見てたんだ。ほら、懐かしいだろ? すずがまだ幼稚園に通ってた頃の写真だ」

 手元のアルバムの向きをくるりと変え、こちらが見やすいようにしてくれる。開かれたページには何枚もの写真が並んでおり、そのどれもが同じ小さな女の子を被写体にしていた。

 幼い頃の比良坂すずだろう。どことなく面影がある。
 長い髪を色んな形にアレンジして、お姫様のような愛らしい洋服に身を包んでいる。若かりし頃の両親に挟まれ、ニコニコと笑顔を振り撒くその姿は、まるでこの世の幸せを一身に浴びているかのようだった。

「小学校の頃のアルバムもあるわよ。それからこっちは中学校のときの」

 母は嬉しそうにいくつもアルバムを並べていく。こうしてわざわざ写真に印刷して大事にとっているところを見ると、彼らの愛情はやはり本物なのだろう。

 彼らにとって、大切な思い出。
 それを少しでも嘘偽りだと疑ってしまった先ほどの自分が、ひどく滑稽で愚かだと思えてくる。

「お父さん、お母さん……ありがとう」

 たとえぼくが比良坂すずではなかったとしても、この体は、彼らの大事な娘のものだ。

 だからこそ、ぼくはやはり真実を知らなければならない、と思う。
 ぼくのためにも、比良坂すずのためにも。

(明日、井澤先生に会いに行かなくちゃ)
 
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